31.「鳴かない兎」
「てめえ、いい加減起きゃァがれ!」
――ドゴォ!
「ほぐぅ――ッ!?」
ガチガチに硬直していた腹筋にエルボードロップが突き刺さり、俺の体はVの字に跳ねた。
「いつまで寝てやがんだこの馬鹿犬があああッ!」
「ぐ、は――」
引きつっていた内蔵や筋肉の全てが、強烈な一撃でようやく弛緩する。
「う、げほッ……」
目を見開くと、二つの碧眼がすぐ目の前にあった。
胸ぐらを掴まれて引き起こされている。
「あ、あら……?」
辺りを見渡すと、見慣れない豪奢で優雅な部屋だった。
それは例えるならばいち貴族の邸宅の一室のようで、ここしばらく縁の無かった富の香りがした。
「こ、ここは……」
レアード卿の別邸――?
「ズラかるぞ」
厳しい目でウィルが言った。
「ズラかるって――」
――ズゥウウウウウウンッ!
地響きのような音と共に、建物自体が大きく揺れた。
「な……え?」
俺は目を白黒とさせながらウィルを見る。
状況が把握できない。
「ごちゃごちゃ説明してる暇がねえ」
ウィルは乱暴に手を話して、ベッドから降りた。
「戦闘出来るようにしとけ」
「戦闘……?」
部屋の扉の横に張り付いて、ウィルが右手に複数枚のコインを呼び出した。
「なに……どういうことだ? 何がどうなって――」
――ダアンッ
扉が蝶番ごと蹴り破られ、ローブを来た魔導士が躍り込んできた。
『盛る炎――』
「黙れ」
――ズダァン!
火の魔法を行使しかけていた魔導士が、横に潜んでいたウィルの銀の散弾を食らって吹き飛んだ。
「へッ――リディアの魔導士ってなァ白兵戦のイロハを知らねえな。これならなんとかならァ」
ウィルが「にゃっ」と不敵に笑う。
「……?」
俺はなおも放心状態で、目の前の惨状をぼんやり眺め続けていた。
どういうことだ――
「俺は、サフィアの教会にケインを迎えに行って――」
額に手を当ててベットの上で項垂れる。
――ダァンダァンダァンッ!
ウィルが放つ銀の弾丸の音に、思考が中断してしまう。
「てめえいつまで寝ぼけてやがる! ちったァ手伝え!」
部屋から半身を出して、ウィルがさらにコインを連射した。
――ダァンダァンダァンッ!
いまいちスッキリしない頭を振って、俺はノロノロとベッドから降りた。
黒のスラックスに灰色のカッターシャツ、着ている服がいつもの灰色の僧侶服ではない。
え、なんで……?
「おわッ、っちち――」
ウィルが何かに驚いて、部屋の入口から床に飛んだ。
室内に充満する強烈な魔力の気配、
――ゴォォォォォッ!
「ぐッ!?」
入口脇のウィルが立っていた辺りに火柱が上がり、俺は熱風に顔を背けた。
魔導士の元素魔術の初歩、火女神ヴォルカナが人に与えたという火炎を生じさせる呪文だ。
火柱は一瞬にして消え、被害は部屋の壁や天井を焦がす程度に留まった。
「連中、屋敷に気ィ遣ってやがんな。付け入る隙がある」
ウィルが跳ね起きて左手にコインを構えた。
「ウィル、一体……」
「めんどくせえ。いいからてめえは入口押さえてろ」
「あ、ああ……!」
苛立った様子のウィルに気圧され、俺は仕方もなしに両手にコインを呼び出した。
感覚を研ぎ澄ませてみると、屋内に殺気立った魔力が満ち満ちている。
ここはレナード卿の別邸だ、それは間違いない――
ウィルの方に目を向けると、窓の横で警戒しながら外を見下ろしていた。
ニ階の窓――のようだ。
やはり記憶がハッキリしない。
「流石に城西地区きっての大御所だぜ。大した数投入してやがらァ」
「ウィル一体――」
「狙わなくていい、撃てってんだ馬鹿犬が!」
「くッ――」
俺は入口から顔をだし、魔力が近づく気配がする方にコインを弾いた。
――タ、タン! タ、タン! タ、タンッ!
邸宅の階段の影に、杖を構えた魔導士が姿を隠した。
「どいつもこいつも張り切っちゃってまァ……いくら貰ったんだかな」
ウィルが窓の下をくぐって、俺の向かい側に立った。
「レヴィ、敵は寄せ集めの下位の魔導士だ。屋内での制圧戦に慣れてねえ上に、手柄欲しさに全員が頭から突っ込もうとしてやがる。頃合いを見計らって窓から脱出すんぞ」
――ダァン! ダァン!
――タタン! タタン!
俺はぼんやりする意識で、ウィルと廊下に牽制射をした。
「魔導士……?」
「マンフレッドは城西地区の魔導家に顔が広い。不正術士やら、どこぞの魔導家の使いっぱやら、顎一つで動かせる連中がわんさかいるんだよ」
「……」
城西地区はリディアの中でも魔導士や学者が多い技術研究区画だ。
マンフレッド・レアードが一声かければ魔導士ぐらい簡単に集まる。
それは分かる。
だが――
「ウィル……今日は何曜日だ?」
「はァ?」
ウィルが眉を顰める。
「日を越えて三時間は経ったか。月曜日だろ」
「月曜――」
俺は呆然となった。
ケインと共に牢に捕まったのが日曜の夜、浄化の術式後にサフィアと会話したのが丁度日付を超える頃、
経過した時間は、三日でなく三時間――
「全部、夢……だった、のか……?」
体中に汗が滲み、視界が白らじんだ。
「サフィアがここら一帯に魔物を沸かせて攪乱を計った。混乱に乗じてズラかるぞ」
「な――どういうことだ!?」
目を剥く俺に、ウィルが小さく舌打ちをした。
「ケイン・ルースにゃ、マンフレッドの農園で警備頭してたって嫁が居んだろ」
「アイリアの事か?」
「嫁の今の肩書きは、この別邸の警備頭だ」
「なに……!?」
「貴族屋敷の別邸の警備役がフラガラックの猪の情婦だった。魔物を呼び出して盗賊働きを支援する逆賊を、警備頭の立場を利用して別邸に匿った」
ウィルがスラスラと事実無根の情報を並べ立てた。
「お前……なにを言って――」
「そういう話でカタつけるつもりなんだよ。貴族議会の参議サマは」
ウィルが俺の言葉にかぶせて話を結ぶ。
俺はコインを放り出してウィルに掴みかかった。
「何言ってんだよお前ッ!? ケインはそんな男じゃない! アイリアは――」
ウィルのボロのコートが翻り、俺の腹部にボディブローが突き刺さった。
「ぐ、ふ――!?」
「分かってんだよ、んなこたァ」
「……?」
俺は腹を抱えて後ろに下がった。
ウィルの碧眼が射抜くように俺を見据えている。
「結界問題が解決すりゃ、魔物騒動はまず納まる。ってこたァ治安悪化の原因は全部大聖堂のせいって話になんだろうが」
「大聖堂の、せい……?」
俺はウィルの言葉のままにオウム返しをした。
言葉は聞こえているのだが、内容が頭に入ってこない。
「大聖堂はフラガラックの猪に全部の責任押し付けて、事を納めようって腹なんだよ。手筈をマンフレッドに丸投げしてな」
「なに……?」
「アリオスが今日ここに呼ばれて来たのは知ってるな?」
「アリオス……」
頭の端に、正門でアリオスの来訪に驚いた記憶が残っている。
「ヤツを絡めたなァ大聖堂に対するマンフレッドの気遣いだ。大聖堂も治安回復に貢献したと顔を立てさせてやるつもりなんだろ」
ウィルはつらつらと言葉を続ける。
「アリオスは大聖堂属だが、騎士を束ねる将軍のボンでもある。監察の神官長が関わるよりゃ美談にしやすい」
「なんだ、それ……?」
俺は腰砕けになって、床に尻餅をついた。
「なんだそれは……レナード卿は、レナード卿は腹黒い男なんだろ? 地下に冒険者を捉えてて、裏で奴隷商しようとしてる、ゴミなんだろ……?」
「あ? 奴隷?」
ウィルが訝しげに眉を顰めた。
「お前が、地下で取引名簿を見つけたと――」
記憶に新しい、ロビーで握り締めた冒険者売買の取引名簿――
「サフィアの言ってたなァこれのことか……」
ウィルの碧眼が、冷然と俺を見下ろしていた。
「なに……?」
「馬鹿犬が――」
ウィルが吐き捨てるように言った。
「俺ァ誰で、てめえは誰で、ここァ何処だ! てめえは今、どこで何してやがる!?」
「お、お前はウィルで、俺はレヴィで、ここは――」
マンフレッド・レナードの別邸で、俺は何をしてるんだ?
「目の前の現実から逃げてんじゃねえ!」
――ダァンダァンダァン!
ウィルが再三の牽制射を敵に放つ。
敵?
敵って誰だ?
「神官長はお前さんをケインの元に追い込んで、表向きは潜入捜査って形にするつもりでいた」
ウィルが廊下から体を戻し、座り込んだままの俺を見下ろす。
「彼女はお前さんの同期だっつーケインも、なんとか助けてやろうと苦心していた。お前さんがフラガラックの内情を報告書にすりゃ、大聖堂の連中を説得する材料になると信じてな」
「え……?」
それは、俺が持っている記憶と共通する。
そう、俺には密かに「渡し」の任務が与えられていた筈なのだ。
「だが、もうそれも間に合わねえ。大聖堂は既に新結界案を決議しつつある。全ての罪をケインに擦り付けることを決めたんだ」
「なんでお前が大聖堂の内情を知っている? 今日はまだ月曜なんだろ? 新結界案が通るのは、今週の木曜のはずで――」
自分で口にしているのに、何がなにやら分からない。
俺は今、月曜日に三日後の木曜日に起きる事を予定のように持ち出している。
なんで――?
それが、俺の中にある記憶だからだ。
ハッキリと映像として脳に喚起出来る事実だからだ。
「――クソがッ!」
ウィルが苛立たしげに呻いて、コートの裏から一枚の書簡を取り出した。
「これは?」
「大聖堂の教父がマンフレッドに当てた手紙だ。それでもまだ俺を信じられねえか!」
「……」
その手紙には、新結界案が決議しつつあること、以前から頼んでいたフラガラック支援の打ち切りと、事後処理を頼む旨が書き連ねられていた。
大聖堂が以前からマンフレッドに頼んでいた、フラがラック支援――
「なんのこたァねえ。『政治干渉しない』なんて言っときながら、大聖堂はマンフレッドと繋がっていたんだよ。フラガラックを支援していた黒幕はマンフレッドじゃねえ、話を依頼してた大聖堂だ」
「そん、な……」
馬鹿な――!
「俺ァ、事実を知ってサフィアとケインに知らせに来た。だが事ここに至って、奴らの決意は揺るがねえァそうだ。予定通りてめえらが汚名を被ることで都の乱痴騒ぎを終わらせる気でいる」
「冗談じゃない! 冗談ではない!」
俺は立ち上がって再度ウィルに掴みかかった。
「それでどうなる!? アイリアは!? サフィアの教会の子は!?」
「手紙を最後まで読め馬鹿犬。サフィアの身柄の安全は保証される予定だ。不正接続を補佐もなく、一人でやってのけた結界術の知識を買われてな。手紙を読んで、ケイン・ルースは小躍りしてた」
「アイリアは、アイリアはどうなるってんだ!」
「ちッ――」
ウィルが俺を振りほどいて、また廊下に顔を出した。
「全部手遅れだってんだよ! 猪の意思は揺るがねえ!」
――ダァンダァンダァン! ズダァン! スダァン!
怒りを吐き出すように、ウィルが銀の弾丸と銀の散弾を連発した。
「俺はケイン達に、お前さんをここから連れ出すように依頼された」
「え……?」
ウィルの碧眼は真剣で、身から立ち上る魔力には何ら不自然な所はなく、それが紛れもない真実であることを告げていた。
「ケインと嫁から、伝言を預かってる」
「なに……なにを……」
「『十年は若返った、ありがとよ兄弟』」
「ぐっ――」
夢の中ですっき歯を見せた、ケインの笑顔が思い浮かぶ。
「『どうしようもないうちの馬鹿が奸賊なら、どうしようもないあたしは奸賊の嫁役だ』だとよ」
「ぐ、う――」
夢の中でケインに抱きついて、小兎のように身を震わせるアイリアの背中が思い浮かぶ。
「あ、ああぁ……」
目が熱い。
止ようもない涙が頬を伝う。
どうして?
何がどうなっている?
ケインとアイリアは幸せになってしかるべきだ。
活動を認められて、ラブリッサの商館に匿われるべきだ。
俺はそれがいい――
「あああああああああ――ッ!」
殺気が満ちる貴族邸宅の別邸で、俺は雄叫びを上げた。
叫びながら廊下に飛び出した。
「レヴィ!? クソボケが――!」
後ろでウィルが叫ぶ。
俺は構わずに廊下を駆け抜けて、ケイン達の魔力を探った。
意識が乱れて魔力の香りを精密に分類できるほど感覚が鮮明にならない。
邸宅の下層に魔力が集中している。
接続の陣を張った地下か――
階段で急停止すると、身を潜ませた魔導士が呪文詠唱をしていた。
『――ッ!?』
「どけぇぇぇッ!」
聖なる拳一閃、魔導士の体が踊り場まで飛んだ。
『上にも居るぞ!』
『よし――』
階段を上がってくる魔導士二人が、俺を確認するや否や杖を翳した。
身に宿る魔力が既に術式として結束している。
『盛る炎ッ!』
魔導士の魔力が膨らむ。
俺の足元に光る魔法陣が現れた。
呪文効果が発現するタイミングに合わせて床を蹴る。
――ゴォォォォォッ!
熱風を背に、俺は手すりを越えて階段に飛んだ。
「おぁあああああッ!」
着地の事など考えてもいない。
俺は感情の赴くままに体を動かし、呪文を唱えた魔導士の顔面を蹴り飛ばした。
『がッ!?』
崩れた体勢のままもう一人の頭に肘鉄、
『ぐぉ――ッ!?』
肘を落とした魔導士の体にしがみつき、相手の体で落下の衝撃を軽減、
『ごほッ――』
俺は魔導士の体を雪車にした形で階段を滑り落ちた。
『う、うぅ……』
呻く魔導士の頭を床に叩きつけ、俺はさらに階段を降った。
地下の廊下に三人の魔導士の背中――
制圧しにかかっている人間の裏を取った形になった。
左手に複数枚のコインを呼び出す。
――ズダァン!
『ッ!?』
背後から銀の散弾を喰らった魔導士が言葉なく吹き飛ぶ。
『『!?』』
他の二人が振り返る。
「邪魔だ、どけぇぇぇぇッ!」
狙いなど定めもしない。
ひたすら左右のストロークで廊下一面に銀の弾丸をばら蒔いた。
――タタタタタタタタンッ!
魔導士二人は人形の様に体をくねられて廊下に倒れ込んだ。
相手の生死など知ったことではない。
血の臭いを踏み越えて、俺は魔力が集まる部屋を目指した。
扉が空いている――
「ケイン!」
中に踊りこむと、入口に暗い目をしたサフィアが立っていた。
「……」
魔力を荒々しく波立たせながら、拳を握って静かに立っていた。
「なん、な……だよ……」
震える声に目を向けると、アリオスが部屋の中心の方を向いたまま茫然と床にヘタリ込んでいた。
「なん、で……?」
呟くアリオスの手にしたクレイモアには、一滴の血もこびりついていない。
壁や床にびっしりと呪文が描かれた部屋の中心、陣の真ん中に、ケインとアイリアの二人が居た。
横たわるケインを抱き起こして、アイリアが無言でケインの手を頬に当てている。
「……」
泣き叫ぶ事もなく、声を上げる事もなく、ただ静かに青みがかった瞳から涙をこぼし、ケインの手に顎を摺り寄せていた。
「ケイン!」
駆け寄ろうとする俺の襟首を、サフィアが引っ掴かんだ。
「離せサフィア――離せッ!」
「ケインは最後に、自分の体を法具にして不正接続を行なった」
歯の隙間から、サフィアが声を搾り出した。
「なに……?」
俺はサフィアに首を向けた。
「魔力中枢を自分で粉々に砕いたのだ。もうどんな術式も受け付けない」
「な、なに……?」
俺は震える声で再度問い質した。
「なに、言ってるんだ……? ケインは、木曜日にはお前の教会にいて、アイリアが、子供たちの昼寝を――」
涙で歪む視界の中で、サフィアはただ、目を伏せて首を横に振った。
俺はもう一度、部屋の中心に目を向けた。
「……」
口の悪い兎は、泣き叫ぶ事もなく、声を上げる事もなく、ただ静かに青みがかった瞳から涙をこぼし、ケインの手に顎を摺り寄せていた。
それが、紛れもない現実だった。
「馬鹿犬がッ!」
ボロのコートを翻し、ウィルが部屋に躍り込んで来る。
「ウィル――」
振り返った瞬間みぞおちに拳を叩き込まれ、俺は意識を失った。




