第7話
そのあまりの巨体に、私は思わず息を吞んだ。滲み出す殺気に森の空気が重く揺らぐ。じりじりと距離を詰めてくるその姿は、今にも飛びかかってきそうだ。
「……予想以上に大きいわね。さて、どうするの? 指示は全て任せるわ」
私は両手でしっかりと杖を握り直し、隣に立つシドファに目をやる。すると彼女は杖を地面に突き立て、胸を張って力強く頼もしげにうなずいた。
「今はあたしがリーダーッスね! まずは防御魔法をお願いするッス! 補助魔法はこのあたしに任せるッスよ!」
「了解。タイミングは合わせるわ」
ヒーラーはやられると一番マズい役割のため、簡単な防御系魔法を覚えていることが多い。
私は息を整えて魔力を集中させた。視線の先でフォレストリザードが大きく振りかぶり、今にも鋭い爪で切り裂かんと身をよじる。
――来る。
「【防御魔法】!」
小さく詠唱を終えた瞬間、私とシドファの周囲に水色の障壁が広がる。空気がぶわりと揺れ、軽い衝撃波のような感覚が走った。
「その防御魔法、もっと硬くしちゃうッスよ。――【防御強化魔法】!」
次の瞬間、フォレストリザードの爪が障壁に激突。ギィン! と火花を散らしたが、障壁はびくともしなかった。
「すごい……かなりの防御力ね」
私が感嘆すると、フォレストリザードが甲高い声を上げ、火の混じったブレスをため始めた。ごうっ、と熱風が唸る。
「――次、来るわよ!」
「わかってるッス! ――【火耐性強化魔法】」
シドファが杖を高く掲げて唱えると、私の障壁がさらに分厚い魔力の層に覆われた。
フォレストリザードは溜め込んだ火の息を一気に吐き出してきた。放たれた業火は、さほど威力を持たない熱波のまま、私たちの周囲を滑るように通過する。ほんの少し熱を感じる程度。
すると彼女は続けざまに声を張り上げる。
「俊敏性を上げて、攻撃をかわしましょうッス! ――【俊敏強化魔法】!」
杖先から淡い白光がほとばしり、私の体が急に軽くなったように感じる。足元がふわりと浮くような不思議な感覚だ。
フォレストリザードは体を大きく回転させ、その尾を横殴りに叩きつけてきた。……が、私たちは軽々飛び越えてかわす。
「……何よこれ。バフ効果、本当に3倍以上あるじゃない……?」
「だから、さっきそう言ったじゃないッスか! ようやく信じてくれたッスか?」
「ええ、まさかここまでとは……本当にすごいわ!」
シドファは大喜びで自慢げに胸を張る。その様子に私も思わず笑みがこぼれた。
実際、今のところまったくダメージを受けていない。ヒーラー同士でここまで鉄壁になれるなんて、ちょっと想像していなかった。私は弾む声で言う。
「よし! これだけ守りが完璧なら十分いけるわ! 仮にダメージを受けても、私が回復してあげるから!」
「あはは、それは頼もしいッスね」
「――さあ、そろそろ反撃よ!」
私は感情のままにグッと杖を握り、敵に向かって構えなおした。
「……で、攻撃はどうするの? 何か魔法で攻めるの? それとも、アイテムを用意してきた?」
彼女の返事はない。
「ちょっと?」
思わず彼女に視線を向ける。
「……攻撃魔法も、攻撃アイテムも――無いッスよ」
「…………は?」
「――【攻撃強化魔法】!」
シドファがそう呪文を唱えると、耳に心地よい金属的な響きとともに、私たちの体が力に満ちていく。攻撃力が大幅に底上げされた手応えがあり、血が沸き立つようだ。
「……なに、これ?」
まさか、自分に攻撃強化魔法をかけられる日が来るとは思っていなかった。
ごくまれに、魔法攻撃もこなす最上級クラスのヒーラーに対して、魔力強化魔法を使うことはある。しかし、物理攻撃力しか上がらない攻撃強化魔法をヒーラーに使うなんて――あり得ないはず。
シドファはどこか誇らしげにニッと笑うと、杖をクイッと掲げてみせた。意味が分からなかったが、その真意に気が付いた瞬間、全身の血の気が引く感覚が襲った。
――ま、まさか。
「攻撃はこうやってするんスよ! ――うおおおおおッ!!」
彼女は雄叫びとともに、そのままフォレストリザードに突進する。……と、豪快に杖で殴り始めた。
ガンッ、ガンッ、と鱗に当たるたびに鈍い音が木霊する。
「――はあ!? 杖で殴り倒す気!?」
私は慌てて制止を試みるが、シドファの攻撃は止まらない。
「バフもかかってるんで、やれないことはないと思うッス! 殴ってればいつか倒れるッスよ!」
「そ、そんな無茶苦茶な……!」
絶望しかない。しかし、彼女の言葉から察するに、他に手は用意してなさそうだ。これは、彼女に決断を委ねた私の責任。
――覚悟を決めた私は、ぎゅっと杖を握りしめ、自分もフォレストリザードに向かって駆け出した。
「……上等よ! こちとら魔王討伐隊として幾度の死線を潜り抜けて来たんだから! たかがトカゲ一匹――ぶん殴り潰してやらああ!!」
シドファに続き、私も杖を振りかぶって走り出した。