零話 プロローグ
これは七月のはじめのことだった。
「ふう……」
博臣は朝登校と同時に机に突っ伏していた。彼や彼の幼馴染の住んでいる集落からこの高校へはバスやら電車やらを駆使して来なければならず、面倒臭狩りの博臣にはかなり疲れる作業である。普段ならば彼は所構わず、授業中であろうと寝てしまうわけだが、今日は違った。朝から数学である。「江戸っ子おやじ」こと、数学教師の説教を受けるのは、彼にとっては最悪の事項なわけである。よって、彼は少しでも英気を養おうと寝ようとしていた。
そんな希望も彼女によって打ち砕かれるのだが。
「おきてよ!博臣!」
「……んあ?」
パルスイートを口に含んだような甘ったるい声を不快に思いつつ、彼は顔を上げる。
「何だ塔子か」
「なんだとはなんだよっ!」
朝からうるせえな。と博臣は思った。彼は今絶賛不機嫌である。
「……なんだよ」
渋々顔を上げ塔子を見る。
彼の目にうつったのは、顔の整った少女だった。その顔の上に茶色の髪がショートヘアーサイズで収まっており、その頂点からはアホ毛が一本立っている。
彼女の名前は、白石塔子という。彼の幼馴染であり、親は死んで天涯孤独。彼の隣の家に住んでいる。
その塔子は、頬を赤く上気させ、目を輝かせ、彼に唾を飛ばすぐらいの勢いでしゃべり始めた。
「今日転校生が来るんだって!」
「へー……こんな時期に珍しいもんだな」
彼はこの手の噂話に疎い。クラスの交友関係も最小限であり、彼とそんな話をするのは、塔子くらいのものであるからだ。
「そうだよ! こんな時期に転校とかなにか裏がありそう!」
こういう時の塔子の辞書に疑問形などない。断言だ。
「普通に考えて親の転勤とかじゃねえの?」
「あまい! 甘々だよ! 博臣! どれぐらい甘いかというと中学の時の同級生の科内くんが常備していたチョコぐらい甘いよ!」
あいにく彼は、科内と同じクラスになったことがない。しかし、そんなことも御構い無しで塔子はさらに続きをいう。
「そんなに甘いと科内くんぐらいブクブクと太っちゃうよ!」
正直お前の声のほうが甘いと博臣は思った。
「実は異世界に召喚されてて、帰ってきた勇者とか!」
「やめろ。お前が言うと洒落にならん」
「?」
「……気にすんな」
「まあ、いいや! とにかく、博臣は高校生らしくそういうイベントにときめこうよ! 博臣、実は今日パンを咥えて走って角で転校生とぶつからなかった?」
「……角もクソも、俺達は朝からずっと一緒に登校してたし、そもそもバスと電車の乗り継ぎだけで登校しているのにもかかわらず、そんなイベントが起きるとかどうなってるんだよ……」
そのようなことを言うと、塔子は右手を顎に当てた。
「うーん……じゃあ、やっぱり転校生は男かな……」
「訳がわからん……」
と、そんな話をしているうちにチャイムが鳴った。
「またくるー!」
とか何とか言いながら塔子は教室を出ていった。塔子は隣のクラスだ。
「おーっすおまえらHR
はじめる気にならねーっよ!」
教師の叫び声を合図にして彼は机に突っ伏した。
彼はあまりの騒がしさに顔をあげた。
「え、えと、この学校に転校してきました。長瀬竜二です。よ、よろしくお願いします」
彼が顔を起こしたのは、転校生の自己紹介の真っ最中だった。
極度の緊張のためか頬は上気し、真っ赤だし、なんだかカミカミだが必死で自己紹介していた。
どこか幼さを残す顔であったが、そこが彼の良さを引き立てていた。
「このクラス見てどう思った―?」
女子の一人が彼に質問した。
「え、えと、このクラスの女子は美人が多いので、き、緊張してます」
「あたしは?」
「へ?」
担任の一言でクラスは凍った。
しかし、そのあとの彼のもう一言の方が衝撃的だった。
「そ、その……僕は先生になら罵られてもいいかなって思いますよ?」
言われた張本人の担任の頬も赤くなってる。キュンキュンとか言う擬音も聞こえてくる
「かっこいい……」
「やばい長瀬くんしびれる」
「さらっとあんなギザなこと言えるなんて……」
「長瀬すげえな……」
「あいつのこと、俺は尊敬するぜ……」
博臣は周りの状況においていかれていた。というか理解できなかった。
「すげえぜ長瀬!」
「私……長瀬くんのことが……」
「宮地くん狙いだったけど長瀬くんに変えようかな……」
「……科内くんのほうがかっこいい」
「やべえな……俺までときめいちまった……」
「お前それはアウト」
彼は机に突っ伏すことにした。ついでに思考も放棄した。
「俺だー! 長瀬―! 結婚してくれー!」
「だからアウトって」
「み、宮地くんだっけ」
彼は怒涛の数学を乗り切り、その後爆睡を開始、英語、地理などを得意の影の薄さで、快眠を邪魔されることなくこなしていったが、昼休みに邪魔された。
「……なんだ」
顔を上げると、そこには件の長瀬がいた。
「そ、その、職員室の場所が解んなくなっちゃったんだけど。連れてってくれない……かな? 書類届けなきゃいけないんだけど……」
「別にいいが――」
「ど〜ん! みんなのアイドル白石塔子さん登場なのですっ!」
「はいはい……」
彼はカバンをあさり、弁当箱を取り出す。
「む、いつもは頼まないと弁当を出してくれないくせに……」
「急ぎの用事ができただけだ」
「お、件の転校生さんじゃないですか!」
弁当の関心の薄さに彼はがっくりきた。ついでに明日は塔子の嫌いなアスパラを弁当にいれると決めた
「……」
塔子は転校生を上から下までじっと眺めると博臣の横にトトトトッと移動して耳元に口を近づける。
『そ、相当のイケメンさんですよ。これは勇者さんの可能性もあるんじゃないですかね』
「ねえよ」
思わず口に出して返事してしまう博臣。
「まあ、いいや。お弁当もらえたし。んじゃ! 放課後ねー」
塔子はそう言うとズダダっと教室を後にした。
「あ、ありがとう」
「いや? 別に?」
職員室つれていくだけで感謝されちゃたまらない。そう彼は思った。
「しかし……他にもクラスメイト居ただろ。なんで俺なんだ?」
「そ、それはそのまりょ……こう、人がよさそうなオーラを感じたんだよ」
「……?」
何を言いよどんだんだのか彼には聞こえなかった。
「と、とにかく、もう大丈夫だから」
「そ、そうか」
それから彼は長瀬に別れを告げ、その場を後にした。
「……魔力。感じなかった」
「そうだよね。あの時はとても禍々しい力を感じたんだけど」
彼が去った後、竜二はその傍にいる、小柄な幼女とそんな話をしていた。