誰かの側にいる道は
「ふう、早く中に入ろうぜ」
二人は同時に宿屋の前にたどり着いた。光一が扉を開けて中に入り、雪も続こうとしたが足を止める。
「どうした?」
光一が扉をあけたまま、不思議そうに雪に問う。
「……どこで話すの?」
「そうだな。シェルファには俺たちの部屋にいてもらって、川原達の部屋で話そうぜ」
「嫌よ」
「……じゃあ、俺たちの部屋? 健一をーー」
「どっちも駄目」
雪は思い出した、部屋にいた時に隣の部屋の会話が聞こえていたことを。そのくらい、壁は薄いのだ。
「……食堂は人がいるな」
光一が中をのぞくと、他の客らしき人が数人、テーブルで食事をしていた。その中の一人が雪達に気づき、早く扉を閉めろと苛立ったように急かす。
「ここで話しましょう」
「え……雨降ってるぞ。中に入った方が」
「なら話はしないわ」
雪はぴしゃりと言い切ると、雨に濡れた髪を横に流した。
「分かった。でも、あんまり強くなったら中に入ろうぜ」
光一は宿屋から外へ戻ると、静かに扉を閉めた。
外はますます暗くなっている。互いの顔を判別するのが難しいほどだ。雪は宿から漏れる明かりを見つけ、その中に入った。光一もそれに続く。そのため必然的に二人の身体の距離は近くなってしまう。
雨は降り始めた時よりも雨は強くなっており、雪達の身体は濡れ続けていた。屋根はあるが、傘の役割を果たしてはいない。
「姉さんに弱いと言われた後も、舞とは仲良くしてた。時々姉さんが何か言いたそうにしてたけど。で、何日かして聞いたの。舞が転校するって。……何か言った?」
「いや、何も」
「……そう?」
雪は眉をひそめた。光一の言葉が聞こえたと思ったのだが、それは気のせいだったのかもしれない。
「チャンスだと思ったわ。これで舞との関係が終わるって。そしたらもう弱いなんて姉さんに言われないって。だから舞が学校に来る最後の日に、縁を切ろうと話した」
「弱くならないために?」
「……ええ」
「もう一回聞くけど、舞に嫌な所はなかったのか?」
「なかったわよ」
「今でも一緒にいたいと思うか?」
「妙にあの子のことを聞くわね」
雪は不審がるような目つきで光一を見る。雨のせいだから仕方ないのだが、彼の髪は雨のせいで重くなっているし、制服もいつもより黒く見える。だが、それは雪も同じである。
「気になるんだよ」
「……舞のことは関係ないでしょ」
雪はきっぱりと言い切った。
「いや、あるよ。だってそいつ、俺の従兄弟だから」
「……え?」
雪は光一の発言がすぐには理解できなかった。ひどい雨の音のせいで、耳がおかしいのかもしれない。
「嘘でしょ。変な嘘はやめなさいよ」
雪は何度も深呼吸してから、非難した。
「嘘じゃねえよ」
「なら、舞の何を知ってるっていうの?」
「生まれつき髪が茶色っぽいのに、染めたと学校に疑われて大変な思いをしたこととか……あと犬が大の苦手だということとか? あとは……背が低いことをかなり気にしてたな。それから最近だと――」
光一が当たり前のように並べる特徴は、全て雪の記憶にある舞のものと一致する。信じたくないと思いつつ光一の言葉を考えていると、一つの疑問が生まれた。
「……最近? ただの従兄弟でしょ?」
雪にも親戚はいるが、全て家からは遠い場所に住んでいる。そのためあまり会う機会はない。
「確かにそうだけど、ちょっと事情があって今ウチに住んでるんだよ」
雪は耳を疑った。舞が井上の家に住んでいる……? 雪は信じられないといった顔をする。
「中三の夏に舞の父さんが死んじまってさ、舞の母さんは身体が弱いんだ。それで二人きりだと心配だって話になり、一緒に暮らそうって俺の母さんや父さんが言ったんだ」
「そう……ねえ」
「何だ?」
「その……元気なの? 舞」
雪は遠慮がちに聞いた。舞のことが気になるが、かといって質問していいものか分からない。分かるのは、知りたいと思う気持ちだけだ。
「ああ。何なら会いに来るか?」
「それはできないわ」
「どうして。気になるんだろ?」
「……私は姉さんみたいにはならないと決めたからよ!」
雪は勢いよく告げると、俯いた。舞に対する好意は消えていないが、それを上回る姉への嫌悪があるのだ。
「……誰かといるのが弱い。それがお前の考えだよな」
光一は髪の毛を握りしめ、水をしぼる。しかし降り続ける雨は、せっかく水をしぼった髪の毛をすぐにびしょぬれにしてしまう。
「で、今お前は一人でいる。でもさ、今の川原が強いとは思えないんだよな」
「……ほっといてよ」
「舞と仲良くするって選択肢はないのか?」
「ないわ」
「誰かといるからって弱いとは限らないんじゃ……」
「限るわよ! 姉さんがいい例だもの」
雪は声を張り上げた。雨によって身体に密着した衣服がうっとうしく思えた。さらに水を含んだ衣服は、非常に重い。
「姉さんは弱くて一人じゃいられないから、他人と一緒にいたの。自分の意見をおさえて、集団にいることでしか安心できなかった。これのどこが弱くないというの?」
「じゃあ聞くけど、お前は弱いから舞といたのか?」
光一が顔を覗き込んでこようとするので、雪は顔をあげた。濡れた顔を覆うようにして、隠す。口も覆われてしまったせいか、聞こえる声はくぐもっている。
「……違うわ。私は一人で平気だった。むしろ一人がよかった。だけど舞に会って……あの子となら一緒にいてもいいと思って。それで、私は弱くなったの」
「一緒にいてもいいと思うだけで、弱いのか?」
「その後、側にいたいと思ったのよ」
雪は悔しそうに言うと、手を外して空を見上げた。さんざん雨に濡れたせいで、濡れてしまうことに対する抵抗はない。しかし目に雨粒が入ってしまうのに耐えきれず、すぐに顔をさげた。
雪は隣の光一を横目でちらりと見た。彼の髪が雨のせいでぺちゃんこになっている。
「……一緒にいたいと思うからって、弱くないと思うぞ」
しばし考えた後も、光一は依然として雪の主張に異議を唱える。いい加減諦めてほしいものだ、と雪は心の中で溜め息をつく。
「だって姉さんとお前は違うだろ?」
「どこが? 人と一緒にいたいと願う点で、同じよ」
雪は反論するが、光一はかぶりをふる。
「お前は一人でも平気なんだろ?」
「ええ」
「姉さんは?」
「……絶対に無理ね」
雪が答えると、光一は人差し指一本を立てた。
「仲良くする為の、誰かにあわせた行動は?」
「仕事なら我慢しなきゃいけないのかもしれないけど、何で私生活であわせなきゃならないの?」
雪が即答すると、なぜか光一は苦笑した。雪はその理由が理解できないが、今は何も聞かないでおいた。
「姉さんは?」
「あわせるでしょうね」
「やっぱり」
光一は、今度は苦笑ではない笑みを浮かべた。気がつけば彼の指は中指も立てられている。
雪は奇妙に思いながら彼の言葉を待つ。
「違うじゃないか。川原が嫌がってるのって、誰かと一緒にいることじゃなくて、一人でいられないことだったり、無理に周りにあわせたりすることなんだよ。それが弱いってことなんだよ」
「……え」
雪は顔を伏せた。黙り込み、考える。
(姉さんは一人じゃ何もできないし、一人になりたがらなかった。いつも周りにあわせてばかりで……いつだって誰かにくっついてた)
「でも……川原が人に意見あわせたり、一人じゃ無理! なんて言う姿、全然想像できねえな」
光一はおかしそうに笑ったりしながら、雨に降られている。
「そんなこと言ったら、雨がふ……もう降ってるか」
光一は独り言を言い続けていたが、やがて口を閉じた。少しの間を置いて、雪に語りかける。
「大丈夫だって。一人じゃ何もできないとか思わないんだろ? だったら誰かと仲良くしたって、弱くねえよ。俺が保証する」
(誰かといても弱くない、なんて……姉さんとは逆のことを言うのね。どうなのかしら。確かにそうよ。姉さんは誰かと一緒にいたいというより、依存傾向に……私はそこまでじゃ。でもそれって、どうなの? 結局は都合のいい考え方なんじゃ……)
「だからさ」
光一は愛想のいい顔で、雪に手を差し出した。
「俺とも仲良くしようぜ」
光一は手を前へ前へと突き出して来る。雪は無言で、雨を受ける手のひらに目をむけていた。そして一歩下がると、浮かない顔で溜め息をついた。
「それとこれとは話が別よ」
「なんでだよ。俺、それなりにいい男だと思うけどな」
「変な冗談は口にしないで。誰があなたなんかと」
「まあそれは徐々にってことで。じゃあ、舞は嫌いじゃないんだろ? だったら、あっちに戻ったら会えよ」
「それは……」
雪は言いかけて、言葉を止めた。きっぱりと言い切ろうとしたのだが、なぜかできなかった。雪は宿屋の扉に手をかけてから、先程とは別のことを断言しておいた。
「あなたと仲良くなんて、しないわよ」
扉を開き、中に入る。その音に振り向いた宿屋の主人らしき男が、目を見開いてどこかへ駆けていったかと思うと、すぐにタオルを用意してくれた。その後に光一がやってきて、店主は再び息を切らしながらタオルを持ってきた。その間に雪は髪や身体から水が滴らない程度にまで拭くと、とりあえず自分が止まる予定の部屋ーー恐らくシェルファもいるのだろうーーに向かった。
(舞、か。もし連絡したら……って、何考えてるのかしら。それにしても舞と井上が親戚だなんて)
「おか……どうしたんですか! 濡れてるじゃないですか。えっと、とりあえずこれを来てください」
雪の物思いは、シェルファの驚きによって終わりを告げた。そしてシェルファに手渡された寝間着を受け取ろうとしたが、力が入らず落としてしまった。
前回と今回は雪の過去やら気持ちやらに触れる話になっちゃいましたね。
次回はまた旅の話に戻れると思います。むしろ世界を救う旅に戻ってもらわないと、話が停滞する(汗)
雪達が異世界に飛ばされてからの時間、意外に短いと思ったりもする。