11.「ピチピチパジャマの女神」
大理石のタイル、
光が差し込む明るい廊下、
ここは――
大聖堂にある修行僧の学び舎だ。
懐かしい――
廊下ですれ違う修行僧らが随分大きい。
廊下の雨具かけも、法具をしまう個人ロッカーも、何もかもが見上げるほどに大きい。
どうやら俺が小さいだけのようだ。
アヤぐらいの身長なら、きっとこんな景色になるだろう。
おかしい――
視点の低さだけじゃない。
廊下ですれ違う修行僧らには、およそ顔と呼べるものが備わっていなかった。
誰も彼もがのっぺりとした肌色を貼り付けているばかりで、表情を作り出す顔のパーツが存在しない。
景色は淡く輝かしく、どこに目を向けても美しい一枚絵のようだった。
にもかかわらず、行き交う修行僧らに顔がない。
なぜ――?
疑問に思った瞬間、目に映る全ての人間が足を止めた。
全ての顔がこちらを向いて目を見開いた。
はさみで切り取ったような大きな眼窩、黒塗りの瞳、全員が動きを止めて、落書きのような無機質な目で俺を凝視している。
ゾッとした。
駆け出したいほどの恐怖をグッと堪え、俺はあえて緩慢に歩を進めた。
駆け出して恐怖を認めるのが嫌だった。
走り出せば、もっと恐ろしいことが起きてしまうような気がした。
吹き出る汗、震える膝、嵐のような不安を右手のコイン弾きで紛らわせ、修行僧らの視線を潜り抜ける。
息苦しい――
ふと、廊下に鈴蘭の甘い香りが漂っていることに気がついた。
甘い香りのする、穏やかで優しい魔力の気配だ。
乱れる胸の内がほんの少し和らぐ。
知っている。俺はこの香りを知っている――
目を瞑って香りを辿ると、そこはとある部室の前だった。
扉の枠に下がる表示に、
――古代術式研究部
そう書かれている。
頭より高いノブに手を伸ばし、扉を押し込む。
正面の窓から飛び込んでくる修行後の眩い日光、
吹き込む春風に揺れる白いカーテン、
机で本に囲まれた体躯の立派な修行僧――
「……遅かったな」
古びた本から目も上げず、サフィアが無愛想に言った。
「また司祭様にでも捕まっていたの?」
本棚の前で、台に上ったブロンドヘアーの修道女が僅かに振り返る。
ああ、やっぱり――
やっぱりこの香りは彼女だった。
やっぱり彼女はここにいた。
間違えるはずがない。
「……『また』って言うなよな。『また』って」
子供のようなボーイソプラノが頭蓋に反響する。
自分の声が酷く高い。
「どうだサフィア、結界術の研究の進み具合は」
「一生かかる」
答えたサフィアは本から目を上げない。
「うふッ」
いつもと変わらない同期の姿に思わず失笑を誘われる。
コインを指に挟んだ手で頭をかきながら、俺はサフィアの向かいの椅子を引いた。
背が低い分、椅子に座るのにどうしても飛び乗るような具合になってしまう。
気分はすっかり落ち着いていた。
ここには、あの無機質な目をした人間が入ってこない。
ここには、あの恐ろしい目が一つもない。
俺の心の安らぎは、この場所にある――
「レヴィ、ちょっといいかな」
本を二冊抱えて、彼女が本棚の方から歩み寄ってきた。
「なんだ」
ついつい口調が尊大になってしまう。
「研究のテーマに近い本を見つけたの」
彼女が隣に立って本を広げ出した。
「著者は戦時中に北方を旅した巡礼神官で、この本以外にはめぼしい著作はないのだけれど……」
彼女の鈴鳴りの声は、いつ聞いてもうっとりさせられる。
「ここ、この北方の民間伝承を記した下り――」
心地いい香りと音に、自然体が吸い寄せられる。
――ゴン、
本の背表紙で頭を軽く小突かれた。
「私の話を聞いているの?」
「音としては聞いてた。言葉としては聞いてなかった」
――ゴン、
再び本が頭を小突く。
「ちゃんと聞いて」
不機嫌そうな彼女の表情にくすぐったさが込み上げて、俺は僅かに身をよじった。
「――で、なんだって?」
胸の中ではしゃぎ立てる何かを抑えこみ、俺は務めて気のない返事を返した。
「この本のここの部分、『命は山に祀られ、また命は地に鎮められ、北の人、二つの命を欠かさず敬う』これ、どういう事かな?」
彼女が俺の顔を覗き込む。
「どういう事というのは、どういう事?」
俺は頭を掻きながら笑った。
「……」
彼女の目が細くなる。
整った面立ちのせいで怒っているように見えるが、これは彼女の考え事をする時の癖だ。
「つまりね――大聖堂きっての劣等生であるところの僕は、この本の下りに対して何ら疑問を抱かない。だから大聖堂きっての才女であところの君が、何を不思議がっているのかが皆目分からないのさ」
クスクスと笑って、更なる追い打ちをかけてみる。
「……」
彼女が黙った。
「いじわる」なんて軽い言葉を、彼女は決して口にしない。
じっと考え、必死に自分で答えを探そうとする。
究極なまでに奥ゆかしい、究極なまでの負けず嫌い――
腰に両手を当てて小首を傾げた才女なポーズ、彼女は静かに答えを待つ。
沈黙が長く続くと、決まって俺の方が先に音を上げた。
懐かしい――
「君が疑問に思っているのは、『二つの命』という概念だろう? なぜ山と地の二つに分けるか、分けるとしたら基準は何か、なんの違いがあるのだろうか――」
「罪人と有力者、身分の貴賎かなとも思ったんだけど、それだと『欠かさずに敬う』に繋がらない気がするの。あるいは自然死と病死か……」
こちらから切り出すと、素直な疑問がスラスラと出る。
「司祭端の才女がこれでは、リディアの未来が危ぶまれるね」
「……」
俺は素直とは言えず、必ず憎まれ口から入り、彼女の魔力を乱してようやく答えを口にする。
「これは北方特有の魂魄思想と言うやつさ。人の命が二つに分かれる。一人の命が二つなんだよ」
「一人の命が二つ……」
「鬼神信仰か」
サフィアが本を読みながら、ズドンといきなり会話に混じる。
理解ある友人に、俺は嬉しくなってつい饒舌になる。
「人の世には善悪がある。人の世には禍福が生じる。善にして福をもたらす魂が天へと上り神となる。悪にして禍もたらす魄は地へと降って鬼となる」
「神は天に近い山で祀り、鬼は地獄に近い地に鎮めるのか……なるほどなー」
彼女のそんなつぶやきに、思わずちょっと笑ってしまう。
他者を意識してない時の、彼女の独り言はこんなにも無防備だ。
「陰陽説とも取れるわね」
彼女がキリリと口調を戻した。
「元はまさしくそれだろう。善悪、禍福、魂魄、正負、世界は是非の裏表、光と闇は即ち陰陽――」
俺はコインを弾いて片目を瞑る。
「ご理解いただけましたか? ひめゆり」
「『ひめゆり』はやめてほしいんだけどなー」
これも彼女の独り言だ。
聞こえざまなのあたり、ちょっとこちらを意識している。
「ひめゆりー」
陳腐なのはわかっていても、ついつい口にしてしまう。
「……しょうがないなー」
彼女が俺の後ろに回って、椅子をぐるりと回転させた。
「うん?」
彼女の両手にそれぞれ握られた本の背表紙から、
――シャキンッ
刃が飛び出した。
「……え?」
感情の読み取れないサファイアブルーの瞳はなお美しく、表情は静かで穏やかなままだ。
「ふッ!」
彼女が本を振り下ろし、俺は両膝の皿を刃で叩き割られた。
○
「うわぁお――ッ!?」
俺はベッドの上で跳ね起きて、火を起こさんばかりの勢いで膝さすった。
高鳴る鼓動、じっとり汗ばんだ体、全身の関節と言う関節がギシギシ軋んでいる。
「はぁ……はぁ……ッ」
起き抜け一番ハァハァである。
「夢……? 夢ですよね、夢……」
再びベッドに体を沈める。
なんだこの夢、なんだこのオチ――
夢と言うのは、浅い眠りの間に人が見る記憶情報の整頓だ。
知識の最適化の様子を見ることもあれば、最適化の傾向から漫然と全体を捉えた抽象的な映像を見ることもある。
サフィアがキャストで出てたのは良いとして、監察の神官長が俺の旧友設定だった辺り、夢らしい夢ではあった。
なんだ「古代術式研究部」って――
因みに、修行時代の俺はなんの部にも所属していない。
修行後は友人とコインの曲撃ちやオリジナルショットの開発に勤しみ、懸命に聖書や辞書を引いて命名に苦心していた。
「ふッ……」
額に手を当てて思い出す――
片膝を上げて体を捻りながら両手で銀の弾丸を放つ曲撃ちに、俺は「デス・ペナルティ」と名をつけた。
対して、銀の散弾を股下から放屁如く繰り出す技に、「カサンドォラ」などと名付けていたすきっ歯のケインは、何処で何をしているだろうか――
「……懐かしい」
甘酸っぱく生じょっぱい青春の想い出である。
――すぅッ
不意に耳元で空気が揺れ動き、俺は横に目を向けた。
視界に飛び込んでくる、桜の花弁ごとき唇――
「あら……?」
遮光カーテンの隙間から漏れた朝日が、絹糸のようなブロンドヘアーをキラキラと輝やかせている。
「え?」
長いまつげを蓄えた目は半開きで、焦点の定まらない虚ろげなサファイアブルーの瞳が納まっていた。
「……」
「……すぅ」
音を立てているのはこれだ。
やたらとピチピチの赤いチェックのパジャマが清らかな体をいやらしく締め付け、大きく口を広げたボタンとボタンの間からへそだの胸の谷間などが絶妙の面積で覗いている。
見るともなしに目に入ってしまう青みがかった白い下着――
「あら……?」
言葉がループする。
「……すぅ」
相手もループする。
いや、これは単に寝息が整っているだけか。
「……」
俺は無言で彼女の顔に手を当てて、そっと瞳を閉じさせた。
涅槃寂静――
一度閉じた眼はまたゆっくりと半眼に開いた。
諸行無常――
意味が分からない。
「ええと……?」
俺はいつものパジャマを身につけている。
周りに視線を巡らすと、いつも俺が寝起きしているラブリッサ商会の自室だった。
「……」
額に手を当てて考える。
夢の続きだ、間違いない――
彼女が隣に寝ていると言うのがまず、突拍子もなさすぎる。
かつ、ピチピチなパジャマ――例えるならアヤサイズのパジャマを着ているというのがさらに突拍子ない――あれ? ……いや、突拍子ないはず。
「はやく目覚めなくては……」
俺はそう自分に言い聞かせ、また目を瞑った。
何か違う。
「……すぅ」
暗闇の中でも、やはり吐息に耳をくすぐられた。
俺は静かに身を起こし、再度あられもない姿の彼女を見た。
折り曲げた脚を交差させた回復体位、腰やら太ももやらわき腹やら横乳やら――女体の弾力によってパジャマの布地がぱっつんぱっつんになっている。
これはピチピチパジャマと言う現象である。
「ん……」
彼女が僅かに身じろぎをし、パジャマの裾がペロンとめくれ、白いお腹が露出した。
――グリュリッ
瞬間膨張した劣情が、鳩尾あたりでのたくった。
「……」
俺は額に手を当ててしばし考え、ベッドのお宮に置いてあるコインを手を伸ばした。
コイントス――
これ行ける?
ヤれちゃったりする?
いやいや、流石にこれは夢だろう、
うん? 夢なら何をしても良いのでは?
コインキャッチするも、結論が出せない。
いや良く考えろ、相手は監察の神官長だ。
魔法銀の鞭でシパーンする毒花だ。
思いとどまれ我が息子、後が恐い――
俺はトスの結果を見てしまわないように目を瞑り、静かにコインをお宮に戻した。
もし女神のコインがイエスを示していたならば、止まれる自信がまったくない。
静かにベットから降り、静かにスリッパに足を通し、静かに部屋を脱出――
――ビンッ!
「んのぉ!?」
しかし、何かに足を取られすっ転んでしまう。
引かれた足首に目を向けると、細長い何かがきつく結ばれていた。
「じゅ、呪縛縄!?」
罪人を縛ったりする時に使う特殊な縄で、呪式を編みこんでいるため刃物や魔力を使っても断ち切る事が難しい。
足首から伸びる呪縛縄は、ベットで眠る彼女の手首に繋がっていた。
「ん……んっ――」
縄に腕を引かれた刺激によって、ピチピチパジャマの女神が目を覚ました。
「……おはよう」
「なにもしてません」
爽やかで当たり障り無い朝の挨拶である。
「それは大丈夫かな。んん……ッ!」
彼女が俺のベッドの上で伸びをした。
ピチピチパジャマであり、かつ女の子座りであって、拙いボタンが弾け飛びそうなのである。
「何かあった時は膝が――」
言葉半ばで彼女が欠伸をする。
「どうなっていたというのか」
今朝の悪夢が脳裏にフラッシュバックし、動悸息切れが再発した。
「割れる」
「……」
今朝は人生のイエス・ノーを正しく選択できたようだ。
夢というのは記憶と知識の整理、時にそれは何らかの危機を啓発している。
「んー……」
寝ぼけ眼の彼女は自身の首筋に手を回し、襟足あたりをゴソゴソとまさぐって一本の針を取り出した。
彼女が針を手首の縄に刺すと、
――ブチッ……
俺の足首と彼女の手首の縄が同時に千切れて地に落ちた。
「縄が外れれば、膝爆弾の呪いは大丈夫だから」
「もう襲っても平気ってこと?」
――ゴトリ……
彼女が俺のお宮に置いてあった例の杖を手に取った。
「すみませんでした」
俺は即座に土下座した。
俺のベッドのお宮に、あんな凶器が置かれていたとは気付かなかった。
「身に染みているようね」
「ええ、まあ……」
体は治療してもらえたのか痛みは残っていない。
染みているのは体ではなく心の方だ。
「貴方、熱を出して気を失ったのよ。覚えてる?」
「あまり定かじゃないが、なるほど……」
体を鍛に鍛え抜いた格闘家でも、激しい打撃戦の後は熱を出して寝込むものである。
鞭で三十回も打たれれば、気も失う程の体調不良も起こそう。
しかし――
となれば、俺は彼女によってここに運ばれたことになる。
なぜ大聖堂でなくラブリッサの商館だったのだろうか。
そもそも彼女は、なぜこの場所を知っていたのか――
悩める俺に、彼女が視線を流してよこした。
寝癖のついた頭と、サイズの合っていないパジャマ姿、知的に輝く瞳のギャップにまたしても劣情が首をもたげる。
「この場所は調べがついていたし、近かったから」
こちらの疑問を見透かしたかのような答えを口にして、彼女はカーテンの隙間から外の様子に目をやった。
「寝すぎた……着替える」
「手伝おうか?」
――ジャラリ……
杖の先端からコインの鎖が飛び出した。
「自分は表で警備を行います。バスなりシャワーなりご自由にお使いくださいませ」
誠心誠意の土下座を行う。
この遊び人、自室の警備ぶりには定評がある。
「会長さんに部屋を借りているから大丈夫よ」
ロッドの鎖を収納し、彼女はやはりサイズの小さいアヤのスリッパを履いてベッドを降りた。
部屋を借りているのなら、なにゆえこんな寝起きドッキリをしたというのか。
わざわざ膝爆弾のブービートラップまで仕掛けておいて。
「話をする前に逃げられても困るから」
「……」
再び心の中を見透かしたような言葉を残し、彼女はピチピチパジャマのお尻を振って、俺の部屋を出て行った。




