29.『犬の復帰』
「だかァ! なんで騎士団の報酬がたったの五十ディールなの!?」
「騎士団が一般人に出せる褒賞の限度額なんだお」
「あんなにいっぱい魔物倒したのに!?」
重役机に退廃的な雰囲気で腰掛ける狼に、野良着のスカートを履いたピンクの子虎が吼えている。
ラブリッサの面々は、以前と何一つ変わらない日常を繰り広げていた。
「その分、武器防具で採算あわせてくれてるじゃないか」
「現物支給じゃ捌くのが面倒って言ってゥの! 依頼の報酬でこっちの仕事が増えゥんじゃ、たまったもんじゃないわよ!」
「当たりが混じって仕事以上の報酬が入ったりするお。これちょっとした業物だから、三万ディールは下らないと思う」
ビートが重役机の上の剣をアヤに差し出した。
「……」
アヤが受け取った剣を少しだけ抜いて目を細める。
「青光りする刀身……材質は北方のランフォール鉱だわね。でも、北方主流の折り返し鍛錬法じゃない……オーソドックスな両刃の直剣なのはなんで?」
「戦時中に名の売れた冒険者の職人の作だお。切れ味を探求して北の鉱石に辿りついた頃のだから――統一戦争中期に打ったもんじゃないかねえ」
「多かろう安かろうの数打ちなァまだしも、こんな通好みの武器が即日で捌けゥか! あんたも職人なァ分かゥでしょ!?」
「まあねえ」
ビートが頬ずえを突いた姿勢でアヤを上目遣いに見た。
「そこをなんとか」
「んもぉぉぉぉぉッ! いま露店通りスカスカだってのにぃぃぃぃ!」
プンスカ怒りながらも、アヤは腰のポシェットに剣をしまいこんだ。
商会の会長副会長はいつもどおり仲が良い。
俺もいつもの通り、ウィルが身を埋めるソファーの背もたれに寄りかかりっている。
「あのな、ウィル、その……」
「『イキテルてなんだろー、イキテルてなァにィー♪』」
切り出した俺の言葉にかぶせて、ウィルがカタコトで歌い出した。
「ぐ、く――ッ!?」
「オニーチャーン、ドウシたんだァーヨ。負け犬みたいな面して溜息ナンテついちゃてさァーあ?」
「……なあウィル」
「あん?」
「その……俺が抱えてるモノ云々の話、ビートやアヤにもした?」
「いんやァ? 知ってんのは美人の神官長さんだけだ」
「そうか」
俺はホッと胸をなで下ろした。
「……なんか、いろいろすまなかったな」
バツの悪さから逃げず、とはいえ面の向かっても言えず、俺は背中越しに謝った。
「お前さんがてめえの事で手一杯なのは今更だ」
ウィルがやる気無い声で手を振る。
この気まぐれな猫は、本当に良く気が回るのである。
「レヴィさん」
と、ビートとひとしきり会話を終えたアヤが「てててッ」と俺に駆け寄って来た。
「レヴィさん、レヴィさんは強いんだよー。よく聞いて?」
アヤがポンポンと俺の体を叩く。
「うん?」
「『強イヨ強イヨー、ヤレバ出来ゥヨー♪』」
ほにゃほにゃの鼻にかかった甘い声で、アヤがウィルと同じくカタコトで歌い出した。
「ぐ、く――!?」
「『強イヨー強イヨー、レヴィさん強イヨー♪』」
アヤが歌う。
「『強イヨー強イヨー、レヴィさん強イヨー♪』」
ウィルが続く。
俺は即座にウィルに目を落とした。
「う、嘘つきぃぃぃぃッ!!」
「はいっっっ!」
ウィルが満面の笑顔で親指を立てる。
「部屋に閉じこもりっきりで報告書の山に囲まれてりゃねえ。分かる分かる……分かりますよ、その気持ち」
ビートがしかしかと頷いた。
「やめろぉぉぉぉ! 俺を生暖かくいたわるなぁぁぁッ!」
優しくしてもらえるのは嬉しい。
だが、恥ずかしい。
同期の僧侶らにならまだしも、職場の面々にまで悩める心の状態が知れ渡ってしまったのは耐え難いほど恥ずかしい。
全ては自業自得の事――
逃げちゃダメだ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃだめだ。
呪文の様に唱えるほど、逃げたいわけである。
「だいたいねレヴィさん。神官長さん残して逃げ出すとか、ホント信じられない話だかんね? ゾンビに襲われた時とか、今回の事とか、もっと女性を大事にしなきゃダメよ」
アヤが薄い胸を張って指を振った。
「残すと言う言葉が適切ではない気がするがな……」
俺と彼女の間には、今のところ何の関係も発生していない――はずである。
「だって好きなんでしょ?」
「は?」
「恋しちゃってるんでしょ?」
「……ふむ」
そう言われると、確かに彼女との出会いには恋という心の状態異常があった。
飛び出して以来ずっと彼女は瞼の裏に潜んでいたし、彼女を強く意識する所は今もある。
しかし、これが恋かと言われると明確にそうだと答えることが出来ない。
恥ずかしさや照れではない、喉に刺さった小骨のような、容易に飲み下せない何かがあった。
これは一体いかなる感情か――
「ふむ……」
わからない――
「でも、今のままのレヴィさんじゃダメダメよ。全然ダメー」
「はあ……」
何やら上から目線で勝手に講釈垂れるアヤに、俺は曖昧に笑みを返した。
情熱的にして癇癪持ちの子虎は、恋の話が大の好物なのである。
「仕事も生活も面倒みて貰ってばーっかじゃない。そんなの神官長さんからしたら、手のかかる弟みたいなもんよ。うんうん」
アヤが腕を組んで神妙に頷く。
「手のかかる弟――か」
生活態度を指摘されていた「母親と子供」の関係よりは、ポジションが狭まったらしい。
俺は苦笑し、煙草を取り出そうと懐をまさぐって、
――シュンッ!
「ぐ!?」
稲光のごとき衝撃に襲われた。
体を駆け巡ったのは、例の不快感である。
手にした煙草を取り落とし、紙のケースから数本が飛び出して床に転がった。
「ふぅッ――!?」
内蔵と言う内蔵が引きつり、呼吸すらままならない。
なんだっていつもこう、唐突に――
「……レヴィさん?」
床にうずくまった俺を、アヤが隣にしゃがんで覗き込む。
――ギチ、ギチギチギチ……
腹筋が千切れんばかりによじれ、体の各所が激痛を訴え続ける。
「――ッ」
これまでで一番キツイ、なんだ――!?
治療で内蔵をほぐそうにも、魔力を一切練ることが出来ない。
「レヴィさん! どうしたの!?」
「けっ、かい、ぃ――ッ」
声を絞り出して顔を上げると、ソファーから身を乗り出したウィルが碧眼を厳しくしていた。
「ケツを痒いて欲しいのか?」
おのれ猫め――
「ええ!? そんな事頼まれても……ビート、なんか棒とかない?」
子虎、それ違う――
「暖炉の火箸でいい?」
狼ぃぃぃぃぃぃぃッ――
「戻りました」
筆舌しがたい苦痛激痛の中、ロビーに鈴鳴りの声が響いた。
途端に、内蔵の引き攣りは収まった。
「か、はッ――はッ……はぁ……」
「……何をしているの?」
神官長が腰に手を当てて小首を傾げる。
彼女が目撃したのは、四つん這いになった俺の後方で、アヤが火箸を構えているといった構図である。
「レヴィさんがお尻を叩いて欲しいって」
アヤが予想以上に事実を歪めた。
「ふうん……」
彼女が表情を変えずに冷ややかに俺を見下ろす。
「いちいち説明するのが面倒だ……」
俺は煙草を拾って立ち上がり、壁に寄りかかった。
体がじっとり汗ばんでいる。
「……」
彼女が無言で歩み寄り、俺の手首を取った。
霊視の気配――
「魔力中枢に緊張の跡が見られる……何があったの?」
「大結界に異常はないか?」
俺は質問には答えず質問を返した。
「え――」
彼女の瞳が俄かに驚く。
「俺の体は、大結界の動作不慮を感じ取る……らしい」
深呼吸で気息を整え、妖脈に魔力を行き渡らせる。
ようやく、体の状態が安定した。
「今さっきのはこれまでで一番酷かった。都は……結界は大丈夫か?」
俺の問いに、彼女が目を伏せた。
「……良い知らせでもあり、悪い知らせでもある話を仕入れてきたのだけど」
「一挙両得だな」
俺は煙草を咥えながら笑った。
彼女が目を上げて、ぐるりと一同を見渡す。
「大聖堂が、新結界案を決議しました」
ザワッと、俺を含めラブリッサの面々それぞれの魔力が揺れた。
「なんだって……!?」
「結界に穴を開けて、瘴気を逃す事が決まったのよ」
彼女は静かに淡々と続けた。
術式が複雑に連結する結界術は、一度穴を開けて式を断裂させてしまえば、二度と復元する事ができない。
「なら、今のは解体の手付け調査かなにかか? ――そうだケイン! ケインはどうなる!? レアード卿は!」
俺は彼女に詰め寄って声を荒げた。
混乱が止まない。
「落ち着きなさいレヴィ」
彼女が溜息をついて俺をなだめた。
「ケイン・ルースが騎士団に捕まって、大聖堂も結論を急いだのよ」
「大結界の欠陥事実が露見する前に、対応しようと言うわけか……!」
ケインが捕まったのは俺と飲む場所を探そうとしての事だ。
そのせいで大聖堂が結論を急ぐ事態となった。
都にとっては朗報、ケインの悲願達成でもあるが――
猪の我が儘と本懐はこれで達成されたと言える。
だが寄り添う兎の献身と本音は――
「なんてことだ……ッ!」
思考のコインが空回りを続け、脳内にマイナス要因の情報ばかりが散らかっていく。
何をどうすればいいのか、何がどう収まるのか正しいか判断がつかない。
わからない――
「わからないじゃない、考えろッ!」
俺は自分を叱責するように言葉を吐き出した。
ケインに生きていて欲しい、
アイリアと幸せになって貰いたい、
その想いに偽りはなく、今も変わらない。
途方に暮れてどうなる? よりよい方策を考えろ――
「俺は逃げる……だから逃げない……!」
俺は右手にコインを呼び出した。
が――
「ごちゃごちゃうっせえ」
――ゴスッ
「おあたッ!?」
ウィルの投げた空のマグカップが、俺の顎を跳ね上げた。
マグカップをキャッチ。
「アホかお前は、かなりのアホか? ここ三日おねんねだった野郎が、何考えたって無駄なんだよ」
ソファーの背もたれから飛び出たウィルの手が、ヒラヒラとこちらをからかっている。
「ウィル、お前はレアード卿を探っていたんだよな?」
俺はウィルの横に回った。
「あん? ああ」
「どうみた」
「黒、真っ黒、ガングロ」
いつもと変わらないやる気のない顔で、ウィルが肩を竦めた。
「政治力がある策士ってんじゃねえ。身分も見た目も人柄も、ぜんぶぜんぶ綺麗に着飾ってるだけのゴミ」
猫がスラスラと毒を吐いた。
「そこまで言うか……」
「野郎な、地下に冒険者の女子供を大量に拘束してやがんだよ」
「な、に――」
俺は息を詰まらせて目を剥いた。
冒険者を拘束――?
「冒険者を奴隷として各都市に売りつけてんだ。これがその名簿」
バサリ、とウィルがぞんざいに紙の束をテーブルに投げ置いた。
「じゃあ、冒険者雇用制度は――」
「浮浪者、厄介者なんて忌み嫌われる冒険者を国力にしておいて、裏で冒険者の奴隷を取引するマーケットを作ろうって腹なのさ。制度が実施すりゃ、野郎は冒険者を管理する役所のトップになれる。記録の改ざんも辻褄合わせも自由自在って寸法よ」
ウィルが「ぷすん」と鼻を鳴らした。
「絶対ゆゥせないわ! そんな商い、絶対ゆゥせないわよ! ムフーッ!」
アヤが瞬間沸騰して鼻息を吹く。
「予定通り、潰しにかかるって事でいいのかな?」
いつの間にやら俺の横に立ったビートが、ポケットに手を突っ込んだ傾いだ立ち姿で言った。
「潰すって……え……?」
俺は混乱に混乱が重なって立ち尽くした。
なんだ、一体なんの話だ――
全く流れについて行けない。
「冒険者、舐めたらあかんでーってなモンよ!」
アヤが薄い胸を張ってふんぞり返った。
リディアで強大な権力を誇る貴族の野望を、もしくは本人そのものを、冒険者が失脚させようと言うのか。
そんなむちゃくちゃな――
しかし、俺の手の中にある取引名簿には、冒険者が何処の素性の者で、何が出来る人間か、何処に売りさばかれるかがつぶさに記録されているのである。
むちゃくちゃだ、むちゃくちゃだが――
「マンフレッド・レアード……!」
自分の喉から、聞いたこともないような唸り声が漏れ出した。
「私が戻ってきたら、順を追って説明する事になっていたのだけど」
俺とは対照的に、魔力も声も落ち着いた様子で彼女が言う。
「過激派組織フラガラック――と言っても、今はサフィアとケイン、ケインの妻女の三人だけ。この三人をラブリッサに保護して貰う計画を立てています」
「え……」
俺は一瞬ポカンとし、
「あの三人を救う手立てがあるのか!?」
すぐさま歓喜した。
「手立ても何も、そのまんまだっつーの」
ウィルが肩を竦める。
「監察の仕事をこなし続けているラブリッサなら、大聖堂に取っては盲点のはず。暫くほとぼりが冷めるまで商館で匿って貰うのよ」
彼女は尚も冷静に言う。
「し、しかし――君が出入りする闇商にケインらが居るなんて露見したら……」
ここ一ヶ月で、少なからず「ラブリッサ商会」の知名度は上がっている。
「その時はその時、私が神官長を辞任すれば済む話ではなくて?」
「辞任って……」
「大丈夫」
彼女はあっさりと請け負った。
「独自の活動で結界を守り続けてきたケインに、大聖堂内でも同情する声が集まりつつあるから」
「え?」
訝しむ俺に、彼女は小さく嘆息して視線を横に流した。
「いち教区神官のケインは、何を求めるわけでもなく、必死に結界と都のこれからを憂う書簡を提出し続けた。無言で結界維持の汚れ仕事を買って出てくれていた。……今じゃ騎士団と連携してまで追い込んだ私が、悪者扱いされているぐらいよ」
「ええと……?」
眠りこけていた三日分、目まぐるしく更新される情報に脳が追いつかない。
「思い描いた通りには行かなかったけど……貴方がケインを逃がしたり、私が繰り返してきた失策のことごとくは、まるで無駄でもなかったと言うことね」
「……!」
フラガラックの行為が過激派活動ではないと言うことを、大聖堂の上層部も理解しつつある――
「ケインは本当に凄いわ。不言実行……一心不乱さで目的を達したばかりか、事後の立場まで確立してしまったのだから」
「そうか……そうか!」
俺は手にした名簿をグシャグシャにして喜びに打ち震えた。
ケインは、救われるのか――
「ってな話を、ここ三日の間にケインやサフィアともしてきてんの。知らねえなァお前さんだけ」
ウィルが頭を後ろ手に組んでソファーに身を沈めた。
「……」
事情を知らず、一人盛り上がっていた自分が恥ずかしい。
だが、こんなに嬉しい事はない。
「――ならば、何にとって悪い知らせになる?」
俺は髪を乱して目を隠しながら聞いた。
「大聖堂の展開が急すぎて、野心に駆られたレアード卿が事を急く可能性がある。対応するのが大変と言うことね」
彼女が眉を顰めて難し顔をした。
「こっちァいつでもいいぜ?」
ウィルが口の端を持ち上げて「にゃっ」と不敵に笑った。
いつもどおりの姿のウィルから、並々ならない濃さの魔力が滲み出ている。
他者に対して我関せずの猫は、自由を愛する根っからの冒険者だ。
群れる意識のない彼も、冒険者の奴隷売買には思う所があるのだろう。
「後手に回らず先手を打ちます。一気呵成で行きましょう」
彼女は静かにそう言って、サファイアブルーの瞳で俺を見た。
「レヴィ、貴方に一つ依頼をしたいのだけど――」
「この上、書類整理だなんて言わないだろうな」
俺は口元を緩めて返した。
「……体調の方は大丈夫?」
「起き抜けにリバーブローされてもヘコタレないぐらいには」
「重畳ね」
神官長は目を細め、谷間の姫百合ごとき微笑を浮かべた。




