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なぜ人は創作するのか

作者: kurokuro
掲載日:2026/04/16

こんにちわ こんばんわ おはよう やぁ




挨拶の弾が尽きたところで、久しぶりの方 初めましての方、どうもkurokuroです。




今回はエッセイとやらを書いてやろうかなと思い書き始めてやったぞ。


などと言っている間にも読者は離れるのだろう。言っている? 書いている? どちらでもいいか。


......こんなことしてるから読者は離れるのだ。


掴みやフックと言った冒頭で書いてある事で判断されるのだからな。


最近はタイパやらコスパやらで、いっぱいだな。いかにして時間短縮をしつつ最大利益を得るかで考えられている。


そんなに時短したいならさっさと首吊ってし、ね。




「し、ね」




“し” と“ね” を区切ることによって、ねを語尾にする技である。


この技を使うことで直接死ねと言っている訳では無いから許される気がするのだ。気がするだけだ。


説明してしまうと意味がないが、本心から思っていることなので何も問題はない。ただの予防線のような保険である。今は保険適用外だけどね。


......だからこんなことをしているから読者は離れる。


あいさつだけで四百文字を超えてしまった。だが、そうだな。言い訳をするなら・・・書き訳をするなら、あいさつが在るのと無いとではストレス度が変わるだろう?




「おはよう」




と言う言葉に対し返さない主人公か返す主人公なら間違いなく後者を選ぶはずだ。印象が変わる。




「おはよう」




と返せば丁寧さが増す。




「おはよう!」




ならリズムとテンポ感が速くなる。あいさつをするかどうかでその場のイメージが変わる。あいさつは大事だ。俺はしないが。


......私にした方がいいか? これもまた印象だな。


だがまぁ最近のあいさつは後者が多いだろう。なにせタイパ重視らしいからな。それに、あいさつは読み聞き流される。一文字ずつ区切る者は居ないだろう。仮に居るなら、ソイツは相当変なヤツだ。関わらないことを勧める。俺の世界ではそんなヤツ居ない。




「お は よ う !」




と言うふうにするんだろう? 俺の世界ではありえないな。流せ。まぁ勿の論、居るには居るのだろう。ソイツの世界では当たり前のことなんだろう。俺の世界では違うだけで。ただ、タイパが重視される世の中で俺以上に逆張りをしているのだから、間違いなく変なヤツではあるな。加えて最近よく聞くドパガキとやらでも無いな。


俺はどうやっても変わらぬ仕様の阿呆個体なので、ドパガキの意味が分かっていない俺が説明するから信用しないで欲しいと言うのを前提に、説明と言う名の妄言を垂れ流す。


ドパガキと言うのはバトルシーンのあるアニメで、説明を観ずにバトルだけを観ることを指す。分かりやすく言うなら、そうだな。


『呪術廻戦』では術式の説明や個人の哲学チックな信念を吐露する。が、それらを観ずにバトルだけを観るのだ。恥ずかしいことに私の父がそれだ。四十を過ぎているのは分かりきっているので、ドパガキではなくドパジジなのだが、それなのだ。バトルしか観ないから理解できていない。しかし、楽しんでいる様子なので、そう言う世界もあるのだろう。俺には理解できない。俺の世界ではありえないからだ。


......一人称を私にしてみた。少し誠意を感じるな。これが印象とやらだ。ここまで読む者は居ないだろうが。




さてさて、長かったがそろそろ本題に入る。俺の嫌いなコスパ人間 生きる価値の無いタイパ人間 理解できないドパガキを振り落とせただろうから。そうそう、思い出したから書き残す。


『超かぐや姫!』はドパガキ向けらしい。世間はそう言っている。しかし、ドパガキが観れる作品では無いと思うのだ。なぜなら会話や関係性の変化がメインであってバトルは少ないからだ。一体どこでドーパミンを摂取しているのだろう。ドパガキではない俺には分からない。ああ、ドパジジである父は関西弁で脱落していた。正確には京都弁なのだが、父曰くーーー




「悪モンは関西弁にしとけばエエっての何なん?」




ーーーだそう。お前の息子は京都生まれの京都弁は話せないが関西弁を話す悪モンだぞ、と横目で視ながら思っていた。どうやら父はドパジジ以前の問題で脱落していた。ドパガキとの違いだな。ガキかジジかでここまで変わるのだ。飽き足らねぇな、この世界。




さて本題に入る。タイトルは何だっけか?




『人はなぜ創作するか?』 ではなく。




『なぜ人は創作するのか』 だそう。我ながら馬鹿なタイトルを付けたものだ。タイトルから脱落するな・・・自虐はさておき。


創作物が誰でも世に放てる世界となった。コレを書いている今この瞬間も人々は創作しそれらを世に放つ。ふつうに考えると、気持ちが悪いな。自分の頭にある妄想を想像だなんて言葉に昇華し見せびらかすのだから、気持ち悪いだろ。キモいだろ。ふつうに考えて吐き気がするだろ。何がドラゴンや魔法だ。ありえない。


だがしかし、人類はコレを許容している。創作を禁止しこの世から創作物を亡くそうとする者は居ない。


ではなぜだろう?


ここから先は与太に妄言、デタラメに加えて妄想であり創造でもある。


俺が生きている今の文明はいつか滅ぶ。どのような結末かは知らん。地球が死んだとでも思えばいい。大事なのは一つ前があったかも知れないことだ。


我々の文明よりも前に文明があったとしよう。


そこにはドラゴンや魔法があったとしよう。


しかし、何かが起きて滅ぶ。生命・・・否、地球に存在する全てが失くなった世界。ドラゴンも魔法も消えた世界。そんな世界でもう一度、何かが存在し始めたら?


その文明がドラゴンや魔法が誕生しない、我々の文明だとしたら?


同じ地球で生まれ育つのだから、潜在的に追い求めても良いのでは?


呪いもかぐやも前にはあったのかもしれない。だからこそ今、存在しているのかもしれない。




『なぜ人は創作するのか』




答えは追い求めているからだ。




「ありえない」




それでいい。ありえなくてもいい。だが、俺はその世界の方が楽しそうだから信じる。俺の世界ではそうなんだ。ありえるのだ。


創作とは、自身のありえないをありえるに、ありえるをありえないにするものだ。


ありえないと思うのなら、ありえると思えるように創作すればいい。


君のありえないを創作すればいい。


ありえると思うなら、今度はありえないを創作すればいい。


既に言っている? 書いている? だろう。どうせ気持ちが悪い行為なんだ。キモいと思われて当然さ。それに今度はキモいと思われる作品と、思われない作品が創れるな。


妄想なんだ。自身の頭から始まるんだ。自分の世界から始まるんだ。他者の世界を否定するのは当然だ。それが創作だ。脳内バトルだな。


・・・そう考えると、俺もドパガキか?




うるせぇ死ね。

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創作、AIによる創作はいかがなもんか? 小説家になろうでは分けてもらいたい。
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