18.「犬の決断」
ほのかに甘い香りが漂っていた。
鈴蘭の芳香を控えめにしたような、甘い魔力の香り。
ふと顔を上げると、いつもの見慣れた部室だった。
いつもの場所のような気がするだけで、見慣れたような気がするだけだ。
俺はこの場所を知らない。
知らないのに、知っているような気がする不思議な感覚。
自分の手足が子供のように小さく短い。
ああ、またこの夢か――
目の前ではサフィアが黙々と本を読んでいる。
その後ろで、彼女は台に上って本棚に向かっていた。
ブロンドヘアーが流れる小さな背中にホッとする。
「ひめゆりー」
俺は迷わず口にした。
呼ばれた彼女が、溜息をついておいて、僅かに首を振り返らせた。
「……なに?」
「あー……」
声を掛けたは良いが、呼んで見たかっただけだったので、特に話す事が思い浮かばない。
俺は口から出る言葉に任せた。
「人の死とは、どこからが死なのだろうね」
「え?」
「人の生とは、どこまでが生なんだろう」
「唐突すぎる」
彼女はぷいっと釣れない素振りで本棚に向き直ってしまった。
俺は必死に彼女の注意を引く方法を考えて、会話を繋げるラインを探した。
「反魂の術」
彼女の魔力が揺らぎ、注意がこちらに向いた。
「大陸に数多に存在する反魂の術の殆どは、未完全で不完全な結果に終わっているだろ? 君は何故だと思う?」
「なぜって……それがわからないから、こうして毎日部活動をしているのではなくて?」
ブロンドヘアーをフワリとさせて、彼女が台の上で振り返る。
「それは違う。僕等の活動と言うのはあくまでも古式術式の解明だ。『信用に足る術が一つとして存在しないのは何故か』じゃない」
「同じことよレヴィ。それが今の私たちの研究を阻んでいる課題なのだから」
俺は口元を緩ませた。
こちらを向いたサファイアブルーの瞳を受けて、彼女を攻め立てる言葉が湯水の様に頭に浮かぶ。
「おっと残念、その課題なら僕はとうに解いた。今は君だけの課題と言うことになるかな」
「どういうこと?」
彼女が瞳を細める。
「どういう事もなにも、そういうことさ」
俺は片目を瞑って右手でコインを弾く。
頭の中のコインが目まぐるしく回転をする。
「……」
彼女は無言で台を降りてテーブルを周り、俺の隣の席についた。
「どういうこと?」
上半身をこちらに向けて手は膝の上、しっかり話を聞く体制になって彼女がサファイアブルーの瞳を向けてくる。
「研究の事になると急に熱心になるんだから。女性というのは現金なものだね」
「んー……?」
彼女は眉を顰めて僅かに首を傾げた。
なにか納得が行かない疑問が生じた時に、彼女がする仕草だ。
「失礼、言い直そう。君ってやつは現金だね」
「……」
彼女は視線を隅に落として黙った。
ちょっとだけ傷ついたらしい。
俺は慌てて言葉を継いだ。
「――ええと、つまりさ、反魂の術の信用に足らない理由は全て共通しているだろ?」
サファイアブルーの瞳が、キラリと知恵の輝きを取り戻す。
「ほとんどの術が、本人の魂を完全に呼び込むに至っていない。これが一番の問題点、全ての術式に共通する欠陥よね」
「そこが間違い」
「え?」
彼女の瞳がまるで幼子の様に無防備になる。
俺はクスッと笑って口元を緩ませた。
「やはりそういう顔をした。君ってやつは、チャーミングだね」
「……」
サファイアブルーの瞳を逸らし、彼女は務めて無表情になった。これは彼女の照れだ。
「確かに、魂が消失した体に、雑霊や悪霊を呼び込む乱暴な術は存在する。別人の魂を呼び込む危険な術式も存在する。でも、ほとんどの反魂の術は、大体が本人の魂を呼び込む事に成功しているんだよ」
「うそ」
「本当さ。アプローチの違いこそあれ、どの術も式を分解していくと、紛れもなく本人の魂を呼び込む様に組み立てられていることが分かる。――な? サフィア」
「……んん? んん」
サフィアが本から目を上げずに答える。
「でも――反魂の術で蘇った人は、例に漏れず人の理から外れた何かに変わってしまう。人ではない何かになってしまう」
「記録にはそうあるよね? とすれば、例に漏れない失敗の記録と言うやつは、ある一つの事実を物語っていると考えられはしないだろうか?」
「んー……」
拳を口元に構えて彼女が目を細める。
「悩める君の姿を見るのが、僕にとっては至福の時だ」
「……」
チラリと睨むような目を送ってくる彼女に肩をすくめておいて、俺は右手のコインを弾いた。
「単純な答えなんだけどね。その答えというのはまたさらなる問題なのだけど、この問題が難しい……うん。単純と言う言葉に偽りはないんだけど、だからこそ困難なんだよな……うん」
自分の言葉に引っ張られ、俺の注意が彼女から反れる。
「話しかけておいて、一人で考え込むんだもんなー」
どこか咎めるような独り言なのだ。
「『私も混ぜて欲しい』という解釈でいいのかな」
「んー……?」
納得がいかないらしい。
「何にせよ、今の貴方は何らかの仮説に辿りついていると言うことでいいのね?」
「ああ。今直面している問題が、反魂の術の最後の課題だと思う」
「……」
彼女はじっと黙って俺を見た。
「教えて」とは軽々しく口にしない。
彼女は肝の座った負けず嫌いであり、人に簡単に甘えてはいけないと自らを律する、乙女の中の乙女だ。
俺は答えを口に出したい衝動を堪えて、コインを指に挟んだ右手で頭を掻いた。
「最初に言った通りのことだよ、ひめゆり。問題は人の生死の境目で、答えもまさしくそこにある」
「生死の境……」
「わかるかな?」
「んー……」
「可愛い」
「茶化さないで」
開け放たれた部室の窓から、聖歌隊と吹奏楽部の音を風が運ぶ。
一層強い春風にカーテンが大きくはためき、開けっぱなしになっていた部室の入口のドアがゆっくりと動いた。
○
――バタンッ!
「は――ッ!?」
扉の閉まる音と共に、意識が覚醒した。
動悸が激しく、体もじっとりと脂汗が滲んでいた。
遮光カーテンの間からまばゆい朝日が差し込んでいて、窓の外からリディアの街の喧騒が聞こえてくる。
「……?」
部屋の中に漂う、鈴蘭如き甘い香り――
これは……彼女の魔力か?
扉に目を向けると、鍵がしっかりと締まっている。
商会の客室のマスターキーはビートが管理しているし、ウィルならヘアピンで簡単に開けられる。
魔法による防衛措置もしてないので、僧侶ならば開錠の魔法で簡単に突破できるだろう。
机には遅々として進まない監察神官の調査報告書が山になったままで、見渡す限り部屋には何の変化も見られない。
念のために感覚を研ぎ澄ませて商館内の魔力を探ると、下の階にいつもの面々の魔力を感じ取ることが出来た。
が、神官長である彼女の魔力が見当たらない。
「……」
ケインを助けたのが俺であることが明白になって四日が経過した。
あれから、誰も俺の部屋の訪ねて来なかった。
ばかりではない。
翌日、四時起床のロードワークは存在せず、監察神官長の気配が霞のように商館から消えた。
次の日も、その次の日も神官長の気配はなく、ラブリッサのメンバーが外出したり部屋に戻る気配がするばかりで、俺の部屋には近づいてくる者の気配は全くなかった。
俺は皆の気配に気を配り、全員が寝静まった頃合いを見計らってに食堂の霊蔵庫を漁るという引きこもり生活を続けている。
もちろん机の上の書類整理などほったらかしだ。
いや、実際少しは手を付けている――
「ケイン・ルース率いる過激派組織『フラガラック』……同志数は四十名弱……」
毎日のように、ケインに関する報告書を読み漁っている。
同志やら幹部二人やらの捕縛提案書が、丸々残されているのだ。
「……」
俺は机で報告書を片手に右手のコインを弾いた。
今この現状が、監察神官長の与えてくれた休暇であるのならば、直接であれドア越しであれ一言通告があって良いはずだ。
それがない――
机の上に積み上がった書類は監察の機密文書であって、おいそれと冒険者が寝泊りしている商館に投棄していいものではない。
だが回収に来ない――
依頼の書類整理は予定が押しに押している。責められて然るべきことだ。
その催促が既に四日もない――
コインキャッチ――
「……」
もう一度弾く。
俺が監察の捕縛計画に横槍を入れたせいで商会が信用を失った?
ならば公務執行妨害をした俺を即座に連行するのが筋だ。
ケインを取り逃がし、商館に来れないほど彼女は忙しくなった?
その可能性は考えられるが、書類の放置と言うのはやはり妙だ。
「泳がされてる……か?」
もしも俺に過激派の一員ではないかと言う容疑がかかっていた場合、「再接触させて友釣りしよう」などと彼女が考えてもおかしくはない。
「いや、しかし……俺だぞ?」
俺なんぞは冒険者にほど近い巡礼神官の立場に甘んじ、破戒の限りを尽くしてきた遊び人だ。
そんな男のために、わざわざ手の込んだ罠など張るものだろうか?
どう考えてもただの自意識過剰ではあるまいか?
――ようやく見つけた
鈴鳴りの声が脳裏にリフレインし、背筋がゾッとなった。
彼女は俺を捕まえる為に旧市街地区で罠を張り、指名手配をし、ラブリッサで監視生活をし始めた。
エリートである彼女の目的は、監察の歴史に後ろ足で泥をかけ続けている、エリートニート――略してエニートである俺を再修行の刑に処することに尽きる。
何より俺は、護送中に一度トンズラをかまし、報告書もロクにまとめず、ばかりか情報を利用して仕事の邪魔をするという悪行を重ねに重ね続けている。
「……」
俺は無言で席を立ち、窓際に寄って勢い良くカーテンを開け放った。
瞬間――
――ザワッ……
街の喧騒に混じって、商館の周りに規則正しい魔力の乱れが生まれた。
息を顰め、不自然に魔力の気配が消えた空白地点が付近の至るところに感じられる。
監視されている――
俺はカーテンを静かに閉めて席に戻った。
「泳がされている――!」
このまま部屋に立て篭っていたとしても、いずれは引き立てられて大聖堂に収監されてしまう。
無言の重圧に耐え切れなくなって飛び出したところを、過激派共々一網打尽で間違いない。
飛び出してしまえばもう言い訳は利かない。
彼女に頼み込んで始まった監視生活からトンズラでは、ケインに接触しようがしまいが増刑は確定だ。
「お、おおおおぉ……!?」
俺は頭を掻きむしって、机に突っ伏した。
おかしい、なぜだ――!?
俺はただのんべんだらりと平穏無事に暮らしていたいだけなのに、なぜにこうも人生が行き詰まるのか。
なぜ気が付けば、抜き差しならない状況になっているのか。
ウィルに「間が悪い男」などと言われてしまうのはなにゆえであるのか。
答えは簡単、自分のイエス・ノーの選択ミスでしかない。
「……」
ひとしきり懊悩しておいて、俺はゆっくりと上体を起した。
だらけて報告書を上げないのは罪だ、破戒僧として重ねた罪の数々は認めよう。
しかし、過激派を組織するかつての昔馴染みに救いの手を差し伸べた事については、間違った事をしたとは思えない。
真に友人ならば、彼を説得するなり彼の捕縛を願うなりが聖職者として正しい心のあり方なのかもしれないが――
――都の歪みを正すためには新しい結界が必要なんだ。それが人の心の乱れを救う。これから生まれてくる、リディアの子達の心を救う
ケインの考えを真に受けた訳ではないし、俺には彼の言葉に感銘を受けるほどの求道心もない。
だが、理想に燃える友人に救いの手を差し伸べた一事に関して言えば、戒律違反だろうが都の法令に触れようが、やはり間違った事をしたとは思えない。
俺はどうすればいい――
「どうする」では答えが無限すぎる。
問題は「どうしたいか」である。
「……」
右手のコインを親指で弾く。
再修行には入りたくない、
過激派組織の容疑など冗談ではない、
自分が間違った事をしたとは微塵も思っていない、
良くしてくれたラブリッサにこれ以上の迷惑をかけたくない、
その全ての願望を、満たすラインは――
コインキャッチ。
「……還俗」
口からポロリとその単語が転げ落ちた。
ラブリッサに迷惑をかけない、俺のせいでケインを窮地に立たせない、全てを満たす唯一のライン――
「還俗か……?」
僧侶でなくなれば、大聖堂監察が俺を追う理由が消える。
ラブリッサと縁を切ってケインにも近づかなければ、彼にも迷惑はかからない。
俺と言う存在によって発生する迷惑が何一つ無くなるのではないだろうか?
情報漏洩を犯した罪は残るだろうが、そればかりはほとぼりが冷めるのを待つしかない。
灰色の神父服を脱いで、俺がほぼ冒険者である今の身分から完全に冒険者になってしまえば、全てが丸く収まるはずだ。
「そうだ――」
俺には神官長の様な魔力も心構えもない、眠れる獅子サフィアのような頭脳もなければ、大聖堂の英雄アリオスのような家柄や資質も持ち合わせていない。
ケインの様に国を思う情熱とてない。
戒律を守らず巡礼神官としての責務を果たしていないのならば、それは既に辞めているのと同じではないのか。
今の俺は、ただ大聖堂で修行を受けたというだけの、魔法が使えない僧侶崩れの遊び人だ。
僧侶を止めて、純然たる冒険者になる――
神父服を脱いでしまえば、破戒もただの日常生活と言える。
「そうか……」
頭がスッキリとし、身も心も急に楽になった。
「ははッ――」
世界が裏返ったかのような感覚になって、俺は久々に心からの笑みを浮かべた。
――旅に出ようと思ってな
不意に、マリアの声が頭に響いた。
――なんでもない
彼女の会心の、寂しそうな微笑みに胸が締め付けられる。
あの時、俺が全てを捨てて彼女と共に生きる覚悟があったのならば、共に冒険者として生きていく、そんな選択だって出来たはずだ。
僧籍を捨てるこの覚悟があったなら、彼女を抱きとめる事だって出来たはずだ。
気付いた時、欲しいものは既にない――
後で悔いるを後悔と言う。
「……リディアの酒を、飲み尽くしてくれる」
俺の還俗の決心は揺るぎないものとなった。
何処からこぼれたかは知らないが、机の上に水滴が落ちた。




