第52話
もこもこぷるぷると揺れる丸く小さな体が、ふわりと私の前に浮かんだ。
"モコモコプルー"。
ぷるぷると絶えず震え、全身を覆うのは綿毛のようにふわふわした繊維質の外皮。その姿は、ぬいぐるみのように愛らしく、どこか癒やし系のマスコットにも見えるかもしれない。
だが――この小さな召喚獣には、見た目からは想像もできない、ちょっとした秘密がある。
それは【魔法離散魔法】と、【魔法反射魔法】という、二つの特殊魔法を扱えるという点。
いずれも、その名の通り……魔法そのものを"離散"させたり、あるいは"反射"させることができる。しかも、これらの二つの魔法はモンスターにしか使えないとされている、極めて特殊な分類だ。
――まあ。目の前にいる例外を除いて、だけど。
「……あなたが禁止した条件は、パーティに正式登録されていない"人物"の介入、だったわよね? なら――"モンスター"の介入は問題ない、そうでしょ?」
レノワールの瞳がわずかに細くなる。
反応を見るに、やはりルール上の抜け穴ではあるらしい。
「召喚権を付与した人物の介入、という意味ではグレーではあるが……まあ、いいだろう。召喚獣の使用を認めてやる」
「なーにが『認めてやる』よ。まったく……上から目線で偉そうに言って――」
レノワールは悠然と杖を振る。次の瞬間――私の足元の感覚が一気に崩れた。
「なっ……!?」
視線を落とすと、足元の地面がじわじわと――砂へと変化している。
これは、【地形変質魔法】!? 細かな粒子が足を絡め取り、私の動きを封じる。
「くっ……! しまった、油断したわッ」
その隙を衝くように、レノワールは炎と雷の混成魔法を、嵐のようにゲンビウスへと浴びせかけた。
「グオオォォッ!!」
足場は既にふくらはぎまで砂に沈み込み、足を引き抜こうとするたび、さらなる重みで飲まれていく。動けないまま、私は焦燥だけを募らせながら、回復を届けられずにいた。
……だけど、瞬時に打開策が頭に浮かぶ。迷いはなかった。
私は即座に声を張る。
「ワタボコリーヌ、お願い! 【魔法反射魔法】を――!」
「ぷぎゅう!」
空中で軽く跳ねたワタボコリーヌが、くるりと一回転しながら魔力の膜を展開する。
「――【集中回復魔法】ッ!」
私は狙いを定め、回復魔法を――ワタボコリーヌに向けて放った。
光は一直線にワタボコリーヌへと向かっていき、ワタボコリーヌの魔力膜に触れた瞬間……空気がピンと張り詰めたような感覚が広がる。わずかな弾性と共に、魔力は――跳ねた。
「……届いて……!」
回復魔法の光が、音もなく軌道を変える。そして光は、まるで導かれるようにゲンビウスの傷跡へと収束していき――直後、焼けただれた箇所が再生されていくのが見えた。
「あ、危なかった……」
砂は未だ腰までまとわりつき、足を引くたび重く沈む。それでも腕を突き立て、必死に体をずらして――私はようやく砂地から這い上がった。
流砂から脱出した私に向かって、レノワールがまたもや杖を構え、魔力を練りながら口を開いた。
「――俺が上級魔法までに制限を設けた理由、お前なら既に察しているはずだ」
「……ええ、概ね見当はついてるわ」
「ひとつ――蘇生魔法の対策だ。世界において行使可能な者はごくわずか。この国に限れば、扱えるのは俺か、お前か。だが……その全ての種類が、ランクが『極級』以上に分類される魔法である。よって、蘇生魔法によって勝敗が揺らがぬよう、あらかじめ封じておく必要があった」
レノワールはまるで数式を描くように、指先で宙をなぞるような仕草をしてみせる。
「そして、もうひとつが――」
「――即死魔法、でしょ?」
「その通りだ。上級魔法に、たった一つだけ即死魔法が存在する。――そう、【死刑宣告魔法】」
詠唱と共に、彼の周囲から空へと魔力が放たれる。
次の瞬間――空が暗転した。
そして上空に、じわりと黒い火の玉が現れる。時計の文字盤のように十二個、規則正しく配置された。
「……ッ! やっぱりね……!」
私が最も警戒していたのが即死魔法。いくら圧倒的な回復量を誇ろうが、即死されてしまっては回復のしようがない。
「この魔法は、十二の火球を全て相手に命中させれば、即死させることができる。ただし速度は遅く、回避可能……実戦で使用するには、即死条件が極めて難しい。――だが、相手が"回復職"なら話は別だ」
レノワールの杖の先端が、ゲンビウスへとぴたりと向けられる。
「させるわけないじゃないのッ! ――ワタボコリーヌ!」
私は咄嗟にワタボコリーヌを向かわせようとした、が――
「無駄だ。【重力魔法】」
「あが……っ!」
ズゥン――と、まるで誰かに上から押さえつけられたかのように、全身が下に沈む。全身の骨がぎしぎしと軋み、脚に力を込めようとしても立てなくなり、地面へ這いつくばるしかなかった。
「くっ……また……!」
「ぷわっ――!?」
さらに、ワタボコリーヌの体さえ、ずるりと引きずり落とされるように高度を失っていく。ゆっくりと地面へと吸い寄せられ、やがて身動きを止めた。
「魔法を反射するのであれば、反射できないほど範囲を広げればいいだけの話だ」
ワタボコリーヌも反応できないほど、レノワールの重力魔法は広範囲だった。逃れる術は……ない。
身体が沈み込む。手が地面に這いつくばる。
その間にも、火球は次々と命中していく。
一つ……二つ……。
ふと、意識が遠のく。やれるだけやってみたけど――ここまでなの?
三つ……四つ……。
みんな……ごめん。私を信じてついてきてくれたのに、まさかこんな結果になっちゃうなんて――。
五つ……六つ……。
これだから、歳を取るとだめね。あと10歳若ければ、もう少し動けたのかもしれない。
七つ……。
私ね、もう一度だけ冒険者をやりたいって思えたの。枯れ果てたはずの心だと思っていたのに――みんなのおかげで。
八つ……。
『私、決めました。これからは……みんなのために人を助けて、自分のために復讐を果たします』
九つ……。
『ここに決めてよーかった! だって、こんな毎日、絶対に楽しいじゃん☆』
十……。
『――あたしは、シドファ。あんたの中で死んだ人間の名前になんてならない!! あんたの隣で一緒に戦って――あんたと一緒に生きる人間の名前ッス!』
十一……。
――負けたくない。
まだ、私は……みんなと一緒に冒険がしたい!
パーティの形を、勝手に決めさせてなるものか!
私たちが……私たちの意志で決めるッ!!
「……これで、終わりだ」
レノワールが最後の詠唱に入る。
顔を上げた私は、近くでわずかに揺れるワタボコリーヌを見た。
もこもこぷるぷると、必死に踏ん張っている。
「……ワタボコリーヌ……!」
私は思い切り手を伸ばした。これからの未来を掴むように。
――1秒。1秒だけでいい。
一瞬の隙さえ生まれてくれれば……ッ!
「……んあああぁぁぁぁっ!!」
そして、限界まで手を伸ばし、ワタボコリーヌに――触れた。
直後にありったけの魔力を送り込む。
「ぷるぷる……ぷわああぁ!」
刹那、高濃度の【魔法離散魔法】が発動された。パアァと音を立て、重力魔法が一時的に離散される。
這いつくばった姿勢から、膝を立てて――立ち上がる!
離散しきれなかった重力を、根性と気合と、無理やりな魔力でねじ伏せて――
「ッ……はぁぁぁ……っ!!」
「――ッ!? なにぃ……?」
レノワールの杖がこちらを向く。
それより先に、私はその顔面めがけて――
「――オルァァッ!!!!」
思い切り拳を叩き込んだ。
「んなっ……!? ぐわぁッ!!」
鈍い音と共に、レノワールの体が軽々しく吹っ飛んだ。
すると、火球は宙に散り……やがて消えた。
「……あー。昔から一度、あんたのことをぶん殴ってやりたかったのよね」
拳を下ろし、息を吐き、私はニヤリと笑う。
「――はい、論破ァ!」




