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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
19/86

17.「シスター仮面現る!(最終回)」



 朝、神官長が戻ってくるまでの僅かな空き時間――



 ロビーのソファーで祈祷の姿勢をとり、何らかの境地に達していると、



「お前さん、死相が出てんぞ」



 ウィルに真顔で言われてしまった。



「解脱の時は近い、か……」



 近づく自我開放の気配に、俺は半眼なる静かな微笑みを浮かべた。


 慣れない書類整理の仕事に汲々となって、空きっ腹にフルボディなワイン、肋骨がクラッシュし酒瓶が脳天でスプラッシュ、夜遅くにカサンドゥラでハートブレイクだった俺だ。


 もちろん今朝とて朝四時のロードワークはこなしている。


 皆の前に身を晒すのはバツが悪いだとか、そういう虚栄心すらどうでもいいほどに疲れきっている。



「レヴィさん、生活態度が改善されたのはいいけど、最近人相まで違っちゃってるわよね。時々、この人誰? って思っちゃう」



 正面のソファーに腰掛けたアヤが心配そうな面持ちで俺を見る。



「アヤ、自分とはラッキョウのような幻想なのだよ」



 俺は静かにそう言った。



「は? ラッキョ? ラッキョって……」



 大陸に古来から自生する多年草の野菜――独特の生臭さ持つ事から、統一戦争前は聖ライアリス教で「口にしてはいけない野菜」に含まれていたが、大陸統一後、特産にしている地方も有ると言うことで禁食解除。


 今では教の高僧らもバリバリ食している。



「自分というラッキョウを理解するために、皮を剥き始めるわけだ。自分の心の奥底にはいったいなにがあるのか、本質がなんであるかを探るために、自分を覆っている皮を剥がす。剥いて剥いて剥いて剥いて――足元には皮が溢れかえるわけだ」

「は、はあ……」



 アヤが曖昧に頷く。



「全てを剥ききったとき、ラッキョウは消えてしまう。あるのは皮ばかりで実が何処にも見当たらない。皮がラッキョウだったのは分かる。しかし皮一枚手にしても、元がどんな形だったのか、まったく思い出すことが出来ない。これは一体どういうことか」

「……猿?」



 アヤが首を傾げる。



「自分とは、ラッキョウという幻想なのだよ」



 俺はなおも静かにそう言った。



「ラッキョを知りたいなら、さっさと食べればいいじゃないのよ」

「剥いちゃうんだから仕方がないだろう? 脱がせられるのなら、どこまでも脱がせたいじゃないか。自分だろうが他人だろうが」

「……猿?」



 なぜに犬と仲の悪い動物を持ってくるのかこの虎は。



「レヴィ、最近表情が薄いお」



 ポーカーフェイスの美青年ビートが、重役机で頬杖ながらに言う。


 彼にだけは表情云々を言われたくない。



「自分というラッキョウが無くなった俺は、何を考えても、何を目の当たりにしても一瞬で結論が出てしまう……次の瞬間には結論が出ていて、全てを受け入れてしまうのだ。感情が動く暇もなく――はッ!?」



 体を雷光に似たものが突き抜け、俺はくわりと目を見開いた。



「諸法、無我……!?」



 一筋の涙が頬を伝った。



「一瞬でって……じゃ、レヴィさんの気持ちはほんのちょびっと? 一瞬にして気持ちが消えちゃうの?」



 アヤが一層心配そうな顔になって俺を見る。



「そう……自分が何を考えたのか、何を感じたのかも分からない、捉えきれない閃きで、それが最近どんどん加速し――はッ!?」



 体を雷光に似たものが突き抜け、俺はくわりと目を見開いた。



「諸行、無常……!?」



 また一筋の涙が頬を伝った。



「レヴィ、貴方疲れてるのよ」



 正面玄関から入ってくるなり、美貌の監察神官長がため息混じり言った。



「凄いものを見たんだ! アニマじゃない、ほんとの事だ! 私は確かに刻を見た!」

「そんなものは幻想です。手放しなさい、遊び人(ニート)くん」



 ウィルが厳かに言う。


 彼女の登場と共に席を立っていたアヤが、トレイにレモネードを乗せて再びソファーに戻ってきた。



「はい、お疲れ様」

「ありがとう。アヤ」



 俺の正面のソファーに座った彼女は、表情も魔力もやや曇りがちだ。



「どうかしたの? 浮かない様子だけど」



 アヤがレモネードを勧めながら彼女の隣に座る。


 最近、アヤは神官長にタメ語を使うようになり、彼女もアヤを呼び捨てにしている。


 ここ一ヶ月で親睦が深まったらしい。



「ちょっとね……」



 彼女は溜息まじりに言って、レモネードのストローに口をつけた。



「難題があるんなら取り敢えず話してみ。ため息で逃がした分ぐらいにゃ幸せ取り戻してやらァ」



 ウィルが「にゃっ」と笑う。



「そうね……貴方なら、貴方達になら話しても平気ね」



 彼女は静かにレモネードのグラスを置いた。



「ウィル、城西地区の取締りの件を覚えていて?」

「あん? 騎士団との連携を取り持ったヤツか? なんでぇ、どっかの騎士がなんかやらかしたか」

「いいえ。落ち度があったのは監察(うち)。昨日、追っていた術士を取り逃がしてしまったらしくて」

「ほーん……」

「その術士というのが現役の教区神官でね。騎士団に無理を言って監察(うち)主導で捕縛の段取りをとっていたのだけれど……」

「議会を相手取ってる公安の連中ってな、ねちっこいヤツ多いからな。皮肉のフルコースでも馳走になったか」



 ウィルがカラカラと笑う。


 俺は祈祷したまま無我の境地を心がけた。



「読みが甘かったわ……捕縛計画の提案書は目を通していたのに」



 彼女がまた一つ溜息をつく。


 彼女の話ぶりから察するに、その提案書と言うのが俺が持ち出した一枚に間違いない。



「お前さんがゴーサイン出したってんなら、段取りに間違いはねえと思うんだがなァ」



 彼女がウィルの能力を信頼するように、ウィルの彼女に対する評価もここ一ヶ月で相当なものになっている。



「追っていたのはケイン・ルース、表向きは城西地区の小さな教会で司祭をしている僧侶なのだけど、裏では結界の貼り直し案を支持する革新派の急先鋒、過激派組織の指導者と目される男よ。通称、『フラガラックの猪』」

「猪ねえ……取り逃がした原因は?」



 ウィルはソファーに身を沈めたやる気のない様子ながら、キラリと碧眼を光らせた。



「予想外の仲間の出現、かしらね」

「ほーん?」



 俺はますますもって無我の境地を突き進み、疲労も祟って意識を失いかけた。



「寝るな」



 彼女の声に背筋が伸びる。


 昨晩のワイン騒動のこともあってか、鈴鳴りの声に殺気が混じっている。



「昨日、フラガラックの同志が集まる決起集会があったのよ。監察が踏み込んで、ケイン一人に的を絞って追い込む計画だったのだけど――」

「登場した仲間にしてやられたってトコか」

「……追い込んだ市街は誰も入り込めないように監察(うち)の人間が包囲していた。穴を埋めるように騎士も検問を張って封鎖していたのに、全てを巧妙にかわされたわ」

「相当鼻の利くヤツがいるらしいな」

「あるいはどこからか情報が漏れたのか……」



 彼女が深刻な顔をした。


 両方ではないかと俺は思うわけだ。


 間違っても口にしないが。



「ポッと出が誰かってなァ特定出来てねえのか」

「昨日の今日で流石に……」



 彼女が目を伏せて表情を曇らせる。



「交戦した強襲班三人の話では、相手は祓魔端の僧侶、背はやや高め、ブリットを両手で扱う、咥え煙草の男だったそうよ」



 一同の視線が俺に向いた。



「きっと良い男に違いない」



 俺は口元を緩めて言った。


 こう言う時はあえて話題に踏み込むべきである。



「教区神官の黒い神父服を着ていて、シスター帽で顔を覆い隠していたそうだから、人物の特定は難しいでしょうね」



 彼女は俺の冗談に取り合わず話を続けた。


 作戦成功。



「むぅ、シスター仮面ということね」



 アヤが難しい顔をしながら難しい事を言った。


 発言の意味も意図も全くわからない。



監察(うち)でも手練を三人をやり込めた辺り、腕は立つと見ていいでしょうね」



 存外の高評価にニヤけてしまいそうになるのを必死に堪え、俺は引き続き精神統一につとめた。


 魔力出力が一瞬に偏る俺は、普段は体を覆う魔力が極端に微弱だ。


 一瞬の出力さえ気をつけていれば、超絶な昼行灯となれる。



「何人()られた?」



 ウィルの碧眼がキラリと光る。



「いえ、幸いにして全員軽症。相手も僧侶、監察神官を手に掛けることがどれほどのリスクを負うことになるのか、良く分かっているでしょうから」

「殺さずに手玉に取ったって? 喜ばしいこったが、長としちゃァ笑っても居られねえ話だな」



 ウィルの言葉に、彼女はまた目を伏せた。



「やられた一人の話では、独特な技に不覚を取ったとか」

「独特?」

「頭を飛び越されて、股抜きで銀の散弾(ショットシェル)を打たれたそうよ」

「股抜きで銀の散弾(ショットシェル)――」



 ウィルが目を中に向けて首を捻る。



「すげえ!? そりゃどっからどう見ても光る屁だ! そいつァ天才の仕業だな」



 感心するウィルの言葉に心が乱されそうになる。


 彼の賛辞に喜んでいいのかどうかは微妙なところだ。



「股抜き銀の散弾(ショットシェル)か……こいつァ使える。よし、俺の新たなる技として『季節風(モンスーン)』と名付けよう」



 いえ、それは「カサンドゥラ」です。



「――あ、そうだ!」



 アヤがハッとしてソファーを立った。



「どうしたの?」



 彼女が訝しげに首を傾げる。


 アヤは問いに答えずにロビーを後にし、やがて黒い塊を抱えて戻ってきた。



「ウィルくんの光るオナラで思い出したんだけど――」



 一同の目の前にさらされる布地、



「レヴィさん、コレこのまま洗濯はまずいよ? お尻の所思いっきり穴あいちゃってるじゃん」



 件のカサンドゥラで傷んだ黒の神父服である。


 アヤ以外の各々の魔力が一瞬「ざわり」と揺らぎ、その後水を張ったように安定した。



「「「…………」」」



 ロビーに静寂が走る。


 言い訳をさせて貰えるのなら、心身共にボロボロでまともに頭が働かない状態だった。


 ほぼ無意識に洗い物籠に突っ込んでしまったが為におこった悲劇である。



「昨晩、久かたぶりに酒を飲んでな。酔った勢いでコスプレをしてみたまでは良かったが、アルコールのせいかひどく可燃性を帯びる放屁をしてしまったんだ。面倒をかける」



 既に悟りを開きつつあった俺は、涅槃寂静の微笑みをアヤに向けた。


 ロビーはなおも静かだった。



「むぅ……これじゃあ直してもツギハギになっちゃうよ?」



 アヤだけがいつもどおりの対応をしてくれる。



「構わない。己が未熟さを噛み締め、自らを戒めるのに丁度いい」



 言いながら、俺は静かにソファーを立った。



「――さて、どうやら神官長殿のお悩みは拙僧の力の及ぶところではないようだ。仕事の遅れを取り戻しにかかるとしよう」



 心乱さず、魔力乱さず、俺は極めて自然に手と足を揃えたグースステップでロビーを後にした。


 背中に視線が突き刺さっている。



 しかしめげない、諦めない――



 客室の廊下に出た俺は、すかさず閉めた扉の裏に身を貼り付けて右手にコインを呼び出した。



(俺の魔力はこのぐらい……惑わしマッセ!)



 微弱な魔力でもって腕を振り、コインに超絶スピンをかける。


 宙に浮いたコインがゆっくりと廊下を進んでいった。


 自分の体が発する魔力をコインで再現し、ダミーの気配を作るという「マッセ」の別用途だ。


 戦闘中に相手をかく乱する時に役立つ。


 体の魔力を雑草レベルにまで押さえ、俺はロビーの様子を伺った。



「ウィル……貴方はどう見た?」



 彼女が静かに問う声がする。



「いや、『どう見た』ってえか……」



 ウィルが面倒そうに呟いた。



「クロっぽいお」



 ビートが言う。



「……むぅ、黒いわね」



 黒の神父服を裏返して言うアヤの気配。



「なんか思い当たる節あるか? 神官長」



 ウィルが尋ねる。



「……ケイン・ルースが、レヴィの同期であることぐらいかしら」



 神官長の呟きに、俺は心臓を鷲掴みにされた思いがした。



 彼女は俺とケインが同期であることを知っている――



「確定じゃねえかよ」

「確定ですな」



 ウィルの言葉にビートが続く。



「えッ!? じゃあシスター仮面はレヴィさんなのッ!?」



 シスター仮面ってなんなんだろう。



「どうすんだ?」

「……」



 いつもと調子の変わらないウィルの問いに、彼女は無言、



 一体どうなってしまうんだ、俺――



 しかし、彼女が結論を出すより先にアヤが動き出す気配がして、俺は階段を無音で駆け上がった。


 アヤの気配がパタパタと客室の廊下を駆け、またロビーに戻る。


 俺は魔力を殺したまま自室に滑り込み、静かに扉を閉めた。



「一瞬にしてばれた……」



 どうしよう――



 その後、自室の扉の前で土下座を二時間維持してみたものの、誰一人として俺の部屋を訪ねる者はいなかった。


 静まり返った商館の雰囲気に耐え切れなくなった俺は、瓶の破片でザラザラするベッドに潜り込んで目をつむった。


 遊び人の十八番「寝逃げ」発動である。


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