第34話
白い石造りの病院は、祭りの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
受付を抜け、奥の診察室へ通されると、そこには高齢の男性医師が迎えてくれる。丸眼鏡をかけ、頬や目尻には深い皺が刻まれていた。
「おやおや、聖女さま。こりゃまた、えらいお久しぶりでございますなぁ」
医師は少し腰を曲げながら、にこやかな笑みを浮かべる。
背後の棚には、治療道具らしきものや薬瓶がずらりと並んでいた。
「ええ、最近ちょっと……無理しちゃったみたいで。お願いできるかしら?」
私がそう返すと、医師は穏やかなまなざしを向けながら、ゆっくりとうなずいた。
「もちろんでございますとも。――ただ、あの聖女さまのお身体を診るだなんて、わしごときでは荷が重うございますかな?」
「……冗談なのか、ボケちゃったのか、どっちか分かりにくいからやめてちょうだい。回復魔法だって万能じゃないのよ。病気まで治せるわけじゃないんだから。――まあ、一部……例外を除いては、ね」
そう言いながら、私はふとラミシーのことを思い出す。
医師は悪びれもせず、柔らかな笑みを残したまま机へ腰かける。
「ではさっそく、詳しい症状を聞かせてくだされ」
彼の手が机上にあった小さな球体に伸び、ちょんとスイッチを押す。宝石のように淡い輝きを宿したその球は――光を帯びて、かすかに「カチリ」と音を立てた。
「……それは?」
私は思わず尋ねる。すると医師は「ああ、これでございますかい」と小さくうなずいた。
「実のところ、わしも詳しゅうは知らんのですがな。どうやら音を記録して好きな時に出せる魔道具じゃそうですよ。近頃は、世の中が平和になったおかげで、こういった品も少しずつ作れるようになってきましてな……こんな田舎の病院にまで試しに回ってくるようになったんですわい。――ほれ、患者さんの話の聞き違いがないように、こうして残しておくと重宝しますからな」
「へぇ……随分と便利になったのね」
確かに、魔王がいた時代には、こんなものは夢のまた夢だった。
けれど戦が終わり、ようやく人の手が暮らしへと向けられるようになったのだと思う。
「――あ、でも。くれぐれも私の病気のことは外に漏らさないで。もし誰かに……特に、あの子たちに知られたら困るのよ」
「もちろんでございますとも。この魔道具は、わしが責任をもって管理いたしますゆえ、ご安心を。――さて、ではまず調子が悪うなったのは、いつ頃からか、お聞かせ願えますかな?」
「そうね、大体――」
◇◇◇
昼過ぎ。
ミレミの診察を終えた高齢の男性医師は、病院の一室で一人、丸眼鏡を押し上げながら首をかしげていた。
「うーむ……さてさて。これを再生するには、どうするんでございましたかのぅ……これを押すのでしたかな……あれ、違いましたかの……?」
年齢のせいか操作に不慣れな彼は、ボタンを何度も押してしまい、余計な音が記録されてしまったようだ。そこで、小さな球体の魔道具を手に取るが、どうやって再生するのかがさっぱり思い出せない。
「これは困ったものですな。……そうじゃ。確か、近くのギルドでも、これと同じのを導入しとると聞きましたな。ちぃと足を運んでみましょうかのう」
そう呟くと、彼は白衣をひらりとはためかせ、小さなバッグに魔道具を入れて、病院を後にする。
――ギルド内は祭りの日とは思えないほど混み合っていた。職員たちは書類を抱えて走り回り、そこかしこで慌ただしい声が飛び交う。
「どなたか……ちぃとお尋ねしたいことがあるのでございますが」
医師が声をかけると、若い職員が「あ、はい!」と対応に出る。ただ、その職員も書類を両手に抱えており、見るからに忙しそうだ。
「実は、これと同じ代物が病院に来ましてな……」
彼は鞄から魔道具を取り出してみせる。球体はほんのり淡い光を放ち、受付カウンターの上でコロリと転がりかけた。
「ああ、これは音珠ですね。最近、あちこちで導入されはじめてますよね。病院でも使ってるんですか?」
「うむ。だが再生の仕方をすっかり忘れてしまいましてな、教えてくださらんか?」
そこへ通りかかったギルド職員が「こちらにどうぞ」とカウンター内へ医師を案内する。
「ここのボタンを押すとカチッと音がしますので、そのタイミングで録音と再生が切り替わるんです。あとはですね……」
職員が手際よく説明を続けるが、彼は耳をそばだてるものの、今ひとつ理解が追いつかない。
「おお! ちょっと待ってくだされ。どれを押すんでございましたかな?」
「ですから、ここのボタンを押すとカチッと……」
「はて、ボタンというのがどれか分かりませぬな……この突起のことでございますかい?」
「いえいえ! それはスピーカー部分です!」
医師は高齢のためか、頭になかなか情報が入らない。やがて職員は辛抱強く、図解まで使って説明を続けた。
――そんなやり取りを横目に、カウンター脇で大量の書類を抱え込んでいるギルド職員の男――ナスコが、ちらりと音珠を見て声を上げる。
「――あ、あれ!? 僕……音珠、出しっぱなしにしてましたっけ……?」
ナスコは山積みの書類を机上に下ろし、医師が先ほど受付カウンターへ置いた音珠に目をやる。どうやらそのまま置きっぱなしになっているようだ。
「危ない危ない……大事なモノですから、ちゃんと管理しないと」
ナスコはそれを無造作にポケットにしまう。
「今日の再生祭の目玉でこれを使うことになってますからね。無くしたら大変だし……本当は中身を確認しておかないとダメだって言われてるんですけど、忙しくてそれどころじゃないんですよね。……まぁ、今のうちにセットだけしておきますか」
独り言のように言いながら、ナスコはさっさとカウンターの奥へ引っ込んでいく。
急ぎ足で姿を消したナスコと入れ違いになるように、医師はゆっくりとカウンター内から抜けだしてきた。
「――ふぅ。お忙しいのに、かたじけのうございますな。ほんに助かりました」
「いえ、こちらこそ。分かりにくい説明ですみませんでした。無事に使いこなせるといいですね」
「うむ……まあ、年寄りには少々手に余る代物ですが、これもまた時代というものでしょうな」
彼はそう呟き、再生祭の装飾が残るギルドの入口へと向かう。
「では、わしはこれで失礼いたしますぞ。ありがとうございました」
ぎこちない足取りながらも、彼は建物の外へ消えていく。
――ただ、持ち出した音珠の行方など、とうに頭から抜け落ちたままだった。




