6.魔力の口づけ
ヴァルディスが去った森には、重たい沈黙だけが残っていた。
三人とも、すぐには動けなかった。
レオンは剣を握ったまま立っている。
まだ、あの男の剣が頭から離れない。
ただ一撃、否、一撃でさえなかった、剣を簡単に受け止められただけで、何も出来なかった。
「……くそ」
悔しさが胸の奥でくすぶる。
リゼットが腕を組んだ。
赤いツインテールが揺れる。
「意味わかんないわね」
森の奥を睨む。
「七魔将って、あんなのばっかりなの?」
エリシアは静かに首を振った。
「……分かりません」
少しだけ考え、続ける。
「ですが」
ヴァルディスが去っていった方向を見る。
「あの方は、本気ではありませんでした」
レオンも、それは感じていた。
もし本気だったなら。
三人とも、もうここには立っていない。
その時だった。
――ガサッ
森の奥で草が揺れる。
三人の視線が一斉に向く。
そして、木々の影から現れたのは――
角を持つ人型、灰色の肌、赤い瞳。
――魔族。
さらにその背後から、魔物が次々と姿を現した。
小さく醜い体、緑色の肌……ゴブリン。
低く唸る影、鋭い牙を持つ狼型の魔物……ウルフ。
歪んだ体、異様に長い腕、不気味に笑う異形……グレムリン。
その数は優に十体は超えている。
リゼットが舌打ちする。
「……今度は本物の襲撃ね」
魔族が歪んだ笑みを浮かべた。
「見つけたぞ」
濁った声。
「ヴァルティス様が興味を持った人間」
レオンが前へ出る。
気持ちを切り替え、剣を抜いた。
「来い」
魔族が腕を振る。
「殺せ」
魔物が一斉に動いた。
⸻
レオンが踏み込む。
剣が閃く。
ゴブリンが倒れる。
続けてもう一体。
その時、横から飛びかかる影……ウルフ。
鋭い牙が迫る。
レオンは剣で弾く。
「っ!」
数が多い。
後ろからグレムリンが飛びかかる。
リゼットが炎を放つ。
爆炎で数体の魔物が吹き飛ぶ。
エリシアも神聖魔法を展開する。
「ホーリーライト!」
純白の光が広がり、数体のゴブリンが浄化される。
しかし、魔族が手を掲げた、その手から黒い魔力が膨れ上がる。
次の瞬間、衝撃波が飛ぶ。
エリシアの体が弾き飛ばされた。
「きゃっ!」
「エリシア!」
レオンが駆け寄る。
エリシアは苦しそうに体を起こす。
「だ、大丈夫です……」
だが魔物はまだ残っている。
ウルフが唸る。
グレムリンが歪んだ笑い声を出す。
このままでは押し切られる。
その時、レオンの脳裏に、ある記憶がよみがえった。
――幼い頃の森……ゴブリン。
そして――唇が触れた瞬間。
エリシアの力が跳ね上がった事を。
レオンの瞳が揺れる。
「……あれだ」
身体中にある魔力、その膨大な量。
だが、外には出せない。
しかし、あの時だけは違った。
レオンはエリシアの肩を掴んだ。
距離が近い。
エリシアの瞳が揺れる。
「レオン……?」
レオンは言った。
「信じてくれ」
エリシアは戸惑う。
頬が赤く染まる。
「え……?」
レオンの顔が近づく。
エリシアの呼吸が止まる。
ほんの一瞬。
ほんの0.5秒。
視線が重なる。
そして――
レオンは唇を重ねた、触れるだけの口づけ。
その瞬間、レオンの体から魔力が溢れ出した。
奔流のように、エリシアへ流れ込む。
「……っ!」
エリシアの体が光に包まれる。
体の奥から神聖魔力が溢れ出す。
今まで感じたことのない量。
エリシアは思わず手を掲げた。
「ホーリーライト!」
神聖光が爆発する。
森が白く染まる。
ゴブリン、ウルフ、グレムリン。
魔物が次々と浄化されていく。
魔族の顔が歪む。
「なに……!?」
⸻
その様子を、リゼットはじっと見ていた。
片手間にゴブリンを炎で焼きながら。
そしてゆっくりと笑う。
「……なるほどね?」
その声にレオンが振り向く。
エリシアは膨れ上がった神聖魔力で魔族を牽制しつつ、魔物を倒している。
「リゼット?」
リゼットは唇に指を当てる。
そして言った。
「思い出した」
レオンが眉をひそめる。
「何を?」
リゼットは答えた。
「昔の森」
レオンの表情が変わる。
リゼットは確信していた。
「レオン、アンタ……」
ニヤリと笑う。
「魔力を私達に渡してるのよ」
レオンが固まる。
「……やっぱりそうか?」
エリシアが抑えてくれているが、魔族の魔力が膨れ上がる。
時間がない、リゼットは歩き出した。
レオンの目の前に立ち、胸ぐらを掴む。
そして、ぐいっと引き寄せる。
顔が近い。
レオンが慌てる。
「お、おい!」
リゼットは楽しそうに笑う。
「何赤くなってんの」
さらに顔を近づける。
吐息が触れる距離。
ほんの一瞬。
ほんの0.5秒。
レオンの目を見つめる。
そして小さく囁いた。
「ほら、早く」
次の瞬間。
リゼットから唇を重ねてきた。
唇が触れた瞬間。
レオンの魔力が爆発する。
奔流のように、リゼットへ流れ込む。
リゼットの瞳が見開く。
「……すっご」
体の奥から魔力が溢れ出す。
炎、風、水、土。
四つの属性が同時に反応する。
巨大な魔法陣が展開された。
リゼットが腕を振り上げる。
「全部まとめて――」
魔力が膨れ上がる。
「吹き飛びなさい!」
四属性混合魔法が炸裂した。
炎と嵐が重なり全てを焼き払う、水が濁流となり土の塊が全てを洗い流す。
そして、炎と水が重なり――魔族と残った魔物が、まとめて飲み込まれ――轟音。
森の木々が激しく揺れる。
やがて音が消えた。
そこにはもう、敵の姿はない。
⸻
静寂、森に風が吹く。
レオンは呆然としていた。
「……お前」
リゼットは腕を組む。
満足そうな顔。
「やっぱりね」
レオンを見る。
「レオンってば」
ニヤリと笑う。
「最高の魔力タンクじゃない」
エリシアは顔を真っ赤にしていた。
「れ、レオン……」
レオンは頭を抱える。
「キスで魔力供給って……」
空を見上げる。
「どういう能力だよ……」
この時、三人はまだ知らない。
この力が――やがて、魔界の運命すら変える力になることを。
そして、この森で始まった小さな口づけが、三人の運命を大きく動かす最初の一歩になることを。




