15.「フラガラックの猪」
「はッ――はッ――くッ!」
その男の呼吸は、乱れに乱れていた。
――ヒュンッ! バシャッ!
銀の弾丸の風切り音、水たまりを踏む足音。
俺は路地の壁に寄りかかり、人の並を超える感覚でジッと気配を伺っていた。
ゆっくりとした動きで煙草を取り出し、咥えた一本に火をつける。
いつもと違う漆黒の神父服が、ぼんやりと路地に浮かび上がった。
「はッ――はッ――」
乱れた呼吸がどんどん近づいてくる。
追っているのは三人、感情が閉じきった魔力の気配、大聖堂の監察の手の者で間違いない。
俺は壁から背を浮かせ、紫煙を吐き出しながらコイン構えた。
「はッ――はッ――」
目の前の曲がり角から、黒い神父服の男が飛び出して来た。
「あ――ッ」
と、男が声を上げ一度背後を振り返る。
迫り来る追っての気配――
「――クソッ!」
男はすぐまた俺に目を戻し、左手に複数枚のコインを呼び出した。
俺は魔力が収束しきっていた右手を振り上げ、躊躇なく親指を弾いた。
――タァン!
男の背後に迫っていた、監察神官の体が仰け反る。
「ッ!?」
後ろの敵に気づいた男は、振り返りざま銀の散弾を放った。
――ズダァン!
監察神官が無言で体を飛ばし、石造りの壁に激突する。
俺は左手にもコインを呼び出し、両手を構えてゆっくり前に出た。
――タタンッ! タタンッ! タタンッ!
後続で現れた監察神官への牽制射、
――スダァン!
俺がストッピングした敵を、男が銀の散弾で止めを刺す。
『加速ッ!』
路地の奥で声が上がり、三人目の監察神官が青白い残像を引いて飛び込んできた。
「ぐ、はぁ――ッ!?」
前でコインを構えていた男が、当身を食らって壁に背中を打ち付ける。
加速した監察神官は、そのまま俺に狙いを定めて突っ込んできた。
――ヒュンッ! ヒュンッ! パシィッ!
相手が放つコインが頬を掠め、咥えた煙草が弾け飛ぶ。
「よ――ッ」
突っ込んでくる相手を、俺は開脚して飛び越えた。
そのまま複数枚のコインを呼び出した左手を股下に構え、右手の五指でコインを弾く。
――ズダァン!
『ぐはッ!?』
背中に魔法銀の散弾を浴びた監察神官が、そのまま突き当たりの壁に激突する。
「銀の弾丸!」
俺は片膝を突き出しながら、上体をしなやかに捻って追撃のコインを弾いた。
『……ッ』
監察神官が壁をずり落ちるようにして地に伏せる。
「お前……! い、今のは――!」
ちぎれた煙草を路地に吹き捨てて、俺は戦々恐々の男に肩を竦めた。
「カサンドゥラからのデス・ペナルティ」
股下から放屁如く銀の弾丸を放つ「カサンドゥラ」、上体を捻って背面に銀の弾丸の敵を攻撃する「デス・ペナルティ」、共に修行時代に編み出された曲打ち芸である。
変装の為にかぶっていたシスター帽を外し、俺は口もとを緩めた。
「久しぶりだな、ケイン」
「お前――」
男が目を丸くして呆然とする。
「……誰?」
尻あたりから煙を立ち上らせながら、俺も呆然となった。
カサンドゥラで神父服の裾を焦がしたのである。
○
「まったく――」
城西地区の運河にかかる橋の下に身を潜ませて、俺は修行時代の同期ケイン・ルースと肩を並べた。
「朋友の顔を忘れますかね」
「いやぁー、悪い悪い」
伸びざらしの野性味たっぷりな赤い髪、黒い神父服を着たケインが、「にっ」と笑った。
黙っていればいい男なのだが、笑うと一本だけ並びの悪い前歯のせいで締まらない顔つきになる。
「つーかお前、ほんとにレヴィ・チャニング? めちゃくちゃ背ぇ伸びてんじゃんか」
「言うほどかよ」
俺は笑いながら懐から酒瓶を取り出し、ケインに放ってやった。
「うおっ、気が利く! すげえ、大人になったって感じ!」
ケインが酒を受け取りながら喜色を浮かべた。
土と木の気に寄ったブラウンの瞳が、精気に満ち溢れている。
「二十歳すぎてるんだ。お互いもう大人だろ」
橋下の壁に寄りかかって、俺は煙草に火をつけた。
「あのレヴィがな……こうなっちゃう? 人間どう進化するか分かんないもんだな」
「突然変異みたいな言い方やめて」
俺は「にへっ」と笑って煙草を吹かした。
「いやー、しっかし――」
途中五ディールで買ってきた酒を煽っておいて、ケインが口を拭う。
「助かった、マジで助かった……流石に今日はやばかったー」
「感謝したまえよ」
俺は鼻を鳴らして笑った。
「たまたまって言うには出来すぎだよな。……どういうカラクリだ?」
ケインがブラウンの瞳を俺に向ける。
表情にも魔力にもやや警戒しているのが伺えた。
「特別だぞ?」
俺は懐から術士捕縛の提案書を取り出した。
「お前、これ……!」
ケインが提案書を受け取って驚愕する。
「お前の捕縛計画を知ってな。その一枚に気付いたのは、それこそたまたまだ」
「お前、何処の地区の教会に居るんだ? どうやってコレを……」
ケインが提案書を俺に返してよこす。
「俺は巡礼神官、この格好は変装だ。俺も監察に目を付けられててな」
「なんだって?」
「ほぼ拘束されてる。再修業の免除をかけて目下事務方の下働き中」
「ぷっ――」
と、ケインが吹き出した。
「修行時代とやってること変わってねえじゃんか」
修行時代も、落第をかけて追試だ補修だと教導司祭に追われていた。
「そういやお前、昔から灰色の神父服着てた変わり者だったよな」
大聖堂で修行する若い僧侶は、聖職胴衣か神父服であれば色が自由で、大体の者が白か黒の物を身につける。
灰色は何にもつかないあぶれ者の巡礼神官の色のため、好んで身につける修行僧はいない。
「監察に目を付けられてる同期を放って置けなくてな。監視の目を逸らして飛び出して来たのさ」
「なるほどねえ……」
ケインはしゃがみこんで酒瓶を煽った。
「……書かれてある事はホントか? ケイン」
俺は提案書をしまいこんでしゃがむケインを見下ろした。
「新結界案を支持する革新派の急先鋒、大結界への術式不正接続を行う過激派組織『フラガラック』の指導者……また随分と派手な肩書きが書き連なっているが――」
ケインがチラリと俺を見上げる。
「そうだ、と言ったら――お前はどうするつもりなんだ?」
「……別に。どうもしない」
右手で髪を乱しておいて、俺はため息をついた。
「俺は教の僧侶の中でもあぶれ者の巡礼神官だ。さらに巡礼神官の中でも、最低限の役すら果たさず監察に目を付けられてる破戒僧……最底辺の人間だからな」
ケインは運河の水を眺め、黙って俺の言葉を聞いていた。
「革新派なんて思想理念があるお前とは、僧侶としての資質がまず違う。王都でうらぶれる遊び人として『気をつけろよ』の一言が言いたいだけだ」
「――そっか」
酒を一気に飲み干したケインが、俺に空き瓶を放ってよこす。
「レヴィ」
「ん?」
ケインが「にっ」とすきっ歯を見せて笑いながら、指をハサミにしてチョキチョキ動かした。
俺はケインの指に煙草を挟み、火をつけたマッチを差し出した。
「――お前さ、今のリディアをどう思う?」
ケインが煙草をふかしながら切り出した。
「うん?」
「リディアの大結界をどう思う。結界を維持してる、大聖堂をどう思う」
「さて……」
俺は煙草を吹かして、ケインの言葉を待った。
「人間、心が乱れれば生活が乱れるもんだ。生活が乱れれば部屋が散らかる。部屋が散らかるというのはつまり、心の乱れの現れなんだよ」
「ふむ」
俺はポケットに手を突っ込んで曖昧に相槌を打った。
「大陸の覇権を握ったリディアの貴族議会は、私利私欲を肥やすためにあれやこれやと根回しに躍起になってる。『政治干渉をしない』を謳う教の大司教や教父らまでもが、冠婚葬祭にかこつけて議会の貴族と談合だ」
ケインが運河の流れを睨むように目を細めた。
「そんな連中の思惑を反映して、都は日々がちゃがちゃと猥雑に発展し続けて来た。成長する都に合わせて、大結界もまた、歪に拡大し続けて来た――」
ケインの魔力が「ざわり」と空気を揺らがせた。
「歪んだ都に、歪んだ結界」
「歪み――か」
俺も運河の流れに目をやった。
城北から城南まで繋がるこの西の運河も、俺が修行僧だったころは底が見えるほど水が澄んでいた。
それも今はすっかり濁り、生活排水がする生臭さを漂わせている。
「歪みに囲まれ続けた人々は、そのうち歪みを当たり前の事だと思うようになる。歪んだ世界に生まれた子らは、当然の様に心を歪ませて育っちまう」
「ふむ……」
「レヴィ、人の心の乱れを正すってんなら、まず最初にすべきはなんだろな」
ケインが運河を眺めながら俺に聞いた。
俺は右手にコインを呼び出してトスをした。
コインキャッチ――
「部屋の掃除」
ケインがすきっ歯を見せて笑った。
「俺たち聖職者は人の心を諦めるようには教えられてないからな。私利私欲を肥やす人間すら、どうにかする方法を考えなきゃならん。……人の心の乱れをなんとかしようってんなら、やっぱ周りを綺麗にするしかないだろ」
「窓ガラスを綺麗にしておけば、犯罪率が減るってやつね」
「ああ――」
ケインが深い溜息と共に煙を吐いた。
「今の大結界は、都に住む人間の悪意を溜め込んでんだよ。治安の悪化で生まれた瘴気が、結界に蓄積し続けてんだ」
「溜め込んでるって……瘴気の浄化排出機能は?」
俺は前髪の下で目を細めた。
魔法が苦手な俺も僧侶の端くれだ、大結界の大雑把な仕組みぐらいは知っている。
リディアを含め、大陸の各主要都市に張られた結界は、魔物の侵入を防ぐ防衛機能の他に、魔物が生じる原因となる瘴気を浄化する機能が備わっている。
浄化しきれない瘴気は、街の外へと排出される仕組みになっているのだ。
「結界の増築の度に担当責任者がコロコロ変わってな」
ケインが煙草を吹かしながら言う。
「そのせいで、増築の度に術式にズレが生じている。初めは微々たるものだったんだが、何度目かの工事の時に、目も当てられない酷い術式断層が出来ちまってな」
結界術式を家に例えるなら、元の家と増設した場所のつなぎ目があまりにも不格好だったと言った具合になる。
「術式のズレで、結界の効力にムラが出るようになった。それが素人目にもわかっちまうレベルだったもんで、焦った教は術式の補修を行なった」
「ふむ」
欠陥工事を目立たなくするために、さらなる補修工事を行なったらしい。
「そん時の補修担当がこれまたとんでもない薄らトンカチで、断層を隠す術式で、瘴気の浄化排出機能に蓋しちまったんだよ」
「うわぁお……」
壁の亀裂を目立たなくするために壁紙を貼ったら、大事な通気孔までふさいでしまったと言うお話だ。
「馬鹿な話だろ? しかも単純な術式で上書きしちまってて、術式が結界の根幹に食い込んで手のつけようがない」
「結界が瘴気を溜め込んでいる……?」
魔物発生の原因となる瘴気とは、禍々しい魔力の渦だ。
当然、結界の術式を構築する神聖な魔力とは反発し合う。
「結界が抱えるストレスは?」
「どうにかする方法は、見つかっていない」
「おいおい……」
俺はコインを指に挟んだ右手で頭を掻いた。
「結界の隙間に溜まって肥大化した瘴気が、結界に動作不良を起こさせてリディアの市街に漏れ出る。漏れ出た瘴気が魔物を沸かせて人心を乱す。乱れた人の心が街の治安を悪化させて、さらなる瘴気を生む……」
ケインがつらつらと言葉を繋いだ。
負の連鎖としか言いようがない。
「ぐっだぐだだな、それは」
「ぐっだぐだよ」
ケインは煙草を指でもみ消した。
「……大掃除をするべきだ。過去の遺物にしがみついて結界を歪め続ける保守派の連中になど付き合っていられない。都の歪みを正すためには、民の暮らしの安全の為には新しい大結界が必要なんだ。それが人の心の乱れを救う。これから生まれてくるリディアの子達の心を救う」
ケインが振り向いて「にっ」と笑った。
「俺ほら、修行は祓魔端だったろ? あんまり術式とか詳しかないんだけど、仲間に詳しいヤツがいてな。ほとんど受け売りなんだけど」
「……」
本人の言い分を聞く限りでは、筋が通っているように聞こえる。
だが、大結界の不正接続で問われる罪は、永年再修業ならまだいい方、魔力中枢に損傷を与えられて魔法の行使や立ち居が困難になるような罰を与えられる可能性が高い。
女神の慈悲を解く教でも、最悪は磔や火炙りといった「死」によって罪を償わせる――
運河を見つめる旧友の瞳は、かつての運河の水のように澄み切っていて、迷いも恐れも見て取れなかった。
理想を追い求め、猪突猛進に突き進む情熱の光――
「……相変わらずの猪ぶりだな」
「おう?」
俺のつぶやきに、ケインが目を向けてくる。
「いや、燃えてるなと思って。俺にはそういうのがないから」
苦笑まじりにそう言った。
そういえばここ最近、愛想笑いか苦笑かの二択でしか笑っていない。
「俺はだらだら破戒の毎日で、自分でも何をしているのか、何をしたいんだか良くわからん。監察に捕まっても、『監視が美人だしいいか』なんて具合でな。罪滅ぼしを始めてみて一ヶ月、早くも疲れ気味で、何に対しても興味が沸かなくなった……」
煙草を指でもみ消して、俺はぼんやり宙に目を向けた。
「俺と言うのは何もかもをすぐ諦める。熱意だとか、興味だとか、そういう、大事なものがすぐ消えてなくなる」
口に出してみて、俺は一人で可笑しくなった。
そうだ、俺は酷く諦めがいい――
いつでもどんな時でもすぐに諦める。
食欲性欲といった、欲求にまでも諦めが浸食しつつある。
疲れていると言ってしまえば、それまでのことだ――
「レヴィ」
「うん?」
ケインが思いのほか真面目な目つきで俺を見た。
「来週、日曜にまたここで会えないか?」
「……」
十中八九、過激派組織「フラガラック」への誘いだろうと思った。
「監察の監視下にあっても、今日みたいに抜けては来れるんだろ?」
「……まあな」
「そうビビるな。俺と一緒に過激派やろうぜなんて言わねえよ」
ケインがすきっ歯を見せて笑った。
「俺の方は四六時中追われてるし、おいそれと飲みに行ったりは出来ねえけど――それでも今日の礼ぐらいはさせてくれ」
「気にしなくてもいいのに。義理堅いね」
俺は頭を掻いて笑った。
表情とは裏腹に、俺は今、修行時代の同期を疑っている。
過激派の活動に誘われるのではないかと不安を増大させている。
彼の心を疑っている――
「なんなら、美人のお酌をつけてもいいぞ」
「行く。絶対飲もう」
「うおっ、あっさり釣れた!?」
ケインが笑う。
本当は、フルボディのワインにも、絶世の美女と言える神官長のだらしない姿にも、そこまでの興味が沸かなくなってしまった。
それでも俺は――犬のように愛想を振りまいて生きてきた俺は、真っ直ぐな目を人に向けられると、本心がどうあれ他人の喜びそうな嘘をついてしまう。
考えもなしに、相手が喜ぶような「お手」が反射で出てしまう。
「じゃあ決まりだな。来週ここで、時間は九時でどうだ?」
「構わないが、俺は朝の四時には戻らないとまずい」
「ああ――監視されてるんだもんな。こっちもそのつもりで礼の形は考えておくよ」
なに、今日の礼をしてもらうだけのことだ――
「よろしくどうぞ」
犬は緩んだ口元で、すきっ歯の猪に愛想を撒いた。




