26.「獅子と犬の問答」
倒れたケインを運び込んだ部屋は寝室のようで、ベッドが二つ並んでいた。
サフィアがケインをベッドに降ろし、横に椅子を置いて座る。
俺はケインの腕に触れ、脈を計りながら中枢の状態を霊視した。
血圧がかなり低く、不整脈まで出ている。
「妖脈の各所がズタズタだぞ……!?」
魂からなる魔力中枢を人間の体の心臓に例えるなら、妖脈とは魔力を体に行き渡らせる血管だ。
ケインの体に走る妖脈は、各所が激しく断裂して絡み合い、おびただし魔力漏洩を引き起こしていた。
体の至るところで血管や内蔵が破裂し、内出血し続けているようなものだ。
「開眼一点、言語一点、運動機能は三点……重篤だな」
サフィアが意識障害の度合いを分析して唸る。
なぜ気がつかなかった――
俺は人の魔力を感じるのに敏だ。
ここに来るまでケインと一緒だったのに、中枢の異常に全く気がつかなかった。
不可解な揺らぎをみせるケインの魔力を、酔いのせいだと決めてかかっていた。
「レヴィ、損傷箇所一切の治療を頼む。俺は状態を維持しながら、術式に必要な魔力をお前に供給し続ける」
サフィアが体に魔力を漲らせながら言った。
「術式のサポートと患者の状態維持を、一人でやるって言うのか」
「一瞬の魔力制御に偏ったお前は、中枢と妖脈の認識速度が俺より遥かに速い。魔力を回せば一息に患部を治療できるだろう。時間をかけてケインの中枢に負担をかけたくない」
「……この遊び人を随分と買ってくれる。しかし同期の危機だ、あれこれ弱音は吐かん」
俺はカッターシャツの腕をまくってアイリアを振り返った。
「マジックポーションはあるか?」
アイリアは即座に部屋を出ていき、やがて数本のマジックポーションを抱えて戻ってきた。
「なんとかしてやってくれ……頼む、頼むよ!」
粗野で凛々しい冒険者の面影はなく、一心に夫を思う妻の姿があった。
「僧侶が二人がかりだ、大丈夫」
俺はアイリアに笑いかけ、すぐにケインに向き直った。
「俺が手を出したら、瓶の蓋を開けて渡してくれ」
「わかった」
アイリアがしっかりと頷く。
「……加速を使うつもりか?」
ベッドを挟んで向いに座るサフィアが、チラリと俺を見上げる。
「お前が魔力を全部持ってくれるなら、俺の魔力が浮く計算だ。ものの二本でカタを付けてくれる」
――すぅぅぅぅッ……
俺は気息を整えて、体内の魔力の質を高めた。
「こっちはいつでもいいぞ、サフィア」
――すぅぅぅぅッ……
サフィアも同じく呼吸を整えて、俺とは比べ物にならないほどの魔力を膨れさせた。
「結ぶ祈り、我が手を女神の御手にせん、汝の艱難を払わん――」
詠唱焼けしたサフィアの喉が呪文を唱え、その手が青白く輝いた。
「浄化!」」
教の中伝、魔力中枢と妖脈から悪因を取り除き、身心の状態異常を回復する魔法だ。
俺も使えない事はないが、安定しない魔力出力のせいで術式を維持し続けるのが難しい。
サフィアが魔力の宿った右手を俺に伸ばす。
俺も右手を伸ばし、光輝く手を握る。
「「術式譲渡!」」
揃えた声と共に、サフィアの浄化の魔法効果が俺の手に乗り移った。
一つの魔法を二人で使う補助技術だ。
「――加速!」
俺はそのまま加速状態に入って、浄化を譲渡された右手をケインの胸に押し当てた。
「ぐ、ふ……ッ!」
気を失ったままのケインが体が強ばる。
浄化の魔法を発動させることはさほど難しいことでもないが、術式を成功させるには魔力中枢と妖脈への理解が必要となる。
魂の側面である魔力中枢――そこから伸びる妖脈の修復は、つなぎ合わせる部分を間違えれば魂の形が歪む。
なめるなよ――
修行時代、自分の魔力中枢の欠陥に悩み続けていた俺は、何度となく自分の歪な魔力中枢に潜り続け、珍奇に入り組んだ妖脈を研究し続けた。
行くぞケイン――
傷ついてこんがらがってしまった妖脈を、片っ端から解いていく。
「ぐ、う……ッ!」
術式の開始と共に、ケインが体が跳ね上がった。
「――ケイン!」
「騒ぐな」
声を上げたアイリアを、サフィアが低い声で制した。
「くそ――!」
俺は歯を食いしばって毒づいた。
妖脈がダマになってやがる――
ズタズタになったケインの妖脈は、健全不健全に関わらず絡み合って、完全にこんがらがっていた。
解くのにどうしても無理が生じる。
サフィアが魔力で状態維持に務めているにも関わらず、ケインの消耗が激しい。
時間がない――
「切るぞ」
「心得た」
俺の言葉を受けて、サフィアが白いハンカチーフを取り出してケインの口元に当てた。
健全な妖脈を意図的に切除――
「ぶふッ――」
ケインの上体がうねり、サフィアのハンカチーフが血に染まる。
「……ッ」
アイリアが息を呑んで顔を背ける気配がした。
「く、そ、ォ……!」
無尽蔵に魔力を消費する自己加速の魔法に、魔力が早くも枯渇しかけている。
差し出した俺の左手に、アイリアがポーション瓶を手渡した。
瓶を傾けると、酷く粘性のあるポーションが強烈な芳香と共に舌と喉を刺激する。
魔力中枢の疲弊を回復するポーションは、目が覚めるほどに甘く濃い。
チラリとサフィアを見ると、角張った顔が厳しく歪んで油汗を滴らせている。
ケインの体に魔力を供給しながら加速した俺の治療を追従し、苦痛を和らげるサポートまでこなす彼の、気力魔力はなお揺るがない。
化け物め――
俺は獅子のスペックの高さに口の端を持ち上げて、回復した魔力で更に加速を強めた。
ダマになった妖脈が、ようやく全部解ききった。
ここからが正念場だ――
バラバラになってしまった妖脈達を、形の合う正解を探して高速でイエス・ノーしていく。
違う、
違う違う、
違う違うこれ、
こっちはこれだ、次ッ、
これはさっきこの辺で見た、
この系統はこっちに寄せておく、
二股? なら受けを探すのも一瞬だ、
バラバラになりかけた、魂のパズルを組み立てて行く。
「はぁ……はっ……」
整い始めた妖脈に、ケインの体の魔力が安定し始める。
差し出した手に二本目のポーション、
接合する妖脈は半分を切ってる、
正解の選出が加速していく、
ここまで来れば大丈夫、
あとほんの少し、
もう僅かだ、
終わっ、
「たはぁ――ッ!」
俺は顎を上げて息を吐き、魔力枯渇ギリギリの所で加速を解いた。
「……ふぅーッ」
サフィアも魔力の供給を止めて溜息をついた。
「……」
ケインの顔色が元に戻り、呼吸も健やかなものになっている。
「も、もう終わったのか……? ケインは……!?」
アイリアが恐る恐るとベッドに近づいた。
「思う存分、夜の猪になれる」
「馬鹿抜かせ!」
軽口を言う俺を突き飛ばし、アイリアがケインに寄り添った。
「この馬鹿……ホントの馬鹿!」
安堵した妻が、夫の手を取って自分の顎を擦りつける。
口の悪い兎さんだな――
俺は術式の疲労の中で、アイリアの仕草に口元を緩めた。
自分の物や縄張りに顎を擦り付けるのは、兎が持つ習性である。
「大した速度だな、相変わらず」
椅子を立ったサフィアが、血のついたハンカチーフを別のものでくるみながら、俺の方に寄ってきた。
「術式も状態維持も全部お前の魔力だ。褒められてる気がしないな」
俺は口元を緩めておいて、すぐに顔を真顔に戻した。
「暫く二人にさせておこう。俺たちも二人で話せるか?」
「ん? んん……」
魔力の高ぶりを納めたサフィアが、首筋を手でこすりながら、いつも通りの鈍い返事をした。
○
「ケインの言っていた結界術に詳しい仲間と言うのは、お前のことだったんだな」
「……んん」
ケインらと酒を飲んでいた部屋で、俺はサフィアと向かい合った。
「どういうことなんだサフィア」
「……」
サフィアが黙して首をさする。
「質問を具体的にするべきだな。といって――」
俺は頭を掻いて髪を乱した。
「俺も少し混乱していて整理が追い付かない。お前の事は端に置いて、一番気になっていることから聞いていこう――」
サフィアがチャコールの瞳を上げた。
「ケインの魔力中枢は何故ああなった?」
俺は煙草を取り出して火をつけた。
「欠損が長く放置されていて変異癒着している箇所が多々あった。あの妖脈の痛み様はただことではない」
「術式の手応えは?」
「お前が譲渡した魔法でやったことだ。全部見てただろうに」
「これまで痛んでいた箇所も、壊死しかけていた妖脈さえ余すことなく修復していたように見えた。手際に言葉もない」
サフィアが腕を組んで頷いた。
俺は煙草を一息大きく吸って、紫煙を吐き出した。
「酷い状態が続いていたようだな。お前が側にいながら、なぜ?」
「……評価してくれるのは有難いが、あそこまで傷んで変異した妖脈は俺には手がだせない。あんな『あやとり』が出来るのはお前ぐらいだ」
「中枢と妖脈の知識に関しては自信があるからな」
もっとも知識があるだけで、他人に術式譲渡してもらわない事には役立つこともあまりない。
何よりも、俺は修行時代のケインの健全な魔力中枢を記憶している。
完全に近い状態に治療出来たのは事前情報があったからに過ぎない。
「それで、『何故ああなったか』の答えは?」
俺は少し語調を強めて、サフィアが反らした質問を再度投げかけた。
「……結界の不正接続」
サフィアが重々しい口調で答える。
「不正接続? ケインは俺と同じで祓魔端だろ? 接続は司祭端のお前が――」
そこでまで口にし、俺は固まった。
サフィアが歯を食いしばり、表情を険しくする。
「まさか――」
俺は椅子から立ち上がった。
「自分の体を媒体にして、お前に不正接続をさせていたのか!?」
「……」
サフィアが目を瞑って天を仰いだ。
「馬鹿な――ッ」
結界への接続は、相当の術式演算力と、演算時に発生する負荷に耐えうる法具が必要になる。
リディアの都を覆い尽くす大結界ともなれば、うん百年前に高僧が扱ったナントカの書だの、かつて海を割った誰それの杖だの、伝説に軌跡を残すほどの物品でなければ用をなさない。
当然そんな高名な代物など簡単に手に入るはずもない。
結界を管理している大聖堂以外から不正に接続するともなれば、広い部屋を霊的に清め、床はおろか壁から天井に至るまで負荷を中和する陣を張り、大量の魔法鉱石をつぎ込んで行われる。
「――馬鹿な!」
俺はもう一度叫んだ。
「接続はほんの一瞬、刹那の瞬間に限って行なっている」
「当たり前だ!」
俺は声を荒げて吐き捨てた。
人の体を伝説の法具の代用にしようというのだ、一瞬でなければ魔力中枢が破損して魂が砕け散ってしまう。
一瞬ですら、人の魔力中枢はズタズタになる。
「なるほど合点が行った! 接続で痛んだ妖脈を浄化し、治癒しきらない状態で接続を行う――その繰り返しならばああもなろう!」
「……言い訳をするつもりはない」
天を仰いだままのサフィアが、喉から絞り出すように言った。
「分かっている! お前とてそんな無体なことを安々と容認して敢行する男じゃない! 俺の知る眠れる獅子は誰よりも優しい思いやりの男だ! 全てケインがお前に嘆願したこと、それは俺にだって分かってるッ!」
結界に不正接続した場合、術者の魔力や術式の傾向の痕跡が必ず残る。
サフィアが不正接続を行なったとしても、ケインの体を通せばケインの魔力中枢が接続の痕跡として残されることになる。
全ては、不正接続の責任を背負い込むため――
眠れる獅子が聖職者の中の聖職者なら、フラガラックの猪はどうしようもないほどに聖職者なのである。
「しかし……! しかしッ!」
俺は歯を食いしばって俯いた。
――これがお前らの言う光の女神サマの思し召しか!?
アイリアが涙ながらに叫んだ想いが胸を焼く。
犬でさえこうなのだ、兎の胸中の葛藤はいかほどか。
友の体を道具として扱う、優しき獅子の心中はいかほどか。
――ホント、馬鹿な話だ……
「何やってんだお前ら……何やってんだよッ!」
テーブルに、涙が滴り落ちた。
情熱を燃やして、胸を焦がして、心を灰にして、それぞれが都の明日の為に生きている。
なのに俺は――
「俺は一体、何をやってきた……! 何をやっているんだ俺は――ッ」
目的もなく、熱中できるものがないと、のんべんだらりと毎日を繰り返し、行き詰って全てを放り出す。
放り出して辿りついた先でも行き詰まり、遂に全てを諦める。
生きる事さえも――
「何やってんだ……! くそッ! くそぉぉぉおおおおおッ!」
そんな、犬――
俺は煙草を持たせた右手でテーブルを打った。
灰なった煙草の先が、衝撃で宙を舞ってテーブルに転がる。
「先にも言ったとおり、俺は革新派でも保守派でもない」
サフィアが重々しく口を開いた。
「『新しくするというのであればすればいいし、先人らから託されたリディアの大結界を維持していきたいと言うのならそれでもかまわない』」
俺は俯いたまま、記憶にあるサフィアの言葉をつぶやいた。
「――ただ、どちらを執り行うにしても、己が命を賭して臨むべきことだ。己が精神を懸けて挑むべき事だ」
サフィアもまた、かつて口にした言葉を繰り返す。
「大聖堂の決定がどうあろうと、結界の破損は避けねばならない。だからフラガラックの同志になった。嘆願するケインの覚悟に応える事にした」
「……」
俺は鼻をすすり上げながら顔を上げた。
先週教会を訪ねた時、彼は口にした。
――らしい、とまでしか言えない
怒りの形相でそう言った。
先人の偉業に泥を塗る、不貞の輩に激昂しているのだろうと思った。
卓越する頭脳を持つ眠れる獅子の「予言」だと決めてかかっていた。
違う――
彼は、はじめから全てを知っていた。
その上で、年来の友である俺を欺くことに嫌悪し激していた。
俺なんて、嘘をついてしまってからようやく自己嫌悪なのに。
「ぐ、ぅぅ……ッ!」
涙が止まらなかった。
こんな時でさえ、俺が考えるのは自分の事だ。
人はああなのに、自分はこうだ――
その劣等感に苛まれる。
どこまでも自分が敵で、どんな事象に遭遇しても、自分しか見ていない。
皆が世界と向き合って生きていると言うのに。
「俺に出来ることは、俺が出来ることはないのか――ッ!」
感情の赴くがまま、右手でコインを弾く。
ケインに生きていて貰いたい。
アイリアと幸せになってもらいたい。
どこかのんびりとした田舎の寂れた教会で、
生臭坊主と口の悪い嫁が沢山の子供達に囲まれて、
来る日も来る日も飽きずに夫婦ゲンカをしてればいい。
そこにふらりとサフィアが遊びに行って、
子供にじゃれつかれたら最高だ。
そうなるようにすればいい、
俺はそれがいい――
コインキャッチ――
巡り巡って出た答えが、脳髄を締め上げる激情をかき消した。
「サフィア……」
涙はピタリと止まっていた。
「……ん?」
サフィアも大分落ち着いた様子になって、俺を見た。
俺は煙草をもみ消しながら「にへっ」と笑った。
「フラガラックの理想は新結界案が通ること。ならばケインは新しい結界が貼られる段になったときの事まで考えていたはずだ」
「んん」
サフィアが頷く。
「お前に直接不正接続をさせないのは、新結界の構築に、お前の力が必要になるとケインが判断してのこと――そうだな?」
「……んん」
今でこそいち教区神官の身分に甘んじているが、結界術に半生を捧げ続けてきたサフィアは、間違いなく教のこれからに必要な人材だ。
「今日俺たちを助けるときの接続はどうしたんだ?」
牢で不正接続の気配を察知した時、ケインは特に苦しんだ様子がなかった。
「今日はこの別宅の地下に張った陣で俺が直接接続した。なるべくケインの中枢からの接続に似せたつもりだが……俺はお前ほどに中枢の理解がない。再現率は低いだろうな」
「……」
俺は目を横に流して少し考えた。
俺が陣を張れればケインの体に頼ることもないだろうが、自分の感性を結界術で表現できるほどの知識と経験がない。
また、その知識を身につけている時間もない。
「サフィア、俺ならどうだ?」
「……なに?」
サフィアが眉を顰めた。
「今後は俺が不正接続の法具になる」
俺はサフィアに目を戻した。
「接続の瞬間は一瞬、魔力の出力が一瞬に偏った俺なら、ケインより損耗が少なく済むかもしれない。呼吸を掴めれば、中枢の損耗を最小限に抑えられるようになる。損耗したとて、俺は自分の歪な魔力中枢というのを嫌と言うほどに知っている。いくらでも浄化で再生が利く。ケインに行なった術式の比じゃない」
サフィアが少し考え込んでから俺を見た。
「ケインの志はどうなる」
「知ったことかよ」
俺は笑った。
「フラガラックの罪は俺が負う」
「……」
サフィアが黙った。
「身勝手な事を言っているのは重々承知だ」
ケインが一から立ち上げて情熱を燃やし続けてきたフラガラックの活動は、罪であり功績でもある。
その功績をポッと出の俺がかっさらおうと言うのだ。
こんな虫のいい話はない。
「同志の誰もが納得しないだろう。罪を擦りつけたとケインを謗る者とてあるかもしれない――いや、これまで志を同じしてきた者達ならば、ケイン・ルースを知る者ならばそんなことはしない。きっと誰もが喜ぶ」
「……」
「これまで都の為に体を張ってきたケインは生きるべきだ。アイリアと共に生きて、これからのリディアを見守るべきだ。例えケインが納得しなかったとしても必ずそうさせる。必ず言いくるめてくれる!」
俺は腕を振るって立ち上がった。
「俺はこれまで何一つ負って来なかった。積み重ねてきた自分の罪と、負うべき罰から目をそらし続けてきた。接続の苦痛も、捕縛されて刑に処される役も、全部俺が引き受ける」
「……」
サフィアの魔力は、泰然として揺るがなかった。
「サフィア!」
「聞いている。少し待ってくれ」
サフィアが溜息をついて俺を見た。
「浄化の術式と同じだ。サポートを担当した俺は、お前のしていることを全て理解して対応したわけじゃない。お前の治療を、漫然と覆うように心がけていただけだ」
「……そうか、すまん」
俺は掌でこめかみを叩いた。
「久しぶりに加速を使ったせいで、まだ余韻が残っているのかもしれん。話が唐突だと言うことだな」
ついさっきまで泣いていた俺なのに、胸を焼くほどの感情が既に綺麗さっぱりない。
他者の目には、非常に奇異に映ることだろう。
「……」
サフィアがじっと観察するような目で俺を見た。
「――ああ、俺が一方的に説明をねだっていたのか。そうだ……お前は、なにゆえ俺がここに来るに至ったのかを知らないんだな」
「ケインを助けた話、ラブリッサで監察に監視されている話、牢に囚われたという飛び飛びの情報は持っているが、なぜそうなったのかが憶測の域を出ない」
「それもそうだ」
サフィアは頭の中で銀の散弾を撃つかのように、思考のコインを複数同時に弾く。
物事を数多の情報で判断し繊細に取り扱う。
対して俺は、銀の弾丸のように、一枚の思考のコインをストロークさせて物事のイエス・ノーを占う。
物事をトントン押し進めようとしてしまうため、短絡的で思考に幅がない。
眠れる獅子の演算力に真価を発揮してもらうには、まず正確に情報を伝える必要がある。
そうでなければ、複雑な思考を持つ彼は判断を先に進める事がない。
「甚だ恥ずかしい話ではある――」
俺は今ここに至った経緯をサフィアに説明した。
監察神官長の監視の下にあったこと、ケインを助けるに至った経緯、還俗を決心した旨、ガールズバーでの話、包み隠さずに真実を語った。
「……事情は分かった」
「我ながら、呆れた話だとは思うんだがね……」
自己嫌悪に囚われそうにもなったが、俺の意思は揺らがなかった。
ケインとアイリアに幸せになってもらいたい――
そんな我が儘が胸の中にあるだけだ。
「お前とケインは似て非なる」
サフィアが俺の心を見透かしたようにズドンと言った。
「お前たちは、圧倒的に視野が狭い」
「……言われると納得が行く。そうだな、俺は視野が狭い」
魔力中枢がする瞬間の魔力出力と同じだ。
俺は瞬間瞬間にしか生きていない。
一度「こうだ」と思ってしまえば、それが自分の中で唯一の正解となってしまう。
「しかし、ケインとお前には決定的な差がある」
「うん?」
「……んん」
サフィアが首筋を擦って唸った。
「言い渋らずに口にしてくれ。お前は何か答えを出したのだろう? ケインを生かすためには、お前とアイリアの協力が要る」
俺は身を乗り出してサフィアに詰め寄った。
ケインは言葉で信念を覆すような男ではない。
最悪は、実力行使と言うことにもなる。
「……」
サフィアは落ち着き払った様子で俺を見て、
「帰れ」
慮外のズドンを放った。
「な……え?」
俺は意味を理解する事が出来ずに固まった。
彼が口にしたのはただ一言、難しい事は言われていない。
「お前の提案を俺が承諾することはない。ケインは元よりアイリアもそうだ。ラブリッサに帰れ」
「――ッ!」
俺はテーブルを叩いてサフィアを睨んだ。
「お前は、そんなにケインを殺したいか!」
「そう考えての言葉だと思うのか?」
「思わん!」
そんな事を、聖職者の中の聖職者が考える筈がない。
「思わないがしかし、結果そういう事になるだろう! 俺の提案が受け入れられないと言うのはそういうことだ!」
「話を逸らすなレヴィ」
熱くなる俺に対し、サフィアはあくまでも冷静だった。
「なにがどう逸れている!」
「俺がどう考えて、どうしてお前に『帰れ』と言ったのか。なにを持って自分が『帰れ』と言われたのか。お前は今そこから逃げた」
「――ッ!」
「答えて見せろ。俺がお前の提案に耳を傾けるとしたら、その答えの先の事だ」
「話しているのは俺の事じゃないケインのことだ!」
「お前のことだレヴィ。お前の提案に対し、俺が帰れと口にした。その答えに納得がいかないからお前はケインを持ち出した。ケインに逃げるな」
口調こそ落ち着いているが、大柄なサフィアの体からは景色が揺らぐ程の魔力が滲み出ている。
なるほど、お前も本気と言うわけか――
俺はどんな事があっても俺はケインを死なせたくはない。
ならば持てる知識を総動員して、眠れる獅子を問答でやりこめるしかない。
「ならば答えてくれる。俺がフラガラックの同志ではないからだ。これまで活動の苦労を分かち合った人間ではない故に、お前は俺がこの場にいるべきではないと感じている」
「そうだ、俺はお前がこの場にいるべきではないと感じている。だがそれは同志か否かの問題ではない」
この場にいるべきではない、帰れと言われるその理由――
「俺が還俗して僧籍にないからか? 僧侶としての自覚がないからか? しかし、それならばアイリアとて冒険者だろう」
「また正解に近いものが混じった。そうだ、お前は還俗している。しかし、僧籍にない冒険者だから言うのではない。僧侶の自覚がないとも俺は思っていない。アイリアに逃げるな」
還俗をしている事が要因、しかし身分が直接の原因ではない――
「俺には志がないからか? ケインのような断固たる意志がないと言っているのか? それならばお前の読み違いだ。俺は是が非でも二人を幸せにしたい!」
「志や意志の問題ではない。もっと根源的なものだ。二人の幸せに逃げるな」
もっと根源的なもの――
「お前は優しい。俺がケインを死なせたいと思うほどに、俺を死なせたくないとも思っている」
「今の議題はあくまでもお前の中にあるものだ。俺に逃げるな」
俺の中のもの――
「俺の魔力中枢に欠陥が――」
「人は一人として同じ人間はいない。特殊であっても特別なことではない。自分の魂の特徴に逃げるな」
俺は――
考えが先に進まない。
俺の頭の中に有る、一枚の思考のコインが、サフィアの問いに答える事を放棄し始めた。
頭が否定で埋め尽くされる。
なんで――
言葉が続かない。
「俺――おれ、は……」
「……」
サフィアはただ厳しい顔で俺を見つめている。
「おれ、は……志も熱意もない……人に迷惑をかけてばかりの人間だ……ならば俺で、俺でいいじゃないか……!」
悲しいわけでもないのに、目から涙がこぼれ出した。
「それがお前の根源にある問題だ」
サフィアがぐっと魔力を濃くした。
「生きることから逃げるな」
「俺でいいだろう……!」
「逃げるな」
魔力の威力を帯びた低い声を浴びせられ、俺は椅子の上にヘタリ込んだ。
「俺が……生きることを諦めているから、か……?」
その口実に「過激派の罪を負う」という美談を、「ケインとアイリアの幸せ」という理想を、選び出したと言っているのか?
「ほぼ正解だが、まだ逸れている」
サフィアは腕を組んだ姿勢で首を横に振る。
「違う、違うんだサフィア……俺は本当に……」
俺はうわ言のように声を出すのが精一杯だった。
「ケインもお前も視野が狭い。だがケインの視野の狭まりは闘いの中にこそある。自らの理想を貫かんとする闘いによって自らの命すら忘れる。決して命を軽視しての事ではない」
「おれ、俺は――」
「お前はあらゆることが逃げんとして視野が狭まる。直面した苦境から逃れんとして自らの命すら諦めつつある。それは、命を軽視している事に他ならない」
「違う……ちが……」
「ここに辿りついた経緯が全てを物語っている。自分で思い返してみろ。お前はずっと何をしてきた」
「おれ、あ……」
言葉が上手く出てこない。
「何をしてきた? 何をやってきた? お前が自問していた事だ。その答えはなんだった?」
目的もなく、熱中できるものがないと、のんべんだらりと毎日を繰り返し、行き詰って全てを放り出す。
放り出して辿りついた先でも行き詰まり、遂に全てを諦める。
生きる事さえも――
「あ、ああ……!」
それはつまり――
「に、ガ……る――ッ!?」
涙が止まらず、胸が詰まって息が出来ない。
「……俺はずっと答えを口にしていた。だがお前は、『逃げる』と言う俺の答えがまるで見えていなかった。見ようとしなかった。口に出すことすら無意識に拒んで、今もまだ逃げ続けている」
目を覚ました獅子が、憐れむような、悲しい瞳で俺を見つめていた。
頭の中の思考のコインが、目まぐるしい速度で回転し、脳内のありとあらゆる記憶情報に「ノー」のレッテルを貼りつけていく。
違う――
「ケインは死への恐怖すら乗り越えて理想の為に闘い続けている。お前は逃げに逃げた結果、逃げ道を無くし、生と言う苦しみから逃れようと自己犠牲にすがっている。……それは決定的な違いだ」
鼻腔に掛かった低い声が、魔力を帯びて反響する。
俺は視界が白らじんで、徐々に意識が朦朧し始めた。
「ケインやアイリアのこれから想うお前の心を嘘だとは言わない。二人を幸せにせんとする意思は本物だろう。だがケインが命を燃やすフラガラックの活動を、逃げるお前の終焉の場所にするわけには行かない」
眠気を通り越す意識途絶の気配、
脳がシャットダウンする感覚に全身が怖気立つ。
そう、いつだって俺の得意技は――
「寝逃げ、る――ッ」
言えない単語を無理やりに口にした瞬間、世界が急速に遠のいた。




