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彼は一言も間違えずに、人生を終わらせた

作者: 西園寺チカ
掲載日:2026/05/13

彼の発言は、すべて「問題ありません」と判定された。

だからこそ、誰も何も言えなくなった。


――――


その発言は、問題ありません

「これ、書いて大丈夫かな……」

スマホの画面を見せると、田中はコーヒーをすすりながら首を傾げた。

「何、愚痴?」

「昨日の会議、無駄だったって書きたいんだけど」

「普通にやばくない?」

「でしょ」

「チェック出してもらえば?」

「チェック?」

「知らないの、ポスト・チェッカー。みんな使ってるよ」

田中は自分のスマホを差し出してきた。アプリのアイコンは青くて、丸くて、優しい形をしていた。

「文章入れるとさ、炎上しない言い回しに直してくれるの。俺ももう自分じゃ書かない」

「自分じゃ書かない?」

「楽だよ。間違えないし」

その場でインストールした。起動して、さっきの文章を貼り付けた。

『昨日の会議、マジで無駄だった。ああいうの時間の無駄だと思う』

送信ボタンを押す。青い丸がくるくる回る。

『その発言は、問題ありません。以下のように調整することで、より多くの共感を得られる可能性があります』

下に別の文章が出た。

『昨日の会議、学びも多かったけれど、構成を工夫すればもっと有意義になりそうだなと感じました』

「……全然違うじゃん」

「そう。でも炎上しない」

田中は笑った。

提案された文章をそのままコピーして、投稿した。

五分後、いいねが十二ついた。知らない人から「わかります」というリプライが来た。会議に出ていた同期からも「たしかに構成大事だよね」と返信が来た。

スマホを置いて、コーヒーを飲んだ。

少しだけ、指先が冷たかった。


次の日、後輩に資料の修正を頼むときに使った。

『悪いけど明日までに直しといて』

『その発言は、問題ありません。以下のように調整することで、より良い関係構築が期待できます』

『お忙しいところ恐縮ですが、もし可能であれば明日までにご確認いただけると助かります』

送った。後輩からすぐに返信が来た。

『もちろんです!すぐ対応します!』

絵文字まで付いていた。

次は、友達のインスタにコメントするとき。

『おめでとう〜!』と書こうとして、一応、チェッカーに通した。

『その発言は、問題ありません。以下のように調整することで、より温かみが伝わる可能性があります』

『わあ、おめでとう!すごく嬉しい知らせだね、今度ゆっくりお祝いさせてね』

そっちを送った。

ハートマークが三つ返ってきた。


一ヶ月が経った頃、ほとんどの文章をチェッカーに通すようになっていた。

炎上しない。怒られない。嫌われない。

みんな優しく返してくれる。

スマホを見る時間が、少し増えた。

昼休みにコンビニで買ったサンドイッチを食べた。

味が、よく分からなかった。


金曜の夜、居酒屋で田中と飲んでいた。

「最近さ、どう?」

「え?」

「仕事」

「ああ、普通」

「普通って?」

「普通は、普通だよ」

田中は枝豆を口に放り込んで、しばらく噛んでから言った。

「お前さ、最近ちょっと変わった?」

「変わった?」

「なんか、喋り方」

「そう?」

「会話、一回止まるじゃん。考えてから話すみたいな」

「気のせいでしょ」

「ならいいけど」

トイレに立った。個室に入って、スマホを開いた。

メモアプリに『気のせいでしょ』と打って、チェッカーに通してみた。

『その発言は、問題ありません』

画面を閉じた。


ある日、実家に電話した。母が出た。

「元気にしてる?」

「うん」

「最近どう、仕事は」

「……」

「どうしたの?」

「……普通」

「普通って、どういうこと」

「普通は、普通でしょ」

母が少し黙った。

「あんた、昔はもっと、いろいろ話してくれたじゃない」

「今もしてるよ」

「してないよ」

電話を切った後、ソファに座って天井を見た。

母に返した言葉を、頭の中でもう一度再生した。

『今もしてるよ』

それは、自分の言葉だっただろうか。

わからなかった。


三ヶ月目の月曜日、会社のチャットで、同期の山本が突然こう書いた。

『みんなさ、最近の投稿、全部AIでチェックしてない?』

数秒、全員が黙った。

『俺してる』と別の同期が書いた。

『私も』

『うちの部署ほぼ全員してる』

『だよね』と山本は続けた。『それってさ、もう自分の意見じゃなくない?』

自分も何か書こうとした。書きかけて、チェッカーを開いた。

『それは考えすぎじゃない?』

送信。

『その発言は、問題ありません。以下のように調整することで、より建設的な議論になります』

『たしかに一理あるね、ただ、便利なツールを使うこと自体は否定されるものじゃないと思うよ』

コピーして、貼り付けて、送信した。

山本から、すぐにリプライが来た。

『それって、本当にお前の意見?』

手が、止まった。

画面を見つめた。カーソルが点滅している。

『もちろん』と打った。チェッカーに通さずに、そのまま送った。

それから、もう一度、同じ文字を自分の頭の中で繰り返した。

もちろん。

もちろん、俺の意見だ。

もちろん。

何度繰り返しても、その言葉が、自分の口から出た感じがしなかった。


その夜、アプリを閉じて、メモを開いた。

何か、書いてみようと思った。

カーソルが点滅している。

指が動かなかった。

『今日は』と打って、消した。

『最近』と打って、消した。

『なんか』と打って、消した。

十五分座っていた。

何も、出てこなかった。


四ヶ月目の朝、通勤電車の中で、アプリが開かなかった。

何度タップしても、青い丸がくるくる回って、止まった。

『サーバーメンテナンスのため、本日午前中はご利用いただけません』

電車が揺れた。

会社に着くと、フロアが少しざわついていた。

「チェッカー落ちてるらしい」

「みんなそうだって」

「困るな、今日役員会議の議事録投稿する日なのに」

自分の席に座った。

今日は、チームの全体チャットに、先月のプロジェクト振り返りを投稿することになっていた。全員が読む。役員も読む。

パソコンを開いた。真っ白な画面。

『お疲れ様です』

ここまでは書けた。

その先が、出てこなかった。


カーソルが、点滅している。

後ろを通った先輩が、画面を覗き込んだ。

「まだ書けてないの?」

「あ、はい」

「簡単でいいよ、いつもみたいに」

いつもみたいに。

指を、キーボードに置いた。

置いただけで、動かなかった。

「どうした?」

同期の山本が、近くに来た。

「……何て、書けばいい?」

「え?」

「何て、書けばいいかな」

山本は少し笑った。

「思ってること書けばいいだろ」


思ってること。

画面を見た。

真っ白だった。

指先が、冷たかった。

口を、少しだけ開いた。

「……思ってることが、分からない」

山本が、こちらを見た。

先輩も、こちらを見た。

フロアの端で、誰かの電話が鳴っていた。

カーソルが、点滅していた。

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― 新着の感想 ―
現代の社会にはAIが蔓延っています。その中で現実で起きそうなことだなと思いました。最近の子供は標語などを作るときなどにAIを使っているらしいですからね。そうすると自分で考えることが出来なくなることが問…
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