恨まれし者たち?
やっとのことで村に到着し、雪達は宿屋に一泊した。そして翌日、本来ならばもう村をでてもいい頃なのだが、ゆっくり身体を休めようというシェルファの提案で、この村に留まることになった。
その日の昼過ぎ、雪は一人宿を飛び出した。特に目的がある訳ではないが、シェルファが部屋で休んでいる為、部屋には戻りたくなかったのだ。宿の壁にもたれ、これからのことを考えていると、よく知っている声がした。
「川原、何してるんだ?」
それは親しげに話しかけて来る光一のものだった。その横には、健一の姿もある。
「……大丈夫なのか」
何が大丈夫なのかと怪訝に思っていると、健一は面倒くさそうに付け加えた。
「体」
「……問題ないわ」
雪はしばしの間をおいた後、そっけなく返す。
「俺たち今から村を一通り見てまわるつもりなんだが、川原もどうだ?」
光一が相変わらずの元気さで、雪を誘う。雪はうんともすんとも言わず、黙り込む。
「いいじゃないか。な? 行こうぜ。せっかく来たんだし、観光しようぜ」
「おい、無理に誘う必要ないだろ……」
横では健一が光一に反対している。しかし彼は聞く耳を持たない。ただ、しつこく雪に声をかけ続けるだけだ。いつもどおりの、友好的な笑みとともに。
(本当にしつこい。何言っても、無駄なのよね)
雪は心の中で溜め息をつくと、愛想無しに口を動かした。
「……いいわ」
だけど、と雪は続ける。
「必要以上に構わないでちょうだい」
「よし、決定だな! さあ、行こうぜ」
雪の態度に不快感を一切示さず、むしろ大喜びで光一は先頭を切った。その横で健一は微妙な表情をしている。
光一と健一が横に並んで進み、その後ろを雪が歩く。
「なあ、見ろよ。ここにもあのペロロとかいうのが飛んでるぞ!」とか「空気がきれいだな」だとか、光一は雪の頼みも聞かず、ささいなことでも声をかけてくる。ごく稀に返事をしつつ、雪は歩き続けていた。健一は一切声をかけてこないが、時々自分に視線を向けて来る。
「ほんと、平和ね」
雪はただ村の様子を見つめていた。近くの井戸で穏やかに会話をする主婦らしき女性の二人組。その近くでいたずらをした子供が、母親と思われる別の女性に叱られている。木には小鳥がとまっており、かわいらしい声で歌っていた。
「そうだな。天気もいいし、最高だ」
光一が賛同し、大きく伸びをしたり息を吸い込んだりしている。
「イレイザーとかいう人に世界が消されそうってわりには、のんき」
「文房具のことは皆知らないって言うし、そのことも知らないんじゃないか?」
「人が苦労してるのに、いい気なものね」
楽しげに世間話をしている村人を白い目で見つつ、雪達は歩を進める。
数十分後、平和な空気を壊すかのように人々がざわめきだした。
「なんだ?」
健一が眉をひそめ、辺りの様子を伺う。
「すみません! 何かあったのか?」
光一が近くの男に声をかける。彼は眉間に皺を寄せ、彼を振り向いた。
「魔物が村に入ってきて……」
「魔物?」
「それって危なくないか? 襲われたりしたら……」
健一が話に混ざる。光一も彼も、ひどく心配そうである。しかし男はそれほど慌てた様子もなく続ける。
「まあ、平気だとは思うけどな」
落ち着き払った男の様子に、光一と健一は戸惑っているようだ。雪は一人歩き、魔物の姿を探す。それは入り口ですぐに見つかった。
雪がそれを魔物と認識するのには多少の時間が必要だった。それは今までとは違い、身体が人間の肌と同じ色をしていたからだ。しかも二足歩行をし、手足は五本指。ただ爪は真っ赤で、口からは長い牙をのぞかせていた。腰にはボロい布が巻かれており、棒のようなものがさしてある。
(魔物……そういえば文房具を使わなくても倒せるのかしら? 昨日はシェルファが最終的に崖から落としてたけど……)
「あれが魔物? 初めて見た!」
子供が魔物に近づこうとし、その親と思われる男は、とりあえずといった風に子供をとめている。
「まあ、大丈夫だとは思うけど……下手に怒らせたらまずいよな」
肥満体型の男は、遠くから魔物の様子を観察している。
(ずいぶんとのんきね。警戒はしてるみたいだけど……切羽詰まった感じが全くないわ)
雪は木の陰に隠れ、魔物を覗き見る。魔物は顔をあちこちに動かしていた。その様子はまるで何かを探しているかのようだった。
「川原、ここにいたのか」
後ろから肩を叩かれ、雪はさっと振り向いた。
「あれが魔物か」
遅れて追いついた健一が目で問いかける。雪が頷くと、健一は頭を抱える。その後で自らの指輪を撫でた。
「……文房具は使わない方がいいよな」
「なんでだ?」
一人呟く健一に、光一がきょとんとした。光一はすでにノートを開いており、準備万端であった。
「なんでって……ばれないほうがいいってシェルファが言ってただろ。文房具は伝説としか思われてないとかなんとか」
「でも、襲われたらどうすんだよ」
理由を説明する健一に、納得できない様子の光一が反論する。
そんな二人を無視し、雪は人々の様子を観察していた。興味津々といった風に魔物を観察している人がいれば、今にも近づきたそうにしている子供がいる。追い払おうとか逃げようとかする意思が全く感じられなかった。
しばらく魔物はその場に立ち止まり、 顔だけを動かしていた。その瞳が、人々や魔物の状態を窺う雪のものとぶつかる。その瞬間、魔物の瞳に、それまではなかった憎悪がはっきりと現れた。雪は思わず、目をそらす。
「お、魔物が動き出した!」
誰かが興奮したように叫びだす。と同時に、人々のざわめきも大きくなる。魔物が進むにつれ、雪との距離がゆっくりと縮んでいく。すると魔物は突如走り出し、手を鋭い刃に変形させ、雪に切り掛かった。
雪は寸でのところで避けた。木に大きな切れ込みが入る。切れ込みのせいで自らを支えられなくなった木は倒れる。幸い倒れた方向に建物等はなく、被害は小さい。
魔物は動きを止めず、再び雪に襲いかかった。人々はおびえたように逃げ出す。残ったものたちも、魔物に近づこうとはしない。ただ、おろおろと見守るだけだ。
「ふざけんな、どっかいけ!」
手近な石を光一がぶん投げると、見事魔物の手に直撃し、刃の先端が欠けた。
「……あれって、手でいうと指がとれ」
「変なこというな!」
光一が呟きかけた言葉を全力で健一が封じる。
「シェルファがいれば……」
健一が疲れた顔でうなだれる。光一は枝やら石やら、手当り次第に投げつけている。雪は避けるので精一杯だった。
雪は左も右も区別なく、とにかく逃げ続けた。その際、村人と思われる若いひ弱そうな男にぶつかってしまった。雪は男に構うことなく逃げる。少しして魔物がその男の横を通り過ぎたが、襲いはしなかった。まるで雪しか見えていないかのようだ。
光一が手当り次第にモノをなげながら雪の側に駆け寄る。すると魔物は光一に切り掛かった。魔物の刃が、光一の胸ぎりぎりをかする。しかし運良く、彼は傷を受けずにすんだようだ。
どのくらいそうしていただろうか。身体中から汗が流れ、雪は呼吸をするのも苦しくなり、足下をふらつかせた。
「川原!」
光一が慌てて雪の腕を掴んだ。雪は倒れずにすんだが、腕を思い切り動かし光一の手を離そうと試みた。
「無理すんなよ」
「あ、危ないから行かない方が!」
と、どこからか聞き覚えのない男の声がした。
雪は男の方に目を向け、驚愕した。一人の女性ーーイレイザーの手下と思われるーーが、しっかりとした足取りで少しずつ雪と魔物に近づいていたのだ。
女性は雪に目を向けると、無言で雪を光一とともに魔物とは正反対の方向へ突き飛ばした。そして彼女は、魔物に触れた。その途端、魔物は攻撃を止めた。しかしあくまで動きをとめただけで、雪達への敵意はむき出しのままだ。それでも再度襲ってくることはなく、不服そうにどこかへと消えていった。
「なあ、あいつって」
「イレイザーの手下……なんだ? 俺たちを助けたのか?」
健一の疑問に答えられる者はいない。
「……よかったな。とりあえず一件落着、か?」
しかし、村人の間ではそのような結論になっていることは、彼らの表情を見れば明らかだった。何も知らない村人は、魔物が暴走をとめたことに安堵したらしく、胸を撫で下ろしている。さらに一人の男は黒髪の女性に対し、礼を述べた。しかし女性はにこりとしないどころか、興味すらないようだ。じっと雪達を見つめている。
「ああ。彼女達も旅人なんだよ」
「……」
女性は雪達に一歩ずつ近づいてきた。そして無言で、三人の顔をそれぞれ凝視すると、何もせずに背を向けて去り始めた。
「待ちなさいよ!」
雪が声をはりあげるが、女性は全く反応せず、そのままいなくなってしまった。
「大丈夫か?」
一人の中年の男が、不審そうに聞いてきた。それに対し平気だと答えると、村人は疑いの色を一層強くした。
「お前達、何かしたのか? あの魔物に」
「何もしてないわよ。勝手に襲ってきただけ」
「大丈夫ですか?」
村人と思われる女性が優しく雪の手に触れてきた。
「でも、魔物が人を襲うなんて、珍しいですよね」
女性は雪の身体に異常がないかを調べている。
「……珍しい?」
雪は眉をひそめた。今まで遭遇した魔物は必ず自分たちを襲ってきた。てっきりそれが当然だと考えていた。
「ええ。だって基本的に魔物は人間に危害を加えないでしょう? この村にいたかしら? 魔物に襲われた人って」
「いたよ。何年か前に。ほら、ビリーが」
「どうして襲われたんですっけ?」
「あれは魔物のしっぽを踏んじまったからだよ。あとアルトが蹴った石がたまたま魔物に当たった時も、かなり怒ってたよな」
「そんなこともあったわね」
ほんとあれは大変だった、と女は懐かしそうに笑う。
男はしばらく女と親しげに笑い合った後、鋭い眼差しを雪にぶつけた。
「普通、魔物は人を襲わないんだ。なのになんで、襲われた?」
「知らないわよ。そんなの」
「何か恨まれてるんじゃないか?」
魔物に変なことするなよ、男はそれだけ言うと女とともに帰っていった。
「……魔物って、人を襲わないの?」
自らの耳を疑いたくなるような発言に、雪は疑問を覚えるしかなかった。
「でも俺たち、何回か襲われたよな」
雪の言葉に続き、健一が眉をひそめる。それから一人、指を折り始める。
「まずシェルファと会った日に一回、森で一回。それから昨日……三回か。あれ、森では二回だったか?」
「ゲームとかだと何歩か歩くとモンスターと戦闘だろ。それに比べれば少ないと思ってたけど……普通は襲われないってなると、どうなんだ?」
光一は首を傾げている。
「あの人……何がしたいの? 敵なんじゃないの?」
「あの魔物、あの女の手下なのかな」
健一は頭を捻り一つの仮定を生んだが、証拠はない。ただ魔物が言うことをきいているということならば、可能性としては十分にあり得るだろう。
「だけどあいつって俺たちの敵だよな。なんで助けようとするんだ?」
光一が疑問を口にしたが、答えはどこにもなかった。
読んでくださりありがとうございました。