第51話
空気は熱を帯び、鼻をつくような焦げたにおいが微かに流れてくる。
荒れた岩場に身を伏せるようにして、三つの影がひっそりと息を潜めていた。
「……スザキア、寝てるッスね」
彼女たちの視線の先には――炎をまとった巨影、"紅炎のスザキア"が、焦熱に焼かれた岩のくぼ地に悠然と横たわり、地鳴りのような寝息を響かせていた。
「今が一番のチャンスかもっ! こっそりと、どかーんってやっちゃお☆」
そう無邪気に言いながら準備運動を始めるソラソラ。
しかし、次の瞬間。
――ドォンッ!!
「わ、わっ! まだ何にもしてないよー!」
大気そのものがうねるような轟音が届いた。
「なんスかこの音!? マズい……起きちゃうッスよ!」
その轟音の主――それは、離れた地でレノワールが放った魔法の一撃だった。
「ラミシー、急ぐッス! ――玉は!?」
「い、いま込めてますっ……!」
ラミシーは焦りを滲ませ、額に汗を浮かべて魔導具を抱えていた。
それは、蓄積した魔力を任意のタイミングで解放できる一度限りの魔導具――"魔力玉"。
「毒をギリギリまで溜め込んで……もう少しで完成です……!」
息を荒くしながら、彼女は紫の光を注ぎ込み続ける。
「この玉をぶつければいいんだねっ! よーし、ソラソラちゃんの、ばびゅーんド真ん中ストレートをおみまいしちゃうぞ~っ☆」
「ソラソラ、そんな調子で大丈夫ッスか!? チャンスは限られてるから、マジで頼むッスよ!」
必死に魔力を込めるラミシー。
その指先が震え、汗が滴り落ち――ついに毒の"魔力玉"が完成した。
「できましたっ!」
彼女が差し出すと、ソラソラがにぱっと笑って受け取る。
「ありがとっ♪ よぉーし……いっくよー!」
ソラソラが身をひねって――ぶん投げる。その怪力から放たれた投擲は、まさに剛速球。
魔力球は一直線に飛び、眠れるスザキアの巨躯へと直撃した。
「ギェアアァァァ――ッ!」
天地を震わすほどの咆哮。
紅炎の翼がばさりと広がり、スザキアが完全に目を覚ました。
「ヒット確認したッス! それじゃあ……退避ッ!!」
シドファの号令に、全員が一目散に駆け出した。
背後から響く爆音。振り返れば、炎の渦に包まれたスザキアが苦しげに飛び回り、無差別に火を吐き散らしていた。
――その時、シドファの脳裏に蘇る声。
『いい? 安全な場所から毒で少しずつ削っていくの。時間はいくらでも私が稼ぐから、絶対に焦ってはダメ。着実に攻撃を当てることだけ考えて』
あの言葉のとおり、今は慎重に行動すべきだった。
「……ミレミさんを、信じるッス」
彼女は自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
戦術は単純明快。
シドファが防御魔法や強化魔法で仲間を守り、ラミシーが事前に貯めていた沢山の魔力玉を調整、ソラソラがその玉を投げつける。
毒を確実にスザキアへと刻み込み、ただそれを繰り返す――。
そして三人は、予め下見した岩陰の安全地点まで到達した。
「――はい、これが次の魔力玉です……!」
走った後で荒くなった呼吸を整えながら、ラミシーがそれを差し出すと、ソラソラは眩しい笑顔で受け取った。
「ありがとねーっ☆」
「――ッ!!」
突如、ラミシーの脳内に稲妻が走る。鼓動が――ドクンと大きく跳ねた。
「な、なんでしょう……この胸の高鳴り。私が長い時間をかけて込めた玉を、推しに渡す……すごく心地いい感覚」
ラミシーは頬を紅く染め、胸元に両手を重ねると、
「……この特別な気持ちを伴う行為に、名前をつけたいです……」
まるで夢を追うような瞳でソラソラをじっと見つめた。
「――そ、そうだ! この魔力をたっぷり込めた玉――塊だから……スーパーチャンク、略して"スパチャ"とかどうですかっ!?」
「……なに意味わかんないこと言ってんスか」
舞い上がるように独り言を呟くラミシーに、シドファが冷静な突っ込みを入れる。
「ラミちん、いいねそれ! とっても素敵だと思うよっ☆」
「ふふ、ふへへ……」
推しから素直に褒められたラミシーは、頬をほころばせ……やがてだらしない顔に崩れていった。
そんなやり取りをしている間に、スザキアにも毒の影響が表れたのか、ついに地上へ降りて羽を休めた。
「チャンスッスよ! 前に出るッス! ――【防御魔法】! 【防御強化魔法】! 【火耐性強化魔法】ッ!!」
シドファが連続詠唱でバフを重ねがけした、強力な防壁を前方に張り巡らせるとともに、三人は岩陰を飛び出す。
「ギェイイ――ッ!」
すぐにスザキアに気づかれ、灼熱の火炎が一直線に吐き出される。炎が大地を焼き裂き、空気がねじれるが……シドファの防壁が火流を受け止め、三人へは届かなかった。
そして、生まれた隙を逃さず、ソラソラが力いっぱい玉を放つ。
「そーれっ☆」
魔力球は残滓の黒煙を突き抜け、一直線に飛んでいき、スザキアの腹部へ見事に直撃した。
「ギェアッ!?」
絶叫と共に、その巨体が大きくのけぞる。
「よしっ、連続で攻撃するッスよ!」
「わかりましたっ! ソラソラちゃん……スパチャです! 受け取ってください!」
「はーいっ☆ スパチャありがとうねー!」
ラミシーから受け取った魔力球を、ソラソラが元気いっぱいのフォームでぶん投げる。
球は一直線に飛び、再びスザキアへと吸い込まれていった。
「頑張ってください、スパチャです!」
「ラミちん、ナイスパだよっ♪」
――その光景を見ていたシドファが、ぽつりと呟いた。
「うーん……。なんか、妙に馴染むッスね。まるで、遠いどこか別の世界で、こんなやり取りが実在してるかのような……」
毒の侵食は確実に進んでいる。
着実な手応えと、謎の納得感に包まれながら――彼女たちは確かな成果を積み上げ始めていた。
◇◇◇
――視界が赤黒く揺れる。
焼けた大地を踏みしめ、私は息を整えながら杖を構えていた。
目の前にはゲンビウス。硬質な殻に覆われた巨体が、レノワールの攻撃魔法を受けるたびに軋み、しかし私の回復で持ち直す。
その繰り返しだった。
「――【魔防強化魔法】! 【雷耐性強化魔法】!」
「【電撃蓄積魔法】。【連鎖雷撃魔法】。【多段電撃魔法】」
圧倒的な数の雷属性魔法が放たれ、巨体を全身にわたって抉る。
「【持続回復付与魔法】! 【集中回復魔法】! ……【異常状態解除魔法】!」
焼かれては癒え、抉られては再生する。
そんな不毛な応酬を強いられるゲンビウスは、ただ呻き声を上げるしかなかった。
「……何度も苦痛を繰り返させられる、かのモンスターに――お前は心を痛まないのか?」
レノワールが吐き捨てるように問いかけてくる。
「ここは、楽にしてやるべきではないのか?」
私は思わず「はんっ」と鼻で笑った。
「あんたが"可哀想"なんて感情を持ち出すとか、どんなお笑いよ。焦りでお得意の精神攻撃が雑になってきたんじゃないの?」
「…………」
沈黙のまま、レノワールの杖先に稲光が走る。次の瞬間、雷と風が混じり合い、ゲンビウスの外殻を激しく打ち据えた。私はすかさず魔力を解き放つ。
「【風雷複合攻撃魔法】」
「【広域回復魔法】!!」
互いに一手ずつ重ねるも、レノワールがふと手を止めた。
「……ふむ。弱点属性を突いてもなお、やはり回復量の方が上回るか……」
顎に手を当て、冷静に分析する。
そして――その瞳がこちらを向く。
「どちらかの魔力が尽きるまで、一生こうしている気か? ――俺の相手だけではなく、お前たちパーティの相手も、強力な二つ名持ちのモンスターであることを忘れたか?」
「もちろん、忘れてないわよ。……それが何か?」
「お前を除いた、新人だけで二つ名持ちを討伐させるなど……こんな下らん勝負に仲間の命をかけるのか?」
「あら、おかしなことを言うのね。命をかけた戦いなんて、三年前なら日常茶飯事だったじゃない」
「……遠回しに言っても伝わらんようだな。若き優秀な芽を、無駄に摘ませるなと言っているんだ」
「ふん……」
私は冷ややかに吐き捨てる。
「――私の仲間を舐めんじゃないわよ。あの子たちが、どんな覚悟で臨んでいると思ってるの」
しばしの沈黙。そして、諦めたようにレノワールが首を振った。
「……そうか、では仕方ない。手荒な真似はしたくなかったが、話が平行線である以上、こうせざるを得ないな」
彼が静かに杖を……私に向ける。
「ちょっ! あんた何するつもり――」
「ルールには、討伐者同士の干渉を縛る条文は存在しない。つまり――討伐者自身への攻撃を禁じてはいない、ということだ」
「討伐者自身への攻撃……って、まさかッ!?」
冷徹な声が告げる。
「その通りだ――【一閃雷撃魔法】」
「うわっ、馬鹿馬鹿馬鹿! 頭おかしいんじゃないの――!?」
眩い閃光が、彼の杖先からほとばしる。
雷鳴そのものの奔流が大気を裂き、一直線にこちらへ襲いかかってきた。耳をつんざく音圧が鼓膜を震わせ、地面が裂け、空気が歪み、熱気が押し寄せて――。
直後、鈍い爆発音。一気に視界が白に染まった。
「……防御展開の動作は見受けられなかった。どうやら勝負あったようだな」
レノワールの口元が勝利の確信で歪む。
だが。
「ぷるる……ぷわぁ……っ!!」
不思議な鳴き声と共に、私の前にふわりと現れた影。
「――残念だったわねぇ」
私は杖を掲げ、不敵に笑う。
「あんたが攻撃してくることくらい、お見通しよ! 言っておくけど、通常の魔法は全部効かないわよ。この――召喚獣がいる限りね!」
「ぷぎゅう!」
かつて屋台で召喚された召喚獣の相棒、モコモコプルーのワタボコリーヌが誇らしげに鳴き声を上げた。




