01.「スジもんだってお化けは恐い」
「最近妙に王都に魔物が湧くわよねえ。なんだって言うのかしら」
ロビーの白いソファーに腰掛けて、アヤ・クレセントが溜息をつく。
「さァねえ。魔物の当たり年なんじゃねえの?」
アヤの向いのソファーに寝そべり、ウィル・フォードが欠伸がてらに言う。
「大聖堂が維持する結界も、拡張に拡張を重ねて無理がたたっているからな」
俺はウィルが寝そべるソファーの背もたれに腰掛け、咥えた煙草の先を動かしながら言った。
因みにロビーは禁煙なので火はつけていない。
鬼人との乱闘から一夜開けたラブリッサ商会商館、午後の昼下がりの一幕である。
商館などと言いながら、実際は経営の続かなくなった宿屋の所有権限を譲り受けて勝手に商館と称しいる次第だ。
魔導ボイラー完備にして蛇口を捻ればお湯が出る、食料や医薬品を保存する霊蔵庫なる魔導機器もロビーに置いてあり、内装設備は極めて良好である。
「たでーまー」
正面玄関の扉を開けて、気怠げな様子のビートがロビーに入ってきた。
「おーぅ、おけーりィ」
ウィルがソファーに寝そべりながら手をヒラヒラと振る。
「報酬、どうだった!?」
ルビールージュの瞳を爛々に輝かせて、アヤがビートに駆け寄った。
「……」
一方のビートは、羽付き帽子を脱ぎながら無言でロビー隅にある重役机の席に着いた。
クリーミーブラウンの毛先に動きのあるナチュラルヘア、眠たげな二重まぶたに収まるシルバーグレーの瞳、華奢で細身の出で立ちは鍛冶職人とは思えないほどに美麗である。
箱庭付きのお屋敷の二階の書斎あたりで、ロッキングチェアにまたがりながらティーカップを片手に本でも読んでるのがお似合いの貴公子振りだ。
「どうだった、じゃねえお」
しかしこの貴公子は訛りが酷い。
「なによう、ご機嫌斜めじゃない。アタシとアンタでオーガ四匹、全員で八匹、計十二匹も倒したのよ? がっぽり貰えて当然じゃない! 大型の魔物って、いま相場上がってんでしょ?」
重役机に頬杖をつくビートに、アヤが喰ってかかるように顔を近づけた。
「がっぽりはいってがっつり出て行った」
ビートが冷ややかにアヤを見つめ返す。
「出て行った? なんでよぅ!」
アヤが更に顔を近づける。
「報酬はオーガ十二匹で一万二千ディールだった。それが、誰かさんのせいで二千ディールに減ったんだお」
「たったの二千!? 後の一万ディールは何処に消えたのよ!」
こと金の話になるとうるさいのは商人の性か、はたまた生来の欲望か。
「誰かさんがオーガを大量に引っ張ってったせいで、被害に遭ったバーの修理費が一万ディール」
「ば――」
アヤが固まった。
因みに一ディール払えばポーションもどきの薄甘いジュースが一本買える。
一万ディールもあれば騎士が乗り回す並の新馬が二頭は購入できし、ボロでいいなら小回りの利く軽馬車だって買えただろう。
「あー、派手に壊れてたしなァ」
戦闘中、バーを防衛する意識なく好き勝手暴れていたウィルが痛ましそうに眉を顰めた。
このままじゃアタシの責任になっちゃう――とでも思ったか、アヤのルビールージュが俺を睨んだ。
「もっとちゃんと――」
「守ろうとはしたんだけどな。左がふさがっててちょいと手が足りなかった。力及ばず申し訳ない」
俺はポケットから左手を出してヒラヒラ振って見せた。
左がふさがっていた理由は、戦闘が苦手と公言してやまないアヤを抱えて経験を積ませようとしていたからに他ならない。
「あ……う……」
アヤが口をぱくつかせてよろめいた。
「それでも二千ディール入ったんだから御の字だけどね。討伐依頼は特に出費もないし……」
ビートがそう結んで溜息をついた。
「そういやレヴィ、お前さん弾は大丈夫なのか?」
ウィルが俺に碧眼を向ける。
「うん?」
「年柄年中ピーピー言ってるお前さんのこった。弾買う金がねえってんなら、少し回してやってもいいぜ」
ウィルが女神のコインを呼び出して弾いてよこした。
王都警護を任とする騎士を退職した彼は、トレジャーハンター等という夢ある職業を自称するに値する器用な男で、俺が主戦力とする「銀の弾丸」を見よう見真似で体得している。
時には拳、時に剣、あるいはコイン――と、型に囚われない戦闘スタイルで鉄火場を暴れまわるのが彼の流儀だ。
「足りなくなったら都中の教会巡って少しづつ分けてもらうさ。コインに金を出したことはない」
ウィルの弾いたコインをキャッチしながら俺は「にへっ」と笑って見せた。
「へッ、放浪神父も大変だな」
「巡礼神官と言って頂戴」
「はッ――」
ウィルが短く笑って肩を竦める。
リディア大聖堂に僧籍を置く俺は、巡礼神官と言う役職にあって、純然たる冒険者とは一線を画す。
各国各地を巡礼と称して旅をし続け、奉仕と布教をして回る修行僧なわけなのだが、収入の安定しない浮草稼業ぶりは難民である冒険者と変わらない。
教から出る補助金など二束三文、糊口をしのぐのにも難儀する始末なので、修行そっちのけで冒険者と交わり、日々の食い扶持を稼いでいる次第だ。
「つ、次があるわよ、またみんなで頑張りましょう? ドンマイ!」
ようやく金縛りの解けたアヤが、拳を握って場違いな鼓舞をした。
「お前がドンマイだお」
すかさずビートが切り返す。
「なにおうッ!?」
アヤが瞬間的に怒りを沸騰させた。
彼女は火の気に偏った見た目に違わず、中々に鉄火な気性の持ち主である。
「アンタ戦闘前アタシになんて言った!? 『邪魔だからそのへんでテキトーにしてて』って言ったのよ!? だからアタシはテキトーにしたの! 文句を言えゥ筋合いかッ! むふーッ!」
アヤの鼻が怒りの蒸気を噴射した。
「ホントに邪魔だったんだお」
「ホントにって言うなぁッ! じゃあなんでアタシを討伐依頼に連ェてったワケ!?」
腕を振るって怒り狂うピンクの子虎を、クリーミーブラウンの毛並みをした狼が静かに見据える。
「一人にするとロクなことしないから」
「ひとッ、ひとィッ――」
あまりの怒りに言葉が出ない様子の子虎である。
「なんなのよ、もうッ」
ロビーの扉を乱暴に開け、アヤはそのまま宿屋客室の方へと走り去っていった。
「大した才能だぜ……」
ウィルが呆れ気味にポツリと漏らした。
「才能だって?」
「一人で燃やして一人で燃えてんじゃねえか」
「ふむ……」
俺はウィルから受け取ったコインを指で弾いた。
一人で燃やして一人で燃えるもの、ウィルに才能などと言わしめる何か――
謎かけじみた言葉が頭の中で回り続け、様々な意味の組み合わせをイエス・ノーが潰していく。
つまりそれは――
落ちるコインを右手が捕まえる。
「激情、だな」
器用なウィルが単純に「怒り」を差して才能などと感心する筈がない。
激情――アヤは激しい感情を燃やし、その燃える感情に自身が身を焼かれている。
ウィルはそれを見たまま評したと言うわけだ。
「言葉の角を取るのなら、情熱でもいい」
アヤ・クレセントを修飾するなら、綺麗に言って「情熱的」、悪く言えば「癇癪持ち」となる。
「へッ、考えるのが好きな遊び人だぜ。いつもそうやって口説き文句を練ってんのか?」
「お宝よりもポリシー優先。お前だって半端な恋じゃ踊れないクチだろ、トレジャーハンター」
俺はウィルと肩を竦め合った。
「商館のロビーでイチャつかないでください」
ビートがのんびり口にする。
「「お前が言うな」」
俺とウィルの声が重なった。
余談だが――重役机に座るビートがラブリッサ商会を立ち上げた会長、アヤがその補佐をする副会長である。
○
オーガ騒動の報酬の分配も終り、俺はウィルと夜の予定を話し合っていた。
「行きつけの店は潰れちまったしなァ、今日はどうすっか……よー、なんか思いつくか?」
「潰れたと言うのが文字通り過ぎて笑えるな。魔物のせいで飲み屋もやってないことが多い。さてどうしたものか――」
などとロビーで雑談していると、
「二人とも、いま手空き?」
エプロンに三角巾、鍋つかみ手袋と言うクッキング装備フルセットのビートがロビーにやってきた。
怒れるアヤが部屋に引き篭ったまま出てこなくなったため、甲斐甲斐しくもカレーを作ってご機嫌を取ろうという腹づもりらしい。
「暇すぎて死にそう。なんならジャガイモの皮でも剥いてやろうか?」
ウィルが「ぐでっ」とソファーに身を埋めて言った。
危機の少ない平常時、猫は基本やる気がない。
「いや、それはもう大丈夫」
ビートがやんわりとウィルの申し出を断った。
「なァんでぇ、カレーの下ごしらえなんて俺に任せりゃ一瞬だってのによ」
「なにからなにまで一人でやってこそ、想いが伝わるってもんですよ」
俺は口元を緩めてビートに含みある視線を送った。
「どいつもこいつもお盛んなこって……春だねえ」
ウィルが欠伸がてら言う。
「実は、オーガ討伐の報酬を受け取った帰りに一件依頼を受けててね」
ビートが唐突に仕事の話を切り出した。
「ほーん?」
気乗りしない返事ながらも、ウィルの瞳がキラリと輝いた。
スリルの匂いを嗅ぎ取ったらしい。
「わざわざウチを指定してきた依頼なもんで、どうしようかと思っててさ」
俺はソファーの背もたれから腰を上げてビートに向き直った。
「ラブリッサに対する正規の依頼か」
「そういうことになるのかなぁ」
ビートがぼんやりとした表情で首を傾げた。
ラブリッサ商会は身分を証明する一切を持たない「冒険者」の集まりだ。
都の民である店主から譲り受けたこの商館にしても、実の所はリディアの政務を取り仕切る「貴族議会」に届出をしていない不良物件だ。
冒険者は都の土地や物件を所有することを条例で禁じられているため、届けを出せばまず間違いなく没収される。
つまるところラブリッサ商会というのは、町外れの元宿屋を不法占拠している難民集団であり、その活動はすべからく非合法にして真っ当に生きている都の民からすれば甚だいかがわしい「闇商」なのである。
もっとも都の賃貸に間借りして「闇商」をしている冒険者は五万と存在しているし、リディアの民もまた国が対応してくれない問題を「依頼」という形で冒険者に回している。
現在この冒険者の「闇商活動」が大陸の各都市で問題視され物議を醸しているわけなのだが――
「名指ししてきたなァ、どこの誰ちゃんよ」
「旧市街地区のドン・ゴルフェーザ」
「それスジもんじゃね?」
ウィルが片眉を上げる。
「スジもんだお」
特に表情を変えずビートが頷く。
「知ってるのか?」
俺はソファーに座るウィルを見下ろした。
「面識があるって程じゃねえがな。前に武器の密輸関連で、ゴルフェーザんとこの幹部を引っ張ったことがある」
かつて騎士をしていたウィルは街の裏事情に明るい。
「取締り対象が一転顧客か……皮肉なもんだ」
ウィルの立場がする人生の妙に苦笑が漏れる。
「もともと俺ァ流れモン。騎士なんてやってたのはちょっとした手違いだ。皮肉だなんて黄昏れるほど都の正義にゃこだわってねえの」
「騎士が手違いでなれる職業だとは知らなかった」
至極軽い調子で言うウィルに、俺も軽い調子で返した。
「で? そのゴルちゃんがどうしたィ」
ウィルが問う。
「自分のシマに霊障の酷い場所があるってんで、浄化を依頼してきたんだお」
「は? 暴力組織のドンが幽霊恐いって話?」
依頼内容をウィルがざっくり噛み砕いた。
「そういうことになるかなあ」
ビートが曖昧に首を傾げる。
「もともと旧市街地区方面は結界が薄い。案外深刻な状況かも知れないな」
俺は咥えた煙草を揺らして天井を見上げた。
リディアに限らず、大陸の主要都市には「大結界」なるものが張られている。
市街への魔物の侵入を防ぎ、霊的な秩序を維持する効果がある魔法の光壁だ。
血が流れて地面に滴り落ちれば、魔物発生の原因となる「瘴気」が発生し様々な霊障の原因となり得る。
旧市街地区は王都の街区画の中でも一等治安がよろしくない場所のため、瘴気が発生しやすく霊障の被害も比例してい高い。
幽霊が暴れまわる程度ならまだいいが、放置しておくと悪魔や魔獣といったより強力な魔物が出現する可能性がある。
「旧市街地区のスジもんが騎士団や大聖堂に泣きつける筈もねえか」
ウィルがソファーから腰を上げた。
「――んじゃ、こわーいおじさん達をビビらせてる幽霊ってえの、拝みに行ってみようかィ」
「頼める? 助かるお」
ビートがホッと安堵した様子を見せた。
「ところでビート」
俺はボサボサの頭を右手で掻いた。
「ん?」
「焦げ臭い」
「――やべ」
表情の薄い美顔に焦りの色が浮かぶ。
「場所はそこだから――」
メモを宙に放り出し、ビートは慌てて厨房の方に走り去って行った。
――ドンガラガッシャーンッ
などと、お約束にもほどがある音が厨房の奥から聞こえてくる。
「おーおー、慌てちゃってまァ……」
宙を漂うメモを捕まえて、ウィルが気のない調子で言った。
「甘いカレーになること請け合いだな」
ピンクの子虎の気を引こうというのんびり狼の苦心に、俺は口元を緩ませた。