第38話
あの放送のことをどうしても忘れたくて、私は酒場のカウンターに身を沈めていた。
街は今まさに再生祭の真っ盛りで、笑い声や音楽が華やかに響いているというのに、私は一人、静かに杯を傾けている。
カウンターには、ほとんど空になった酒瓶がずらりと並ぶ。頬は火照り、頭もぼんやりしてきた。それでも足りない。飲んでも、飲んでも、あの羞恥は消えてくれなかった。
「ねぇ、マスター。次、ちょうだい。これもう空だから」
「……おいおい、ミレミさん。せっかくの再生祭だってのに、こんなとこで潰れてていいのかよ」
うっとおしい、と言わんばかりにマスターから目を逸らし、そのままグラスを煽る。
「あなたねえ……さっき私がどんな目に遭ったか、知ってるでしょう? こんなの、飲まなきゃやってらんないわよ」
投げやりにそう返してはみるものの、心のどこかでは申し訳なさも芽生えていた。祭りが盛り上がっているというのに、ここで泥酔して悪態ついてる客は私くらいだろう。
頭がぼんやりしてきたところで、酒場の扉が軋む音がした。
誰かが入ってきた気配は感じたけど、顔を上げる気にもなれず、カウンターの上の指先を見つめる。しかし――
「久しぶりだね、ミレミ」
――その声を、忘れるはずがなかった。低く、穏やかで、それでいて懐かしい声。
思わず動きを止めて、そっと振り返る。そこに立っていたのは――
「……ギル?」
そう。かつて私が所属していたパーティ、灰燼のリーダーだった男――ギルがそこにいた。
何年も姿を見なかった彼が、目の前にいる。
「お、おい! お前さんは……!」
「えっと、君は――ああ、あの時に冒険者だった……なるほど、今は酒場のマスターを?」
ギルと面識のあるマスターもまた、突然の彼の登場に困惑気味だった。
彼の声は相変わらず穏やかだった。
でも、その奥に何か、どこか張り詰めた気配が滲んでいて、背筋がすっと冷えた。
「挨拶もそこそこに悪いんだけど……ミレミ。おまえだけに、話したいことがあるんだ。……場所を変えたい」
ギルはそう言うと、遠慮がちにこちらを見つめてくる。マスターの前では話せないこと――それを悟らせるには十分だった。
ため息交じりで頷き、グラスをカウンターへ置いた。
「……わかったわ。マスター、ごめんね」
マスターは何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わず、そのまま見送るだけだった。
私はふらつく足をなんとか立て直し、ギルとともに酒場を後にする。
◇◇◇
祭りの賑わいは、今もなお街全体を包んでいた。笑い声、音楽、歓声――それらが遠くから断続的に聞こえてくる。
私たちは、人気のない場所へと足を運んだ。通りから一段下がった石階段。その先にある、今は使われていない鉄格子の門の前で、私は腰を下ろす。
ギルは少し離れた場所に立ち、視線だけをこちらに向けていた。
「……で、いきなり現れて。どこをほっつき歩いてたわけ? 三年も、連絡のひとつもよこさずに」
「うん……もう三年になるのか。早いものだね」
質問に対して答えない。――そういうところ、昔から変わっていない。
都合の悪いことは濁すくせに、やたらと真剣な顔をするから、いつも責めるに責められなかった。
「……ほんと、まったく……」
呟くようにこぼしたその言葉に、ギルは静かに応じる。
「――覚えてるかい? 灰燼の加入条件」
「何よ、いきなり……もちろん、忘れるわけないでしょ」
決して忘れようがない。
私が最も信頼していたパーティ――その存在を支える、大きな理念だったからだ。
「灰燼は、人々の命を最優先するために組まれたパーティ。魔王から多くの人々を守るために……私たちメンバー自身は、いつ死んでもいい、見殺しにされてもいい、仲間の命すら犠牲にする――"最も軽い命"として扱う。これが、灰燼の絶対条件」
自分で言葉にしてみると、やはり重く胸にのしかかる。そんな狂気じみた約束を、それでも、私たちは平和のために掲げていたのだ。
ギルはそれを聞いて、小さく頷いた。
「そうだね。まさに、灰燼に帰す者たち――俺らは半ば亡霊みたいなものだった。死を受け入れて戦いに挑み、必要とあらば自分の命もあっさりと差し出す覚悟でいた。……だけど、皮肉なことに、こうして誰ひとり欠けることなく平和な世界を迎えられるなんて。本当に、想像していなかったよ」
「…………」
胸の奥に熱いものがこみ上げるのを感じた。これ以上ないほどに厳しい戦いを潜り抜けて、みんな無事でいられたのは奇跡に等しかった。
「だからこそ……私は平和になった世界で、今度こそ、本当の冒険をしたかったの。あなたたちと一緒に。何年もかけて通じ合った私たちなら、きっと昔とは違う旅ができるって」
私の言葉に、ギルはどこか寂しげに目を伏せた。
「わかってる。ミレミの気持ちもね。でも……俺は、みんなには幸せになってほしかったんだ」
「……幸せ、ね」
私はくしゃりと顔を歪める。
――あの記憶が甦る。戦場で響く断末魔。焼け爛れた大地。毎晩夢の中に現れるそれら全てから逃げるために、私は酒に溺れた。叫びをかき消すように。毎日、毎晩、息をするように飲んだ。
「結局、酒に逃げるしかなくて……だから全てを忘れるように飲んで。……そんな暮らししかできない私に、幸せ? そんなわけ――」
そこまで言いかけたときだった。
――あの頃の温度と今のそれは、どこか違っていた。
気づけば私は――つい最近、隣を歩いてくれた足音を思い出していた。
「……ごめん。俺の選択が、逆におまえを苦しめてしまったんだね」
「違うの。ただの八つ当たりよ。……自分の中で、整理がつかなかっただけ」
罪悪感と酒の勢いが綯い交ぜになって、私は黙り込んでしまう。ギルもまた言葉を失っているようだ。
静寂が重くのしかかる。
「……でも、最近は。少しだけ、幸せかもしれない……って思えるようになったの」
ギルの表情がわずかに動く。驚きの色が浮かんでいた。
「新しい仲間ができたの。決して――"死んでもいい"なんて思えない、大切な仲間たちが、ね」
あの子たちのおかげで、私はようやく変われたんだ――。
そう思った瞬間、ギルの瞳にほんの一瞬、影が差したように見えた。
「まさか、あのミレミが……。そっか、そんなに大事な仲間ができたんだね」
ギルの声は、どこか悲しそうな響きを帯びていた。
理由は分からない。でも、私の心の奥で何かがざわついた。
「……ミレミ。こんな状況で言うのは、本当に辛い。でも、伝えなきゃいけないことがあるんだ――」
これは、あまり良い話ではないのだろう……そんな予感が、ひしひしと迫ってきた。




