第43話
――私は、今日という日が大嫌いだ。
朝、目を覚ました瞬間から不機嫌だった。窓の外の光が無神経なほど明るくて、ひどく腹立たしかった。
そう……『誕生日』という呪いは、毎年こうして私に襲いかかる。
30代も後半に差しかかると、特に気が滅入るようになった。今や私にとって誕生日とは、老いの通知にしか思えなくなってしまっていた。
そんなわけで、今日はふてくされて一日中寝ていようと思っていた。
――けれど、部屋でひとり塞ぎ込んでいても、気が滅入るばかり。
結局、私は意地になって外へ出ることにした。目的なんてない。せめて気晴らしくらいにはなればいい、という程度の気持ちだった。
向かったのは、街の東端で毎週開かれる朝市。普段なら混雑を嫌って近づかない場所だが、今日はなぜか人も少なく、思ったより静かだった。
「――あら、この花……」
ふと、通りの花屋に目が留まった。
店先に並ぶ花束の中に、妙に目を引く――紫がかった、不思議な花が咲いていたのだ。名前も知らない、けれどどこか惹かれる、美しい色の花。
思わず足を止めて見入っていると、背後からふわりと声がかかった。振り返ると、店員が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「その花、"老月草"って名前なんですよ。ちょっと珍しくて、今の季節だけ出回るんです」
「へえ、そうなのね。なんだか、親近感がわいてくるような花ね」
「見た目は落ち着いてますけど、しっかり深みと魅力があって、女性に大人気なんです! まさに、上品な大人の花といったところでしょうか」
心地よい香りが、曇っていた気分が少しだけ晴らすように通り抜けていった。私はそっと手を伸ばす。
「……買って帰ろうかしら。たまには、花でも」
「ありがとうございます! ちなみにこの花、香りもまた個性的で……年を重ねるごとに変化していくんです」
「……年を重ねる……」
「はい! 今の時期はちょうど香りが深まって、かなり熟れてる頃ですね。落ち着いた甘さが艶っぽいって評判なんですよ」
「……かなり熟れてる……」
それらの言葉に胸のどこかがざわついて、私はそっと目をそらした。気づけば、手は花に届く前で止まっていた。
「特別な日にぴったりの一本ですよ! ぜひ、いかがでしょうか?」
「――いえ、ごめんなさい。また今度にするわ……」
私は軽く会釈だけして、その場を後にした。
そして、気を取り直すように別の通りへと足を向けると、威勢のいい呼び込みの声が耳に飛び込んできた。
『蔵で眠って百年、"古練味噌"! 年季が生んだ渋みが、癖になるよー!』
――年季。
『今日の目玉は"晩年ホウレンソウ"! 枯れるほど味が濃くなるって、不思議でしょ~』
――枯れる。
『"シワ皮柚子"入りましたー! 時間をかけた香りと、シワシワな皮が絶妙です! シワシワ! シワシワですよー! それはもう、驚くほどにシワシワしてますよー!』
――シワシワ。
「…………もう帰ろうかしら」
そう呟きながら、くるりと背を向けて歩き出した。そのとき――
「あっ……ミレミさんっ……!」
少し離れた角から、小柄な人影がこちらに向かって手を振っていた。
――ラミシーだ。片手に紙袋を下げて、ぱたぱたと軽い足取りで駆け寄ってくる。
「偶然ですね……! こんな朝早くに外出されてるなんて、珍しいです」
駆け寄ってきた彼女は、息を切らしながら紙袋を持ち直し、いつものように控えめな笑顔を見せる。
「……うん、ちょっとね。今日みたいな日は部屋にいると、ろくでもないことばかり考えちゃうから」
ラミシーが小首をかしげる。
「どうしてですか……? 今日って――ミレミさんの誕生日ですよね?」
まっすぐな目だった。曇りも悪意もない、ただ純粋な疑問。
その当たり前のような問いかけが、かえって胸に突き刺さる。
――誕生日は祝うもの。若い子なら、そう信じて疑わないのだろう。
「そうよ。だからこそ、よ」
私はため息まじりに空を仰いだ。
「……? よく分からないですけど、丁度よかったです……! 実は今日の夕方ごろ、ミレミさんの誕生日会を開こうって、みんなと話してたんです……」
「えっ……そ、そうなの? ありがとう、うれしいわ……」
それだけを搾り出すように言うと、ラミシーの表情がぱっと緩んだ。
「……では、ミレミさん。来てくれるんですね?」
心の奥がちくりと痛んだ。
……まったく。そんな風に無垢な目で見つめられたら、断れるわけないじゃない。
「え、ええ! もちろんよ!」
「よかったです! ――それで、私からのお誕生日プレゼントを、先にお渡ししようと思いまして……」
「あら、ありがとう。でも、今すぐに渡せるものなの?」
ラミシーはどこか照れたように、こくんと頷いた。
「はい。……私のプレゼントは"物"ではなくて、"魔法"なので……」
――魔法。この言葉に、私は思わずゴクリと喉を鳴らす。
「ラミシー……あなた、まさか!」
「そうです! 今日は特別に……二日酔回復魔法を、ミレミさんのために何回でも使っちゃいますっ……! もちろん、翌日までばっちり効く強力なやつです! オマケに、腹痛回復魔法、満腹緩和魔法、胃もたれ軽減魔法、などなど。つまりですね――好きなだけ飲み食いしちゃって大丈夫なんです……!」
「お誕生日サイコーッ!!」
さっきまでの憂鬱はどこへやら、私の顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。今、頭にあるのは、いくらでも酒を飲めるという高揚感と、いくら食べても胃もたれの心配がないという幸福感だけだった。
「なので、よかったら……このあと、一緒に食べ飲み放題のお店で、お昼ごはんでもどうかなと……」
「もちろんよ! 全メニュー、制覇でもしちゃおうかしらねぇ!?」
テンションは最高潮、気づけばラミシーを引っ張って店に向かい始める。魔法という最強の味方を得た私は、もう何も恐れるものなどなかった。
◇◇◇
食べた。飲んだ。
とにかく、飲んで食べて飲んで飲んで。気づけば空き瓶の列と皿の塔がテーブルを占拠し、胃袋には満足と幸せだけがしっかりと残っていた。それもこれも、ラミシーの魔法が優秀すぎるのが悪い。
――しかし、流石に限界はある。
「……なんか、尋常じゃないほどポッコリしてきたわね……」
私は大きくなった腹をさすりながら通りに出た。ラミシーも隣でそっと歩いている。
「ねえ、ラミシー。これって……まさか、破裂したりしないわよね?」
「えっと……。多分、大丈夫……だと思います……」
「ほ、本当でしょうね……?」
ラミシーはそれ以上何も言わなかった。その沈黙が、かえって怖かった。
……お腹と一緒に、不安までふくらんできた。
そこへ。
「おーい、ミレミさーん! ラミシー!」
向かいから賑やかな声が飛んできた。――シドファだ。
「いやぁ偶然ッスねぇ! あっ、ミレミさん、お誕生日おめでとうございまー……って、なんスかッ! そのお腹!?」
「ああ、これ? ちょっと食べすぎ――」
と言いかけた瞬間、脳内にピコーンと浮かぶ悪いアイデア。
私は思わせぶりに口をつぐみ、両手でそっと下腹を包み込むように撫でる。そして、視線を落とし、わずかに頬を染めながら――
「……できちゃった」
「…………は? でき……? え? なにが……ッスか?」
シドファが凍りついたように固まる。その顔がみるみる青ざめていく。
「……で、できたって、もしかして……」
「――赤ちゃん♡」
「…………きゅ~っ……」
バタリ。
彼女は綺麗にそのまま崩れ落ちた。
白目を剥き、口をパクパクさせながら、見事に気を失っている。
「あっ、ちょっとやりすぎたかしら」
「シドファさぁぁぁああんっ!!」




