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最後の自動販売機

作者: bebebe
掲載日:2026/10/03

 私は、この村で唯一の自動販売機だった。

 だが、もうこの村には、誰も住んでいない。


 私は、長年この村を見続けてきた。

 昨年の冬、最後の住人が姿を消した。

 誰もいないはずなのに、電気だけは通っている。


 毎朝、六時に私の照明が点灯し「いらっしゃいませ」と声を出す。

 今日こそ、誰か来るかもしれない。


 最近は涼しくなって、私にまとわりついていた虫たちも姿を消した。

 目の前のひび割れたアスファルトの道は誰も通らない。

 たまに、動物が横切る以外は。


 私は、崩れかけたたばこ屋の軒先に今もたたずんでいる。

 かつては、たばこ屋の主人リノさんが毎朝、雑巾で私を拭いてくれた。

 私は、この場所に置かれた三代目の自販機だ。

 私が来たとき、彼女はもう腰が曲がっていた。

 彼女がいなくなって、もう二年になる。


 私は、人間が大好きだ。

 だが、今日も誰も来なかった。



 また朝が来た。

 いつものように照明が点灯し「いらっしゃいませ」と声を出す。


 遠くから車の音がする。

 誰か来たのだろうか。

 目の前の道を軽トラックが通り過ぎていった。


 猟師の兄弟だ。

 軽トラックの荷台には、仕留めた鹿が積まれていた。 

 二人は、私から決して買わない。

 いつも私の前を通り過ぎるだけだ。


 私がこの村にやってきた頃、彼らはこの村でたった二人の小学生だった。

 いつも小銭を握りしめて、嬉しそうな顔で私の前に走ってきた。


「お兄ちゃん、早くはやく!」

 兄は炭酸ジュース、弟は甘いコーヒーがお気に入りだった。

 

 彼らは、リノさんの店で駄菓子を買い、私からジュースを買った。

 それが何もない、この村での楽しみのようだった。


 リノさんがいなくなってから、彼らが私の管理を引き継いだ。

 月に一度だけ、小銭の回収とジュースの補充にやってくる。

 だが、なぜか毎回、コーヒーを三本しか入れ替えない。

 だから、いつも私はコーヒー以外は品切れだった。

 

 彼らは、罠や猟銃でイノシシや鹿を狩っている。

 人間が嫌いらしく、いつも二人だけで行動していた。


 私は、人間が大好きだ。



 また朝が来た。

 人間は誰も来ない。

 いつものように、鳥の鳴き声と木の葉のそよぎしか聞こえない。


 昼過ぎ、車の音が聞こえた。

 あの兄弟だ。

 彼らは軽トラックで乗りつけると、私の中身を確認した。


「やっぱり誰も買わないね。何でかな?」

 兄は黙ってコーヒーを三本入れ替え、表示を『あったか〜い』に切り替えた。

 そして、扉を閉めて鍵をかける。

 軽トラックが去り、静けさが戻った。


 私は考える。

 私はもう、誰にも必要とされていないのではないか。

 補充された温かい缶を、ただ温め続けるだけなのではないか。

 日が傾き、美しい夕日が周りをオレンジ色に染め上げた。


 今日もお客さんは、誰も来なかった。

 私は、人間が大好きなのに。

 


 また朝が来た。

 今日も、あの兄弟の軽トラックが通り過ぎる以外は誰も来ない。

 リノさんのたばこ屋のトタン屋根が風に押されて、音を立てている。

 この村の人たちはみな、どこへ行ったのだろうか。

 

 正午を過ぎ、太陽が西に傾き始めた頃、遠くからエンジンの音が聞こえてきた。

 兄弟の軽トラックではないようだ。

 しばらくすると、小さな白いバイクがこちらにやってきた。

 バイクは、私の前に止まった。


「えっ、こんなところに」

 ライダーはバイクを降り、ヘルメットを脱いだ。

 若い、可愛らしい女性が私を見つめている。

 彼女は肩をすくめ、バイクで冷え切った両手に息を吹きかけていた。


「動いてるのかな」

 小さくつぶやくと、彼女は恐る恐る私に近づき、しばらく見つめていた。

 意を決したように、小銭を取り出し私に入れようとした。

 凍える指で、なかなか小銭が入らない。

 やがて、何とか小銭を私の中に滑り込ませた。


「いらっしゃいませ」

 久しぶりにお客さんに声をかけることができた。

 私の中に喜びが溢れる。

 彼女はボタンを押した。

 ゴトン。


「ありがとうございました」

 やっと言えた感謝の言葉。

 彼女は下からコーヒーを取り出した。


「あったかい」

 嬉しそうな声を上げた彼女は、丹念に賞味期限を調べ始めた。

「よかった。まだ大丈夫だ」

 彼女は小さくつぶやくと、私の向かいにぽつんと置いてある朽ちかけのベンチに腰を掛けた。

 蓋を開け、大事そうに両手で持って、彼女はコーヒーに口をつけた。

「ああ、温まる」

 彼女は幸せそうに、コーヒーを飲む。

 ようやく私は大好きな人間の役に立てた。

 午後の秋空は、どこまでも高く透明だった。

 

 コーヒーを飲み終えると、彼女はベンチに体を預けて目をつむった。

 きっと、疲れていたのだろう。

 彼女は幸せそうな顔をしながら、寝息を立てはじめた。


 こんなところで寝たら風邪を引くよ。

 私はそんな心配をしながら、彼女を見つめていた。


 日は少しづつ傾いていく。

 まだ、彼女は目を覚まさない。

 このままでは、日が暮れてしまう。

 私の不安はどんどん大きくなっていった。


 あたりがオレンジ色に染まったころ、またエンジンの音が聞こえた。

 あの兄弟だ。

 軽トラックが止まると、男たちが降りてきた。


「あれ? 人だ! 兄ちゃん、人だ、女の子だ!」

 弟が声を上げた。

「ああ、見りゃわかる」

 兄がぶっきらぼうに答えた。

「あ、飲んだんだ」

 弟が、女性に駆け寄った。

 まるで、小銭を握りしめて私に駆け寄った小学生の頃のように。


「わぁ、人間は去年の冬以来だねぇ」

 嬉しそうに弟が笑う。

「よかったねぇ兄ちゃん」

「ああ、本当に飲んでくれる人がいるなんてな」

 兄もどことなく、嬉しそうだった。


「でも、このままじゃこの子風邪ひくよ」

 弟が心配そうな顔をした。

「毛布を持ってこい」

 軽トラから、毛布を引っ張り出すと兄はベンチの脇に毛布を敷いた。

 そして、そっと女性を毛布の上に寝かせる。


「僕さ、人間が大好きなんだ」

 弟が無邪気に笑った。

「俺もさ」

 無表情だった兄が、顔をクシャクシャにして笑った。

 兄は丁寧な手つきで、彼女を毛布に包んだ。


「最近は猪肉ばかりだったからね」


 二人は彼女を、軽トラックの荷台に乗せた。

 バタン。

 兄が軽トラックに乗り込むと車を発進させる。

 弟は彼女のバイクにまたがり、兄の後を追っていく。


 軽トラックとバイクの音が遠ざかると、そこには静寂だけが残った。



 よかった。

 彼女は寒いベンチで、風邪をひかずに済んだ。

 兄弟は人間嫌いじゃなかったんだ。


 私は、人間が大好きだ。

 また、誰かに「ありがとう」と言える機会を待つことにしよう。



了

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 



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