25.「泥棒猫は見た」
辺りをザッと見渡して、暗い書斎の中に残る痕跡を拾う。
絨毯を踏みしめた足跡、本棚の古書に触れた指紋、椅子、机、窓、カーテン――
集中すると、ぼんやり魔力の跡が浮かび上がって、発光して見え始める。
「魔力が濃いのは、っと……」
発光度合いの強い足跡が、書斎の机まわりに集中している。
一体幾らするんだかわかりゃしねえ焦げ茶色の重役机だ。
整頓されている様に見えて、机の上にほんのチビっと乱れがある。
人間が常に分泌する、消すに消せねえ魔力の痕跡――
「どら――」
俺は多少魔力を高めて目を細めた。
痕跡を作り出しただろう人の影が、ぼんやりと浮かび上がる。
人影は、窓に向かって外の景色を眺めていた。
マンフレッド邸の書斎だ、マンフレッド本人だろう――
俺の背後から、書斎に入ってくる女の規則正しい歩調。
これは侍女だな――
窓際のマンフレッドの人影が振り返る。
机の前で侍女の影が恭しく礼をして何かを差し出した。
片手で受け取るマンフレッドの影を見る限り、そう大きいもんじゃねえ。
辞して部屋を出ていく侍女。
何かを受け取ったマンフレッドの影は、椅子を引いて席に着いた。
手にペーパーナイフが握られる。
手紙か――?
マンフレッドの影はナイフを机に置いたが、実際に机の上にあるナイフの位置と多少ズレがある。
手紙らしきものを読み出して、影は机に肘をついて頭を抱え込んだ。
悩んでらァ――
暫くそうしていたのか、肘をこすりつけた魔力の痕が机に色濃く残っている。
やがて人影は拳を振りかぶった。
――ドンッ
机に叩きつけられた拳の衝撃で、机上に乱れが生じた。
ペーパーナイフが転がって、今ある場所に収まる。
人影が引き出しに伸ばす。
開いたのは右の中段――
引き出しに手紙を収め、マンフレッドの人影が席を立った。
立った拍子に動いた椅子が、今ある位置に納まった。
人影は机の前に立ってウロウロとし始める。
立ち止まる、動き出す、を繰り返している。
随分忙しねえでやんの――
何往復かしておいて、人影は何かを決意したように、強い足跡を残して書斎を出て行った。
「……」
俺は机の横に周り、引き出しの右中段に手をかけた。
鍵はかかっていない。
躊躇なく開けると、半端に畳まれた手紙が一番上にあった。
「読んでたなァこいつか?」
俺はえらく魔力の染み入った手紙を手にとって、文字に目を走らせた。
日付は昨日、宛はマンフレッド・レアード、目の前でトレースした人影はやはり本人のようだ。
「……」
手紙を読み切り、俺は片目を瞑って頭を掻いた。
「まいったねえ、どうも……」
レヴィとケインが逃げ帰って来た事実、アリオスの来訪の全てが手紙の内容で繋がった。
思った以上に状況が進んでらァ――
「……こりゃァ、ちょいと後手だぜ神官長さんよォ」
俺は手紙をコートの裏に差し込んで、もう一度書斎を見渡した。
他の痕跡は魔力が薄い、これと言ったもんはなし。
「――さあ、まだまだ」
マンフレッドが居る隣の部屋に忍び込んだのにゃァ理由がある。
俺は部屋の壁に背を向けて張り付き、拳で軽く叩いた。
――カッカッカッ……
音が堅く伝播しない。
少し移動してまた叩く。
――カッカッカッ……
壁の木材と石材の硬度が変わらない。
また移動、
――コッコッコッ……
音が変わった。
ずっと続いていた壁の中の手応えがない。
ここだ――
壁に向き直ると、大きな絵画が掲げてあった。
俺は絵画の周りを入念に調べ、そっと上に押し上げてみた。
――ガキッ……
留め金の外れる音がして、絵画が綺麗にスライドする。
絵の裏から現れる、人が入れる程の穴。
リディア勢が大陸を征し戦乱が明けたたとはいえ、完全に平和になったたァ言い難え。
貴族の邸宅、特に客人をもてなす応接間の隣にゃ、兵や監視の人間を潜ませる仕掛けが残っている場合が多い。
「どら――」
俺は穴の中に入って、内側から絵画の位置を元に戻した。
中は思いのほか明るい。
壁の上の方に細かな穴があいていて、隣から光が差し込んでいる。
端には小さな窓がついてて、隣の部屋が丸見えだった。
マジックミラーか、こいつァいい――
「ご両親は健勝かな?」
穏やかな物腰に隙のない振る舞い。
マンフレッドは、噂通り品のいい気優しそうな顔をしていた。
ヤツが肩書きに持つ貴族議会の「参議」ってヤツは、リディア王と直接言葉を交わして文書を作成する大役だ。
「二人とも、俺より元気なぐらいですよ」
そんな大御所と対するアリオスは、十代の若者ながら全く物怖じせず紅茶を楽しんでいる。
流石に社交場馴れしてやがる。
「まだまだ息子に勇名は譲らんか。都にとっては喜ばしい限りだな。いちリディア貴族として、君のご両親を誇りに思う」
「ありがとうございます。……でも、うちの両親が活躍する状況と言うのは、都にとってあまり喜ばしい事でもないですよ」
アリオスが苦笑する。
軍事組織と医療団体が忙しいのは、それだけ世が乱れている証拠だ。
「立派な事を言う。かつて我が家の庭木を追った腕白の少年も、今では大聖堂唯一の修道騎士か」
「その話、まだ覚えてるんですか……?」
「当然だよ。折れて乱れた枝振りはそのままにしてある。『これが、かの大聖堂の英雄が折った枝だ』と、末代まで伝えるつもりだからね」
「まいったな……」
「ははははは」
呵呵と笑うマンフレッドにアリオスが照れる。
どうやら二人は昔馴染みらしい。
「あの――」
「ふむ?」
「俺を呼び出したのは、どういった要件からです?」
カップとソーサーを置いて、アリオスがマンフレッドを見た。
「君のご両親ほどではないが私も最近は忙しい。君のようなリディアの未来を担う若者と、とゆっくり世間話をする時間が欲しかった」
「世間話ですか……」
アリオスの目が暗く沈む。
「駄目かね?」
「……いえ。それにしては時間も遅いですし、急だなと思ったものですから」
「ふうむ」
マンフレッドが値踏みするような目でアリオスを見る。
「君の父君は、若い時分からこちらがハッとさせられるような鋭い勘をして見せたものだが……やはり血は争えないな。その才気は間違いなく子息である君に受け継がれている」
「あまり持ち上げないでください。マンフレッドさんのそう言うところ、苦手だな」
アリオスが頬の辺りを掻く。
「――それで、何かあるんですね?」
真顔になったアリオスに、マンフレッドも居住まいを正した。
「君は、都を騒がせている大聖堂の過激派組織の事を知っているかね?」
おっと――?
話が肝に差し掛かり、俺はミラーに身を乗り出した。
「フラガラック、ですか? 俺も大聖堂の人間です。それなりには……」
アリオスの魔力の質が変わる。
「君には、何かその手の使命は与えられていないのかい?」
「……」
マンフレッドの問いに、アリオスの魔力が大きく揺らいだ。
こいつァ出来すぎってより、出しすぎだな――
俺は腕を組んで片目を瞑った。
魔力が人より優れてるだけに、アリオスは感情が表に出やすい。
社交慣れはしていても、腹の探り合いをするにゃ荒い。
交渉能力が低すぎらァ――
そう言えば前に会った時も、同じような事を思った気がする。
「政治干渉しない大聖堂の内情に関わります。いくらマンフレッドさんでも言えませんよ」
「与えられて居ないのだな」
「……」
アリオスが黙った。
そんだけ魔力で動揺見せりゃ、バレバレだろう。
「君は父君の才気を余すことなく受け継いでいる。ばかりか母君の強力な魔力も受け継いでいる。それほどの力を有した君が、なぜ?」
「それは――」
「それは?」
「フラガラックの行動は、言ってしまえば大聖堂の汚点です。修道騎士の俺が介入すれば、事が大きくなってしまいますし……」
ポロポロと情報を口から漏らすアリオスにじれったくなり、俺は顎の下を忙しなく掻いた。
相手は政治家、アリオスは大聖堂の騎士だ。
旧知の仲だったとしても、軽々しく所属勢力での立場を口にするべきじゃない。
十代のボンじゃ仕方もねえが――
「君は過激派の行動をどう思う?」
マンフレッドが穏やかに――だが、目の奥を光らせてそう聞いた。
「許せないに決まっているじゃないですか! いくら新結界が必要だからって、僧侶が魔物を呼び出して、民の生活を脅かして良いはずがない!」
アリオスが、緋の瞳らしい鉄火な一面をさらけ出した。
なあるほど――?
どうやらアリオスは、過激派の行動を半ば喜んでいる大聖堂の内情を知らねえらしい。
両親はどちらも有力者、その息子が剣も魔法も達者なら、民衆の信望を集める絶好の偶像になる。
大聖堂の内紛に関わることを周りが許さないんだろう。
純金培養の英雄、か――
「君は根っからの英雄だな」
奇しくも俺の胸中とマンフレッドの言葉が重なった。
「……今の俺にとっては皮肉でしかないですよ。なにもさせて貰えてないんだ」
アリオスが吐き捨てるように言った。
「君の母君は、城北教区を取り仕切る神官長だ。革新派の手の者が結界を利用して都に被害をもたらしている今、その心労はいかばかりだろうか……」
「革新派の行動には抑えがたい怒りを持っているはずです。時々、保守派の不甲斐なさを嘆くことがありますから」
「やはりな」
マンフレッドが沈鬱な顔で頷いた――が、やはり目がギラついている。
アリオスの家は保守派寄りか――
マンフレッドは今、革新派の追い風を起こすフラガラック指導者と、保守派の家柄の英雄を懐に抱えていることになる。
「アリオス、私は今、一つ悩みを抱えている」
「え……?」
額に手を当てて項垂れていたアリオスが顔を上げた。
マンフレッドの表情が険しい。
「それは、親交ある君のご両親の嘆きの元にほど近く、君が許すまじと血をたぎらせる問題とも共通し、今の都の状況を生み出した悪因そのものと言っても過言ではない」
「……」
アリオスの魔力がまたざわめく。
「聞いて貰うからにはそれなりの覚悟が必要となる。……そして、聞いたが最後、大聖堂の英雄は後には引けなくなってしまうだろう」
「……」
「それでも君は、私が語る悩みを聞く覚悟があるだろうか?」
マンフレッドの眼光が一層強まり、アリオスの方は俯いて視線をテーブルに落とした。
「俺の力が、リディアの為に役立ちますか? 今苦しむ、人々の為になれることですか?」
「私はそう信じている」
「……聞かせて下さい」
決意した目を上げて、アリオスが言った。
「本題を語ろう」
俺は腕を組んだまま、ニャ眼を細めて二人の話に聞き入った。




