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ヒーラーしかいないっ!  作者: ぺろりんがー
ヒールのオーバードーズにはご注意を
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第56話

 パリン、パリン、パリン――。


 乾いた音が、静かな朝の空気へと軽やかに響く。

 それはどこかリズミカルで、妙に楽しげなものだったが、実際にその音が鳴っている現場には全くそんな趣はなかった。


 その音は、ミレミの部屋の玄関を出てすぐ、中庭に面したわずかな空間――そこで()()()を次々と落としては砕いていく、シドファの足元から響いていた。


 彼女は手袋越しにガラス片を扱いながら、すでに何度目かのため息をつく。


「……これ、どんだけたまってんスか」


 そうぼやきながら手を止め、足元に積み上がった割れた瓶の山を見下ろす。茶色や緑のガラスのかけらが朝の光を浴びて、きらきらと鈍く光っていた。

 ふと、風が吹き抜けた。足元から立ちのぼるように、乾ききらないアルコールの匂いが、シドファの鼻をかすめる。


「知り合いの魔術師がね、研究に使うって言うのよ。魔術式の中に混ぜるガラスの粉がたくさん欲しいんですって。だから、使いやすいように細かく砕いてあげてるの」


 部屋の中からミレミがそう答える。彼女は机に向かって、珍しくも何やら書物にペンを走らせているようだった。


「へぇー。だから、こんなにためてるんスね」


「いいえ?」


 その返答に、シドファはきょとんとする。


「毎日たくさん飲むから、これくらいは自然にたまるのよ」


「…………」


 しばし絶句したあと、シドファは真顔でつぶやいた。


「……控えたほうがいいッスよ。ほんと、生活を改めたほうがいいッス、絶対に……!」


「自分のことなんだからいいじゃないの」


 ぴしゃりと跳ね返された。どうやら本人には自覚も反省もないらしい。


「はあ……まったく、どうしたもんスかねぇ」


 シドファは玄関脇の小さな棚を開けて、中を覗き込んだ。そこにも数本の空き瓶が雑多に詰め込まれていた。


「うわっ、こんなとこにも隠してあるッス」


「ああ、その棚ね。別に隠してないわよっ! ……そうそう、その棚の上にも酒瓶があるでしょ?」


「えーっと……これッスかね?」


 彼女の言う通り、棚の上には()()()()()()()()が、ぽつんと置かれていた。

 シドファはその瓶を手に取る。ラベルは剥がれかけ、琥珀色の液体がまだ中に少し残っていた。


「んもー、飲みかけじゃないッスかこれ」


 パリンッ! ばしゃあ……。


 言うが早いか、いつもの流れで瓶を叩き割る。音を立てて中の液体とともに、地面にガラスが飛び散った。


「ああ、それそれ。棚の中の空き瓶は全部割っていいんだけど、その飲みかけのやつ、かなり高くてちびちび飲んでたやつだから――()()()()()()()()()()()()()()


「――へ?」


 シドファは動きを止め、凍った。


 バッ! と青ざめた顔で振り返る。見れば、すでに中身は地面に吸い込まれ……跡形もない。


「……こひゅー……」


 彼女は声にならない悲鳴を吐いた。


「ていうか今、なんか水が飛び散った音しなかった? もしかして、落としたんじゃ――」


 ミレミが音のほうへ振り返ろうとする。


「ちょ、ま、待ッ!! えーっと……そう! も、もらした! あたしがおもらしした音ッス!」


「あらそう。もらし――もらした!?」


「はいッス! 唐突に尿意に襲われて、たったいま爆発して大惨事ッス!」


「ねえ、ちょっと!? どうしたってのよ! 待ってなさい、今すぐ拭いて――」


「わーっ!! いいッスから! 恥ずかしいから、向こう向いててくださいッス!!」


 ミレミが立ち上がろうとした瞬間、シドファはありったけの声で叫んだ。全力で叫びながら、手をブンブン振りまくる。


「た、ただの――性癖ッスから! 誰にも見られずに、突然放尿するのが……性癖なだけッスからーッ!」


「わ、わかったから! 向こう向いてるわよ! 向いてるから、落ち着きなさいっ!」


 ミレミはしぶしぶ椅子を回して、壁の方を向いた。


「あなたねぇ……そんな性癖、控えたほうがいいわ。ほんと、改めたほうがいいわよ、絶対に……!」


 ミレミがぶつくさ言っている、その隙に――シドファは高速でしゃがみ込み、地面に染み込んだ高級酒の瓶のかけらを、まるで犯行現場の証拠を隠滅するようにせっせと回収し始める。


 すべてが終わると、ホッとしたように汗をぬぐいながら、


「……あー。ミレミさん、ごめんなさいッス。急用を思い出したッス!」


 と、シドファは立ち上がり、そのまま小走りでその場から駆け出した。


「ちょ、シドファ!? あなた、着替えはどうするのよーっ!」


 ミレミの声が背後から飛んできたが、彼女はなおも振り返らず、その声だけが、距離とともにだんだんと遠のいていった。


 ◇◇◇


「――ってことが今朝あったので、二人にはお金を貸して欲しいッス」


 そんな騒動の顛末を、ラミシーとソラソラに語ったところで、シドファは小さく手を合わせた。


 二人は一瞬、顔を見合わせたあと――


「ダメです」

「いいよー!」


 返ってきたのは、見事に食い違った返事だった。

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