近づく最後
夜。シェルファに話があると言われ、雪たちは一室ーー光一と健一が泊まる部屋ーーに集まった。光一はベッドを一つ占領して寝転がり、足を動かしている。健一は椅子に座り、黙ってシェルファの話を待つ。そして雪は、部屋の入口近くの壁にもたれかかり早くして欲しいと目でシェルファに訴えている。しかしシェルファはなかなか口を開かない。光一の動作の音、時計が時を刻む音などを耳にしながら、雪達はシェルファの話を待っていた。
「ねえ、いい加減にして。話があるならさっさとしてよ」
とうとう雪は痺れを切らした。シェルファは顔を伏せてしまう。健一は大丈夫かとシェルファを気遣う。
「実は……あと三日ほどで到着するんです」
「どこにだ? うまいもんがある村か」
光一が足を上下に動かしながら、声をはずませて問う。
「いえ、塔です」
シェルファは明るさを全く感じさせない声で答える。
「塔?」
「私たちは終わりの塔と呼んでいます」
「それって何なんだ?」
健一が聞くと、シェルファは低い声で答えた。
「黄金の消しゴムを封印してある場所です」
「それってつまりラスダンってやつか!」
光一は勢いよく身体を起こした。ついでに人差し指を立て、自信満々な様子である。
「ラスダン?」
シェルファは首を傾げる。
「ラストダンジョン。ゲームでいえば、ボスがいるような場所」
光一は意気揚々と説明すると、再びベッドに寝転がった。その際に布団の誇りが宙に舞い、健一が咳き込んだが、光一はそれが自分のせいだとは気づいてないらしく、気持ちよさそうに腕を伸ばしている。
「おい、そんなゲームみたいに言うなよ。これ、遊びじゃないんだぞ」
「じゃあ、どう言えばいいんだ?」
健一の非難に返事をする光一は気分を害したふうではなく、むしろ面白がっているように見える。シェルファは小さくため息をつく。
「これは遊びじゃなくて、現実なんです。とても重要な」
「ほら、シェルファも言ってるだろ。もっと真面目に考えろよ」
「気楽に考えたほうが楽だって。なあ、川原もそう思うだろ?」
「気楽に考えることしかできないのも問題だと思うわ」
「皆真面目すぎるんだって。大丈夫だって。俺たち四人いるんだから、どうにかなるさ」
光一は明るい調子で続ける。その拍子に健一の肩を思い切り叩き、彼は顔をしかめた。
「……ありがとうございます。光一のその明るさは見ていて気持ちいですね」
しばらくしてシェルファは小さく笑った。部屋に入ってからは初めて見せた笑顔だった。
「そうか?」
光一は照れくさそうに笑うと、頬をぽりぽりとかきはじめた。
シェルファは健一に目を向ける。
「健一はいつも真面目ですよね。なんといいますか、光一とは正反対。だけどその真面目さはいいところだと思いますよ」
「そ、そうか。シェルファにはかなわないけどな」
健一は困惑した感じに目をそらす。
シェルファは雪にも同じように笑いかけてきた。光一の笑い方とは違う何かがシェルファの笑みにはある、と雪は感じる。その正体は分からないが、無意識のうちに嫌悪を覚えさせる何か。
「三人の中で一番冷静なのは雪でしょうか。ちょっと自由すぎる気がしますけど。雪を見てると、知り合いを思い出すんですよね」
「知り合いって?」
光一が軽い調子でシェルファに聞く。一方雪は疑問には思ったが口にはせず、ただ時がすぎるのを待っている。一度壁にもたれるのをやめ、背中をはたく。
「それは……ごめんなさい、でも言いたくないんです」
シェルファは表情を曇らせた。何か考え事を始めたのか、しゃべることもやめてしまう。
「そうか。そんなに嫌なのか?」
「ええ……」
「光一、シェルファにも言いたくないことぐらいあるだろ。あんましつこくするなよ。シェルファ、悪いな」
不思議そうにしている光一を咎めてから、健一はシェルファに詫びる。シェルファは怒ったふうではないが、元気もない。辛そうな表情を、ただ見せている。
「大丈夫です。ごめんなさい」
「いや、シェルファは悪くないよ」
「……すみません」
「だから謝るなって」
申し訳なさそうに頭を下げるシェルファに、健一は優しく声をかける。
「……川原」
「何よ」
光一がにやにやしながら雪に近寄って、彼女の隣にもたれた。
「どう思う?」
「は?」
「だから、あれ」
光一は健一とシェルファに視線を向けた。そこでは元気のないシェルファと、彼女を何かと気遣う健一のやりとりが行われていた。光一はそれをにやにやとした様子で見つめているが、その理由が雪には皆目検討もつかなかった。
「あれ?」
「結構いい雰囲気じゃねえか?」
「何が」
「だからさ……」
光一はそこで言葉を止めると、その口を雪の耳元に近づけてきた。その息が耳に触れる。生暖かい。気色悪くて雪はすぐに離れた。
「何よ。何で近づいてくるわけ」
雪は左耳を勢い良く払った。光一は全く意に介した様子もなく、笑ってみせる。
「いや、大きな声で言うのもあれかと思ってさ」
「何?」
「だから」
光一は声を小さくして答える。
「あの二人だよ。結構いい感じだと思うんだけど」
何がいいのか、と雪はシェルファたちを見遣る。少し見ない間に、シェルファは気が楽になったのか、顔に明るさが戻り始めている。健一も笑っていて、それが雪には珍しく思えた。
雪は光一の発言の意図がわからず、少しの間二人を見てから首を傾げる。
「だから、よくゲームとかであるだろ?」
「ゲームはしないわ」
「……漫画で」
「読まない」
雪が即答する度に、光一は困ったように唸る。
「とにかく、あるんだよ。旅してて、メンバー同士がくっつく展開。あいつらもそうなったりしてな」
そういうことか、と雪は思う。いい雰囲気、とは恋愛に発展しそうな空気のことを言うのだろう。くだらない、雪は返事もせずため息をついた。
「あれ? 興味ないのか?」
光一は拍子抜けしたように問う。
「ないわ」
「へぇ……川原もこういう話題には反応すると思ったけど」
「なんでよ」
「だって好きじゃないか、女子ってこういう話」
光一はあっけらかんと答える。
「くだらない」
雪は恋愛事には興味がない。それが他人の恋愛ならなおさらそうだ。いつだったか姉が友人と恋の話で盛り上がっていた時も、きゃあきゃあ言っている様子が異常に見えた。なぜ他人の恋愛に興味をもっていたのか、それは今でも謎である。
「じゃあ、何に興味があるんだ?」
「関係無いでしょ」
「そうだ、本は好きだよな? 毎日のように放課後は教室で本読んでるもんな」
光一は思い出したように口にすると、俺は本読むと眠くなるんだよな、と軽く笑った。
(なんで放課後のこと知ってるのよ)
光一の言うとおり、雪は放課後の教室でよく読書をしている。家で読むより落ち着く、というのが理由だ。誰もいない教室は静かで、ゆっくりと文字を追うことができる。
「家に返ってから読めばいいのに。そんなに学校が好きなのか?」
「別に」
「そういや、あの日も読んでたよな」
光一は懐かしそうに呟いた。
「……あの日?」
「俺達がこの世界に来た時だよ。あん時、川原本読んでてさ。俺は忘れ物を取りに来て、健一も取りに来て。それで三人そろって……ん? おい、シェルファ!」
楽しそうに語り続ける光一だったがふと言葉を止め、考える素振りを見せた。数秒が経過したあと、光一はシェルファを呼ぶ。
「はい、何でしょうか」
健一と雑談していたシェルファはすぐさま反応を見せた。
「俺達がこの世界に来たのって偶然なんだよな?」
「ええ。ただの偶然です。選ばれたとかは一切ありません」
「今更それがどうしたんだ?」
健一は怪訝な表情をしている。
「でもさ、あん時俺達は三人同じ場所にいたんだ。来たのは偶然だったとしても、一緒にいなかったらここに来ることはなかったのかと思ってさ」
「……さあ、どうでしょう。でも、」
「でも?」
「そうかもしれませんね」
「心当たりあるのか?」
「おい光一、話をいちいち遮るなよ」
健一が呆れたように非難する。
「わりいわりい。で、あるのか?」
「ほんとに悪いと思ってんのかよ……」
シェルファは落ち着いた様子で顔にかかる髪を払う。
「今まで出会った異世界の人間は皆、言ってました。三人で何かをしてたら急にこの世界に来ていたって。三人きりだったみたいですよ」
「へえ。じゃあ俺達も三人で教室にいたから来たんだな」
「そうですね。その可能性は十分にあります……怒ってます?」
シェルファは不安げに聞いてきた。戻りかけていた笑顔が再び消える。
「怒ってるって、何がだ?」
健一が心配そうにシェルファの顔を見ている。シェルファはぽつりと呟いた。
「この世界に呼んだこと。光一は結構乗り気でしたが、雪と健一はそうでもありませんでしたし……一緒にいなければ、なんて思って……」
「大丈夫だって。心配するなよ。確かに早く帰りたいとは思ってるけど、何だかんだ楽しんでるつもりだ。光一は思い切り楽しそうだしな。まあ、どう思ってるか知らない奴もいるけどさ」
健一の言葉に、シェルファはちらりと雪を一瞥する。その瞳は不安げに見える。
雪はその目には何も言わず、ただ小さく息をはいた。
「私達が行く塔って、どんな場所なの」
「結構高い塔で、侵入者防止のため、文房具を持った人にしか解けない仕掛けがあります。でもそれは雪たちがいれば問題ないですね」
「……あなたは入れないの?」
雪たちがいれば、ということはシェルファだけでは無理ということなのだろうか。雪は怪訝な表情でシェルファに問う。
「入ることはできますが、仕掛けは解けないので……黄金の消しゴムには近づけません」
「そう……」
「ようやく物語も終盤ってことか。よし、ラストスパート頑張ろうぜ!」
光一が思い切り手を叩いた。その顔は気合に満ちているように見える。
シェルファは安心したように微笑んでいる。もう何も言うことはなさそうだ。雪は話が終わったのを感じ取ると、扉に手をかけてその場を後にした。
廊下を右に曲がると食堂があるからか、賑やかな話し声が聞こえてくる。それをうるさいと思いつつ、雪はただ歩いていた。あまり掃除がされていないのかそれとも掃除してもきりがないのか、床は足の形にこびりつく土や泥で汚れていた。