35.「これは友だちに聞いた話なんですが」
言い訳を、するつもりはない。
彼を拒む事が出来なかったのは、私自身の気の緩みだ。
私はかつての彼を知っていて、彼がどんな道を辿って今に至るかを知っている。
貪るような口づけの左中に、彼は身をこわばらせて一度むせた。
それでも彼は、私を捕まえて唇を押し付けようとする。
まあ、いいか――
こちらから求めるつもりはないけれど、私は甘んじて受け入れることにした。
彼のこなれた口づけに腹が立つ。
でも、息づかいに感じる緊張と、唇から伝わってくる一生懸命さに、なにやらほんわかした気持ちにさせられる。
これでも、いいか――
そんな風に思う。
ふと、何かの違和感を感じて、私は目を見開いた。
薄目を開けた、彼の青い瞳が笑っている。
――シュンッ
稲光のような不快感だった。
「――ッ!?」
魔力中枢に侵入されている――
私は彼を力任せに突き飛ばし、両腕の拘束を解いた。
彼が二〜三歩よろめいて、額に手を当てながら俯いた。
「ふっ……ふふふふふふ……」
彼が笑っている。
レヴィ・チャニングが笑っている。
「はははははははははッ!!」
その高笑いは、尋常ならざる魔力のほとばしりを伴って、戦勝記念公園に吹きすさぶエネルギーの風を造り出した。
「……あーあ、裏返ってしまったよ」
彼が笑う。
いつもの、人懐っこい犬地味た愛嬌がない。
「貴方――」
私は口元を押さえながら後じさった。
「不用意だよひめゆり、まったくもって不用意だ。術士が口づけをするということが――粘液交換するということがどれほどの危険を孕んでいるのか、知らない君じゃないだろ」
「貴方、記憶が――!?」
「戒律の番人、大聖堂監察の神官長が聞いて呆れる。いや君も……君ほどの女性も、人並みに歳をとったということなのかな」
射抜くような視線、底光りする眼光、
「それほどに、『シューティングドッグ』が気に入ったか」
彼の顔から笑みが消える。
ほとばしる魔力が一層強まって、彼の体がまばゆい光に包まれた。
「レヴィ……!」
「嫌だな、ひめゆり。昔の愛称で呼んでおくれよ。僕のこの姿に見合った、良しも悪しきも孕んだあの名を――」
光と風の中で、彼の体のシルエットが縮んで行く。
ダブダブの灰色の神父服、余った袖を腕まくり、目を見張るような金髪、少女のごとき整った目鼻立ち、瞳は知恵の光にギラギラとしていて、口の端にはありとあらゆるものを嘲笑する歪みを浮かばせている。
「こんばんわ。ひめゆり」
タバコと酒でくぐもった渋く甘い声ではない。
大聖堂の聖歌隊を彷彿とさせる、幼子のボーイソプラノだった。
左手を不遜にもポケットに突っ込んで、一歩前に踏み出した右足に体重をかけた傾いだ立ち姿、右手は機械のようにコイン弾きを繰り返す――
「ワイズ・グレー……!」
私は震える声で、その名を呼んだ。
○
何年も昔の話です。
教が聖職者を育む、『大聖堂学び舎』に、どうしても魔法を上手く使えない修行僧が居た。
彼はなんとか魔法を使えるようにと、日々古い魔道書を読みあさって研究してたそうです。
その修行僧がある日、
「自分は遂に古代の秘術を解き明かした。自分は魔法を使えるようになった」
と言った。
友達が、
「本当か? じゃあ見せてみろよ」
と言うと、
「ああいいよ。今夜の二時に、僕の部の部室においで」
修行僧は友達を夜の学び舎に誘ったそうです。
――え? ああ、時間に関しては本当かどうかわかりません。ほとほと胡散臭いと俺も思うんですが……取り敢えず聞いてください。
夜、寮を抜け出した友達は、約束通りの二時に間に合うように学び舎に忍び込んだ。
修行僧の部の名前は『古代術式研究部』、友達は部室の表記を確認して扉を叩いた。
――ドンドンドン、ドンドンドン!
「どうぞ」
という声に友達が扉を開けると、修行僧が何かに取り憑かれたかのような必死の形相で、床に呪文を書き殴っている。
それは、友達が見たこともない古代の魔法陣だった。
友達は怖くなって、
「一体、何の魔法陣を書いてるの?」
と聞いた。
「僕が魔法を使えるようになるための魔法陣さ」
修行僧は答えた。
「え? 魔法は使えるようになったんだろ?」
「これからだよ」
修行僧がニタッ……と笑う。
「一体どうやって」
と、友達が聞いた瞬間、
――バタンッ!
開けっぱなしだった扉が閉まってしまい、友達は動転した。
修行僧が言う、
「君はこれからね、僕とこの魔法陣に入るんだ。そうすれば、僕は魔法を使えるようになるんだ」
「な、なんで……?」
修行僧は狂ったように魔方陣を書きながら、
「僕が魔法を使えないのはね、魂の形が歪だからなんだ。君はいいね、魂の形が整ってて。君はいいよね、君はいいよね、君はいいよね、君はいいよね……」
ブツブツと、そう繰り返し続けた。
「もうすぐだ。もうすぐ二時二十二分だ。もうすぐ陣が書き終わる。もうすぐだよ。僕が魔法を使えるようになるのはもうすぐ……」
友達は怖くなって逃げようとしたけど、いくらノブをひねっても扉が開かない。
「もう少しだよ。大丈夫。もう少しだから」
修行僧の声がどんどん嬉しそうになっていく、
「もう少し、もう少し、もう少し……」
『――誰だッ!?』
丁度見回りをしていた教導司祭様が、話し声のする部室の扉を外から開けたんです。
友達はその瞬間外に飛び出した。
「あッ!」と修行僧が声を上げる。
「だめだ! 陣に戻って! その人は教導司祭さまじゃない! 術を阻害する悪霊なんだ!」
「え? え……!?」
友達を睨みつけた教導司祭様には表情が無い。
『こんな時間に、何をしている?』
友達が、一度も見たことのない人だった。
「早く戻って! もう二時二十二分だ! 陣に戻らないと連れて行かれるぞ!」
友達はどうしていいか分からずその場で腰を抜かしてしまった。
何がなんだかわからない。
もうだめだ――!
目を瞑った友達の耳に、修行僧の声が、ボソリと聞こえてくる。
「もう少しだったのに……」
友達はそこで気を失った。
――気がつくと、そこは明るい教導室で、司祭様が心配そうに介抱してくれていた。
司祭様が問う、
『君はどうしてあんな場所で倒れていたんだい?』
「え……?」
友達は何を聞かれているのかが分からなかった。
「何って、司祭様も見たでしょう!? 僕はあの部室で――」
『あの部室?』
司祭様が聞き返した。
『部室って、どこの部室のことだい?』
司祭様は古代術式研究部の部室を知らなかった。
そればかりか、修行僧の事まで覚えていなかった。
司祭様は新任らしく、学び舎の構造に慣れるために当直を命じられていたのだと言う。
それなら、知らないのも当然かもしれない――
友達もその時は納得し、こってり司祭様に絞られた後で寮に戻った。
でも、目の前で起った事を覚えていないなんて変だ――
友達の疑問は消えなかった。
次の日学び舎に行くと、
「あ、あれ……!?」
部室があった場所はただの壁になっていて、部室そのものが消えてなくなっていた。
友達は周りの修行僧らにその話をしたけれど、
『古代術式研究部……? なんだそれ』
誰一人、部室の事を知らないと言った。
『魔法が使えない修行僧? 誰のことだよ』
修行僧の事を知っている人間もいなかった。
――と、これが、大聖堂学び舎に伝わっている、七不思議『開かずの間』の話です。
なんてことのない、良くある怪談話ですよね?
でも、この話には続きがあって――
深夜二時二十二分――たまに、消えてしまった古代術式研究部の部室が、学び舎に現れることがあるそうです。
そこでは、魔法を使えるようになるための古代術式の陣を張った修行僧が、陣に入ってくれる人を、今でも待っているんだとか……




