12.「谷間の姫百合」
シャワー浴びて着替えをし終えると、ロビーが妙に片付いていた。
「あ、レヴィさん、朝食はサンドウィッチね! 少ないかもだけど、食堂でパパッと済ませてきて!」
「うん? ああ……」
忙しない様子のアヤは、桃色の髪を赤リボンで纏め、今日も何やらめかしこんでいる。
言われたとおりに食堂に行くと、白い聖職胴衣に着替えた神官長が席についていた。
背筋を伸ばして物静かにサンドウィッチを咀嚼する様は、美しさを通り越してどこか滑稽だ。
「……」
俺のサンドウィッチらしい皿は、彼女の正面に置かれてあったので、仕方もなしに席に着く。
お互い無言――
何をどう話しかけようか迷っているうちに、彼女は食事を終えてさっさと食堂を出て行ってしまった。
話をするのではなかったのか。
皿をシンクで片付けてロビーに行くと、ソファーに黒い神父服の巨漢がどっしりと腰を据えていた。
「あら? サフィア?」
「……んん」
短く刈り込んだ茶髪、優しげなチャコールの瞳、口重の眠れる獅子である。
「おー、サフィアんそっちに座ったのか。じゃあ俺ァこっちってこったな」
小指で耳をほじくりながらウィルが登場し、サフィアの正面のソファーに体を沈めた。
「こっち」も何も、いつもウィルが座っている場所だ。
「レヴィ、ぼさっと突っ立ってねえでここ座れ。今日のお前の席はここ」
ウィルが自分の隣をパンパン叩いた。
「うん?」
良くわからないが隣に座る。
やがて客室から神官長が現れ、サフィアの隣――俺の向い側にそっと座った。
次いでアヤとビートが登場し、俺と彼女側、両陣営の間にある狭めのソファーに二人揃って腰掛ける。
「あ――」
とアヤが再び立ち上がり、厨房へと駆け込んだ。
やがて人数分のレモネードのグラスを乗せたトレイを持って再登場、全員につつがなく配って再び席についた。
アヤが「こほん」と小さく咳払いをする。
「えー、本日は幸いにして天気もよろしくー、二人をお引き合わせできますことはー、アタシ――私にとりましても大きな喜びでございますー」
「……うん?」
俺は首を捻った。
「本日仲介人を務めさせて頂く、ラブリッサ商会副会長、アヤ・クレセントと」
「会長のビート・スウェインです」
「「どうぞよろしく」」
二人が声を揃えて頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「んん……よろしく」
神官長とサフィアが頭を下げる。
「よろしくお願いします……?」
「む、苦しゅうない」
俺も良くわからないまま頭を下げ、ウィルが隣で踏ん反りかえった。
なにかが始まった――
「それでは、まずそれぞれの付き添いの方をご紹介申し上げます」
ピンクの子虎が眠れる獅子に手を差し向け、商人の常套スキル「営業スマイル」でもって輝かんばかりの微笑みを浮かべた。
「こちらが、聖ライアリス教の教区神官として城南地区の教会にお勤めの、サフィア・ウォード氏です」
「司祭相当位の神父をしている。監察の神官長である彼女とは仕事の上での親交があり、本日の大役を仰せつかった」
どっしり足を開いて座り、ずっしり腕を組んだサフィアが言う。
「そしてこちらが、王都リディアの騎士団に所属していた元騎士ウィル・フォード氏です」
「基本毎日ソファーで寝ている。破戒僧で遊び人の犬は、大体俺が飲み食いさせているのでこの席に出させて貰った」
ウィルがソファーの背もたれに腕を掛けて足を組んだ。
猫はいつも通りのやる気のない目をしている。
――ごほん、とサフィアが咳払いをして一同の視線を集めた。
「彼女は聖ライアリス教の模範的な聖職者だ。今は大聖堂監察の神官長を務めているが、知っての通り監察というのは教における戒律の番人。同門である兄弟弟子達からも畏敬を集めるこの仕事を、彼女は黙々とやり遂げ、部下ばかりでなく王都リディアにおける術士らからも、その真面目さを大変高く評価されている」
内外を問わず恐れられている、と言う解釈で間違いない。
マメなサフィアの事だ、舌が軽いのは事前に文言を用意していたからだろう。
――えへん、とウィルが咳払いをする。
「うちの犬は城南地区歓楽街の模範的な遊び人だ。泣きながら意味不明なことを喚き散らしては黙々とナッツを食べ続け、大体いつも十杯目あたりで口からミステリアスなゲルをレインボーさせ、店員はおろか他の客からも白い目で見られている」
ただの酔っ払い、という解釈で間違いない。
思いつくままに任せているのだろう、ウィルの言葉が至極軽い。
「では、あまり窮屈になさらずに、どうかご自由にお話をなさってください」
アヤが再度「にぱっ」と微笑んで席についた。
静寂――
なんだこれは。
(レヴィさん――何か話を振って! 自分から行かないとだめよ)
アヤが小声で耳打ちを送ってきた。
(アヤごめん。ホントごめん、意味が分からない)
俺も耳打ちをし返す。
廃れたマンションで彼女にムチで打たれ、気分が悪くなって意識が遠のいた。
目が覚めたら彼女が眼福もののピチピチパジャマで諸行無常、着替えて下に降りていきなりこれでは混乱もしよう。
(商談よ商談! 大聖堂って、今しっちゃかめっちゃかなっちゃってるんでしょ?)
(いやまあ、そうだが……)
(神官長さんから仕事取って成功させれば、レヴィさんの指名手配を取り消せるかもしれないじゃない)
アヤがバチッとウィンクを送ってくる。
なるほど――
いや、なるほど名案だ。
「ううっ――んん」
身を寄せてゴニョゴニョと話す俺たちを、サフィアが咳払いで牽制する。
神官長の方は、まつ毛の長い涼しげな目でもって静かにこちらを見据えていた。
表情が読めない。
俺は居住まいを正して彼女を真っ直ぐに見た。
「昨日一昨日と、ロクな挨拶も出来ず大変失礼致しました」
現在手配中の俺はとりあえず謝るしかないわけだ。
「いえ、私も一昨日の一件からずっと反省していたの」
サファイアブルーの瞳に物憂げな光を湛えたブロンドヘアーの彼女は、商館のロビーに咲いた一輪の花の如く美しい。
「頭の悪い犬の首輪を外したら、逃げ出すのは当たり前の事なのにね……」
微笑む毒花である。
「えー、神官長さんにお尋ねします。ご趣味の方は?」
仲介人のアヤがすかさず話を振った。
ベタベタな質問ではあったが、商人というだけあって機を読むに敏な所は流石と言える。
しかし、何か違う――
「趣味? 趣味か……んー……」
彼女が拳を口元に構えて悩んだ。
手には今日もしっかり白手がはめられていて、服装、姿勢、振る舞い、何から何までもが戒律に則っている。
「動物を見たり触ったりするのが好きよ。時間がある時は城壁の外に出て山に動物を探しに行くかな」
趣味の話となったせいか、彼女の口調が心なしか砕けた。
「へー! どんな動物がお好きなんですか?」
アヤがさらに踏み込む。
「なんでも好きなほうだけど、『親父熊』とか『猛牛獅子』なんかを可愛がる事が多い」
ダディベアは脂肪分の厚い胴回りと発達した爪を持つ野生の熊、モーラインは口から吹雪をレインボーする角の生えた獅子で、どちらも森林及び雪山に生息する全長二メートルから四メートルはある大型の魔獣である。
「怖いと思った事はないですか?」
ビートが表情を引き締めて尋ねる。
もはや危険に立ち向かう人へのインタビューだ。
「時々やんちゃな子もいて、とっさの事で傷つけてしまうこともあるけれど、治療で治してあげると大体仲良くなれるわね」
「優しいんですね」
アヤが「にぱっ」と笑う。
ぶっ飛ばしておいて回復するというマッチポンプに、魔獣が恐れを抱いているだけではないのか。
それを「飴と鞭」だと言い張る彼女の暴挙を俺は体で知っている。
「貴方、キューを持ち歩いていたけれど、ビリヤードが好きなの?」
彼女が俺に話を振って、アヤが「おっ」と言う顔になる。
「ええ、まあ……」
俺は愛想笑いで頷いた。
「ビリヤードのどんな所が面白いのかしら。魅力を教えて」
「魅力? 魅力……」
俺は一度宙に目を向けて言葉を整理した。
「バーで出来るゲームの中でも、ビリヤードと言うのは頭を使う。好きなのは、求められる姿勢かな」
「ラインを読んだりする、頭脳プレイが楽しいと言うこと?」
彼女が問う。
「一番頭を使うのは相手にどんなポジションでテーブルを渡すかさ。相手に難しいショットを要求するように球の配置をコントロールするのが面白い」
「攻めと言うより守りの姿勢ね」
「ああ、姿勢というのはまた別」
俺は首を振って笑った。
「入れられそうで入れられない、甘そうで甘くないギリギリのテーブルを渡して、相手が狙いを定める様をじっくり観察するんだよ」
「……?」
彼女が首を傾げる。
「腰を突き出してテーブルに這いつくばる女性の真剣な様と言うのは、前から見ても後ろから見ても――」
――ドガッ!
「おぐ――ッ!?」
アヤに脛を蹴られた。
(ちょっと、真面目にやってよね! 大事な局面なのよ、ここ!)
(今時いませんよ? こんな古風なセッティングでお話しする人……)
これが一体どんな局面だと言うのか。
「レヴィ、ハッキリ言うわね」
彼女が溜息をついて、組んだ手を静かに膝の上に置いた。
「私は貴方を、大聖堂に連行するつもりでいます」
鈴鳴りの声による本題が提起である。
「だから、貴方が所属する商会の皆さんの前で、一度しっかりお話しをしておきたかったの。お互いが納得できるように」
俺は一度頭を掻いて、右手でコインを弾いた。
商会に仕事を引っ張って、俺の首を見事に繋げることが出来るライン、その流れ――
大聖堂のゴタゴタ、神官長である彼女までが現場に出張る程の忙しい現状、
お互いの利害が一致する部分と言えばやはり『仕事』に尽きる。
あとは彼女に「大義名分」を与えられれば良い。
コインキャッチ――
「それについて、こちらからも一つお願いが」
俺は「にへっ」と笑って返した。
「今日は何回打たれたいのかしら」
彼女が懐から杖を取り出し、アヤが「ま――ッ!」と顔を赤らめる。
「それは脅しか? それとも冗談か?」
「本気」
最悪か。
「……これでなければなに? 一度取引を反故にしておいて今度はお願いだなんて」
神官長は涼しげな表情のまま言った。
彼女の言うとおり俺は一度「取引」を台無しにしてしまっている。
だからまず、「お願い」という言葉から入るわけだ。
「今、監察神官は不正術士の取締強化にあたっているとサフィアから聞いた」
まずは牽制、持っている手札の中でも割と強めのものを切る。
彼女はチラリと横のサフィアを見た。
サフィアが首をさすって明後日の方を向く。
多少の効果はあった――
「不正術士を取り締まりはいつでも行なっているわ。今に始まった事じゃない」
彼女が俺の切った手札を潰す。
「だが、冒険者としてズルけている巡礼神官を異端者扱いというのは穏やかじゃない。俺のように報告書を上げずに破戒の身にある巡礼神官など、他にいくらでもいる」
彼女の手札を屁理屈で潰す。
「破戒の身にある者は必ずそれを言う。自分以外にも背徳者はいる、何故自分だけなのか――」
表情に変化は無かったが、サファイアブルーの瞳に意思の力が宿った。
「巡ってきた順番というだけのことよ」
「なるほど? 俺でなくとも異端者扱いで指名手配されるわけだ」
皮肉の手札、
「……一つ誤解があるようだから言っておくけれど」
「うん?」
彼女は手の甲で横髪を掬い、サラリと宙に流した。
「各国の情勢を教にもたらす報告書、一度も提出をしていない巡礼神官は教の中でも貴方だけよ」
時が止まった――
と、錯覚するほどの強烈な札だった。
テーブルを囲む一同の視線が痛い。
「貴方はここ五年間、報告書も上げずに監察の目から逃れ続けている。これは大聖堂監察が始まって以来の汚点です。貴方の身柄の確保に、神官長である私がわざわざ出張いている理由がそれよ」
確かに俺は、過敏な感覚にものを言わせ監察の目につかないよう罠を踏まないよう慎ましく生きてきた。
場に出せる手札がない――
「あいたたたたたた……」
俺は額を叩いて笑い、アヤに上体を寄せた。
(アヤ、厳しい)
(厳しいって、自分の首がかかってるんじゃない! 諦めたらそこで取引終了だよ!?)
(まさか自分がオンリーワンだとは思ってなかったし……)
(大丈夫、行ける行ける、まだまだ行けるお)
ビートが耳打ちに混じる。
(レヴィさん、取引勝負のコツは押せ押せよ! 昨日が十年なら、今日は一生でゴー!)
(子虎が良いこと言った。マネーの子虎が良いこと言った)
ウィルも耳打ちに混じる。
(一生なんて簡単に懸けられるか! 彼女は俺の懸けた十年を回収するために指名手配までしたんだぞ!?)
(なによぅ、煮え切らないわね。一晩一緒の部屋で過ごした癖にぃ)
(何ごともなかったの。本当に)
ぶちり、とアヤのこめかみに青筋が浮いた。
「ちょっといい加減にしなさいよね!? 男ってみぃぃぃんなそェばっかィ! ヤッたとかヤァないとかの問題じゃないでしょ!? 一緒に過ごした時間に価値が有ゥんじゃない!」
アヤが怒りを瞬間沸騰させて、女の言い分というやつを場にぶちまけた。
言わんとしてる事は分からなくもない。
だが俺も男として引くわけには行かない。
男という生き物には「出っ張っている熱い部分」というものが備わっていて、そこを鎮めてもらわないことには納得が行かない。
文字通り納りを得ない。
主に下半身が。
「因みに彼女と過ごした時間の内訳は、『枷に繋がれ街を引かれてゾンビが乱入、再会したら鞭打ち三十、朝起きたら隣で瞳が半開き』さあ問題だピンクの子虎。今の話の中の何処に一生分の価値があったでしょう――か!」
「……」
アヤが首を傾げて視線をを斜め上に向けた。
チッチッチッチ――と、ウィルが舌を鳴らして時間をカウントする。
「『朝起きたら瞳が半開き』以外全部?」
――ゴトンッ、
神官長が手に取っていたレモネードのグラスをテーブルに落とした。
「ごめんなさい……零してないから……」
「ほら! レヴィさんが酷いこと言うから、神官長さん動揺しちゃってるじゃない!」
「あれ? 俺のせいになっちゃった」
冤罪ではないかと思う。
「ううっ――んん」
立ち上がっていた俺とアヤを、サフィアが咳払いでたしなめた。
「……話が見えてこないのだけど。貴方のお願いは結局なに?」
彼女の切れ長の目がキツく細まる。
雑談のインターバルで隙を作ろうと思ったが、まったくの逆効果になってしまった。
俺はゆっくりとした動作で席について、一度ラブリッサの面々を見渡した。
「……以前君は、『冒険者の今置かれている現状は理解している』と、そう言ったな」
「ええ、言ったわ」
「自己紹介は済んでるんだろうけど、ここにいるのがラブリッサの会員でね」
「それで?」
「俺が大聖堂の手配を受けたと聞いて、皆心配してくれてる。気のいい連中だよ」
「お願いは?」
本題の手前をウロウロする犬の尻尾を、神官長が鷲掴みにする。
俺は覚悟を決めた素振りで溜息をついた。
「……正直に言う、俺は大聖堂の再修行には入りたくない」
「監察の長を務める私に、そんな『お願い』が通ると思って?」
「思ってない」
頭を掻いて表情を引き締めて見せる。
「思ってないから、質問したい」
「お願いの次は質問? 何かしら」
彼女は一切表情を変えずに言った。
なんでも来いの構えである。
「再修行は避けられないにしても、せめて、これまで俺の面倒を見てくれたラブリッサの冒険者に恩返しがしたい」
「……」
俄かに彼女の魔力が揺らぐ。
「再修行に入る前に、なんでもいい、何か恩返しができないものか。彼らラブリッサに俺が残せるものは何かないだろうか? 神官長殿」
「それは貴方の問題よ、レヴィ」
彼女は冷ややかに言った。
「返せるものがないのも、返せない状況になってしまったのも、全ては貴方の責任です。冒険者の現状や会員の皆さんを盾にして、私に甘えないで」
「正論だな」
隣のウィルが「然り」と頷く。
一方の俺は「にへっ」と口元を緩めた。
犬の鼻が彼女の言葉の中に潜む甘さを嗅ぎ取った。
――甘えないで
きつい態度、冷たい視線、「甘えないで」という言葉は、彼女の内側にある優しさの片鱗、デコレーションされた「建前」と言うやつだ。
あるいは日頃から、「監察の長として自分は甘い」とコンプレックスに近いものを持っているのかもしれない。
「だから『取引』じゃない、『お願い』なのさ神官長」
笑いかける俺を見る、彼女の魔力がまた揺らぐ。
「俺はこんな段になって、ここまで追い込まれてようやく自分の置かれている立場に気づく阿呆だ。今更みんなに感謝をし、今更恩返しが出来ない自分に後悔している。俺も教の教えを受けた身、貴女の怒りが女神の怒りというのであれば、それは甘んじで受け入れる。その覚悟で今この席に座っている」
俺は手を組んで視線を一度を横に逸した。
「――ただ、破戒僧の俺が受けられる、女神のご慈悲というやつが、雀の涙ほどでいい、ほんの少しでも残っているのなら、どうかそのご慈悲でもって僅かばかりの猶予を与えては頂けませんか? 猶予が無理というのであれば、せめて、教の鼻つまみ者であるこの破戒僧を永きにわたって支えてくれた、ラブリッサ商会という温かき冒険者の仮宿に、何らかの取り計らいをして頂けませんでしょうか。身勝手は重々承知の上、これが大聖堂監察の神官長である、貴女へのお願いというやつです」
本題を前に屁理屈を撒き散らしておいて、最後は人情でもって手札を一挙連結、腹を見せた服従の姿勢で心をくすぐる。
遊び人の最終奥義、「甘ったれ」である。
「……」
彼女は視線をテーブルへと落とし、そのまま押し黙った。
ファイアブルーの瞳は微動だにしていない――が、彼女の身に宿る濃い魔力が波紋を広げる様に小刻みに揺れていた。
魔力の小刻みの揺れは、そっくりそのまま彼女の思考速度を反映する。
傍目から見れば揺らいでいないように見えるほど、彼女の魔力の微動は細かく速かった。
教のエリート集団の長を張る程の女性だ、頭が悪い筈がない。
沈黙させることが出来たのなら、後は余計な事は何一つ言わず、相手に自分の命運を握らせた状態で泰然と我慢の時である。
「……スウェイン会長」
彼女は唐突にビートの姓を口にした。
「はい」
「貴方がたラブリッサ商会は、暴力組織からも仕事の依頼を受けたりしているようですね」
「ええ」
彼女がいきなり切り出したちょっとキツめの手札に対し、ビートはあっさりと応じた。
「リディアの民に害のない範囲でなら、仕事も客も選ばないのがうちのモットーですから」
「あくまでも中立と言うことか……」
彼女が独りごとの様に呟く。
「教で言うところの中庸と言うやつ」
俺は「にへっ」と彼女に笑いかけた。
彼女が細めた目をそのままに俺を睨む。
「レヴィ・チャニング修道士」
「うん?」
「……」
彼女は一度黙り、やがて諦めたように溜息をついた。
「貴方の言うとおり、我々監察は不正術士の取締りを強化しています。内情を晒してしまえば、手が足りていないと言うのが正直な所」
「んふッ」
俺は口元を緩ませて相槌をうった。
彼女が忌々しげに目を瞑って言葉を続ける。
「瘴気が湧きやすく魔物が生じやすい今の都の現状で、魔法術式に長けた不貞の輩は極めて危険。迅速かつ早急な対応をする為にも、手の足りていない業務の一部をラブリッサ商会に委託します」
彼女が静かに目を開ける。
「これは、貴方が嘆願する商会の皆さんへの恩返しになりえますか?」
「美しいき神官長殿のご慈悲に、感謝の言葉もございません」
俺は胸の前で手を握り合わせて、祈りを捧げる姿勢を取った。
教での正式な礼の作法である。
「白々しい」と言わんばかりに彼女が俺を睨む。
「神官長、ありがたいお話なんですが、うちの方からちょっとお願いが」
ビートが普段と変わらないのんびりとした口調で割り込む。
「『うちには術士の事情に明るい人間がいない。だからレヴィに猶予を与えて、依頼に従事する事を認めて欲しい』――と、言いたいのではなくて?」
彼女がビートに首を傾げて見せる。
「そんな感じ」
頷くビート、再び俺を睨む彼女。
「その申し出に関して、こちらからも条件をつけさせて頂きます」
「条件?」
「レヴィ・チャニングの行動の監視、及び術士捕縛の任を指揮する監察神官を一人ラブリッサに出向させること」
俺を含めラブリッサ一同が顔を見合わせた。
「しつもーん!」
アヤが学校の生徒のような調子で挙手をした。
「なにかしら?」
「監察のエリートさんが来るなら、レヴィさんがうちにいる必要ってなくないですか? ぶっちゃけ仕事が取れれば――ゲフンゲフンッ」
ピンクの子虎、おのれ――
「道理だな。今日はアレやらねえのか? ガッツポーズ強制ギブス」
猫てめえ――
「恥ずかしい話、本当に人出が足りていないの。馬鹿な犬の手も借りたいぐらいに」
サンキュー毒花。
「城南地区にはもともと十名近くの監察を派遣する用意をしていたのだけど……地元勢力に明るい皆さんの手を借りることができるのなら、一人でも十分に役目を果たせるでしょう」
「ご期待に添えるようがんばります」
ビートが抑揚のない声で言った。
「サフィア、必要であれば監察の予算を割いて貴方の所に回すから、バックアップをお願いね」
「魔物騒動で現場も止まったままだしな……謹んで引き受けよう」
ほぼ空気と化していたサフィアが重々しく頷いた。
現場と言うのは土木作業の工事現場の事だろう。
「話はこれでお終いね」
そう言い置いて、彼女が席を立った。
「あ、あの――」
と、アヤが彼女を呼び止める。
「なにかしら?」
「レヴィさんの監視って言うからには、うちに来るって言う監察の人、寝泊りすることになるんですよね? お部屋の用意しときたいんで、男の人か女の人だけでも教えてもらえませんか?」
商人らしい気配りでアヤが聞いた。
彼女は腰に手を当てて、こんもり膨れた胸を張った。
「私よ」
小首を傾げてそう言った。
「……え?」
背筋が怖気立つ。
それは「美貌の彼女と一つ屋根の下」というシュチュエーションへの興奮か。
はたまた「大聖堂監察の神官長」という肩書きへの恐怖か。
ふと思う――
彼女は俺を大聖堂に運び込まず、ラブリッサ商会の商館に泊まって商会員と顔合わせを済ませていた。
これは結局、彼女の思い描いた筋書きなのではないのか――
「レヴィ」
「はい」
何はともあれ彼女は、
「楽しみにしてなさい」
谷間の姫百合なのである。




