伝説の道具について
次の日の朝、雪は自然に目を覚ました。目をこすり、一つあくびをする。そのままぼーっとしていると、隣で髪の毛を整えているシェルファが挨拶してきた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
その声を無視し、雪はお腹を押さえる。そういえばまだ何も口にしていない、彼女は空腹を感じた。
「パンがありますから、朝食にしましょう。果実で作ったジャムもありますよ」
シェルファは隣に置いてあったバスケットを取ると、その中身を雪に見せた。食パンが数切れと赤いジャムが詰められた瓶が入っている。
「光一、健一、いい天気ですから起きてください」
シェルファは雪にカゴを持たせると、二人に声をかけた。
「ん、もう朝か」
健一が目をさまし、ぼんやりとした眼でシェルファを見る。
「う、あと少し……腹減った」
光一は唸るだけで目を開けようとはしない。
「昨日は何も食べてないですからね。今から朝食なんです、起きてください」
「食えるのか?」
「はい」
「よし!」
光一は朝食と聞くや否や飛び上がった。そして雪の手にあるカゴを見ると、早く早くと催促する。雪は手を出してくる光一に黙ってカゴを渡す。
「早く食おうぜ! 世界を救うなんて腹が減ってはできないだろ」
「そうですね」
四人は輪になって座った。四人はそれぞれ食パンを一枚取る。
「ジャムもありますからご自由にどうぞ」
シェルファはジャムの瓶を取り出すと、地面に置いた。光一がすかさず中身を取り出すと、パンに塗りたくる。
「お前、よくそんな塗れるな。絶対甘いだろ」
「健一は甘いもの苦手ですか?」
シェルファはパンにジャムが塗られる光景を見ている。
「ああ。甘いものは無理だ」
健一は光一のジャムたっぷりのパンから目をそらし、食パンをそのままかじった。
「雪も苦手じゃなければ……」
雪はだまって受け取ると、軽くパンに塗った。塗り終えると瓶を元の場所に戻す。雪以外の三人が今も輪の内側に身体を向けている中、彼女は一人背中を向けた。
「どうした?」
「ほっとけよ」
健一が小声で光一にささやく。その様子は厄介ごとに関わりたくないかのようだ。
「雪……」
シェルファは何かを言いたげにしている。
雪はさっさと元の世界に戻りたかった。そうすれば他人ともにいる必要はない。誰かに構われるのはうっとうしいだけだった。雪は食パンを口に含んだ。パンとジャムの味が口の中で混ざる。とりあえず口を動かし食事を進めた。
「朝食を終えたら、一度町へ行き、そこで道具についてお話しする予定です」
しばらくしてシェルファが口を開いた。
「頼むぜ」
「おい、そんな急いで食べたら喉に……」
「大丈夫だって! だいじょう……」
「おい、平気か。水は?」
「ここにあります。大丈夫ですか?」
「……はあ、はあ。もう平気だ」
「気をつけろよな」
後ろから聞こえた会話――内容から察するに光一がパンを喉につまらせたのだろう――、それもできれば耳にしたくない。雑音を聞きながら、雪は黙々とパンを食べていた。
「川原、水いるだろ? 喉につまらせたら大変だ」
光一が苦笑しながらコップの水を差し出してきた。雪はためらい、受け取らない。すると光一はそれを地面に置く。彼は輪の内側に向き直らず、雪の顔を見る。
「川原は鉛筆だったよな。どんな力があるのか今から楽しみだ」
光一は期待に胸をふくらませている。雪は何も言わない。
「でも伝説の道具が文房具っておかしいよな! こんな展開、ゲームで見たことないよ」
光一は一人で笑っている。雪は笑わない。
光一は言葉を止め、複雑な表情をした。そのまま食パンをかじりながら、時々雪をちらりと見る。雪はその目線が不快で、彼に背を向けた。
「川原」
光一が後ろから呼びかけてくる。いい加減黙ってほしい、雪は心の中で文句を口にする。しかしそんなことを気にかけず、光一は未だに色々と話しかけてくる。
「いきなりこんなことになってさ、嫌なのも分かる。だけどお前は一人じゃない。俺や健一、シェルファがいる。だから何か悩みがあったら言えよ」
絶対に言わない、雪はこの思いに自信があった。絶対、誰にも頼らない。それから雪を除いた三人は先程と同じように会話を始めた。ただ先程と違うのは、光一が輪の内側を見ていないことだった。
「正直パン一枚は少ないな」
健一は物足りなそうに水を飲んでいる。
「ごめんなさい。町に行ったらたくさん食べさせますから、ちょっと我慢してください。……雪は食べ終わりましたか?」
「ええ」
雪は答えると、シェルファたちに身体を向けた。
「では出発しましょう。今からだと町についたらすぐ昼食をとるのがちょうどいいでしょうね」
シェルファは立ち上がり、服をはたいた。雪たちも立ち上がる。そしてシェルファの後についていくのだった。
町につき、レストランで昼食をとった後、四人は近くの宿屋で部屋を二つ借りた。そして現在、一つの部屋に集まりシェルファの話が始まろうとしていた。
部屋にはベッドが二つあり、奥のベッドに健一と光一が座り、手前のベッドにシェルファと雪が座っている。
「ではさっそくお話しします」
シェルファが差し出した箱の中には昨日と同じように鉛筆、ノート、定規が入っていた。ただその色は白ではなく銀色のまま。それはつまり持ち主がすでに決まっているということだ。
三人はそれぞれ文房具を掴み、シェルファの話を待つ。
「昨日話したのは伝説の道具についての一部です。まずノート。昨日は開いて破いただけですが、他にも力があります」
「それで?」
「例えばノートの大きさを変えられます」
「うんうん、それで?」
「変えることにより、より大きな図形を描くことができます」
「で?」
最初は普通に話していたシェルファだが、彼女が言い切る前に光一が続きを急かす。そのせいか徐々に困ったような顔つきになった。
「……言いますから、静かにしてください」
「分かった。で?」
「あなた、本当に分かってるの?」
雪が不審げに問うと、光一は「分かってるって」とのんきに手をふった。
「あとは……あ、これも必要なことですね。雪、ノートに何かかいてください」
「何を?」
「丸でも四角でも文字でも、何でもいいです。適当にかいてください」
雪は首を傾げつつ、言われた通りノートに丸をかいた。
「これでいい?」
「はい。光一、このノートを持ち、このページが増えるように念じてください」
「ど、どうやって?」
「頭の中で増えろって思えばいいんです」
光一はノートを持つ手に力を込め、増えろと口に出して唱え始めた。増えろ、増えろという言葉が何度も発せられる。しかし何かが変わる気配はない。雪と健一は疑いの眼差しをシェルファに向けた。相手は成り行きを見守っているらしい。
「増えろ、増えろ。おい、いつまでやればいい?」
しばらくして光一は疲労の色を見せた。シェルファは開かれたノートを受け取る。
「上手くいけば光るんです」
「上手くって、どうすればいいんだ?」
「もっと真剣に……そうですね」
シェルファは説明に困ったのか口ごもっていたが、やがてひらめいたらしく、ぱっと顔を明るくした。
「目を閉じてください。そうすれば集中できるはずです。そうだ、それで上手くいった人います」
(上手くいった人……?)
それは誰だろうか、雪はふと疑問に感じた。しかし気にする程のことでもないと思い直し、何も聞かなかった。
シェルファは光一にノートを返すと、もう一度やってみるようにと勧めた。
光一は目を閉じ、同じ言葉を繰り返す。増えろ、増えろ、増えろ……。少しの間彼の言葉が聞こえたかと思うと、突然ノートが輝きだした。光一はびくりとし、ノートを落としてしまった。
「何やってるのよ、馬鹿」
雪は光一を白い目で見た。その声は非常に冷たい。
シェルファはノートを拾うと光一に返して、満足げな笑みを浮かべた。
「成功です。開いて見てください」
「ああ。……あれ、おお! 川原のかいたページが二枚になってる。おい、見ろよ」
光一に勢いよく突き出されたノートを取り、雪は確認した。左のページには雪の作った丸があるが、右のページにはない。別のページにあるのかと思いページをめくろうとしたが、のりではりついているかのようにぴったりとくっついていた。
「見れない」
雪は無理矢理引きはがそうとしたが、ノートは切れることすらない。
「しっかりしろよ。……あれ」
健一が呆れた目つきでノートを奪うが、彼にも開くことはできなかった。
「文房具はそれぞれの持ち主にのみ使える。だから光一以外がページをめくることもできません」
シェルファは当たり前のように言うと、健一からそれを奪い光一に渡した。
「ほら、あるだろ?」
光一が造作なく次のページをめくると、確かに雪のかいた丸がそこにもあった。
「ノートの大きさが変わる、同じページを複数作れる……それが普通のノートと異なる特徴です」
「他には?」
「それだけです」
シェルファがきっぱりと言うと、光一は物足りなそうな目をした。そのままノートを見て、上下左右に動かしたりページをめくったりしていた。
「あ、そうだ」
シェルファが思い出したように付け加える。
「魔物にぶつけるとページの端に文章、雪たちには読めませんでしたよね。その文章が読めるようになる方法があるんです」
「どうやるんだ?」
「まず……」
シェルファは光一に説明していた。しかしノートに浮かび上がった文字でないと実践はできないらしいので、あくまでもやり方だけを頭に刻んだ結果となった。
説明が終わると、シェルファは健一を振り向いた。
「では次は健一ですね」
「そうだな。これにもあるのか? 俺以外に目盛りは見えないらしいが……」
「はい。その定規にある力は一つなので、すぐに話は終わります」
「よかった」
「何がですか?」
「教えられることが多いと頭が混乱しそうだからな」
健一は苦笑すると、定規をシェルファに差し出した。
「健一、定規の端に赤と青の印がついているのが分かりますか?」
雪は彼の定規に目を向けた。目盛りは相変わらず見えないが、赤と青の四角い模様は見えた。
「その赤い方を押してください」
「ああ。押した。……何も起きないが、これでいいのか?」
健一は定規の端を自身に向けた。
「あ、自分に向けたら危ないですよ」
シェルファが注意するが、すでに手遅れだった。定規はいきなりその長さを伸ばし始め、健一のあごを直撃した。その拍子に手から離れた定規は音を立てて床に落ちた。彼はあごを手でさすり、痛そうに顔をしかめている。
シェルファは心配そうに健一に声をかける。雪はくだらないと思うのみだ。
「少し痕になってますね……」
シェルファが健一の手をどかし、優しくなでている。彼女の言う通り、健一のあごは線の形に赤くなっていた。
「その定規の力は……」
「赤を押すと伸びるんだな。よく分かった」
健一は相変わらず顔をしかめている。
光一はずっと頬をぴくぴくと動かしていたが、やがてこらえきれなくなったのか思い切り吹き出した。そんなに笑ったら失礼だとシェルファは咎めるが、彼には聞こえていないのかもしれない。健一は不機嫌になり、雪はうるさく思う。光一はしばらく笑い続け、時々布団や枕を叩いていた。その度にホコリが舞う。
「はあ、はあ……大丈夫か?」
光一は苦しげに呼吸をしながら聞いた。
「……一応な」
健一は気に入らないといった目を光一に向けている。
「そんな怒るなよ。あれを見て笑わない奴はいないって」
光一の笑いはおさまってきてはいたが、油断をしたらすぐにでも笑いだすのではないかと思われた。
「お前以外は笑ってなかっただろ」
健一が反論する。
「怒るなって。な? 俺も悪かったって」
「俺もって……」
「シェルファ、定規の話はそれで終わりなの?」
二人のやり取りを聞いていられず、雪はシェルファに話しかけた。
「はい。次は雪ですね。光一、健一、話しても平気ですか?」
「そんなの放っておきなさいよ。私の鉛筆についてなんでしょう?」
「そうですけど……道具の効果については全員に知っておいてもらいたいんです」
シェルファは光一と健一の話が終わるまで説明を始める気はなさそうだ。
雪の目の前ではまだ言い合っている二人がいる。それに我慢ができず、気がついたら雪は口を挟んでいた。
「いい加減にしなさいよ。そんなくだらない話、あとでいくらでもできるでしょう?」
「……そうだな。悪いな二人とも」
光一はすぐに静かになった。健一は雪の言葉が気に入らないようだったが、話を聞いてくださいとシェルファに言われると、言葉をとめた。
「最後は鉛筆についてです。これも昨日でほぼ使い方は全部なんです」
「なら説明はないわね」
雪は立ち上がろうとする。
「待ってください。まだ少し残ってるんです」
シェルファに引き止められ、雪はあげかけた腰を下ろす。
「鉛筆はその芯の色を変えることができるんです」
「芯の色を……?」
雪は鉛筆の全体をまじまじとみた。動かして色々な角度から見つめた。鉛筆の端――削られていない方を見れば、普通の鉛筆と同じように真ん中に黒い芯が入っている。改めて普通の文房具と大差ない見た目を確認した。
「どうやって?」
「色が変わるように念じてください」
「それって俺がノートのページを増やした時みたいにか?」
「はい」
「川原、頑張れよ。大丈夫、俺だってできたんだから」
「うるさい」
雪は芯の先を凝視した。まず芯の色が赤くなるように念じる。目を細くし、力を込める。
「芯の色が赤くなったのを想像するといいですよ」
シェルファの助言を受け、雪は芯の色が赤くなる様を想像する。すると徐々にその色が先から変化し始めた。黒色を包み込むように赤色が芯全体を覆う。芯の中身を確認するため爪先で削ってみようと指先を芯に触れると、微かに熱かった。我慢できないほどではないので指を動かす。爪についたのはもちろん赤い芯だ。そして削られた芯は、少し駆けた部分も含めて全てが赤色をしていた。
「雪、上手ですね」
シェルファは彼女を褒めると、今度は青にしてほしいと頼む。雪の頭の中に徐々に青くなる芯の姿が浮かんだ。そして浮かんだ通りの芯が目の前に現れる。
「これでいい?」
「じゃあそれも少し触ってみてください」
「また……?」
触れてみて雪は指先を確認した。赤い芯の時は感じた熱が、今度は全く感じなかったのだ。それどころか指先は冷たくなっている。
「芯の色は赤と青と白に変えることができます。また赤色だと熱くなり、青色だと冷たくなるんです」
「白だとどうなるんだ?」
興味津々といった風に光一が話に割り込む。
「白になると一度書いた線を消すことができます」
「へえ、消しゴムみたいなもんか?」
「はい。これらはいずれ必要になると思うので、覚えていてくださいね」
シェルファは雪に顔を向けて念を押す。
雪は箱に鉛筆を戻そうとし、シェルファに止められた。怪訝な顔をする彼女に、シェルファは「戻す必要はない」と言う。
「でも、正直邪魔なのよね」
「持ち運びを楽にする方法、言いませんでしたっけ?」
シェルファは説明する、持ち運びを楽にするために、伝説の道具をアクセサリーの形に変形させることができること。必要な時は念じればすぐに伝説の道具としての力を利用できること。
「やってみてください」
シェルファに促され、三人はそれぞれの文房具を凝視した。そしてしばらくすると、手にしていたはずのそれが消えている。
「右手の薬指に指輪がありますよね。それが伝説の道具のもう一つの姿です」
雪たちのそれぞれの指に、銀色の指輪がはめられていた。
「外すこともできますが、なくしたら大変なのでなるべく身につけていてくださいね」
「定規を使いたい時はどうすればいいんだ?」
「使う時はまた念じてください。そうすればすぐに姿を現します」
これで説明は終わりです、最後にシェルファはそう付け加えた。