真実と疑問
「何を書くんだ? この世界の文字と言っても、何があるか分からないだろ」
「だったら手紙の一文を書くしかないわよ」
光一の疑問に即答し、雪は手紙に集中する。アルファベットに似た記号の連なりをしっかりと見据え、手を動かす。一字一句、間違いがないように神経を集中させる。似た記号があると書き間違えそうになり、雪は息をつく。
雪が書き写しているのは、くしゃくしゃの手紙ーー森でもらった方の文章だ。
「ふう……やっと一文」
「よし、やるか」
「だから無意味だって」
健一が横から色々と言ってくるが、光一は「何事も挑戦だ」と言って聞かない。健一は溜め息をつき、別の場所に視線をやる。雪はノートから鉛筆を離すと、先程書いたばかりの文章をしっかりと見つめた。
光一は一点に視線を集中させているようだ。いつにもなく真面目な顔をしている。
「……無理だろ? やめとけって」
「……もうちょっとだけ」
健一の言葉に耳を貸さず、光一は目を閉じた。
雪は文字を凝視する。力をいれすぎて、目が痛くなる。一度瞼を閉じ、目を休ませる。再び目を開く。
「あ」
雪は思わず声を漏らした。最初の文字が徐々に歪み始めたのだ。ちらりと健一を見てみると、彼は驚愕の表情を顔に浮かべていた。
「……嘘だろ」
「これは成功してるの?」
「前もそうだ。森で魔物に遭遇した時、こんな風に……」
健一は呆然とし、何を言っていいのか分からないようだ。
雪は健一から目を離し、再度文字を見つめた。歪んだそれは姿を変え、徐々に形が定まっていく。完全に変化が止まると、それは雪にも見覚えのある言語――つまり日本語だった。
『別世界の人間であるあなたたちにお願いがある。』
(シェルファは嘘をついていたの?)
「シェルファは知らなかったのか? このことを」
「ノートに自然と浮かび上がった文字以外を読める言葉に直せたのは、俺が初めてか! なんかすげえな」
それぞれ別の思いを抱えた雪たちは、日本語に訳された文章を凝視する。しばらくそれを続けた後、雪はノートを奪うように素早く手に取った。そして手紙をノートに写す。
「川原、もっと書け! 全部やってやるよ」
興奮している光一は騒がしい。静かにしてほしいと内心思うが、無駄な事を口にするつもりはない。雪はただ手を動かす。
「シェルファも知らなかったのか、このことを……」
シェルファが嘘をついていたとは微塵にも疑わない健一を疎ましく思うが、今は己のやるべきことを果たすのみ。雪は文章をしっかりと目で確認し、一字一句間違わないように書き写していく。時々目をこすったり、まばたきをしたりするが、決してやめようとはしなかった。
しばらくして、ようやく手紙の内容全てをノートに写し終わった。雪はふうと息を吐き、光一にノートを手渡す。彼はそれを受け取ると、同じようにノートの文字を変えていく。
(シェルファが本当の事を言っているのなら……)
「でも、結局イレイザーの邪魔をするなって書いてあるだけだろ?」
健一が呟く。光一は自分の仕事に集中しているので、彼の言葉が聞こえているのかさえ定かでない。雪は特にすることもなかったが、それでも答えなかった。
「疲れた……ちょっと休ませてくれ」
光一は膝にノートを置くと、大きく伸びをした。ノートを見ると、最初の方は日本語になっているが、途中からはこの世界の文字のままだった。
それでも雪は文章を無言で読んでいく。
『別世界の人間であるあなたたちにお願いがある。このままではとんでもないことになる。だからもう一度言う。どうかノートの力で読んで』
「……どういうことだ? ノートの力でって……シェルファが知らなかったことを、どうしてあの人は」
健一は首を傾げている。
「あのイレイザーの手下って人は、知ってたのか。普通に書いた文字もノートで読めるようにできるってこと」
光一がどこかつまらなそうに呟く。
「……続き、やって」
雪はノートを軽く叩く。彼は少し疲れた様子ではあったが、一度息を吐くと作業を再開した。
文章の続きが日本語に直されていく。
『あなたたちは世界を救えると思ってるみたいだけど、本当はシェルファに騙されてるだけ。シェルファの言う通りにしてたら、世界は滅びてしまう。だから私の所へ来て。私を信じて、シェルファは敵だから』
「……何だよ、これ」
健一は眉をひそめ、舌打ちをした。
「シェルファが敵? いい奴なのに。だいたいイレイザーの手下なんだろ、あいつ。嘘だよな、こんなの。イレイザーの手下が嘘を……」
「だよな。シェルファは優しい奴だし、きっと何かの間違いだ」
「……そうかしら」
手紙を信じようとしない彼らに、雪は文章に目を通しながら反論する。
「あの人のいうことを信じろとは言わないけど、シェルファが信じられる訳でもないんじゃない? 結局は会ったばかりの他人なんだし」
「お前は元々人を信じてないだろ……」
「信じられるような人がいないから」
健一が刺のある言い方をし、雪は素っ気なく言う。
「だいたい、シェルファの言葉が本当なら……イレイザーの邪魔をするなってことが書かれてるはずよ。でもこれは? どう考えてもシェルファは敵で、シェルファといたら世界が滅びるってことが書いてあるじゃない」
それから無言の時間が始まった。それをどうにかしようと光一は色々と気を遣ってはいるが、ほとんど効果はない。
光一もやがて諦めたのか、居心地悪そうに口をつぐむ。完全に静かになる。雪が手で髪をとかす音、健一の溜め息、光一の頭をかく音……些細な音が妙に大きく聞こえるのは気のせいだろうか。
突如扉の開く音がし、光一と健一はびくりとした。雪は何かと思い、冷静にそちらを向く。そこには金髪の女性が立っていた。
「あ、雪と光一、帰ってきてたんですね。よかった……三人で何をしてるんですか?」
彼女――シェルファは明るい顔で部屋に入ってくる。
「シェルファ……えっと、雑談だよ」
光一が安堵と困惑が混じったような様子で迎える。
「シェルファ、どこ行ってたんだ?」
「いえ、少し外を歩いていただけです」
健一が質問すると、シェルファはごく自然に答えた。彼女は雪にも声をかける。
「雪、お帰りなさい。勝手な行動はしないでくださいね。……何見てるんですか?」
シェルファが覗き込もうとする前に、雪はノートを彼女の前に思い切り突き出した。
「あの手紙をノートに書いてみたら、私たちの言葉に直せたのよ。確かあなた、ノートに浮かび上がった文字しか無理と言ってたわよね。魔物にぶつけたときに浮かび上がる文字、それしか無理だって」
シェルファの目はノートに釘付けになっている。罰の悪そうな顔で、決して雪と目を合わせようとはしない。
「あなたは知らなかったの? 私には意図的に隠してたようにしか思えないわ」
シェルファは何も言わない。
「大体それだけじゃないわ。あなたが敵だって書いてある。あなたの言ってた事と違うわ」
「シェルファ、どうなんだ?」
「……ノートについては知りませんでした」
「そっか」
健一の顔が明るくなった。嘘をつかれていなかった事が嬉しいのだろうか。
「でも、手紙の内容は……」
しかしすぐに表情は暗くなる。今度は手紙の嘘についてだろうか。
「……怖かったんです」
シェルファはぽつりと言う。声も小さく、聞き取るので精一杯なほどだ。
「本当の事を言ったら、疑われるかもしれない。信じてもらえなくなるかもしれない。それを思うと、言えなかった。嘘をついていたことは謝ります」
シェルファは静かに頭を下げた。そのせいで彼女の表情は見えない。
「なんだ、そういうことだったのか。大丈夫だって。俺たち、仲間だろ?」
光一の表情が和らぎ、シェルファに笑いかける。
「ああ。聞いていた事と違ったから戸惑ったけど、そういうことなら仕方ないよな」
健一も緊張の糸がほぐれたらしい。
しかし雪は違うらしい。依然として冷たい目つきのままだ。
「……やましいことがないなら、嘘なんて必要ないじゃない」
「お前は他人のことなんて全く考えないからな。普通のやつなら、もっと周りをみるし、心配にもなる。お前には分からねえよ。シェルファは俺らに疑われるのが嫌だったんだ。お前はどう思われてもいいみたいだけどな」
「誤解されるのは嫌よ。でも、隠すからかえって疑われるのよ」
「本当の事言っても信じない奴もいるだろ。今みたいに」
「それって私のこと?」
「二人とも……喧嘩するなって」
光一は宥めるように言うと、シェルファと顔を見合わせた。彼女は苦笑する。
「喧嘩するほど仲がいいってやつなんでしょうか?」
「ああ、それか」
「絶対に違う」
「あり得ないわ」
シェルファと光一のだした結論に、二人は同時に反論した。
健一はシェルファを向いた。
「シェルファ、他に何か言っとくべきことあるか?」
「そうですね……真実は話してあるつもりですが、あくまでも私の知ってる事を話しているだけです。だから私の知らない事は伝える事ができません。ですから……まだ知らない事があるかもしれないですね」
「シェルファでも知らない事があるんだな」
「ええ。頼りないですかね……」
「大丈夫だって。健一なんてシェルファより頼りないからな」
本気なのか冗談なのか分からない口調で、光一が言う。
「おい、何だよそれ」
健一がむっとする。
「別に頼りないとは思いませんが……」
光一と健一とシェルファの三人で会話は続く。
「――へえ、そうなんですか。二人は幼なじみで……」
「ああ。昔からこいつ、思いつきで行動して、俺何度振り回されたか……」
「思い立ったら吉日っていうだろ?」
「行動する前に考えるべきでもあるだろ」
「うーん……光一の言うように思い切って行動するのはもちろんですが、健一のように考えてから行動するのも大事なんですよね。どちらが正しいと言い切れませんね」
「シェルファはちゃんと考えて行動してそうだよな」
健一が何気なくいうと、シェルファは小さく笑う。
「そうですね。でも必要なときはすぐに行動しますよ」
「つまり時と場合によってってことか」
「はい」
雪は少し離れた場所に立っていた。時折、楽しそうに話す三人の姿を視界に入れる。
(……なんか、どんどん仲良くなってる気がする。それにしてもどうしてあんな人を信じられるのか、頭の中を見てみたいわ)
光一と健一に対し納得のいかない思いを抱きつつ、雪はそっと部屋の外へでた。川原、と呼びかける光一の声が聞こえた気がした。