回り道
食事を終えた一行は、川沿いに歩いていた。途中にある橋を渡る予定だった。しかしようやくたどり着いた橋は、真ん中あたりで折れていて通れそうにない。
「昨日は大雨でしたから、激しくなった川の流れで壊れてしまったのでしょうか? 随分と古い橋でしたし」
シェルファは落胆した様子でじっと橋を見つめている。橋の向こうには目的地であったと思われる村の姿があった。
「仕方がない。回り道ですね。向こうに崖があるのが見えますか? 崖の上に行けば、向こう岸に行く事もできるんです。ですからまず階段をあがって……」
シェルファが指差した方向には、高い崖がそびえていた。遠すぎて階段があるかは分からない。
「結構遠くないか?」
健一があからさまにだるそうな顔をする。
「遠いですが、この辺で川の向こうに行くにはそれしかないんです」
頑張ってください、とシェルファはいたわるように言う。
健一は大きく溜め息をつくと、諦めたように歩き始めた。光一ものんびりと歩いている。シェルファはそんな彼らを導くため、先頭を行く。
光一達より少し後ろを雪は歩いていた。草についた水のせいで靴下が汚れることに不快感を覚えながら、仕方なく足を動かす。昼食に食べた果物には身体にいい成分が入っているのかは分からないが、昼食前に比べると身体も軽く思われた。
シェルファと光一と健一はやはり雑談を交わしている。それなりに会話は弾んでいるらしい。もちろんそれに雪は参加していないが。
「あの果物、何て名前なんだ? すごく上手かった」
光一が聞くと、シェルファは優しく答えた。
「マルルという実です。色によって味が異なりますので、甘いマルルや苦いマルルという風に呼ぶことが多いですね」
「今日は宿に泊まれるのか? もしそうでないなら、夕飯としてあの実をとっといても……」
「あれは結構保存が難しいので、携帯には向かないんですよ」
健一の発言に、シェルファは苦笑する。
「川原、身体は大丈夫か? 無理すんなよ」
光一が少し歩くスピードを落とした。雪は黙って川の流れを見つめる。
しばらく歩くこと数十分、ようやく崖の前にたどり着いた。そこから見上げても崖の頂上は見えない。また崖にはトンネルが掘られており、そこを川が通っていた。
「あの階段を上ります」
シェルファが目を向けたのは、崖を切り取って作られたと思われる階段だ。一段の高さは結構ある。
「確か崖の上には村がありますから、そこで休みましょう」
「そうだな。歩いてばかりだと疲れるし、色々この世界を見たいしな。よし、今日はその村の探索だ!」
光一は大きく手を叩くと、一足先に上ろうとする。
「光一は元気ですね。では、私たちも行きましょうか」
シェルファに促され、残りの二人も進み始める。一つ一つの段は高く、普通よりも大きく足をあげる必要があった。
健一が足を滑らせ、落ちそうになった。しかし慌ててシェルファが彼の腕を掴んだので、大事には至らずにすんだ。
「雨のせいで滑りやすいので、気をつけてください」
「大丈夫大丈夫」
二段ほど先を行く光一が余裕を見せていると、彼も足を滑らせた。しかしバランスをとり、その場に留まる。
「……気をつけてくださいね」
シェルファが苦笑しながら、光一の後ろ姿を見つめている。
少しずつ先に進み、ようやく階段も半分を超えた。雪は後ろを振り向く。地上までの高さは随分とあり、落ちたら大変だと恐怖する。疲れのたまった身体は動かすのも一苦労で、なおさら早く村に到着したいと願うばかりであった。
そんな時、雪は自分たちより十ぐらい下の段に黒い影があるのに気がついた。しかもそれは段を上っているように見える。
「何かしら、あれ……」
「どうしました?」
シェルファが雪の様子に気がつき、声をかけてきた。雪は黙って黒い何かを指差す。それは自分たちに近づいているようだ。
シェルファは指を追うと、すぐさま表情を変えて叫んだ。
「急いでください!」
「え?」
「どうした?」
健一と光一が続けざまに問うと、シェルファは下の段を気にしたのか声を落とした。
「魔物です。多分、私たちに気づいています。ですから急いでください!」
「え! じゃあ、走った方がいいな」
「そうですね」
光一は駆け始めた。急な階段ではあるが、どうにか走って上れるらしい。その後をシェルファ、健一、雪と続く。
(上りにくい)
雪は足を精一杯動かしながらそんなことを考える。後ろを確認すれば、魔物もやはり自分たちを追いかけていた。しかもそのスピードは最初に見た時に比べ速さを増している。
雪は息を切らし始めていた。ただでさえ病み上がりなのに、階段を駆け上り続けなければならないのは苦痛だった。しかし魔物がいるから休むこともできない。
雪は階段に足をひっかけてしまった。膝に痛みが走る。
「……大丈夫か?」
足を押さえている雪に健一が心配そうに声をかけてきた。その手が中途半端に動いていたかと思うと、やがて雪に伸ばされた。
「平気よ。さっさと行けば?」
雪がつんと答えると、健一は雪に近づいていた手を戻し、再度階段を進み始めてしまった。
(魔物が……)
少し休んでいる間にも魔物はどんどん自分に近づいて来る。雪はどうにか足に力を込め、動かし続ける。
「ここまで頑張れ!」
すでに一番上に到着した光一が大きく手を振っている。それから少ししてシェルファもたどり着く。
「お前ら、速すぎ!」
健一が疲れきっているのが後ろ姿からも見て取れた。彼は肩で息をしているし、最初よりも進む速度は明らかに減少していたのだ。それにより雪と魔物の距離が縮むのはもちろん、雪と健一の距離も近くなっていた。
あと頂上まで十段はなさそうだ。雪と健一はとにかく進む。魔物も動く。そして健一が頂上に着き、続いて雪も残り二段を経て崖の上に立った。その後は魔物に追いつかれないように、やはり先へと進んだ。
「大丈夫ですか? じゃあ、後は魔法で……」
「頼むぞ」
光一の期待を受け、シェルファは呪文を唱え始めた。魔物も階段を上り終え、光一達と同じ場所に立つ。光一はノートを丸め、魔物とやり合っていた。健一も慌てて定規を出し、それに参戦しようとしている。するとどこからか別の魔物ーー光一達が戦っているのと同じ種類に見えるーーがもう一匹現れ、光一達に牙を剥いた。
雪は疲労のあまりその場に座り込んだ。息が荒い。身体は汗ばみ、衣服が肌にまとわりつく。
シェルファが魔法を唱え終わると、氷の矢が魔物を襲った。しかし軽々と避けられてしまう。シェルファはすぐさま別の詠唱を始めた。しかしそれをもう一匹の魔物が阻止しようとしている。
魔物の二匹と光一たちは向かい合っていた。彼らは定規やノートで応戦する。銀色の文房具として魔物を封印するには、雪の鉛筆が必要だ。つまり今、文房具は単なる物理的な武器でしかないのだ。
その間に魔物の一匹は周囲を確認したかと思うと、突如雪に向かって走り始めた。雪は重い足を無理に動かし、逃げる。とにかく避け続ける。魔物に気を取られ、周囲に目を配る余裕などなかった。だからがむしゃらに、動き続けるのみ。
魔物の爪が自身に伸びてきて、雪は後ろへ下がった。最初に左足が地面につき、次に右足が地を踏んだ、はずだった。
「え?」
しかし右足が何かを踏んだ感覚は一切感じられなかった。自分たちは崖の上にいたことを思い出し、雪は気がついた。今、自分は崖から地上へと落ちようとしているのだと。
「川原!」
「おい!」
光一と健一が大声を上げる。光一が雪に近づこうとしたが、その瞬間に魔物が健一に体当たりした。健一は思い切り頭を地面に打ち付ける。
雪はとにかく手を伸ばした。幸い、岩の出っ張っている部分があり、それに捕まった。しかし上る力はない。少ししてシェルファの魔法が完成したらしく、強い風に飛ばされる魔物の背が見えた。
雪は必死に手に力を込め続けていた。するとそこに、先程の魔物が落ちてきて、雪の肩につかまった。幸い魔物の爪は鋭くなく、刺さってはいない。
「離してよ!」
落ちたくないだけなのか、それとも雪を道連れにしようとしているのかは分からない。ただ、このままでは自分は落ちてしまうだろう。雪は両手に力を込めて岩にしがみつき、同時に少しでも体をよじらせることで魔物を落とそうとする。
「川原!」
光一がダッシュでやってきて、必死に腕を伸ばしてきた。しかしもう少しの所で届かない。
「待ってろよ、もう少しでーー」
そして雪の右手が岩から離れた。彼女の身体を支えるのは、彼女の左手だけとなった。しかしそれも限界で、とうとう雪の左手は岩から離れてしまった。
「川原!」
光一が必死に伸ばす腕。しかしそれは雪の腕を掴むことも、雪に触れられることもない。このまま地へ落ちるのだろう、と諦めかけた時だった。いきなり長い何かが雪に向かって伸びてきたのだ。雪は考える間もなく、それに握った。両手でしっかりと握りしめると、今度はその何かが縮み始めた。
「……葉山」
顔をあげた雪の瞳に映ったのは、健一の姿だった。彼の手にある定規を見て初めて、自分が捕まったものは定規なのだと理解する。
定規は元の長さに戻り、雪は先程まで必死にしがみついていた岩よりも上の位置にきた。まだぶら下がっている状態には変わりないが、もう少しで助かる可能性が十分にある。
「大丈夫か?」
「今、助けますからね」
光一とシェルファが二人掛かりで雪の腕を掴み、引き上げる。雪の脚が地面にしっかりと着くと、シェルファは魔法を使ってーーもちろん雪に当たらないように配慮したのだろうーー魔物だけを崖下へと突き落とした。
「……大丈夫か」
健一がぶっきらぼうに声をかけてくる。雪は青ざめた表情のまま、ただ地面を見つめるだけだ。
「他の魔物も追い払いましたから、さっさと村に行きましょう。そうだ、光一、はい」
「……ああ! 破れてないか?」
「はい。大丈夫です」
シェルファは光一にノートを手渡した。
「……何かあったの?」
「さっき思い切り魔物がこれに噛み付いてきてさ……そのままにしてきちゃったんだよ」
光一がノートを見せてきたが、噛み付いてきたという割に破れはなく、歯形すらない。銀色の文房具だから、傷がつかなかったのだろうか。
「それより、肩大丈夫か?」
光一が肩に目をやるのと同時に、雪は自身の肩に触れた。痛みはある。しかし動かない訳ではない。雪は肩をぐるぐると回し、ならした。
「さ、早く村に行こうぜ。川原は無理すんなよ」
相変わらずの能天気な笑みを浮かべながら、光一が先頭にたつ。
「お前、道分かるのかよ」
呆れたように健一が言うと、光一はごまかすように笑い、シェルファを一番前に立たせた。シェルファは方向を示すと、一足先に歩き出した。
四人は歩く。その途中、健一は雪に顔を向けたが、何かを言う訳ではなく、すぐに進行方向に顔を戻した。
(こいつがいなきゃ、私は……そういえば前も助けられたのよね)
雪が健一の横顔をちら見した瞬間、彼は再び雪に目を向けた。二人の視線がぶつかる。
「……何だ?」
「いえ、何でもないわ」
雪はさっと目をそらした。
「……悪かったわね」
そして一言ぽつりと呟いた。しかしそれはあまりにも小さなものだった。それでも健一には届いていたのだろう、彼は一瞬だけ目を丸くした。しかし何も言わなかったので、彼がその言葉をどう捉えたかは定かではない。
16話。まだまだ続きます。
こんな長くなるはずじゃなかったんですが、どういうことでしょう?