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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
18/86

16.「下町のマリア」



 ケインと別れた後、俺の足は真っ直ぐラブリッサの商館に向かなかった。


 胸にスッキリとしないものが渦巻いている。


 寂しい夜の街を歩きながら、俺は右手でコインを弾いた。



 監察の情報を漏らした後ろめたさがある。


 神官長の彼女に対する激しい罪悪感がある。


 ケインの誘いについ乗ってしまった後悔がある。



 コインキャッチ――



 上手く行っていないここ最近の憂鬱と相まって、懊悩は深まる一方だった。



「……」



 何をどうしようか思案定まらず、通い慣れた城南地区の繁華街をぶらぶらしていると行った次第だ。



 ――ドォォォォンッ……



 時折、静寂を打ち破る轟音が夜の街に鳴り響いた。


 魔物の討伐で魔法か何かが炸裂したのだろう。


 普段なら酔っ払いやら客引きやらで賑わう盛り場も、魔物騒動の激化によって静まり返っている。


 建物と建物の間の、隠れ家への入口地味た扉の前で俺は足を止めた。



「……」



 一度思い直して立ち去ろうとし、



「〜〜〜ッ」



 それもまた思い直して踵を返す。俺は結局扉を叩く事にした。



 ――コンコンコン、



 返事はない。



 ――コンコンコン、



 やはり返事がない。



 ――コンコンコン、



 三度目のノックでようやく扉が開いた。



「クローズの札が見えないのか?」



 酒と煙草に焼けた低くい声色、しかし存外の細い吐息の女――


 淡い紫色の髪はショートボブ、瞳はターフェアイトの宝石のようなバイオレットパープルで、少し垂れた目の端に泣きボクロが一つある。


 女だてらに男者のタキシードを着込み、咥えタバコに気怠い雰囲気の、実に大人な女性である。



「よ」

「……」



 相手は俺の顔を見てもさして驚かず、髪をかき揚げて少し考え込んだあと、「入れ」と首を動かした。


 俺は身を屈めて扉を潜り、地下へと続く狭い階段を下った。




     ○



 地下はこじんまりとしたカウンターバーになっていて、石造りの壁、カウンターの濃厚な木の色に、二つ並んだビリヤード台の緑が鮮やかに映えていた。



「開けてない割には片付けてあるな」

「他にする事もないからな。いつも通りにしてないと落ち着かない質なんだ」



 女はそういってカウンターの酒棚に向かった。



「知ってるだろ?」

「そこそこには」



 タキシードによって強調された女体は、肉置きのいい臀部がつんと上を向き、見事な曲線が腰のくびれを経てたわわに実った胸へと繋がる。



「飢えてるのかー?」



 琥珀色の酒をグラスに注ぎながら、彼女は至極気怠げに言った。



「どうだろ。自分でもその辺がわからない。思い出せる機会に恵まれてないもんだから」



 バイオレットパープルの瞳がチラリと俺を見る。



「確かに、何かを忘れたような顔つきだ」



 コースターもなく、氷もなく、ストレートのグラスがトンと目の前に置かれた。



「でも忘れてるだけだよ。自分の中のものは決して無くならない」



 女が自分のグラスにも酒を注ぎ、ヒョイっと掲げて見せた。


 俺もグラスを持ち上げた。



「下町のマリアに」

「野良犬のレヴィに」



 男好きのする体、タレ目の端に泣きボクロ、女性らしさの粋を集めた容姿でサバサバして見せる彼女は、名をマリア・ライデアと言う。


 元々流れ者の冒険者だったが、この店を経営する店主に見初められ、婚姻してリディアの居住権を得るに至った女性だ。



「黒い神父服だなんて、旦那の葬式以来だな」

「うん? ああ……」



 彼女の旦那にしてバーの店主は大分前に亡くなっている。


 ラブリッサの面々と知り合う前、食い詰めの巡礼神官だった俺は、大聖堂に内緒で独自に葬式を請け負う仕事をしていた。


 マリアとは旦那の葬式の際に知り合い、その縁で酒とビリヤードを教えて貰った。


 魔法や戦闘術とは一線を画する、人生の師匠と言うやつだ。



「仕事で、ちょっとね」



 煙草を取り出すと、彼女が黙って火をつけてくれた。


 バーの弱照明で黄金色に輝くオイルライターは、亡くなった旦那の遺品である。



「随分と疲れた顔をしてるな」



 彼女も自分の煙草に火を付けた。



「何かを忘れて、何かに疲れているんだろ」



 俺が薄く笑って紫煙を吐き出す。



「「……」」



 後はお互いに無言で、煙草を吹かす吐息だけの会話になった。



 変わってないなと俺は思う――


 変わってないよと彼女が素振る――



 お互いに煙草を一本吸ってグラスが空になったところで、彼女がおもむろにタキシードの上着を脱いだ。


 袖のボタンを外し、胸元のブラウスも第二ボタンまで外す。


 男女共に目が行くだろう、谷間というのが開放された。



()に来たんだろ?」



 極めてドライに彼女が言った。


 俺は口元を緩めて曖昧に笑う。



()かせてやるよ」



 自らの体を締め付ける服の各所を緩ませ、彼女はビリヤード台に向かって腹ばいになった。


 ムーディな暖色の照明が、引き締まってつんと上向きに突き出された腰を照らし出す。


 彼女は俺が押し付ける色濃い棒を愛おしげに一度だけしごき、キュッと音がなるほど握り締めた。


 白く柔らかな指が棒の先端部を一定の速度で擦り上げて、獲物を狙う妖しいバイオレットパープルの瞳がうっとりと垂れた。



「――ンッ!」



 彼女が僅かに身を強ばらせで唸った次の瞬間、棒の先は白いものを弾けさせた。



 衝撃すら伴う強烈な一発目に目が眩む――



 ビリヤードのブレイクショットの様子である。



「勝手にナインボールで始めたぞ」



 袖をまくった彼女が言う。



「どうしてバンキングが無いんだろうね……」



 ビリヤードと言うゲームは、バンキングという「白い玉をどこまで手元に近づけられるでしょうか」といった具合のショット比べで先攻後攻を決める。



「やったところで私の先行は変わらない」

「それを言ったらプレイ自体の意味がない」



 当然の事のように言うマリアに、俺は苦笑した。


 彼女のビリヤードの腕前は神がかっていて、パーフェクトゲームを夜通し続けられる。



「面白いポジションが整ったら回すさ。それまでの間は目の保養をさせてやるよ」

「眼福だね」



 妙齢の女性の肢体がする様々なフォームを眺めながら、俺は勝手に自分で注いだ二杯目をチビチビ飲んだ。


 目の保養をしようにも、道々に鬱屈させてきた悩みの種の数々が脳裏をかすめ、どうにも目の前の扇情的な光景に集中できない。



 今日犯してしまった罪、


 思うように進まない仕事、


 先々の完全隔離生活への不安、



「何に行き詰ってるんだかな」



 ブリッジさせた白い指にキュー先端をスリスリさせながら、彼女が薄く笑った。


 ショットを打つ前の予備動作である。



「別に? 何も行き詰っちゃいませんよ」

「ほお……ンッ!」



 ――カッ! キッ、ガコンッ……



 胸の空くような乾いた音と共に白い手玉が弾け飛び、色のついた的玉がポケットにシュートされる。


 ショットの度に出る鼻から抜けた吐息は、彼女の癖だ。



「例えお前が行き詰っても、時間というのは待たずに流れる」



 テーブルに伏したマリアの瞳がチラリと俺を見上げる。



「時間が止まっているように感じるのは本人の感覚だからな。世界の時間は止まらない、当たり前の事だな」

「ンッ!」



 ――カッ! キッ、ガコンッ……



 マリアが的確なショットで玉を落としていく。



「だが、お前は今日ここに来た」

「うん?」

「ンッ!」



 ――カッ! キッ、ガコンッ……



「時間が止まってしまってる私の店に、お前は来た――ンッ!」



 ――カッ! キッ、……



 的玉の落ちる音はしなかった。



「お待たせ」



 マリアが台から身を起こし「ニタリ」と笑った。



「よぉーしっ、いっちょ揉んだろうじゃないの」

「私が揉んでやってるんだ」



 甘い汗の香るマリアと入れ違いに、俺は台に向い、



「げ……」



 と、動きを固めた。


 落とさなければならない的球が、クッションの端で他四球に囲まれてしまってる。



「なかなかそそるポジションだろ」

「いきなりこんなのどうしろってのよ」



 俺は苦笑してキューを構えた。



「ゲームメイクを見てないお前が悪い」

「素敵なヒップに目を奪われて」

「嘘つけ、心ここに非ずの様子だったぞ」



 マリアが二杯目のグラスを手にとって笑った。


 一度クッションに当てて角度をつけようか、取り囲む的球のキスショットを狙うならどうアプローチしたものか、様々に頭に浮かぶラインに迷い、俺は手玉をストロークすることが出来なかった。



「お前がここに来る時と言うのは、ざっとそんな状態だ」



 煮詰まる俺を、彼女が可笑しそうに見る。



「お前は何かの度にそうやって行き詰まる。結果を見据えたラインを探し続け、打ちもしないラインに惑う」

「くぅー……」



 俺は一度体を起こして頭を掻いた。



「店主、ジャンプショットは?」

「必要がない」

「――か」



 俺は今一度台を見やり、またライン読みに頭を悩ませた。



「悩んだ分だけ時間は流れる。止まった分だけ夜は更けていく」

「打って見せますとも」



 俺は目を細めて、思案定まらないままストロークに入った。



「う……!?」



 キューを押し込んだ瞬間、迷いが体をかき乱し、動きがバラバラになってしまう。



「あ……」



 ――カッ! キッ、キ……



 心境を反映した中途半端なショットは、的玉をポケットに落とすこともなく、弾けた玉が一つもクッションに当たらなかった。


 これはルール上ファールで、相手が手玉を自由に動かして好きな場所から撞けるようになってしまう。



「はい、ノークッション」



 マリアのハスキーな声が柔らかに俺をからかった。



「セーフティでもないポジション、あまつさえファールでは、私のやりたい放題だ」

「……」


 俺は頭を掻いてため息をつく。



「成長が見られないな、野良犬くん」

「あんまり馬鹿にしてると、犬にお尻を齧られるぞ」

「口先だけも相変わらずか?」



 入れ違いで台に向かったマリアが、的玉からかなり離れた場所に玉を置いて目を細めた。



「打てばとにかく場は動く。だがお前は中々打たない」

「……」

「悩んで悩んで悩んだ末に、中途半端なミスショット――ンッ!」



 ――カッ! キキッ! ガコン、ガコンッ……



「お見事」



 球を二つシュートするマリアに小さな拍手を送る。



「やりたい放題にテーブルを掻き回されても、お前はそうやってヘラヘラ眺めるばかり」

「今日は随分とお説教に熱が篭るな」

「ああ、許せ。久々にお前の顔を見て、柄にもなく感傷的な気分になってるんだ」



 マリアが髪をかき揚げて笑う。



「……何かあったのか?」

「野良犬くんの鼻は、私の体からそれを感じるのか?」

「いや……」



 魔力にも表情にも乱れた様子はない。


 キューを携えた彼女は、記憶の中にあるマリア・ライデアの姿とと寸分違わず、時間が止まってしまったかのようだった。



「……旅に出ようと思ってな」

「え?」

「ンッ!」



 ――カッ! キキキッ! ガコン、ガコン、ガコンッ……



 マリアが残った三球すべてをポケットにシュートした。



「都がこんな状態だからと言うのもあるが……前々から考えていた事なんだ」

「旅って……店は?」



 俺の問いに、マリアは体を起こして微笑んだ。



「もしよかったらどうだ? お前、この店をやって見る気はないか? ビリヤードは毎日打ちっぱなしだぞ?」

「……」



 俺は口元を緩めて中途半端な笑い返した。



「あっはっは! そんな泣きそうな顔をするな。意地悪を言った、冗談だ」

「冗談か」



 ホッと溜息をつき、俺はグラスを口に運んだ。



「旅と言うのは本当だ」

「……」



 グラスを持つ、手が固まった。



「旦那が死んだ時から、ずっと考えていたことなんだ」



 マリアがキューを静かに壁に掛けた。



「レヴィ、私はな、お前と同じなんだよ」



 振り返ったマリアが、髪をかき揚げて微笑んだ。


 世の中の酸いも甘いも知り尽くした、苦々しいようで、それでもカラッと明るい、堪えられない笑みだった。



「お前は、私と同じだったんだ」



 俺は前髪の奥から、彼女の微笑みを無言で見つめた。


 息が詰まって言葉が出ない。



「葬儀を取り仕切ったお前を見たとき、お前が私の側に寄った時、私にはそれがすぐに分かった」



 マリアが目を伏せて、また薄らと笑った。



「旦那の死でバラバラに砕けた私を支えてくれたのは、私を組み立てくれたのはお前だった」

「……」

「技術では遥かに及ばないお前が、毎日、毎晩のように私の元に通って、私のテーブルで向こう見ずなショットを連発した。どんな時でもエースを狙い、いつでもシュートを夢見るストローク。何度やっても勝てない私に、何度も何度も何度も何度も――」



 マリアがクスクスと笑い声を挟む。



「どんな意地悪なポジションをくれてやっても、お前は私にプレイをせがみ、終いには私のほうがテーブルで逃げ回る始末、それでもお前は逃げる私をストロークで追い立てて、遂には音を上げさせる……そんながむしゃらなお前とのビリヤードが、私には本当に救いだった」



 ただただ呆然と、俺はマリアのハスキーな声に聞き入っていた。


 マリアがゆっくりと歩み寄って、座る俺の前に立つ。



「私もな、前に進めない犬なんだ」

「マリア――」



 と、立ち上がった俺の首に手を回し、マリアは腕の中に俺の頭を抱え込んだ。


 押し付けられた柔らかな胸から、汗ばんだ甘い女の肌の香りと、煙草のビターな匂いがした。



「テーブル上で行き詰ったポジションに、途方にくれて悩み続ける、時間の止まった犬なんだ」



 ギュッと、彼女の腕に力が込もる。



「だから、お前を見るのが辛い。お前がここに、来ない日が辛い」



 俺は腕をわななかせ、恐る恐ると持ち上げた。


 胸に激しくこみ上げるものがある。彼女を抱きしめたくて仕方がないのに、それでも俺の腕は、震えるばかりでそれをしなかった。



 俺は何をしにこの場所に来た?


 足が遠のいていたここをなぜ尋ねて来た?



 俺に、彼女を引き止める資格が、あるのだろうか――



「お前が今日ここに来て、私は投げ出したままの人生(テーブル)のショットを撞く決心がついた」



 俺の腕の震えは、全身のものになった。


 彼女に胸を押し付けられた目が熱い。



 なぜ――



 頭の中に浮かんだ「なぜ」が、一体何に対してのものなのか、誰に対してのものかすら分からない。



 なんで――



 それだけで頭の中が一杯になる。



「レヴィ、だからな」



 そういって、彼女はゆっくり俺の頭を上向きにさせた。



「私は私らしく、これまで通りに、お前の人生(テーブル)に酷いポジションを残して行こうと思うんだ」

「え……?」



 俺は前髪の隙間から、僅かに歪む視界から、彼女のターフェアイトの宝石ごときバイオレットパープルの瞳を見つめ、愛しささえ覚える泣きボクロを親指でなぞった。



「撞けるものだと信じてるよ、レヴィ」



 彼女のハスキーな声が静かに言う。



「なに、なんだよ――?」



 俺は震える体、わななく声でそう聞いた。


 マリアがカラッとした笑みをする。



 ――なんでもない



 それが久々に会った元恋人の、彼女らしい、酷いポジションというやつだった。


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