30.『夢のような現実』
城南地区馬車駅ロータリー前、バニラビーンズの香り漂う菓子店で、俺はシュークリームとパウンドケーキを買い占めた。
「おや、今日は駄犬の方かィ。ドラ猫はどうした?」
「仕事してますよ。あれで腕利きの男だから、引っ張り凧でね」
シュークリーム一品で済ませられなかったのは、店先に並ぶ菓子の量が軒並み半分ほどに減っていて、必要量に届かなかったからだ。
情勢悪化の波は、下町然とした城南地区の菓子店にまで及んでいる。
「なんだィ張り合いないねえ……肩温めないと五十肩になっちまうよォ」
菓子屋のおばちゃんがシャドウピッチングしてみせる。
アヤといいこのおばちゃんといい、どうやら商人には物を投げたがる習性があるらしい。
「時間が経っても大丈夫なモンにしとくかィ」
菓子屋のおばちゃんは、何処か寂しそうに呟いてクッキーをザラザラと紙袋に入れだした。
「これ、あのドラ猫に投げつけてやっとくれ。こっちはあんたの分」
「やあ、これはどうも。ありがたく頂いて行きます」
「ここんとこ毎日だったから、ドラ猫の憎まれ口も途切れちまうと侘しいねェ。また毒吐きに来いって伝えといてなァ」
「わかりましたババア」
試しに言ってみたところ、
「この駄犬ッ」
おばちゃんは満面の笑顔でパンケーキを振りかぶった。
「これでも喰らえィ!」
一ホールのパンケーキが口に収まりきるはずもなく、生クリームを多分に含んだスポンジが顔面で炸裂した。
慣れないことはするものではない――これは大事な教訓だ。
すっかり閑散としてしまった駅前を横切って、俺はサフィアの教会へと向かった。
あばら家の立ち並ぶ路地を突き進み、小さな堀を渡って少し行く。
都を取り囲む城壁がみるみる近づいてくるが、決して日当たりは悪くない。
都会の喧騒から外れた場所に立つサフィアの教会は、どこかの片田舎を彷彿とさせた。
――コン、コココンッ
ウィルに教えてもらった、仲間であることを知らせるノックである。
中から『わー!』『あー!』などと叫びながら走り回る子供の気配がする。
やがてゆっくりと扉が開いた。
「お、レヴィか」
伸びざらしで野性味たっぷりな赤い髪、黒い神父服を身につけたケインが、「にっ」と笑ってすきっ歯を見せた。
土と木の性に寄ったブラウンの瞳が精気に満ち溢れている。
「三日振りだなケイン。その後元気そうじゃないか」
「いやー、お前の浄化様々だよ。おかげで十年は若返った」
声にも張りがあり、見違えるほど精力がみなぎっている。
ケインの影からヒョイヒョイッと子供達が顔を出した。
『あー、今日はボサボサだー』
『ウィルはウィルはーッ!?』
「ウィルは仕事で来れないんだ。ごめんね」
『えー、ウィルいないのー?』
『うわぁぁぁぁああああん!』
至極がっかりした様子の男の子、ウィルが居ないと知るやいなや泣き出す女の子。
『なんでウィルじゃないのー? 意味わかんなーい!』
『ウィルぅぅぅぅぅ! ウィルぅぅぅぅぅぅぅッ!』
ここに来るときは必ず子供好きのウィルを連れてきていたため、俺に対する子供たちの認識は「ウィルと一緒に来るボサボサ」でしかない。
「ごめんごめん……ウィルからお菓子を預かって来てるから、後でみんなで食べて」
『ふーん……』
『お菓子なんていらないー! ウィルがいいーッ!』
幼子のお菓子への興味を上回る猫のカリスマは絶大である。
「泣くな泣くな、後でおねーちゃんと俺が遊んでやるから、そう泣くなって」
ケインが子供の頭を撫でると、女の子はあっさり涙を止めた。
「神父振りが板についてるな」
「これでも俺は教区神官だぞ? 保育の基礎能力ぐらいある」
ケインは笑いながら俺を中へと促した。
『わぁああああああッ!』
『やぁああああああッ!』
「あーもうッ! 礼拝堂で走り回るのは危ないって言ってるだろ!」
中に入ると、走り回る男の子二人をアイリアが俊敏に追い掛けていた。
『つかまらないよー!』
『へっへへぇーんだ!』
「おー、抜かしたなあ?」
アイリアが目キラリとさせて笑った。
「――そらッ! ほッ!」
礼拝堂のベンチを巧みに縫って、アイリアが一瞬にして二人を両脇に捕まえた。
『すげー!? はえええ!?』
『ウィルはもっと早いよーだ』
「はいはいはい、もう十分走り回ったろ? そろそろ昼寝の時間。大人しく寝ないとメシ抜くよ」
『『はぁーい』』
不貞腐れた素振りを見せる男の子二人が、どこかくすぐったそうに笑っている。
いつもサフィアが男手一つで相手をしている子達だ、妙齢の女性に叱られるのが新鮮でたまらないのだろう。
「ほら、お前たちもおねーちゃんについて行きな。昼寝昼寝」
ケインが神父服の裾にしがみつく二人の背中を押して、アイリアの方に歩ませた。
「あ……」
子供二人を抱えながら、アイリアが俺に気付く。
「……」
アイリアは首を上下させて俺に軽い会釈をした。
女性らしい仕草とは言えなかったが、こちらを伺う黒髪の兎は、赤毛の猪の妻女にしか見えない。
思い描いていた理想に近い二人の様子に、俺の口元は緩みっぱなしだった。
○
サフィアの書斎のテーブルで、俺とケインは向かい合って座った。
「ここ三日、何してたんだ? ウィルって元騎士が足を運んでくれてたけど」
「ずっと寝てたよ」
「寝てたって、三日もか?」
「疲労のピークだったらしい。心身を削っていたフラガラックの指導者に比べれば、情けないことこの上ないが」
「何が大変で何が苦しいかなんて人それぞれだ。神官長の戒律生活に監察の書類整理なんて、俺だったら吐血しちまうよ」
「目の前で重篤して見せた男の言葉だ。説得力がある」
「だろう?」
生死を彷徨ったことに胸張るケインに苦笑しておいて、俺は表情を引き締めた。
「……ウィルや神官長から大体の話は聞いた。レアード卿のところには、サフィアが残っているそうだな?」
「別邸の陣があれば、不正接続はサフィア一人で事足りる。大聖堂の理解が得られたなら、別に俺が体を張る必要もないからな」
レアード卿には、「騎士団と大聖堂をかく乱するために二手に分かれる」と言う話で通しているそうだ。
「『身を隠すなら、私にだけ場所を教えて欲しい』とレアード卿にしつこく問われた」
ケインが自嘲気味に笑った。
警戒していることを気取られないようにするために、サフィアの教会に潜んでいることは正直に伝えてあると言う。
「今更ながらおっかねえな、貴族の参議様は」
「さもありなん」
貴族議会の参議と言えば、王の側近と言って遜色ない。
並大抵の心根では務まらないだろう。
「ま、大聖堂監察が周りに詰めてくれてるから、のんびりさせてもらってっけどよ」
「これまで追っ手だった監察が今や味方だ。アイリアも戸惑ってるだろうな」
「おう、それそれ」
「くくくっ」とケインが喉の奥で笑った。
「口の悪いあいつが、大聖堂やら監察やらの話になると途端におとなしくなる」
「ほう?」
「監察の神官長の話なんかを同じ冒険者の元騎士殿に語られて、教への印象が変わりはじめているらしい」
「いよいよ、教区神官の嫁らしくなってきたな」
「お前のおかげだよ、レヴィ」
「うん?」
俺はポカンとさせられた。
「神官長やウィルの話のおかげだろ」
「大聖堂監察との縁は、お前が俺と行動を共にしてくれたから生まれたんだ」
「いやしかしそれもウィルが――」
「あの元騎士殿は、お前が所属している闇商の人間だ。商会に大聖堂監察の仕事の依頼口を取り付けたのはお前だって聞いたぜ?」
「……」
俺は髪を乱して目を隠した。
「お前が居なかったら、今この状況はなかった」
「……ただ逃げ回っていただけのことだ。俺は何にもしてないよ」
「俺の中枢を治療してくれたじゃんか。司祭端のサフィアだって手が出せなかったんだぜ? お前は俺の恩人だよ」
「ふむ……」
何もしていないわけでもないか――
ラブリッサから逃亡しなければ、ケインを助ける機会には恵まれなかっただろう。
「卿の本性については、納得が行っているのか?」
俺はケインのほめ殺しに耐えられなくなって、真顔で話を変えた。
「事実だ証拠だを並べらただけじゃ信じなかったけどな……どうもアイリアの方は思い当たる節があるらしい」
ケインが濃い眉を眉間に寄せて溜息を付く。
「農園で警備頭をしているとき、ふらりと冒険者の一家が居なくなるってことがあったらしい。もともと流れ者の冒険者だ、当時はそこまで気にしなかったそうだが、妙には思ってたらしい」
「なるほどな」
冒険者を受け入れた農園が、売りに出す冒険者を育む農園だったと言うわけだ。
「……俺の女神はあいつだからよ」
ケインが遠い目をしてポツリと言った。
「うん?」
「世界の何が疑わしくても、アイリアなら信じられる。アイリアの言葉なら止まれるんだ」
「大層惚気けてくれるな」
アイリアはケインの理想の為に思いを封じていた。
ケインは思いを封じたアイリアに応えるために、猛進を続けていた。
何の事はない、アイリアが俺に吐露した想いの猛りを、ケイン本人に素直にぶつけたならば、いつだって猪の猛進は止めることが出来たのだ。
馬鹿な話だ、まったく――
ここでもやはり浮き彫りになる、一人盛り上がって空回りする自分。
俺は頭を掻いて苦笑した。
「猪の道しるべは兎さんか」
「兎ィ? あいつがァ?」
ケインが至極胡散臭そうな顔をする。
「俺は兎だと見たね」
夫の無事を一心に願うアイリアの姿を思い起こし、俺は口元が緩まった。
「まあそうかもな。なかなか声上げようとしねえし、そういうところは確かに兎か……」
「は?」
「いやー、お前の治療のおかげでホント若返った。久しぶりに兎の鳴き声を聞いた」
「お前は何を口走っとるんだ」
「何って、アイリアがお前に感心してたって話?」
「……」
ケインが若返って、なぜにアイリアが俺に感心するのだろうか。
感心すべきはケインの猪ぶりで間違いない。
彼がどんな行為をもって兎の鳴き声を聞いたのかはあえて考えないようにする。
「お前のおかげで、アイリアの教の株もガン上がりよ」
「ご夫婦のお役に立てて何よりです」
太平楽に笑うケインに愛想笑いを返しつつ、「やはり猪は極刑に処すべきではなかったか」と俺は思ったわけだ。
「全員寝たよ」
噂をすれば、なんとやら――
アイリアがティーカートを転がしながら書斎に入ってくる。
「やあ、どうも」
と、声をかけても、
「……」
特に返事はなく、無言で会釈をするばかりだった。
これが、なかなか声を上げない兎さんか――
俺はアイリアの心境の変化をより詳しく理解すべく、知的探究心でもって人妻の体を舐めるように監察した。
黒髪ショート、凛々しい目鼻立ち、鍛えられた体はスレンダーと言う程でもなく肉付きが良い。
三日前に見たときよりも魔力に刺がなく、仕草や体つきがどことなく柔らかくなっていて一回り肉置きがよくなっているように思える。
恋する乙女、三日会わざれば刮目して見よ――
「こういうの良くわかんないから、美味しくないと思うけど……」
作法こそでたらめだが、アイリアは気を使った様子で楚々と紅茶を淹れてくれた。
「な?」
ケインが満面の笑みで俺を見る。
「何が、何だよ……?」
「いやいや、こっちの話し」
答えをはぐらかすケイン、俺に目を移すアイリア。
「猪殿に自慢の女神様を誇られたのさ」
「ふん……」
あれほど嫌悪を抱いていた「女神」と言う単語にも特に拒絶がない。
たどたどしい手つきでもって三人分の紅茶の用意され、アイリアがケインの横に座った。
「で、今日は何の話なんだ? 巡礼神官殿」
ケインが改まった様子で言った。
日曜とは違い、今日は俺も灰色の神父服を身につけている。
「大聖堂が新結界案を決議した」
俺の言葉に、対面の二人が顔を見合わせた。
「ほ、ほんとか――!?」
ケインがやおら立ち上がり、椅子が後ろに倒れた。
「ああ。お前が騎士団に捕まったことで、大聖堂が結論を急いだんだと」
「――ぷッ、ははははは!」
ケインは大いに笑った。
「すげー、すげー、そうかよ! あははははッ! 通ったか! 通ったのかッ!」
「静かにしろよ。ガキ共が起きちまうだろ」
椅子を元に戻しながら、アイリアが落ち着いた様子で言った。
「……それで、この馬鹿はどうなるんだ?」
俺を真っ直ぐに見るアイリアの瞳が、不安に揺れている。
「ウィルから話を聞いていると思うが、二人にはラブリッサで暫らく身を潜ませて貰いたい。大聖堂監察の神官長が安全を保証する」
「こいつの活動を大聖堂が認めてるって話は……ホントなの?」
まだ信じきれていないアイリアの様子に、俺は口元を緩めた。
「大聖堂は、今回の魔物騒動の公表を『魔物の当たり年』で行くらしい。結界のせいではなく『天災』と言うことだな。統一戦争五十周年だとか、その辺の話をからめるらしい」
「うへぇ……俺の苦労は完全に隠蔽か」
ケインが顔を顰めて苦笑した。
「汚れ仕事を嫌がってた大聖堂だ。何も無かった事にするのが一番なのさ」
「じゃあ本当に――」
アイリアの瞳がパッと輝いた。
「といって、まだ教の総意でもない。油断はできないから、ほとぼりが冷めるまでラブリッサに匿われて欲しい――」
「ケイン!」
話の途中で、アイリアがケインに抱きついた。
「おわわぁ――!?」
椅子を直したのも束の間、ケインがアイリアに押し倒される形で床に転げ落ちた。
「……やれやれ」
俺は口元を緩めて「にへっ」と笑う。
「二人をラブリッサに迎えに来た。レアード卿は今日うちの面々が襲撃する事になっている」
「襲撃って……」
ケインが眉を顰めた。
「地下に囚われている冒険者らの解放だ」
「新結界案は通っても、冒険者の待遇の改善は遠そうだな……」
「二兎を追うものは一兎も得ず、だぞ兄弟」
「違いねえ」
喜びに震えるアイリアを抱きしめながら、ケインが笑う。
これで全てが丸く納まる。
これで――
――シュンッ!
「ぐ、くッ、は――ッ」
突如、体を駆け巡った不快感に、俺はテーブルの上でうずくまった。
立て続けに起った魔力中枢の異常に、俺は言葉も無くのたうった。
「レヴィ……? おい、しっかりしろ! レヴィ!?」
「……ッ」
ケインの呼び掛けに、答える余裕がない。
今日、二度目かよ――
新結界案が通り、結界に穴を開けることが決まった。
喜ばしいことだが、今後この不快感と付き合っていかなければならないのは正直辛い。
内蔵という内蔵が硬直して悲鳴を上げ、呼吸すらままならない。
腰や背中の筋肉にまで鈍痛が回っている。
魔力が練れない――
体は硬直してガチガチ、妖脈は麻痺していて魔力を溜める事ができない。
「レヴィ、おい!」
「ど、どうしたんだ?」
焦るケインとアイリアの声が頭の中に朧げに反響する。
「ぐ、う、あ……!」
――ギチ、ギチギチギチッ……
「う、ぐ、ぅ――」
俺は床を転がって仰向けになった。
骨に筋、体の節々が軋んで激痛を訴えるばかりか、頭の中までもが痛みだしている。
緊張を超える緊張に、体が縮んで行くかのような錯覚を覚えた。
否――
「……!?」
ベルトが緩み、袖とズボンが伸びている。
体が軋むたびに、見上げる天井の位置がズレていく。
幻覚、か――?
穏やかな春の空気が遠のいて、側に寄り添っていたケインとアイリアの香りが霞のように消えた。
「……え?」
感覚異常の中で薄目を開けると、そこはサフィアの教会の書斎ではなかった。
目に飛び込んで来たのは真っ黒闇の空――
空一面に明滅する色鮮やかな幾何学模様――
極彩色の模様が、花火のように収縮と明滅を繰り返している。
「な、何が――」
ふと漏らした声が、自分のものとは思えないほど高い。
大聖堂の聖歌隊で耳にするようなボーイソプラノだった。
顔の前に翳した手が子供の様に小さい。
「な――」
なんだ、これ……?
いつの間にか、苦痛を伴う不快感が消えていた。
一体何が――
呟こうとしても、もう声は出なかった。
出せなかった。
見覚えのない小さな体が、全く意思を反映しない。
俺の体は、まるで他人に操られているかのように暗闇の中で立ち上がった。
「なにゆえ、こうあることを望まなかった……!」
ボーイソプラノの声が、勝手に言葉を紡いだ。
「どうしてこうあろうとしなかった、ケイン……!」
小さな体が震えている。
意識がどこかハッキリとしない。
ただなんとなく、激昂しているのが分かる。
思考と行動が、一致しない――
「うあああああああああああッ!」
サイケデリックな花火が広がる空の下で、僕は雄叫びを上げた。




