プロローグ
人生とはコイントスの連続である。
欲求で弾いた思考のコインが、本能理性の風を受けて回転する。
コインはやがて回転を止め、裏か表か、イエスかノーかの答えを導き出す。
――イエスか、ノーか
それ以外に答えなど存在しない。
例えば「二人の女性のどちらかを選べ」という選択を与えられた時、「どちらも選ばない」という第三の選択肢を選んだとしても、選択はやはりイエス・ノーだ。
女性を選ぶか選ばないかの「ノー」の選択でしかない。
だから俺は、今日も今日とてコインを弾く。
エルグラド大陸の首都、銀の都リディアの場末のバーで、友とグラスを交わしながら――
「微笑んでる」
バーカウンターの隣に座る、ウィル・フォードが俺の左手を指差した。
黒い髪に黒い剣士服、片手剣とも両手剣ともつかない中途半端な長さの剣、マントがわりに肩にかけたライトベージュのコートはボロで、武芸者らしい精悍な顔に至極やる気のないエメラルドグリーンの瞳が収まっている。
「なら俺は『怒ってる』、だな」
トスした銀のコインは、大陸全土に伝播しつつある光の女神信仰「聖ライアリス教」の教徒が、儀式や魔法に用いる法具の一種だ。
表は微笑みを浮かべた慈悲の女神が、裏は荒々しい怒りの形相をする戦女神となっている。
目を隠すほどに伸びた金髪を右手でグシャグシャに乱しておいて、俺はゆっくりと左手を開いた。
バーの弱照明に照らされたコインの女神が鈍い銀色の微笑みを浮かべている。
「な?」
「ふむ」
当然と言わんばかりのウィルに鼻を鳴らしておいて、俺はもう一度コインを弾いた。
「どっちだ?」
「怒ってる」
ウィルは特に悩んだ様子もなく、グラスを傾けながら無造作に答えた。
「微笑んでますように」
開けた左手の女神は、羽つきの荘厳な兜を頂いた怒りの表情なのである。
ウィルが小さく肩を竦めた。
俺は右手に持ったロックグラスの酒を飲み干し、音を立ててカウンターに置いた。
コインを右手に移す。
「こっからが本気って面だぜ」
ウィルが「にゃっ」と笑う。
口の端に八重歯がチラリと覗き、世間スレした顔に少年のような愛嬌が差し込んだ。
「三本勝負と行こう」
「ご随意に」
コイントスしかけた右手を一度降ろし、俺はウィルに左の手の平を向けた。
「俺が先に言う」
「どーぞ」
ウィルが余裕の表情でカウンターバーに頬杖をつく。
一本目のコイントス――
「微笑んでる」
「怒ってる」
女神の怒り、ウィルの勝ち。
二本目――
「微笑んでる」
「お前さんに、怒ってる」
女神が俺に怒りの形相、ウィルの勝ち。
ラスト、三本目――
「ウィル・フォードに怒り給え」
「彼女は微笑む」
女神はウィルに微笑んでいた。
ウィル全勝、俺全敗――
「……」
俺は無言で手の中のコインをかき消した。
ウィルがまた「にゃっ」と笑う。
因みに、コインが消えたのは手品でもなんでもない。
エルグラド大陸に住まう人間なら誰にでも使えるただの魔法だ。
懐に仕込んである、道具を収納するマジックバッグに転送しただけの事である。
「彼女、素直じゃなくってね」
「はん、お前さんが鈍感なだけだ」
ウィルが鼻を鳴らしてグラスを傾けた。
「……今日も救われませんね」
俺は懐から煙草を取り出し、カウンターに置いてあるマッチを擦った。
その様子を見て、バーテンダーが新たに酒を注いでくれる。
これだから馴染みの店は良い。
「女神サマは、身だしなみのだらしねえ奴が嫌いなのさ」
ウィルが小さく肩を竦めた。
黒のパリッとした剣士服は体にフィットしていてスタイリッシュだし、肩に羽織ったベージュのコートも、ボロにやれた具合がいっそ粋に見える。
一方の俺はと言えば――
灰色の神父服はくたびれているし、青い瞳はボサボサの前髪に隠れているし、顎をしごくとうっすら無精ひげが指に触ったりする。
愛想笑いを浮かべすぎているせいで「口元がだらしない」などという評価を男女問わず賜る。
因みに、髪の金、瞳の青は、リディア生まれならば割とメジャーな色合いだ。
「面食いの女神様なんてこっちから願い下げだ。俺が見て欲しいのは――見たいのは中身だからな」
俺は煙草を咥えて「にへっ」と口元を緩めた。
「お前さんはがむしゃらに深入りしすぎっからなァ……そのうち誰かに刺されそう」
「護身術の鍛錬しとかなきゃ」
リディアにある大聖堂で僧侶として修行していた俺は、守れればそれで良いという教の精神のもと専守防衛的な武術魔術を体得している。
もっとも大聖堂での修行はずるけていたし、生来魔法を苦手とする体質のため、まともに体得しているとは言い難い。
落ちこぼれの劣等感から身を持ち崩し、酒に煙草に女に博打――
どれもこれもそこまで欲しているわけでもないが、破戒の限りを尽くしても、今のところ光の女神様から神罰が下る様子はない。
コインの彼女が微笑まないぐらいだ。
『元騎士ウィル・フォードと、破戒僧のレヴィ・チャニングだな』
不意に名前を呼ばれ、俺とウィルは背後を振り返った。
俺の名はレヴィ・チャニングで間違いない。
いつの間にやらガラの良ろしくない男たちがズラリと雁首をそろえ、俺とウィルを取り囲んでいた。
バーテンがそそくさとバックヤードに避難する。
「おたくらは?」
俺は口元を緩ませて笑いかけつつ、さりげなくカウンターに向き直った。
身なりを見るかぎりその辺のゴロツキだ。目を見張るような美人ならともかく、興味のない殿方は記憶容量の無駄になるので覚えるつもりがない。
『先週、うちの若いのが世話になったと聞いてな。挨拶に来た』
派手派手しい伊達な服装をした男が、不遜な態度でそう言った。
「グッドイブニーン」
ウィルが軽い調子で挨拶をする。
『こんなケチな飲み屋じゃものたりないだろ。ちょっとウチの事務所まで足を運んでみないか? 上等な酒を用意してある』
「お気遣いには及びませんよ。どうしてもと言うのなら、金だけ置いて行ってくれ」
俺は背中越しに手の平を差し出した。
『てめえ――』
と、いきり立って飛び出した若いのを、
――ズドンッ、
カウンターに座ったままの、ウィルの抜かずの剣が突き込んだ。
『ぐッ……う……』
鳩尾に突きを食らった若いのが、悶絶しながら床に倒れ込む。
取り巻きがざわりと色めき立った。
「毎度どーも」
剣の柄を握るウィルの手の指に財布が挟まっている。
倒れた男のものだろう。
「今月厳しいんだろ? とっとけ」
ウィルが放る財布を受け取って、俺はグラスを傾けた。
「お前って、剣士と言うより盗賊だよな」
「剣士だ騎士だ? ノンノンノン。盗賊ってえのもちょいハズレ」
「うん?」
「トレジャーハンター、俺を呼ぶならそう呼んでくれ」
ちっちっち、とウィルが柄を握った手の指を振った。
「盗賊との違いは?」
「俺が欲しいなァお宝じゃねえ。いつだってロマンとスリルなのさ」
小さな八重歯がチラリと覗く、悪戯少年のような顔だった。
「俺は間違いなく破戒僧だしな……名乗るならなんだろ?」
「遊び人じゃねえの?」
「いつか賢者になれたらいいな」
「そいつァ極上の方便だ」
お互いにグラスを掲げて酒を煽る。
『野郎――』
ウィルに襲いかかる男に向かって、今度は俺が親指を弾いた。
――ビスッ
銀のコインが男の額で弾け飛び、バーの隅に転がった。
「聖コインつぶて――なんちゃってな」
これは聖ライアリス教の僧侶が用いる祓魔術の一種で、銀製のコインを指と魔力で撃ち出す技だ。
相手が街のゴロツキ程度なら、目眩ぐらい引き起こせる。
額に一撃喰らった男は、そのままばったりと床に倒れ込んだ。
いつの間に抜き取ったのか、ウィルの手にはまたしても財布が握られている。
『タダで済むと思うなよ、てめえら……!』
俺がリーダーですよと言わんばかりにいばりくさった伊達男が、首の骨を鳴らすと言う威嚇行動に出た。
「おほー? いくら奢ってくれるつもりなんざんしょ」
財布を手で弄びながらウィルがおどける。
「教の僧侶に見習らわせたいご奉仕精神だ」
俺も小首を傾げて冗談を返した。
店内にひしめき合う男共が、ジリジリと俺たちを取り囲む中、
――バァンッ!
バーの扉が乱雑に開いた。
「ウィルくん! レヴィさん!」
淡い桃色のセミロングヘアー、瞳は火の気に偏ったルビールージュ、ぼってりとした野良着じみたスカート、いたくファンシーな格好をした少女が慌てた様子でバーに躍り込んできた。
身長が成人男性平均の腰ぐらいしかない。
「……うちの『お茶の間ドッカン娘』が焦ってますよ」
ウィルがやる気のない目で言った。
「嫌な予感」
俺も眉を顰めて返す。
「ちょ――どいてッ!」
『おわッ!?』
少女は男共を体当たり気味に突き飛ばして、カウンターまで駆け寄ってきた。
「大変、大変ッ!」
少女がウィルと俺を交互にみやって訴えた。
輪郭線が甘く、ルビーレッドの瞳はパッチリとしていて、鼻にかかった「ほにゃほにゃ」とした声に合わせて滑舌が鈍い。
全体的に甘ったるい雰囲気を漂わせている。
「ごめんアヤ、俺達いま、あんまり聞きたくない気分なんだ。お前の話」
俺は袖を引く少女に愛想笑いを浮かべた。
この少女はアヤ・クレセントと言う冒険者の商人で、少女のような見た目をしているものの、中身は歴とした十九歳だったりする。
「ホントに大変なの! 不味いことになってゥんだかァ!」
興奮すると鈍い舌のせいでラ行が上手く言えなくなり、周りや相手の状況と言うものが全く目に入らなくなるという悪癖を持ち合わせている。
「なにがどうなってゥんですか」
ウィルがアヤの口調を真似して聞いた。
「ちょっとまって――はぁっ、はぁっ――んっ……」
薄い胸に手を当てて息を整えたアヤが、ウィルのグラスに目をつけて手を伸ばした。
ウィルがサッとグラスを持ち上げてそれを回避する。
次いでこちらに伸びた手を、俺もサッと回避した。
「あんたァ冷たい!」
「お前さんまだ未成年でしょー」
ウィルが子供をあやすように言う。
「なによう! 泥棒猫と発情犬!」
ウィルと俺のことらしい。
商人を生業をしているだけあって、ウィルを猫、俺を犬と評する彼女の感性は中々に鋭い。
ともあれ、発情というのは心外だ。
「――で、アヤ、一体何が大して変だ? こっちもお客さん待たせてあるから、割り込むんなら手短に」
俺はアヤに目配せをして背後に控えるお客様の列を教えてやった。
振り返ったアヤに、男共がそれぞれ凄みを利かせた顔をする。
「は、ハァイ……」
アヤは頬を引きつらせつつも、満面の営業スマイルを浮かべるという商人魂を披露した。
笑顔の後、彼女はダンスのターンよろしく体を回し、またこちらに向き直った。
「二人とも手を貸してッ!」
ウィルと俺は顔を見合わせ、二人で空いている方の手を差し出した。
アヤがその手を取る。
「両手に男子……えへっ」
「『えへ』じゃねえよ。お前一体何がしてえの?」
ウィルがつっこむ。
「だから違うくって――手を貸して欲しいの! もうすぐ魔物がこっちに来ゥんだかァ!」
アヤの魔物発言に、取り囲むゴロツキ共がどよめいた。
「魔物って……魔物の事?」
唐突な彼女の言葉を一瞬何かの比喩表現かと疑い、俺は隣のウィルを見た。
ウィルは碧眼を虚空に流し、やがて何かを思い出したような顔つきになった。
「そういやお前さん方、今日は魔物の討伐依頼を受けてたっけな。何、なんかトチった?」
「あたし達はトチってない! 討伐に参加してた他のパーティが決壊したのよ。都に出現した魔物が予想以上に多くって、人出が足りないから今――」
――ドゴォッ!
腹に響く轟音と共に、バーの扉が店内にぶっ飛んで来た。
『どぁああああッ!?』
洒落か偶然か、ゴロツキの一人が叫び声を上げて扉の下敷きになる。
バーの入口に、人間のものとは思えない馬鹿デカい握り拳が構えられていた。
「二人を呼びに来たんだけど……一匹ついて来ちゃってさあ」
アヤが「テヘッ」と笑って小さな舌を出した。
バックヤードから首をのぞかせた店主の顔が青い。
「マスター、これ落し物。ここ置いとくから、好きにしたって」
ウィルがスリ取った財布をカウンターに乗せるという優しさを見せた。
『鬼人!? お、オーガだ!』
『冗談だろオイ!?』
ゴロツキの若い衆らが蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出した。
入口はオーガの馬鹿にデカい体で塞がれているため、全員がカウンターを乗り越えて裏口のあるバックヤードを目指している。
『ゴォォォォン!!』
人の三倍の体格はあろう魔物が、体躯に見合った大音量の咆哮を上げた。
オーガは顔面に角の生えた二足歩行の魔物で、性情は極めて凶暴、目に映った気に入らないものは破壊衝動に任せてぶん殴るという実に単純明快な思考の持ち主である。
――メリ、メリメリメリ……
入口に取り付いたオーガの豪腕による圧力で、バーの壁に大きくヒビが走った。
「御店主、これ、拙僧からの心付け」
俺もウィルにならってゴロツキの財布を献上することにした。
「そんなワケだから、よろしくね」
アヤが「にぱっ」と笑顔を浮かべる。
「オーガの一匹や二匹てめえでなんとかしろっつーの。お前さん、曲がりなりにも冒険者だろ」
ウィルはため息混じりにカウンターから腰を上げた。
「いやぁ、実は――」
アヤは言いづらそうに俺たちから目を逸した。
『グガァァァァ!!』
『オォォォォォォ!!』
店の周りから次々に魔物の咆哮が上がった。
「壊滅したパーティがあるって言うから様子を見に行ったワケよ。そしたらその場で立ってるのがアタシしかいなくって、七〜八匹たむろしてたオーガが全部追っかけて来ちゃってさあ。あ、店のドア壊した一匹は、ここに来る途中にばったり行き当たったヤツなんだけど」
「……なぜにそういう、すぐバレる嘘をつくものかな」
俺は重い腰を持ち上げて、ボサボサの頭を鬱陶しげに掻いた。
「別に嘘は言ってないでしょ? 魔物が来るってアタシ言ったもん。一匹だけ近いところを付いて来たから、真っ先に報告しただけじゃない」
アヤが子供のように唇を尖らせる。
齢十九にしてこうした少女の素振りを平気で出来る娘というのは、大体が甘ったれの夢見るアリスちゃんであり、自分の容姿が幼いことを自覚して武器にする腹黒さを併せ持っている。
「で、ピンクの子虎、お目付け役はいずこに?」
俺はこの舌っ足らずな商人をかねてより虎と評している。
心身共に熟さない愛くるしい子虎、しかし、夢見がちであればこそ、その本質は貪欲で腹黒い肉食獣だ。
この危なっかしい十九歳には、常にお守役がついているのだが――
「ビートは一緒じゃないのか」
「さあ?」
アヤが惚けた顔で首を傾げた。
「さあ、ってお前さん――」
何事か言いかけたウィルの言葉を遮って、
――ドゴォッ! ドゴォッ!
外に集まったオーガが一斉に店を殴り出した。
衝撃で店が揺れるたびに石材の粉がパラパラと落ちる。
「連結ッ!」
猛り狂う魔物らの騒音の中に、涼やかな男の声が響き渡った。
入口に陣取ったオーガの足を、光の鎖で繋がった手斧がぐるぐると巻き付く。
「おっと」
ウィルが「にゃっ」とした笑みを浮かべた。
『グ、ガ――!?』
入口をふさいでいたオーガが、光の鎖に足引かれ大きく体勢を崩した。
「おぉっしッ!」
気合一喝、ウィルが一足飛びにバーの入口に殺到する。
俺は両腕を目の高さに持ち上げて、グッと拳を握りこんだ。
「銀の弾丸!」
両拳に青い光が灯り、魔力を帯びたコインが親指に弾き出される。
――タタァン!
青い光の尾を引く二枚のコインが、オーガの上体を打ち抜いて大きく仰け反らせた。
ゴロツキの額を打ち抜いた時とは込めた魔力の量が違う。
女神のコインは魔力によって融解し、魔力と金属の中間物質「魔法銀」の弾丸へと変じる。
「しゃァぁぁぁらァぁぁッ!」
咆吼したウィルが、飛び上がりざま入口のオーガに拳を打ち込んだ。
『ゴブゥッ!?』
ウィルの腕が肘のあたりまでめり込み、巨体を誇るオーガの両足が地を離れる。
中肉中背、猫科の猛獣を思わせるしなやかな体から発揮される、人の並を遥かに超えた豪腕である。
「ボディが甘いぜ」
ボロのコートをはためかせ、ウィルが店を飛び出した。
「俺たちも出よう」
「うぅ……戦闘って苦手なのよねえ……」
「何ごとも経験ですよ、お嬢さん」
文句をぶーたれるアヤに一言言いおいて、俺は小柄な彼女を脇に抱え込んだ。
扉の無くなった入口から表に出る。
瞬間、
『『グァアアッ!!』』
一抱えはあろうかという巨大な拳が左右から降り注いだ。
「おぉっ――とと!?」
身をかがめて二本の腕をかいくぐり、俺は右手を一匹のオーガに向けた。
――タタンッ!
『ガァァッ!?』
二発命中――
が、もう一匹のオーガが既に二撃目の剛拳振りかぶっていた。
「や――」
べぇコレ――!?
右腕に魔力を行き渡らせて防御の姿勢を作ってみるも、岩をも砕くかの豪腕ストレートを受けきる自信はない。
「おおぉッ――!」
早くも諦めかけていた俺の前に、サッと人影が走った。
白いワイシャツにダメージジーンズ、腰にぶら下げたレザーの工具バッグ、羽付き帽子を被った華奢な男の背中――
「ぁああああッ!」
獣じみた、雄々しい雄叫び。
馬鹿にデカい片刃の斧が、豪快なフルスイングでオーガの胴を薙いだ。
『……!!』
胴から斬り離されたオーガの上体が言葉もなく宙を舞う。
「うかつだお」
酷く間延びした緊迫感のない声だった。
振るった大斧を軽々と肩に担ぐ、細身細面の青年――
羽付き帽子の下は人気俳優か深窓の貴公子かとも思える美顔で、眠たげな二重瞼に燻した銀ごとき色彩の瞳が納まっている。
先ほどオーガの足を絡めとった、光の鎖の技術を使った張本人だ。
「ビート、助かった」
店の外に集まったオーガそれぞれにコインを撃ち込みながら、背中越しに礼を言う。
「いつもの所に居てくれてこっちこそ助かった。どっかの馬鹿を追うのに困らなかったから」
「馬鹿って誰のことかしら……」
小脇に抱えたアヤが他人ごとのように呟いた。
「おめえだお」
ビートの間延びした声に怒気が混じる。
ラフな格好でマサカリ担いだこの美青年、名をビート・スウェインと言い、表情薄く声にも口調にもあまり抑揚がない。
鍛冶職人を多く輩出する地方の出で、語尾が時折「お」に変わる方言を使う。
「あっちこっちふらふらしやがって。取って食われるまえに孕ませるお」
「恐ろしいセクハラをサァッと口にすゥな! こんの宿六狼!!」
ラ行を滑らせるアヤが喚いた通り、この鍛冶職人の性情は極めて狼に近い。
「リディアの少子化問題に終止符をうつんだお」
抑揚のない声で言うこういったセリフも、案外本気の時があるから恐い。
いつも何かに、静かに飢えているのである。
「はっははは! あっはははは!! 剣抜く気にもならねえぜ!!」
ロマン・アンド・スリルにジャンキーなウィルは、馬鹿笑いしながらオーガとガチンコで渡り合っていた。
幾重にも折り重なる剛拳をひらりひらりと俊敏に避けながら、渾身の突き蹴りで猫が巨体を圧倒する。
「……」
俺は咥え煙草の口元を緩め、右手でコイントスをした。
幼き頃から信じてやまぬ、慈悲と怒りの我が女神――
俺は破戒の限りを尽くし、冒険者として今ここにある。
貴女は俺を怒るだろうか?
貴女は俺に微笑むだろうか?
裏か表かイエスかノーか、
答えは出ない――
「銀の弾丸!」
俺は捕まえたコインの裏表を確かめることなく、そのままオーガに撃ち込んだ。
これが俺の所属する「ラブリッサ商会」の冒険者達だ。