13.「けだもの」
ポニーテールに束ねた、絹糸ごとき髪が揺れる。
腰から伝わる振動が、玉のように浮いた汗を弾けさせて、キラキラと輝く飛沫を飛ばした。
「ぐ、く……! しん、かん、ちょ――」
「ん……ふっ」
彼女が上気した吐息で背中越しに笑う。
「もうちょっと、 我慢、なさい」
「こんな、朝から――」
前後に躍動する彼女の腰に目をやって、俺は歯を食いしばった。
快感が全身を駆け巡り、彼女の白い背中がぼんやり霞む。
「ぐ、う――」
息が上がって声にならない。
「ダメ、もっと」
彼女が僅かに振り向いて、潤んだサファイアーブルーの流し目を送ってくる。
「まだ」
野を流れる清流の声、僅かに混じったハスキーな響き、鈴鳴りの発声が熱い吐息で暗示の様に頭に響く。
「はぁ……ッ! はッ――」
「ん、ふふッ――」
俺が懸命に下半身を動かすと、彼女は満足げに笑った。
汗が弾ける度に、甘い鈴蘭の香りが強くなる。
限界など既に何度となく超えている。
楽になってしまいたい――
「ダメ」
俺の最後の瞬間を気取って、彼女が言葉で楔を打つ。
彼女の腰の動きが、俺を嬲るかのように緩慢になった。
「きつ、い――」
つま先から頭の頂点にまで満ち満ちる熱気、
激流のように押し寄せ続ける快感、
開放を望んで止まない心、
何をどうせがまれても、もうダメだ――
「う、ぁ――ッ!」
動き続ける彼女の腰を力で抑えこみ、俺は遂に動きを止めた。
「あ――」
腰を抑えられた彼女がびくりと体をうねらせた。
間の抜けたような、驚いた様な、意識の通わない素の声。
「く、ぅ――」
俺は前につんのめり、そのまま彼女の背中に額を押し付けた。
全身が愉悦の並みに飲まれて震え、
――ドゴォッ!
鳩尾に痛烈なる後ろ蹴りを喰らった。
「ロードワーク中にセクハラとは、いい度胸ね」
呼吸を整えながら彼女が言った。
「……」
石畳で悶絶する俺は反論のしようがない。
蹴られた腹部の痛みもない。
長距離走によって分泌された脳内麻薬で、全身の感覚が馬鹿になってしまっている。
夜も明けきらぬ暁に、彼女の背中を追って走っていた際に起きたアクシデントである。
「ホント、頼んます……ちょっと、休憩を――」
石畳に手をついて、俺は息も絶え絶えに懇願した。
「……」
彼女が腰に手を当ててこちらを見下ろす気配がする。
「近くの公園で……そこで、ほんの、ちょっとだけ……」
下半身ばかりか、上体を支えている肘までガクガクだ。
彼女が長い溜息をつく。
「公園の清掃をしがてらよ。その間に息を整えなさい」
「……」
○
大聖堂監察の神官長が商館に寝泊りするようになって、早一ヶ月――
退廃的で堕落しためくるめく俺の闇商生活は一変した。
一変させられた。
まず、朝は四時起床、
「行きましょう」
鈴鳴りの声による号令と共に城南地区を一周するロードワーク、
途中で休憩と称して公園の清掃。
荒い息のままにスリットから覗く脚線美に目を奪われたりすると、
――シパァーンッ
「い゛え゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」
まず間違いなく鞭で打たれる。
せめてロードワークの時は、スリットの入った聖職胴衣を着るのを止めてほしいものだ。
走ればガーターベルトでタイツを吊った太ももが、ゴミ拾いで屈めば腰のヒップラインは元より下着までもがチラチラと見え隠れし、どうしたって目が行ってしまう。
教のドレスコードを決めた高僧達は、何をもってこのような格好を妙齢の女性僧侶に強いるのか。
禁欲生活にある男性僧侶達に対する心憎い計らいか、はたまた煩悩を試す苦行か、判断するのが難しい非常にセンシティブな問題である。
身心を疲弊させて商館に戻ると――
「雑念を捨てなさい」
などと無茶振りされ、彼女と差し向かいでの祈祷訓練が始まる。
この魔力の質を高める訓練は、シャワーを浴びる前だったり後だったりするわけなのだが、「女性の甘い汗の香り」か「石鹸と洗髪料の甘い香り」かのどちらかと相対して推し進められることになる。
集中などできようはずもなく、いっそ雑念を統一したほうが魔力の質が高まるのではないかと言った具合だ。
「ふあー……おはよー……」
ややもすると、寝ぼけ眼のアヤが登場し朝餉の用意をし始める。
調理の匂いに刺激を受けて性欲が食欲にシフト、腹の虫が嘶こうものならば、
――ドゴォッ!
「ほぐぅ――!?」
光って唸る彼女の聖なる拳が俺のボディを打ち砕き、涙輝く俺が叫ぶ。
「じゃあ、行ってきます」
朝食が済むと神官長は大聖堂へと出仕することとなる。
ようやく開放されるかと言えばそうでもなく、
「一字一字心を込めて」
出掛けの彼女に聖書の書写を申し渡される。
気が抜けているだとか汚いなどと判断がくだった分だけ鞭が振舞われる。
既に「シパーンッ!」がトラウマとなりつつある俺は、書き出しの一字目を一時間もの時間をかけて凝視し続け、その文字が果たして何を意味する記号であるか分からなくなってしまうといった次第だ。
これは大変危険な修の行であるため、素人にはお勧めしない――
休憩がてら洗面台の鏡の前に立つと、古いながらも手入れの行き届いた灰色の親父服を着た、きっちり髪を六四程度に整えた清潔感溢れる巡礼神官が姿を現すようになった。
「……」
しかしよくよく目を凝らすと、肌はハリツヤが無く頬はゲッソリと痩けいるし、青い瞳はどんより濁りきっていて目の下にはクマが刻まれている。
「誰ですか……?」
毎日空いた時間を見つけては、鏡の中の巡礼神官にそう問いかけて、答えが出ない貰えないという事実に失望するまでに三十分の時間を要する。
繰り返しておこう――
大変危険な修の行であるため、素人にはお勧めしない。
「うふう……」
精彩の懸けた自分の顔をひたひたと叩きながら、俺は自室の机に戻った。
途中で投げ出した書写のノートと共に、大量の書類の山に出迎えられる。
「おふっふ」
書類の山々が作り出す荘厳な稜線に、いっそ感嘆させられる。
これは神官長の部下たちがまとめた「不正術士の調査報告書」などという、おぞましいほどの管理責任が問われる機密書類だ。
遊び人の机の上に山脈を為しているからには、相応の理由がある。
「巡礼神官は各地の情勢を報告書に纏めるのが本来の仕事です。監視の間に、報告書のまとめ方をしっかりと身に付けなさい。仕事の出来栄えによっては、再修業の軽減と免除を考えます」
などと彼女に言われ、調査報告書を帳簿にまとめる依頼を与えられているのだ。
書写による字の改正も、この書類整理も、全ては報告書作成のための手習いらしいのだが、「手書きの文字は芸術」を信条とする俺にこれらの作業がはかどるわけもなく――要は字が汚いだけだが――クリアー出来ないノルマばかりが日々溜まって行くのである。
彼女が商館に来てからと言うもの、俺はロードワーク以外での外出を一切認められていない。
執行猶予中の破戒僧であるからには当然の処遇と言える。
「これは貴方が私に『お願い』したことなのではなくて?」
遅々として進まない仕事ぶりを冷やかなサファイアブルーの瞳に叱責され、ふと気が付けばいつの間にやら日が暮れている。
あっという間に巡りくる朝の四時に起き出して、毎日朝飯前には必ず鞭とボディブローで満身創痍。
そんな一ヶ月だったのである。
「うふぅ……」
俺は笑いともため息ともつかない呼吸をし、帳簿の上に突っ伏した。
自分とは思えない程の規則正しい生活、
自分とは思えない程の整った身だしなみ、
自分とは思えない程に矯正された綺麗な字、
「ぼくはだれ……?」
自分が何をしているのかが、最近良くわからない。
「酒飲みてー……」
などと口にしても、本当に自分が酒を飲みたいと思っているのかどうか、それすらも怪しい。
一心不乱に書類に立ち向かってみても、明日にはまた一山、追加される予定だ。
『でたー!? 狼の本性でたー!?』
『ちょっとビートやめ――いやぁぁぁん!』
何が起こっているのやら、時折下のロビーで歓談する面々の声が届いてくる。
「……」
俺は机の上で身じろぎもせず目を瞑った。
あっちは今日も楽しそうだ――
しかし、気分転換に下に顔を出しに行こうなどという気も起きない。
ここ一ヶ月のラブリッサ商会の方はなかなかに繁盛している。
「――ただいま戻りました」
大聖堂に出仕した彼女は、部下から報告を受けるやいなや飛ぶように商館に舞い戻り、会員らそれぞれに依頼を振り分け始める。
「ウィル、どうして城西地区の術士捕縛が進まないのかしら……」
「城西地区ってなァ裏牛耳ってる連中が魔導士の有力者らと蜜月状態にある。不正術士にとっちゃ絶好の就職場なんだよ」
「――なんですって? そんな話聞いたことがないわ」
「騎士団じゃ割とメジャーな話だ。大聖堂とは交流が薄いからなァ……」
「詳しく教えて」
「間に貴族議会のお歴々を挟んで、関係を水面下に沈めてんだよ。大聖堂は『政治干渉しない』が基本だろ? そこを逆手に取られてんの」
「……なんてこと」
「貴族の不正を調査してる騎士と連携すんのが一番だろうな」
「前例がないことだけど……うん、なんとかするしかないわね」
「話つけて来ようか?」
「頼めるの?」
「話の分かる二〜三人と酒飲みゃ済む。依頼ってことでいいんだな?」
「ええ、お願い」
元騎士ウィル・フォードの才気と顔の広さは底知れず、彼女が猫に寄せる信頼はもはや絶大、機密に近い相談を持ちかけては問題の解決を依頼するようになっている。
「ビート会長、依頼していた銀装備の修繕の件、どうなったかしら」
「工房の方には話つけてありますよ。親方たちも仕事が貰えるってんで大喜びですが……」
「どうしたの?」
「いいんですかねえ」
「いいって、なにが?」
「お膝元の城北地区に付き合いの長いの工房があるんじゃないかと」
「監察は大聖堂の中でも消耗の激しい部署だから、四の五の言ってられないのよ。スピーディー、リーズナブル、ハイクオリティ――銀の扱いなら城南地区の職人が王都一なのではなくて?」
「それはそうなんですがね。……うーん」
「貴方も職人なのね。義理堅いというか一徹と言うか……」
「俺と言うより、城北の工房が納得しないんじゃないかと」
「高級品が好まれる儀式用具は格式高い城北に。消耗損耗の激しい武具法具は城南に。これなら納得して頂けて?」
「そういうことなら。職人同士の軋轢もなさそうですし」
「職人の特徴に、『和合を重んじる』も追加しておくわ」
ビートは様々な工房の下職をした経験を買われ、監察の武具法具の修繕や仕入れの手配を依頼されている。
何処に行っても角の立たないのんびり狼は、各工房から下職長として慕われている。
「神官長さーん、頼まれてたポーションの仕入れ、総数三割増しで取引完了ォ!」
「三割って――相場ギリギリの予算だった筈よ? 貴女一体どうやって……」
「払いもちょっと浮かせといたから、次に繰り越しできちゃうよ」
「その……強引な取引をしたのではないのよね?」
「モチ! 今のリディアでポーション取引をするのに、豪腕の必要なんて全然ないんだから」
「そうなの?」
「薬九層倍を真に受けたペーペーの商人が多いからね。捌くアテもないのに値下がりした時買い込んだポーションを溜め込んでたりするのよ」
「ありそうな話ね」
「商品抱え込むプレッシャーに押しつぶされそうになってる連中に即金チラつかせれば、値割れでもホイホイ食いついてきちゃうってワケ。いっそ喜ばれたぐらいだわよ」
「相手次第で安かった過去の相場が通用するのか……なるほどなー」
「ニヴァーナ商人なめたらあかんでぇーってなもんよ」
アヤは幼い頃から「キャラバン」という旅商組織を転々と渡り歩いて生きてきた冒険少女で、物品の取引には類を見ない才能を発揮する。
獲物を嗅ぎつけて狩り取る感性はまさに虎の子である。
皆が仕事をきっちりこなしている中、慣れない書類整理の仕事に俺だけが依頼のノルマを達成出来ていない。
役に立たずに足を引っ張り続けている遊び人が、一体どの面下げて皆の前に出ませいと言うのか。
下のロビーには高い確率で神官長の彼女がいる。
仕事が進んでいない俺がロビーをウロウロしようものなら、たちまちに絶対零度の視線を浴びせられること請け合いだ。
いや、彼女の瞳を冷たいと感じるのは俺の被害妄想なのだろうが――
「わかっている……俺とて分かっている……!」
例えノルマが遂げられなかろうが、「やれるところまで精一杯やる」と言うのが正しいあり方、一生懸命の積み重ねが己の限界を押し上げる――と、そういうなんやかんやの理屈は分かる。
だがしかし、現状出来ていない自分のダメっぷりに、
「……今日も救われませんね」
テンションが上がらない。
一生懸命やってなお、ノルマが達成出来ない自分の能力の低さに、気分が萎える。
出来ないなら、やらなくてもよいではないか――
そう思ってしまう。
その足並み駄犬が如く。
「明日はどうセクハラしてくれようかな。ちくしょう……」
そんなことを画策する毎日だ。
口にした「畜生」は、まったくもって自分のことでしかない。




