第44話
「「「ミレミさん! お誕生日おめでとうございまーすっ!」」」
ぱんぱんっ! と、弾けるクラッカーの音と共に、色とりどりの紙吹雪が舞い上がった。
見慣れた酒場の光景が、今日は少しだけ特別だった。テーブルには華やかな料理が並び、壁には手作り感あふれる飾り付け。私のために頑張ってくれた想いが伝わってくる――そんな、あたたかな空間だった。
本日、酒場は貸し切り。マスターの粋な計らいで、私たち『ぷいち☆えんじぇるず』だけの祝宴になっていた。
「……みんな、ありがとう。ちょっと照れるわね……」
そう言うと、みんながにっこり笑いかけてくれる。
――きっと、今の私はとても幸せそうな顔をしているのだろう。そう思ったら、なんだか気恥ずかしくなって、そっと視線を足元へ落とす。
「お待たせッスよー!」
元気な声とともに、シドファが奥から大きなプレートを運んで現れた。大きな皿の上には、見事なバースデーケーキが乗っていた。
しかし、視界が"それ"を捉えた瞬間、私の思考は一瞬停止する。
「っ……! ちょっと待って……」
――ロウソク、多すぎない?
どんっ、とテーブルに置かれたそのケーキは、想像の遥か上をいく尋常じゃない本数のロウソクで覆い尽くされていた。
「……なに、これ……?」
「ミレミさんは、今日で39歳になったッスから、ロウソクも39本にしないとッスよね! いよっ! これぞ、大人の貫禄ッス!」
……バースデーケーキというよりも、キャンプファイヤーだった。
これでもかと突き刺さるロウソクから溢れる熱気と光が、まるで私の「39歳」という年齢の現実を視覚的な暴力として突きつける。
うん。心から祝ってくれてるのはすごく分かってる。分かってるけど、これは……もはや嫌がらせでは?
「……あ、ありがとう。……すごく、あの……賑やかでいいわね」
――きっと、今の私はとても引きつってる顔をしているのだろう。そう思ったら、なんだか笑うにも笑えなくて、そっと視線を足元へ落とす。
私の内心を察したのか、ラミシーが口元を手で押さえながら、ぷるぷると肩を小刻みに震わせていた。
そんな中、カウンターの奥からマスターが顔を出す。
「今日は閉店まで貸し切りだ。存分に楽しんでいってくれよ」
「マスター……ありがとう。でも、本当にいいの?」
「なあに、ミレミさんには随分と世話になったからな。こういう日くらい、いい思い出にして欲しいってだけさ。俺からの誕生日プレゼントってことでな」
マスターは目尻をくしゃっとさせて、気さくに笑った。その笑顔は、心をそっとほどくようにやわらかかった。
「……マスター……みんなも、本当にありがとう……」
いけないわね、歳を重ねると涙腺までゆるくなるのかしら。
ぐっときてる自分を、少しだけ誤魔化すように笑った。
「さてさてっ! それじゃあ、ソラソラたちからもプレゼントタイム、いってみよーっ☆」
と、ソラソラが元気よく両手を上げ、いつもの調子で飛び跳ねる。
「ラミちんはさっきあげたって聞いたから、ソラソラのターン! ――じゃーんっ! これをあげちゃうね♪」
「こ、これは――ッ!?」
「ソラソラの『2nd Anniversary Premium Live ~星夜のダンシングヒーラー~』の特等席チケット! ソラソラが踊り子として活動2周年記念の特別ライブを、なんと間近の特等席で見れちゃうんだよー☆」
その瞬間、ラミシーの首がギュインッ! と回り、手元のチケットに目が釘付けになる。
そして、彼女の視線がこちらを射抜く――まるで「譲ってほしい」とでも言いたげに。
……ああ、そうだったわ。この子、表には出さないけどソラソラのファンだったのよね。
けれど、チケットは一枚。ソラソラが私のためにくれたものを手放すのも気が引ける……いや、でも、あの目は完全に本気だ。
ラミシーと視線が交差した、その刹那――私は無言で語りかけた。
好きなものを前にした人間の思考は、ときに言葉を飛び越える。視線の裏で本能と計算がせめぎ合い、言葉なき超高速の取引が始まった。
『……ねぇ、これが欲しいんでしょ?』
『ぐっ……! ……欲しいに決まってるじゃないですか!』
しかし、ラミシーがふと暗い表情を浮かべる。
『……でも、ソラソラちゃんがミレミさんを想ってあげたものを……私が貰う権利なんて……』
『ふーん……じゃあ諦めるのね?』
『……っ!』
彼女は視線が泳ぎ、唇を噛み――やがて、わずかに肩が震える。
『……ああもう、やっぱり欲しいです! だって……ソラソラちゃんの舞いを間近で見られるんですよ!?』
『あらあら、そう来なくちゃ。なあに、需要と供給が合致すれば何てことないわ。――そう、これは取引よ』
口角をわずかに吊り上げ、ふっと目を細める。
『――そうね。今日みたいな"飲み放題デー"が、あと一週間も続いたらいいのになあー』
すると、ラミシーの瞳がギラッと光り――
『都合よく扱われるのは嫌。でも、ソラソラちゃんのライブの特等席のためなら……心も身体も差し出しますっ!』
と、そんな決意が伝わってきた。
――交渉成立。
時間にして、おそらく一秒にすら満たない。けれど、内心では膨大な取引と譲歩と葛藤と妥協と決意が飛び交っていた。
私はにんまりと小さく頷く。互いに清々しい顔で握手を交わした。
「……あのぉー、二人とも? さっきから、無言で見つめあって……何やってんスか?」
「さあ……?」
一連の流れを見ていたシドファとソラソラは、事情がまったく飲み込めず、揃って首をかしげていた。
「……じゃあ! 次はあたしからのプレゼントッスよ!」
シドファが無理やり流れを変えるように、手のひらサイズの箱を差し出す。
「あら、何かしら?」
中を開けると――
「えっ……指輪!?」
中央に小さな蒼い宝石をあしらった、繊細な銀細工の指輪がきらめいていた。
「ちょっと早いッスけど……婚約指輪、みたいな? てへっ☆」
「――いや、重っ! 色々すっ飛ばしすぎでしょ!?」
思わず突っ込む私。
しかし、そのやり取りの最中、
「……あれっ?」
「な、なんスか?」
ソラソラがじっと指輪を見つめ、ハッと何かに気がつく。
「シドちんの誕生日プレゼントって、たしか指輪じゃなくて――」
「わーっ!! えーっと……ほら! 今どき、誕生日プレゼントに指輪は定番ッスよねー! うんうん!」
突如として手を振りながら、妙に食い気味で話を遮るシドファ。わざとらしい冗談めいた口調で、ソラソラの言葉にかぶせるように。
明らかに挙動がおかしい……なんか隠してる?
「ゆ、指輪のプレゼントなんて、ふつーッスよ! ふつー! これくらいで驚くなんて、さてはミレミさん、あんまり祝われ慣れてない感じッスね~?」
返す言葉を探しながら、私はぼんやりと遠くを見つめた。
「……まぁね。最近だと、去年マスターがいい酒くれたくらいだけかしら……」
「えぇぇ!? ミレちん、聖女様なのに!?」
何も返せなくなってしまった。
ソラソラのあまりに無垢な反応が、心に突き刺さる。
……やめて。その反応は、かなり心にくるから……。
思わず両手で顔を覆った。どっと押し寄せる虚しさを、せめて見えないように押し込めた。
気まずい沈黙が数秒だけ流れる。が、すぐにシドファがパンッと手を叩く。
「――さて、ミレミさん! 今日の主役なんだから、やりたいことあったら何でも言ってくださいッスよ!」
「うぅ、酒盛りがしたいわ」
「……酒はいっつも飲んでるじゃないッスか」
呆れ顔のシドファをよそに、ラミシーがそっと言う。
「でも、それがミレミさんらしいですね……!」
「よーしっ! 今日は朝まで飲み明かそーっ☆」
「ちょっと、ソラソラ。あなた未成年なんだから、お酒はダメよ?」
「えええーっ!?」
大げさなほどのショック顔に、場がどっと笑いに包まれる。誕生日なんて嫌いだったけど――こうやって皆と過ごすのは、悪くないかもしれない。そんな風に、私は思った。
笑い声が酒場に響く中、夜は静かに更けていった。
◇◇◇
――目が覚めると、布団の中だった。
見慣れた天井、自室。
頭は不思議なほど軽く、二日酔いも、吐き気も、喉の渇きすらない。完璧な目覚め。……ラミシーの魔法、恐るべしね。
昨夜の記憶は、ところどころおぼろげ。かなり飲んだことだけは覚えているけれど……ぼんやり記憶を辿りながら、私は布団の中でもぞりと身体を動かした。
「……ふぁ……よく寝た。……あれ? なんか、涼しい……」
ふと、自分の格好に気づく。
――下着姿だった。
「暑くて脱いだ……のかしら? あんまり覚えてないけど……」
まぁいいわ、と伸びをしかけたそのとき。視界の隅に何かが映った。
――誰か、隣で寝ている。
細い肩。ゆっくりと寝息を立てるその横顔を見て、私は無意識に笑みをこぼした。
「あらあら。シドファったら、まだ寝て――」
時が止まる。
言葉の途中で、頭がようやく目覚め始めた。
「――ファッ!?」
思わず二度見した。
間違いない。自室のベッドで、私の横に寝ているのは――シドファだった。
「なななな……なんで、一緒に寝て……」
まさか夢? でも、現実のような感覚がある。
布団の中で身体を固めたまま、思考が高速で回転し始めた。
そして、私は恐る恐る……だが意を決して、シドファにかけられた布団をはがす。
バッ!!
シドファもまた――下着姿だった。
「え、嘘でしょ……?」
昨夜のことは……途中から曖昧だ。酒を飲んで、みんなで騒いで、笑って――そこから先の記憶が、ない。
ぐらりと眩暈がする。
嫌な予感が脳裏をよぎった。
「……まさか、私たち……一線、越えちゃったッ!?」
乱雑に落ちた衣服が、まるで爆弾の導火線みたいに続いて――その先で、まだシドファは呑気にすやすやと寝息を立てていた。




