第4話
私は彼女をじっと見つめた。
「副団長補佐、って……なるほどね。つまり、あなたが噂の天才ヒーラー様ってわけ?」
つい疑うような口調になる。
近衛騎士団の副団長補佐なんて、国の中でも屈指の重要ポストだ。それがこんな場末の街でふらふらしてるなんて、どう考えてもおかしい。
「……天才かどうかはわかんないッスけど。まぁ、一応そう呼ばれてはいるッスね」
シドファは軽く肩をすくめて、曖昧に言葉を濁した。その言い方は誇るでも卑下するでもない。ただ、事実を述べているような印象を受ける。
――だが、それ以上に気になることがあった。
「……ていうか、ギルドの職員が言ってたわよ? 近衛騎士団の天才ヒーラーが行方不明になってるって。もし本当なら……あなた、こんなところで何をしてるわけ?」
問い詰めると、彼女は一瞬だけ視線をそらし、頭をかきながらごまかすように笑った。
「いやぁ……ちょっと抜け出してる、っていうか……まあ、いろいろあってッス」
――ちょっと抜け出してる? 失踪扱いされてる時点で、ただごとじゃないと思うのだけど!?
けれど、バツが悪いのかそれ以上を話す気はないらしい。その曖昧な言い草に、私も深く踏み込む気を失ってしまう。
そんな中、彼女はわざとらしく咳払いをして、話題を切り替える。
「――そ、そんなことより! さっき偶然ギルドの近くを通ったら、討伐依頼の話が聞こえてきたんスけど。いや、立ち聞きするつもりはなかったッスけどね? ……やっぱ、ミレミさんは受けないんスか?」
「当たり前でしょ。厄介そうな依頼なんて受けるわけないじゃない。もう冒険者は引退したの、面倒ごとはゴメンだわ」
大げさに肩をすくめる。あんな依頼、しつこく頼まれても断るに決まっている。
だというのに、シドファは軽く息をついてから、何かを覚悟したように目を伏せた。
「……じゃあ、あたしが代わりに受けるッス」
「はあ?」
あまりにも突拍子もない発言に、思わず声が上がる。
「いやいや、ちょっと待って。あなた、騎士団所属なんでしょ? だったらギルドの依頼じゃなくて、騎士団で動けばいいじゃない」
それが筋のはずだ。王都にいる他の部隊に命令を出せば済む話。
しかし、シドファは小さく首を横に振った。
「それが……今、主力部隊は遠征中でほとんど王都に残ってないッス。王都は外敵対策で手一杯だし、他の隊も地方警備に人を取られてて、動かせる人員がいないんスよ」
彼女は自分に言い聞かせるように続けた。
「それなら、あたしが冒険者として依頼を受けるしかないッス」
「……うーん、よくわからないのだけど。あなた今、行方不明の扱いなんでしょ? ギルドで依頼受けたら、名前と身分証出すことになるわよ」
その瞬間、シドファは猫が尻尾を踏まれたみたいにビクリと反応した。
「……あ、あれ? ……そういえば、そうッスね……! あたしがクエストを受けると、手続きでバレるッスね!? ……ど、どうしよう……!?」
「どうしよう、じゃないわよ。――ねえ、あなた本当に噂の天才ヒーラー様なの? ちょっと信じがたいんだけど」
私は呆れを隠さず言った。
どうやら、その点に関して全く考えていなかったらしい。
「……す、すっかり頭から飛んでたッス……!」
目の前で頭を抱える彼女には、"騎士団のエリート"の風格なんてこれっぽっちも感じられない。
シドファは少しの間考え込んでから、急にパッと顔を上げた。
「じゃ、じゃあ、ギルドを通さずに行けばいいッスよね! 依頼を受けなければバレないし、パーティも組めないなら――あたし一人で」
「――はぁ? ヒーラーが一人でモンスター討伐に行くとか……バカじゃないの!? いくら実力があったとしても、どうにかなるレベルじゃないわよ!」
私は思わず声を荒げる。
いや、確かにギルドはヒーラーの数が不足してると言ってはいたけども……当然、ヒーラーが単身で突っ込むとか想定してないだろう。
しかし、彼女はきっぱりと首を振った。
「それでも、放ってはおけないッス。困ってる人がいるのに、何もしないで見過ごすなんて嫌ッスから。……これが自分にできることなら、やるだけッスよ」
その目に、迷いはなかった。
――まるで、あの頃の私のようだった。
魔王討伐隊として戦っていた頃の、真っ直ぐすぎる熱意。その正義感は、今の私には眩しすぎるほどで――。
だからこそ、そんな正義感を簡単に否定なんて、できるはずがなかった。
「……本当に行く気なのね。止めても無駄?」
「悪いッスね。決めたことなんで」
彼女の頬にはわずかな緊張感が浮かんでいたが、その瞳は凛としていた。
私は深く息を吐く。
……まあ、そもそも私が依頼を断ったからこうなったわけで。もちろん、引退した身だし悪いとは思っていないけど――ほんの少しだけ居心地の悪さが残る。
――ただ、それとは別に一つだけ気になることがあった。
「……にしても、どうして私にだけ正体を明かしたの?」
さっきからシドファは周囲を警戒しながら話をしている。誰かに見られたらまずそうな話題であることは間違いない。なのに、私にはペラペラと明かしていた。その理由は?
「――ミレミさん。あんた、聖女様ッスよね?」
「……聖女? まぁ、昔はそう呼ばれてたけど。……てか、あなたに名乗ったっけ?」
思わず眉をひそめる。私が"聖女"として国中に知られるきっかけになったのは、魔王討伐隊の活躍が大きい。
だけど、それも過去の話。今はただの酔っぱらいのミレミだ。隠してるつもりはなくても、わざわざ言った覚えもない。
シドファは言葉を選ぶように、ゆっくりと語り始めた。
「……8年前、カマル村に立ち寄ったの、覚えてますか? あの時……助けてもらった少女がいたと思うッスけど」
「カマル村……ああ、魔王討伐のルート上で通過したのは覚えてる。でも、誰を助けたかまでは……ごめん、記憶にないわ」
魔王討伐の道中はとにかく忙しかった。各地で救援に駆けつけたり、傷病人を治療したり。助けた人々の数は数え切れないし、一人ひとりの顔や名前まで覚えていられなかった。
「……そッスか。いや、いいんスよ。それだけ聞けて十分ッス。――ありがとッス」
そう言いながら、彼女はほんの一瞬だけ寂しそうな微笑を浮かべる。そして、それ以上何も語らず、くるりと踵を返して歩き出した。
「ちょ、ほんとに一人で行くつもりなの!?」
私は思わず叫んだが、彼女はもう振り返らない。歩調はゆるめず、そのまま路地の奥へと消えていってしまった。呼び止めようとした私の声は、虚空に吸い込まれるばかりで――。
湿った石畳に、一人立ち尽くす。
彼女を止めるべきか、それとも放っておくべきか……。自分でもわからないまま、足だけが焦るように動いていた。