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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
4/86

02.「スピリチュアル彼女」



 大陸の統一戦争を制し、名実共にエルグラド大陸の王都として栄えつつあるリディアの都は、北を霊峰連なる峰々に守られ、東は涙のシンボルを逆さまにしたような内海を臨み、西から南に広大な穀倉地帯を有する大陸随一の楽土だ。


 内海から吹き込む湿った風が時折バケツをひっくり返したような豪雨を降らせるが、ややもすればラムネ色の蒼空が広がるといった極めて温暖な気候である。


 山間では回復剤の調合にかかせないキュア・ベリーの果樹園が甘い香りを漂わせ、穀倉地帯には視界いっぱいの麦畑、農村ではピザにパン、回復剤にアルコールといった酵母を使った食料品の生産が盛んに行われている。


 温暖で酵母の活動が活発な土地柄というメリットは、「菌が繁殖しやすい」土地柄というデメリットでもある。


 リディアは過去幾度となく伝染病や感染症の被害に逢い、その都度、北の霊峰から産出される良質な銀の力によって国を守ってきた。



 故にリディアは「銀の都」という冠でもって人々に呼ばわれる。



 そんな風土であるからして、とにもかくにも衛生面にうるさいのがリディアの民の特徴だ。



 しかし――



「きったねぇなァ……相変わらず暗いし」



 などとウィルが顔を顰めて呟くほどに、リディアの民が衛生面の改善を放棄している場所が「旧市街地区」である。


 石造りの建物のほとんどが半壊状態、道端のいたるところにガレキが転がり、入り組んだ路地は暗く湿っていて、時折ボロのローブに身を包んだ冒険者が座り込み、どんより曇った目で虚空を眺めていたりする。



「ここは貴族議会が二十年も前に廃墟指定した区画だからな。法的には誰も住んでいない事になってるはずだ」



 俺もポケットに手を突っ込みながら言う。



「――へッ、それが祟ってならず者の巣窟たァ笑えるね」



 ウィルが猫じみた笑いを浮かべて、先を歩く男の背中に目をやった。


 こげ茶のレギンスに煤けた革のジャケット、僅かに振り返った男の顔にはざっくり向こう傷が刻まれている。


 如何にもカタギではないならず者(・・・・)風体の男が、歩きながらジロリとウィルを睨んだ。


 先日バーで行き合った街のゴロツキに比べれば、身から溢れ出るアウトロー臭が格上である。



「……あんた、どっかで見た(つら)だな。どこでだったかが出て来ねえ」

「あー、よく間違えられんのよ。背番号七を背負った特殊工作員に」



 元騎士であることなどおくびにも出さず、ウィルが軽口を返した。



「ヒロインを探してるんなら他を当たったほうがいい。ここの女は何しなくても男の財布を抜いていく」

「ほーん? そりゃ気が合いそうだ」

「ふん……」



 ウィルの気さくな切り返しにならず者が笑う。



「しかし――」



 俺は周りの荒れ果てた様子に目をやりながら二人の会話に割り込んだ。



「ドン・ゴルフェーザは旧市街地の中で一等顔の利きく男だと聞いた。縄張りの霊的治安を維持する術士ぐらい抱えてそうなものだが」

「……」



 先を歩く男が黙る。



「言えない事か?」

「……送り込んだ術士が、一人として戻らない」

「戻らないだって?」

「全員、消息がつかめなくなってな」



 男は気怠そうな目をしてみせた。



「ドンが抱える術士はまだ何人かいるが、これ以上術士が減れば地区の『掃除』が間に合わなくなる。ここいらには大聖堂の神官様が二言目に口にする、女神様のご加護ってやつが届かないんでな」

「俺も破戒僧でね。どちらかというと、ご加護の外にいる人間だ」

「ふん……ここだ」



 男が足を止めて顎を振った。



 狭い路地が急に開けた場所に鎮座する、大きな廃教会――



 ステンドグラスは割れたんだか割られたんだか、光の女神像の首はもげたんだかもがれたんだか、王都新聞(リディア・タイムズ)に載っていた気象予報魔導士の予想は晴れだったはずなのに、空には濃い暗雲が立ち込めていた。



「「……」」



 予想以上に不気味な様子に、俺とウィルは揃って言葉を失った。



「――十二人」



 ならず者が言う。



「十二人もの術士が、一人として戻らなかった」

「つまり――」



 俺は言葉半ばに頭を掻いた。



「不吉な数字を自分らで飾らないよう精々頑張ってくれ。どっちか片方だけが逃げ帰ってくるってのだけは勘弁してもらいたい。ドンもあれでゲンを担ぐ」



 そう言うと、ならず者は軽く手を上げてサッサと来た道を戻っていった。



「……なかなかトンチの利いたご依頼で」

「やるねゴルちゃん」



 ――ゴロゴロ……ッ



 暗雲が稲光を炸裂させて雷を鳴らした。


 ウィルが左手を、俺は右手を教会に差し出す。



「「お先にどうぞ」」



 声が重なった。



「「……」」



 沈黙が重なった。



「猫さん、全部自分で倒すとか言ってなかった? 俺ほら、ここら一帯の浄化の準備あるから、存分に暴れておいでなさいな」

「お犬サマ、幽霊が美人の女だったらどうしようとかワッキワッキしてなかった? これ見るからに入れ喰いだって」



 そして再びの静寂。



 俺はため息混じりに頭を掻いた。



「……冗談はともあれ、どうも妙だな。不気味さの割に、それほどの瘴気が感じられない」

「消息不明ってこたァ死体が出てねえってこった。キナ臭せぇ話だぜ」



 ウィルがやる気のない碧眼で教会を眺める。


 俺は右手にコインを呼び出しトスの構えを取った。



「「怒ってる」」



 ウィルと俺の指定が被る。



「……怒ってるの?」

「ああ」



 ウィルが確定事項であるかのように頷いた。


 俺はなんとなく不吉な気がして、即座にコインをかき消した。


 僧侶な俺は激しくゲンを担ぐ。ヤクザ者の比ではない。



「「……」」



 ウィルと俺の目が鋭く細まった。



「「最初はグー、ジャンケンほい!」」



 暗雲をも切り裂かん威力を込めた俺のチョキが、岩をも砕かんばかりのウィルのグーに粉砕された。



「くぅぅぅぅ!」

「ふ……なんでか出来てしまうんだよ、俺にゃ」



 ウィルが顔の前に手を翳して「にゃっ」と笑う。



「……今日も救われませんね」



 これまでの人生で散々口にしてきた言葉を吐いて、俺は廃教会へと足を踏み出した。




     ○


 教会の正面、蝶番が外れて傾いだ扉から中を覗くと、崩れて倒れた柱によっていきなり行く手を阻まれていた。


 俺が先方、ウィルが後方を警戒しながら教会の周囲をぐるりと一回り、途中、壁が崩れている場所を発見した。



「ドンの術士ってなァ、全員ここを通ってんな」



 ウィルがエメラルドグリーンの目を細める。



「何故分かる?」

「足跡」



 俺も足元に目を向けたが、ただ乱雑に瓦礫や石片が散乱するばかりで足跡らしき痕跡は視認できなかった。


 地面を見るウィルの瞳が、しきりに何かを追って動いている。



 ウィル・フォードが持つ特筆すべき能力に「目の良さ」がある。



 単純に遠くが見えるだとか動体視力が良いということに留まらず、ありとあらゆる情報を読み取って事物の本質を見極めるその性能は、まさに「猫の眼」と言えた。



「ただ……男が十の女が三、数が合わねえな」



 ウィルがしゃがみこんでさらに詳しく調べ始めた。


 手下の話の限りでは、送り込まれた術士は十二人――


 足跡が一人分多い。



「ここ最近の足跡ってことでいいんだな?」

「ああ。足付きは全員正気のようだが……生きた人間のものかどうかまでは分かんねえな」

「全員生きてただろうさ――」



 俺は目を瞑って呼吸を整えた。



「ここは不死者(アンデッド)の通った匂いがしない」



 ウィルが眼なのに対し、俺は嗅覚に絶対の自信を持っている。


 単純に鼻腔で認識する臭気に留まらず、空間に残された人や物の魔力を判別できる過敏な感覚が備わっている。


 果たしてそれを、「犬の鼻」と言っていいかは判断に困るところだが。



「するってぇと、ちっとばっかし妙だなァ」



 ウィルが眉を顰める。



「足跡が一つだけ出たり入ったりしてんだ。アンデッドのもんじゃねえとすると……」

「その足跡、女だな」

「なんでわかった?」

「匂うもの」



 旧市街地の廃教会に、花の香りを思わせる魔力が僅かに漂っていた。



「へッ――」



 ウィルが短く笑って立ち上がった。



「情報を整理しようやブラザー。ゴルちゃんの送り込んだ十二人の術士ってなァ間違いなくここを通った。しかし足跡は十三人分ある」

「足跡のうち、女がしきりにここを出入りをしている。数の合わない『十三人目』は、その女の可能性が高いって事だな兄弟」



 ウィルは左手に、俺は右手にコインを呼び出して、それぞれの手に魔力を溜めた。



「どうもこりゃ、ただの祓魔の依頼じゃなさそうだぜ」

「――か」



 俺はコインを構えた右手を翳し、警戒しながら壁の割れ目をくぐった。


 聖堂脇の長い廊下――


 教会の中は無音が耳に痛いほどで、一歩一歩ごとに床板が軋んだ。


 埃っぽい屋内に、やはり女性特有の甘い香りを思わせる魔力が残留している。



「足跡は?」



 廊下のコーナーに身を貼り付けて、俺は後続のウィルに聞いた。



「全員このルートだ。そっちは?」

「香ってますよ。例えるなら『谷間の姫百合』ってとこ」

「鈴蘭か? 毒があるってこったな」



 清楚可憐な花を咲かせる「谷間の姫百合」こと鈴蘭は、有毒植物に分類される。



「……」



 足音を忍ばせて前進をしていた俺は、空気に不快な魔力が空気に混じるのを感じて足を止めた。



「なんでえ?」

「アンデッドの臭いも混じり始めた」

「おぉっと」



 ウィルが声をのトーンを落として左手の魔力を強める。


 俺たちが物陰に隠れて陣取っているのは聖堂の裏手で、地下への入口らしき穴が口をもたげていた。



「地下墓地だな。死者が臭って当然と言えば当然の場所だが……」

「足跡は全員下に向かってらァ。出て来てんなァ十三人目の女だけ」

「――か」



 俺は左手にもコインを呼び出し、両手に魔力を溜めて地下の階段を降った。


 地下墓地の中は見通しの利く広場になっていて、掘り起こされた後のある墓や、砕けた墓石、月並みに白い骸骨などが転がっている。


 石造りの壁に光量のおちた魔法鉱石のランタンが吊り下がり、最奥の台座に据えられた石棺をぼんやりと辺りを照らし出していた。



 無人――



「術士達はここで大立ち回りをやらかしてるな」



 振り返ると、ウィルがまた瞳を小刻みに動かしていた。



「どんな様子だ?」

「ドぎついのをズドン――だ。どいつもこいつも全員、最後にゃ派手にブッ飛んでやがる」



 ウィルはまるで戦闘を観戦するかのように視線を空間に走らせている。



「十三人目の彼女は、大分ガッツリさんだと見たね」



 猫が「にゃっ」と口の端を持ち上げた。


 僅かに残された痕跡から情報を組み立てる彼の眼には、一体どんな世界が見えているのだろうか。



「こっちは魔力をロストした。降りてくる階段で香りが強くなったのに、中で全く臭わないってのはどういう――」



 言いかけた矢先、地下墓地内に魔力の気配が生じた。



「「――ッ!」」



 奥の台座に置かれた石棺辺に淡い光が浮かび上がり、俺達は同時にコインを構えた。


 ぼんやりと光る白い服、だらりと下がった両腕、前に傾いた体のせいで長いブロンドヘアーが顔面を覆い隠しているが、現れた何かは女の姿をしているように見えた。



「おっほほー! 出やがったぜえ!」



 ウィルが威勢のいい声を響かせる。



「さァ、このレヴィ・チャニングが相手だ! さァ!」



 そして俺を羽交い絞めにした。



「え――なッ!? フルネームとかやめてよ!? 呪われたらどうしてくれんの!?」

「ごちゃごちゃうっせえ! さァスピリチュアル彼女、祟るなら是非この遊び人を! エロエロエッサム、コウチャハアッサム……」



 ウィルが俺を盾にしてジリジリと前に出る。



「呪文が胡散臭ぇぇぇぇッ!」



 俺はジタバタ暴れながら叫んだ。


 体格は俺の方が上回っているが、前衛戦闘職のウィルには腕力で抗いようがない。


 一方の急に発生したスピリチュアル彼女は、こちらのやり取りを理解しているのかいないのか、緩慢な動作で両腕を持ち上げた。


 純白の手袋を嵌めた両手に青い魔力が灯る。



「――レヴィ!」



 ふざけるのを中断し、ウィルが俺の体を大きく右に崩した。


 俺はそのまま右に跳び、ウィルが左に跳ぶ。



 ――ダラララララララッ!



 女の両手から継ぎ目のないコインの弾丸が迸しった。


 俺とウィルは地面を転り、それぞれ手頃な墓石の影に身を身を潜めた。



銀の連弾(オート・ブリット)……!?」



 指を使わず、魔力の圧力のみでコインを速射する祓魔術の中伝技である。


 つまり相手は――



 ――ババババババッ!



「うわっち!?」



 盾にしている墓石が破片をばし、俺は頭を抱えて身を屈めた。


 コインを魔法銀(ミスリル)に融解させる技術は、ウィルのような例外を除いて聖ライアリス教の僧籍にある人間しか習得し得ない。


 つまり相手は、俺と同じ僧侶ということになる。


 なにより、ロストした鈴蘭の香りの魔力が彼女の体から滲み出ていた。



「ウィル! 十三人目だ!」

「わかってんだよ、んなこたァ!」



 ウィルの方も、俺と同じく一斉射を向けられて身を縮めている。


 銀の連弾(オート・ブリット)を両手で使うのかよ――


 魔力を使用する技術(スキル)の中伝であるからには、相応に難易度が高い。


 長時間魔力の出力を安定維持しなければならず、俺は片手一本に集中したとて使用が難しい。


 相手の技術(スキル)レベルが相当高い。



「タイム! たぁぁぁぁいむ、ヘイ、彼女! ストォォォォップ!」



 ウィルが声を張り上げた。


 魔法銀の一斉射がピタリと止む。



「……何かしら?」



 野を流るる清流如き涼やかな声色、僅かに混じるハスキーな響き、地下墓地に似つかわしくない鈴鳴りのような発声だった。



「手ぇ上げまーす! 俺ァ無防備で立ち上がっからな!? 撃つな、撃つなよ! ……撃たないでね?」



 ウィルが墓石の影から両手を挙げて、思い切ったように立ち上がった。



「……や、ハロー?」

「ハロー」



 背中を向けたままのウィルに静かなる美声が掛かる。



「振り返っていいか……?」

「ゆっくりね」



 ウィルが言われたとおり「そぉっ……」と石棺の方を振り返った。



「――おう、旧市街地区の地下墓地で女神サマ発見」

「ありがとう」



 墓石に身を隠した俺からは、軽い調子でおどけるウィルしか視界に入らない。


 が、女神と聞いては確認せずにはいられない。


 俺は僅かに墓石から顔を覗かせ、



 ――ダラララララッ!



 コインの速射をモロ喰らいしそうになった。



「ちょいまち! ヘイ! 話し合おう! な!? そっちに隠れてんのは俺のダチ、ちょっとシャイなヤツで、美人を恐がる」



 ウィルが陽気に言葉を紡いた。



「怖いのは美人? 大聖堂の追っ手の間違いではなくて? レヴィ・チャニング」



 俺は墓石の影でギクリと体を強ばらせた。



「ようやく見つけた――」



 鈴鳴の声がそう呟いた。



「……知り合いか?」



 ウィルがこちらに目を送ってくる。


 俺は墓石の影で首を傾げた。


 姿を確認してない以上はっきりした答えを返せない。



「知り合い?」



 ウィルが女の方にも聞いた。



「……」



 女からの返事は無かった。



「レヴィ、お前さんも手ぇ上げて立て。なかなかお目にかかれない美人だぜ? お前さんのだァい好きな、女神サマってヤツですよ」

「確かに美人は嫌いじゃないが、俺が好きなの恋だから」



 ――キィィィィィ……



 耳鳴りのような音が地下墓地に響き渡った。


 魔力が収束する音である。



「墓石ごと吹き飛ばしてあげようか?」

「投降する」



 有無を言わさぬ鈴鳴りの声には、有無を言わずに降参するに限る。



「振り返って」



 お伺いを立てるより先に命じられ、俺は恐る恐る後ろを振り返った。



「――」



 言葉が出ない。



「どんなもんよ」



 などとウィルが自分の手柄のように誇るのも無理がない。


 はじめに幽霊かなにかと勘違いしたその女性は、生身の人間かどうかも疑わしい美貌の持ち主だった。


 白の上品な折り返しのブーツ、膝に掛かる青いラインで縁りされた純白の聖職胴衣、ザックリと腰下あたりまで入ったスリットからはレースのタイツをガータベルトで釣った美脚が伸び、張り艶を失わない絶対領域の太ももは――



「視線を上げなさい」



 怒られた。



 女性らしさを物語るくびれ、女神の慈悲の涙をかたどった銀のアミュレットが輝く胸元はこんもりと膨れ、清らかなる聖職胴衣をいやらしくも内側から押し出し、大きいとも小さいとも言えず、しかし、どこか主張する力を秘めたその丘陵は――



「……撃って欲しいのね?」



 女性と対面しているとき胸を凝視すべきではない。これは大事な教訓だ。


 蛾眉と言うにふさわしい綺麗に整えられた眉、鎮守の森の湖畔を思わせるサファイアブルーの涼しげな瞳、紅をさしていない桜の花弁のような唇がいっそ官能的で、ストレートロングのブロンドヘアーの頭の上に白い円筒形の聖職帽がちょこんと乗っていた。


 全体的に、淡く、白く、光の女神もかくあれよと言わんばかりの凛然とした雰囲気が備わっている。



「名前を聞いてもいいだろうか?」



 俺は声の音階を一段下げて、息を抜いた声で柔らかに尋ねた。


 我ながら会心の口説きボイスだった。



「……」



 彼女が俺の声に乙女なハートを刺激されたかどうかは定かではないが――表情はいっさい変わらず無言だった。



「覚えてないの……?」



 彼女が小首を傾げる。


 俺の視界の端でなりゆきを見守っていたウィルの顔が、「うわぁ」と言った感じの味のある表情を作った。



「もう一度、君の口から聞かせて欲しい。その鈴鳴りのような声で」



 俺は動じずに切返した。



「覚えてないのね」



 鈴鳴りの声に剣呑な響きが混じる。


 俺はウィルの方に向かってダイブした。



「ばッ――てめえ馬鹿犬! こっちに来るんじゃ――」



 ――ダララララララララッ!



 彼女の両手の一斉射、



「おわたたたはぁッ!? おっほほーぉ!?」



 ――ギギギギギギギギィン!



 右手で剣をすっぱ抜いたウィルが、神速の剣技を振るってコインのことごとくを斬り払った。



「口説き落とせなかった……!」



 俺はウィルの近くにあった墓の影に転がり込んで、自分の膝に拳を打ち付けた。



「アホかてめえは!? かなりのアホか!!」



 剣を納めながらウィルも隣に転がり込んでくる。



 ――ガガガガガガガッ!



 墓石がコインによってガリガリと削られていく。



「コレどう考えても霊の祟りの話じゃねえよな。祟ってんの、お前さんの女癖の悪さだよね?」



 片膝抱きに墓石に寄りかかったウィルが、胡散臭そうな顔で俺を見た。



「あんな美人一度見たら忘れないと思うのだが……同門ならなおのこと」

「彼女の方は、お前さんのことよぉーくご存知って様子だったぜ?」

「うん……?」



 俺は右手で頭を掻いた。


 彼女の美顔と美声にまったく覚えがない。



 ――ドドドドドドドッ!



 心なしか、彼女の魔力の出力が増している。



「ったく……どうすんのコレ。どうしちゃうのよ? ゴルちゃんの術士ってなァもしかして、全部お前さんの身代わりでお亡くなりになったんじゃねえの?」

「いや、まさか。それとこれとどう結びつく――」



 ふと、彼女が身につける青いラインで縁どりされた聖職胴衣に閃くものがあった。



 ――怖いのは美人? 大聖堂の追っ手の間違いではなくて?



「大聖堂監察ッ!?」



 俺は顔を青ざめさせた。



「あ? 監察?」

「騎士にもいるだろ、規律定法に則って同職を監視する人間が」

「あー、監察方ってなァ確かに居たな。……なに? 彼女、大聖堂の目付かなんかか?」

「教にも監察神官って役どころがあってなあ――」



 大聖堂で厳しい修行を受ける直属の僧侶を修道神官と言う。


 さらに修道神官の中で戒律を厳然と遵守できる優れた人間が、僧侶達の素行を監視する監察神官に選出される。


 青いラインで縁どりされた聖職胴衣は、選ばれたエリート集団である監察神官の証だ。



「待て待て待て――」



 俺は汗ばむ手でコインを弾いた。



 例えば彼女が監察の人間だったとする、

 監察の仕事といえば戒律を遵守しない破戒僧の捕縛、

 リディアの教区内における魔法術式の不正使用の取締り等が主な仕事、

 旧市街地区で不正に魔法技術を行使する人間を取り締まっていてもなんら不思議はない。


 コインキャッチ――



「術士が戻らないって噂のこの依頼、大聖堂のモグリ術士ホイホイだったんじゃ……?」 



 ドン・ゴルフェーザの抱える術士というのも、結局はなんらかの流派宗派を齧ったモグリの僧侶か魔導士である。


 彼女がここの霊障を意図的にコントロールし、それを囮に不正術士の捕縛をしていたのだとしたら――



「……俺も遂に大聖堂の罠踏んだ?」



 それともウィルの言う通り、ホントに俺個人に対する大聖堂の追っ手だったりするのか――


 様々な憶測が頭を飛び交い、明確な答えを導き出せない。



「まったくお前って犬はさァ、毎度毎度ヘヴィな女引っ張って来るんじゃありませんよ。なんとかしろよ、そのゲテモノ愛好癖」



 監察神官の女性というのは、破戒僧の俺にとってまごう事なきゲテモノに分類される。


 だがしかし、絶世の美女である。



 ――ようやく見つけた



 その言葉が胸に刺さって動悸が止まない。



「これって恋?」

「コイでもフナでも好きにすりゃええがな」



 因みに、ウィルが言うコイとフナは大陸の淡水域に生息する古代魚の名だ。


 

 ――ボゴォッ!!



 突如、ウィルの背後の奥の方で墓石が粉みじんに吹っ飛んだ。



「……ヘイ遊び人、参考までに聞かせてくれ。彼女、どんな大技でお墓を粉にした?」

「ああ、あれは――」

銀の散弾(ショットシェル)ッ!」



 凛然とした声が響き渡り、今度は俺の後の離れた場所で墓石が飛ぶ。



「――と、言う名前の技でな」



 俺は左手の平を天に向け、複数枚のコインを呼び出した。



「人によってまちまちなんだが、大体、七枚前後。それぐらいのコインを手のひらの上で纏めて、もう片方の手の五指でこいつを弾き飛ばす」



 ――ボゴォッ!



 また一つ、名も知らない誰かの墓石が塵となった。



「すると、あんな風にコインが魔法銀の散弾となって、岩をも粉砕する威力を発揮すると言うわけだ」



 因みに技術ランクでいけば中伝に当たるが、魔力を瞬間的に収束させて放つ技のため俺も扱える。



「両手で、こう?」



 ――スダァンッ!



 ウィルがおもむろに銀の散弾(ショットシェル)を虚空に放った。



「ほーん? 悪くねえ技だな。両手使うってのがイマイチ気に入らねえが」

「……」



 口伝であっさり技を体現するウィルに、俺はアヤの言う「泥棒猫」と言う言葉を思い出した。


 説明するのは簡単だが、技の呼吸をつかむには年単位の鍛錬期間を必要をとする。



銀の散弾(ショットシェル)ッ!」



 ――ボボゴォッ!



 向かい合った俺とウィルそれぞれの後方で、ほぼ同時に墓石が砕け散った。



「レヴィ、え? 彼女、今二発同時に……両手の技、え?」

「……」



 結構な魔力量を瞬間的に収束させる性質上、普通は両手を用いて発動させる技術なのだが、墓石の粉砕は二箇所同時に行われている。



「どうも彼女、魔力中枢が馬鹿になってる体質らしい。魔力の濃度と放出量が尋常じゃないな」



 ひしひしと伝わってくる魔力の多寡に、俺は身震いをした。



 あんなものを俺が喰らったら――



「確かお前さんも魔力中枢がおかしいとか言ってなかったっけか」

「俺のは中枢が過敏というかなんというか、良くも悪くも魔力の影響を受け易いという感じで……」

「わぁお、二人は相性ばっちりなんだね? この際覚悟決めて受け止めてやれよ、彼女の想いの猛りってヤツをさァ」

「死んじゃう」

「うはっ、見てえ。ウィル大興奮」

「発言には気を付けたまえよ、キミ」



 ――ボボゴォ!!



 更に墓石が粉になる。



「……なあレヴィ、彼女なァーんだって俺達の墓石を直接狙わないんだと思う?」

「まあ奇遇、俺も今それ考えてた」



 辺りを見渡すと、身を隠すのに手頃な墓石が破壊しつくされ、残りは俺とウィルが身を隠す一つだけとなっていた。



「後がないわよ」



 ――ジャキッ!



 次弾装填、複数枚のコインを呼び出す音が鳴り響いた。


 どうやら逃げ道を潰すことを優先させたらしい。



「ヘイ、彼女! ヘイ!」



 ウィルが左手に魔力を収束させながら声を上げた。



「なに?」

「ひょっとして俺たちにゃ、すれ違いによる誤解ってヤツが生じてねえか? 俺らはここに――」

「ドン・ゴルフェーザの依頼で、ここの霊的治安を回復するように言われて来たのでしょう?」

「……」



 ウィルが俺の方に視線を送ってきた。



 「交戦の体勢を取れ」と言うことらしい。



「私は聖ライアリス教リディア大聖堂属、修道神官にして監察神官を兼任する者。私の勤めは光の女神の教えに背く不正術士の取締りと、戒律を遵守しない背徳者の排除」



 鈴鳴り声が凛然と地下墓地に響き渡った。



「ですってよ」



 ウィルが肩を竦める。



「痺れるね」



 俺は煙草を咥えて小首を傾げた。



「大人しく投降するというのであれば、手荒な真似はしないと約束するわ」

「投降するとどうなる?」



 俺は煙草に火をつけて、すぐさまコインを構え直した。



「現在のリディアにおける冒険者達の置かれている立場は理解しているつもりです。剣士の方であれば、多少の質疑応答と説法の後に開放されることでしょう」

「いーっち、ぬーっけたー」



 ウィルが左手の魔力を散らし「ぴょーん」と墓石から躍り出た。



「猫ぉぉぉぉぉッ!?」

「たまにゃ宗教家の言い分ってのを聞いてみるのも悪くねえ」



 ウィルが「にゃっ」と笑って八重歯を見せる。


 野郎、面倒臭がりやがった――


 猫は非常に気まぐれである。



「それなら俺が聞かせてやる! いくらでも語ってあげるから! 光の女神って、実は引きこもりがちなハワワ系ヤンデレで――」



 ――ダァン!



 一等濃い魔力のコインが撃ち込まれ、背にする墓石にひびが入った。



「女神を侮辱する破戒僧には、それ相応の報いを受けてもらう事になるけれど」



 ゾッとするほどの綺麗な声だった。



「向こう三年は大聖堂で隔離洗脳ってワケか」

「十年よレヴィ。貴方にはそれでも足りない」

「ちっ――」



 戒律を破った僧侶が監察神官に捕縛された場合、戒律違反の多寡によって「再修行」と呼ばれる行を課せられる。


 日々得られる情報の制限、生活の全てを管理統制される様はいっそ監獄に近い。


 俺は右手のコインを宙に弾いた。



 味方である商会の仲間は既に敵との交渉が成立、

 敵は破戒僧の天敵、大聖堂監察の僧侶、

 しかし超が付くほどの美女で、

 なぜか俺を知っている、


 思案を巡らす俺を、ニヤニヤ見つめる猫が憎い――


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