19.「猫の主観」
「レヴィさんが居なくなっただァ!?」
猛る子虎がテーブルを叩いて立ち上がった。
「様子を見に行ったら部屋のドアが半開きになっててよォ。机の上に書き置きが一枚」
俺は指に挟んだ紙をアヤに差し出し、欠伸がてらに言ってやった。
紙をひったくって、アヤが灼眼を左右に動かす。
「『僧侶を辞め、俗世へと戻る決意を致また』……いたまた?」
でもって首を捻る。
「脱字だろ」
「おぉ……」
咳払いをしたアヤが、気を取り直して書置きを目の高さに持ち上げた。
「僧侶を辞め、俗世へと戻る決意を致しました。皆様には最後の最後までご迷惑お掛けマス――もとい、お掛けします。どうか探さないで下さい、レヴィ・チャニング……」
「還俗で、僧侶ん時の罪はチャラってえ腹づもりらしい」
「そんな……」
半ば放心した様子で、アヤはソファーに腰を下ろした。
アヤの隣にゃ、ラブリッサに来るのを自粛していた美人神官長が座っている。
レヴィに過激派支援の容疑がかかってから五日目――
金曜日の昼下がりの出来事だった。
「還俗……」
青い眼を細めて、神官長が拳を口元に構えた。
悩んでるってよりは、頭をフル回転させてる様に見える。
「予想の斜め上を行きやがるたァ、大した馬鹿犬だぜ」
俺は顎の下を猫手で掻いて笑った。
レヴィの馬鹿が過激派の人間を支援したと分かった日から、商館の周りにゃ監察神官が張り込んでいる。
レヴィを封じ込めておくための半ばポーズの包囲で、一週間程で監察の人間は引き上げる予定だった。
金曜の今日、俺たちがバーに連れ出して息抜きさせる予定だったんだが、猫の子一匹逃がさねえ包囲網を犬があっさりと抜け出した。
「どんな頭ン中になってんだかな。一度覗いてみてえもんだ」
口の端が、ほんの少し持ち上がる。
まさかあの度胸無しが、こんな離れ技をやってのけるたァな――
「内緒にしてたのが裏目に出たのかねえ」
俺の隣に座ったビートが、ティーカップを傾けながらのんびり言った。
「サプライズ作戦で効果倍増の予定だったのに……」
アヤが心配そうな面持ちでまた書置きに目を落とした。
「へッ――」
俺は短く笑ってソファーに身を沈ませた。
予定を台無しにされた事に対する怒りはねえ。
予想を裏切る馬鹿ぶりに、いっそ愉快さがこみ上げているぐらいだ。
「一体どうやって監察の監視を……?」
目を伏せたまま問う彼女の前に、ビートが羽付き帽子を置いた。
「街の人がコレを届けてくれました。変装に使ったものを人づてに返してよこしたんでしょう」
「変装?」
彼女が目を上げる。
「俺とアヤが食堂で昼食をとっている間に、正面玄関から出て行ったようです。俺に化けて行ったんじゃないかと」
「ただの変装で、監察の人間を煙に巻いたっていうの?」
彼女が眉を顰める。
「もちろん、『ただの』じゃねえだろうよ」
俺はソファーの背もたれに腕をかけて足を組んだ。
「前に一度、ヤツがコイン使って他人の魔力の気配を再現するって芸を見た事がある。出てく時、帽子の中でビートの気配に似せたコインを浮かべてたんだろ」
「コインで人の気配を……!」
彼女が唸る。
「せめてウィルが商館に詰めっきりだったらねえ」
「……」
ビートが溜息まじりに言った言葉に、彼女の魔力の張りが一瞬だけ揺れ動いた。
他意はなかっただろうが、ビートの言葉は間接的に大聖堂監察の不甲斐なさを指摘しちまってる。
「ヤツァ感覚が常人離れしてやがっからな。逃げることに関しちゃピカイチだ。監査の連中が出し抜かれんのも無理がねえ」
「ええ、そうね……」
表情にこそ出してねえが、神官長の顔にゃ疲労の色が見て取れる。
俺は顎の下を忙しなく掻いた。
とことん間の悪い野郎だぜ――
せめてあと数時間、飲み会まで引きこもってくれてりゃ面倒が無かったてえのに。
「この場合、どうなっちゃうの……?」
アヤが恐る恐る彼女に聞いた。
「どうもこうも、本人が還俗したいと言うのであれば止める理由もない。それでもなくても彼は、責務を一度も果たしていない破戒僧なのだから」
彼女がピシャリと言った。
「じゃあ、レヴィさんはもう完全なる冒険者ってこと?」
「本人の意志が揺るぎないなら、そうなるわ」
「問題は今後のレヴィの動向じゃないかねえ」
ビートが言う。
「フラガラックに加わるつもりなのか、どうなのか」
そりゃねえだろう――
と思ったが、俺は口に出さなかった。
監察の監視、思うように進まねえ仕事、悪くなった立場、
そう言う、抱えちまったマイナスを全部リセットしようとしての還俗だ。
冒険者になって過激派に参入じゃァ今以上に立場が危うい。
あの馬鹿があえて針のむしろに身を置くような真似をするとは思えねえが――
「あの馬鹿の事だからなァ……」
どうトチ狂って何をしでかすか予想が付かねえ面もある。
ここ数日、俺は神官長に「ある依頼」を受けて、過激派組織フラガラックの背後関係を洗っていた。
ケイン・ルースの人どなりも聞き込んで回ったが、レヴィとの接点は全く見つからなかった。
――ってえより、そもそもレヴィの事を覚えている僧侶が一人としていなかった。
相当の昼行灯だったらしい。
手持ちの情報じゃなんとも言えねえ。
「ケインが捕まってレヴィの名前が出た場合、どうなります?」
ビートが眉間に皺を寄せて彼女に聞いた。
ラブリッサの対面を気にしているわけでなし、純粋にレヴィの身の上を心配して出た問いだろう。
「監察の情報を使って犯した罪は決して軽くはないし、不正術士として指名手配するのが妥当でしょうけれど……多分そんな大事にはならないんじゃないかな」
彼女が投げやりに言った。
「どうして?」
アヤが問う。
「……」
彼女は一瞬目を伏せて黙り、
「過激派による大結界の不正接続は、言わば聖ライアリス教の内輪もめだからよ」
ポツポツと語りだした。
「教の僧侶が魔物発生の原因をつくったなんて話を、大聖堂の上層部があえて広めるような真似をするとは思えない……」
「それって――」
言いかけておいて、アヤは口をつぐんだ。
「真実の隠蔽、と言えるでしょうね」
青い瞳に暗い影が差し込む。
「聖ライアリス教は、いまや大陸全土の聖典となりつつある。その気負いが原因なのかしらね……今の大聖堂のやり方は、貴族議会の政治屋とあまり差がないから」
組織の長としての言葉というより、一僧侶としての言葉のようだ。
「監察の神官長がそんな事こぼすぐらいだ。俺たちラブリッサの信頼ってなァよっぽどなんだな」
俺は肩を竦めてやった。
彼女がハッとなって居住まいを正す。
「……ごめんなさい。話が逸れてしまったわね」
「あ、聞いたのアタシだし、全然、そんな――」
謝る彼女に、アヤが手をわたわたとさせてフォローした。
「このまま彼が戻らないならそれまでの事よ。いっそ過激派に組してくれてたほうが、こちらとしては好都合なのだけど」
じわり、と彼女の魔力が一瞬濃さを増し、握られた拳がギチギチと音を立てる。
「う……」
隣の神官長の迫力に、アヤが困り顔で愛想笑った。
「戻らないなら」ねえ――
俺は彼女の言った言葉を頭の中で反芻して天井を見上げた。
探さないでと書き置きして出て行ったレヴィに対し、彼女はわざわざ「戻らないなら」と口にする。
――本人の意志が揺るぎないなら、そうなるわね
どうも彼女の中にゃ、「レヴィが戻ってくる可能性」が割と強めにあるらしい。
一体どういう関係なんでしょうね――
レヴィの方は覚えがないの一点張りで嘘をついた様子も無かったが、俺のニャ眼が見る限り彼女は確実にレヴィを知っている。
彼女がここで寝泊りするようになって一ヶ月が経ったが、レヴィとの因縁はようとして知れない。
なんにせよ俺の勘はこう告げている、
めんどくさそう――
他人の過去をほっくり返そうなんざ野暮のすることだ。
仕事でもねえ限りしようとも思わねえ。
「監視に全く引っかからなかったのは、誤算と言わざるを得ないわね」
彼女が横髪を掬って静かに言った。
「どうします?」
ビートがのんびりと本題に切り込んだ。
「……」
彼女が視線をテーブルに落として黙る。
何かを言い出そうとする気配に、魔力が揺れている。
めんどくせえな、まったく――
俺は苦笑ってビートに目をやった。
「ビート」
「うん?」
「会長のお前さんとしちゃどうよ? 取り敢えず商会の人間が一人、書き置き残して居なくなったワケだけどよ」
「うーん……」
ビートが腕を組んで唸った。
この狼青年は自分の考えを他者に押し付ける真似はしない。
去る者追わずが本音だろうし、聞いたころで反応はこんなもんだ。
はい、お次――
「アヤ、副会長のお前さんは?」
「困る!」
ビートと同じように腕を組んだアヤが、ズバリ言った。
「ほーん?」
首を小さく動かしてアヤの言葉を促す。
「レヴィさんは会費を二ヶ月滞納してゥのよ? 会費は商館を維持すゥためのもの、言わば家賃なのよ! 居なくなゥなァ居なくなゥで、きっちィ回収しないとアタシは納得出来ない! むふーッ!」
マネーの虎が鼻息を噴射した。
「まあねえ。部屋の私物もそのまんまだし、誰が片付けるんだって話ですな」
アヤの言葉にビートが続く。
俺は最後に神官長に目を向けた。
「……還俗の正式な手順云々は言及しないにしても、出て行くなら出ていくで、人としての筋は通すべきだわ。僧侶も冒険者もそれは変わらない」
彼女が言う。
「そうよ! その通ィよ!」
アヤが力強く相槌を打った。
「前に話しをしていた『彼がフラガラックに走ったら』を想定した形で追いましょう」
青い目で一度ぐるりと俺たちを見回し、彼女がようやく意向を口にした。
最悪のケースを考えての話し合いも、既にレヴィが引きこもっている間にしてあることだ。
「彼がただ還俗をするつもりなのだとしても――それならばなおのこと、人の道を違えるべきではないわ」
「うむんッ」
アヤが大いに頷く。
「気心が知ェたアタシたちはいいけど、ここ一ヶ月面倒見てくェてた女性に挨拶も無しで居なくなゥかフツー!? 女なめとったらアカンでぇっちゅー話よ!」
「ありがとう、アヤ」
彼女が目を細めて微笑む。
「んじゃ、引き続き、ラブリッサへの依頼体制は継続ってこったな。何か指示変更はあるか?」
場の雰囲気がまとまったところで俺は話を先に進めた。
彼女がまたぐるりと一同を見回す。
「ビート会長、今、監察以外に何か依頼は入っていて?」
青い目には揺るぎない理知の光が宿り、疲れの色も薄れている。
「魔物の出現率が上がってますからねえ。旧市街地区の筋もんから霊障被害の依頼が何件かちらほらと」
「旧市街地区……不正術士を減らし過ぎたかしらね」
拳を口元に構えて彼女が目を伏せた。
ドン・ゴルフェーザの依頼をこなして以来、旧市街地区の荒くれ者の間で、うちの評判は右肩上がりだ。
「その依頼、一つ私に回して貰えないかしら」
「うぇ!?」
彼女の申し出に、アヤが素っ頓狂な声を上げた。
「非合法の依頼を、大聖堂の監察が請け負うんですか?」
ビートは差して動じた様子もなく首を傾げた。
「監察というよりは私個人かしらね。旧市街地区は王都で最も治安が悪い場所だから、現状を確かめておきたいのよ」
「実地調査なら、何も本人が出向かなくてもいいのでは……」
「旧市街地区の術士を捕縛したのは私だしね。場合によっては詮議の終わった不正術士の開放も視野に入れているから、判断材料として自分の目で確かめたいの」
「なるほどねえ」
ビートが頷く。
彼女が仕切る大聖堂監察は今、完全に過激派組織フラガラックに対応一本に絞って動いている。
捕まえた不正術士の開放という決断せにゃならんほど、今の都の霊的治安はガタガタだ。
害のなさそうなモグリの連中に仕事をさせれば、少しは魔物被害も緩和されるこったろう。
「監察の銀製品と医薬品の消耗が激しい……ビートとアヤには、これまで以上に補給の取引口を広げてもらうことになるけど、大丈夫?」
「おっまかせぇ!」
「わかりました」
アヤがガッツポーズで威勢良く答え、ビートがしっかり頷いた。
「ウィル、ケインとレヴィの一件から頼んでいた例の件なんだけど、できれば――」
彼女が言葉を途中で切って目を伏せた。
「ああ、りょーかい」
俺は手をヒラヒラと振って答えた。
「もう当たりはつけてある。二〜三日中に尻尾は掴んで来てやんよ」
「そう……流石ね」
彼女が静かに目で礼をする。
「よぉし! アタシ営業用の格好に着替えてくるね!」
やる気満々の様子でアヤが立ち上がった。
「ビート、アンタもボサッとしてないでちゃっちゃか用意する!」
「へいへい……」
ビートが気怠げに重い腰を上げながら、彼女に目をやった。
「城南の工房街に出向きがてら、旧市街地区に寄って適当な依頼を請け負って来ます。早ければ明日にでも」
「出来ればそっちは今夜中に片付けたいのだけど」
「今夜?」
表情の薄いビートの眉が、僅かに動いた。
「流石に急かしら」
「今はどこもかしこも魔物騒ぎだから、喜ばれるとは思いますけど……うーん」
「働くねィ」
煮え切らないビートに変わって、俺は言葉を継いだ。
「監察の仕事も今カツカツなんでしょ? ちょと無理しすぎなんじゃ……」
アヤが心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「ラブリッサのおかげで、大分楽をさせてもらっているわ」
彼女はアヤに笑いかけた。
「夜に甘いものを持って来るから、休憩がてら美味しい紅茶が飲みたいな」
砕けた口調で、神官長がアヤに上目遣いをしてみせる。
「うん……! じゃあとびっきりの茶葉を用意しとくね!」
アヤが頷いてにんまりと微笑んだ。
「アタシも負けないぐらい仕事こなさなきゃ! さっさと行くわよビート」
「はりきりすぎて余計な仕事ふやすなお」
「なんやて!?」
いつもの通りの夫婦漫才をしながら、虎と狼はロビーを出て行った。
「――ほんじゃまァ、俺も依頼の件に戻らァな」
俺もソファーから身を起こして立ち上がる。
「ウィル」
不意に彼女に呼び止められた。
「あん?」
「貴方は、レヴィが居なくなった事をどう思っているの?」
アヤに向けた笑顔が形を潜め、存外の真顔になっている。
俺は小首を傾げて彼女の言葉を促した。
「ビートもそうだったけど……貴方も特に意見を言わなかったから」
ソファーに腰掛けた彼女の青い目が、静かに俺を見上げている。
感情を押し殺して、こちらの真意を伺っている目だ。
大聖堂監察の神官長さんも、どうしてなかなか獣じみた目をする。
「あの馬鹿犬を捕まえてえってんなら、協力するさ」
俺は肩を竦めて返してやった。
「質問の答えになってないけど」
「不満か?」
「……いえ」
彼女が視線を横に流す。
俺は宙に目をやって、なんと言ってやったものかを考えた。
「……わざわざ口に出したかねえが、俺ァあの馬鹿犬をそれなりに気に入ってる。ビートもアヤもそうだろ」
「うん」
「ただ、冒険者ってなァ流れるように生きて、自由にさすらうのが当たり前だからな。ヤツが僧侶やめてここを出てきてえってんなら、正直『はいそうですか』としか思わねえよ」
「……」
彼女が目を伏せた。
俺は苦笑して顎の下を掻いた。
「ま、あの馬鹿犬を追っかけ回して見るってのも面白そうだ。猫の手で良けりゃァ貸してやる」
「面白い?」
彼女が訝しげに首を傾げる。
「どんな有様で逃げ回って、どんなしょーもねえこと吠えんのか、ちょいと楽しみなトコだろ?」
「……」
「やるからにゃ全力だ。心配にゃ及ばねえよ」
俺はニヒルに笑ってやった。
「本当に猫とお話してるみたいだわ」
「へッ――お話と来たか」
このキャリア僧侶、なかなか頭がメルヘンだ。
「俺がやつの失踪に俺が思ってる事ってなァこんなトコだ。大したこたァ考えてねえよ」
「ウィル」
正面玄関に向かった俺を、彼女が再度呼び止める。
「あん?」
「ありがとう」
微笑むわけでもなく、至極真面目な顔つきで彼女が言った。
「おう。良くわんねえが受け取っておく」
俺は彼女に肩を竦めておいて、後は商館の外に出た。
金曜日の昼下がり、普通なら週末のアフターファイブに向かって街が活気づいて行く頃合いだが、魔物騒ぎやら盗賊騒ぎやらで街全体が不穏な空気に包まれている。
しちめんどくせえ時に居なくなりやがって――
やる気無く鼻を鳴らしておいて、俺は商館の前から歩き出した。
ビートが依頼の件をしぶり、アヤが心配するのも最もなぐらい、彼女は疲労を溜めている。
管理職は大変だろうと同情するし、依頼は手を抜かずに全力でこなすつもりでいるが――
「楽しく生きろよブラザー。てめえはてめえの好きにやれ」
これが掛け値なしの俺の本音だ。
十中八九、彼女に掴まって鞭でしばかれるのが話のオチだとは思うが、それはそれで面白そうだから良しとする。
後の事は知ったこっちゃねえ。
世の中ってなァなるようにしかならねえ。
例えヤツが野良になったとしても、お互い生きてりゃまたどっかで会うこともあらァ。
いつか馬鹿な思い出話で、酒が飲めりゃそれで良い――
「せいぜい期待を裏切って欲しいもんだ」
俺はそういうドライな猫だ。




