第31話
しかし、彼女の甘美な時間は、ダルクベアの咆哮によって引き裂かれた。低く耳をつんざくような唸り声とともに、巨体とは思えぬ速さでこちらへ踏み込んできた。地を揺らす足音が迫り、あっという間に距離を詰められた。
咄嗟に反応しようとしたが、体が鈍い。毒が神経を鈍らせ、動きが遅れてしまう。シドファも同様に、まともに動けていない。
ラミシーがすぐさま詠唱に入った。
「……ッ、【毒状態回復魔法】!」
癒しの光が私とシドファの体を包み込む。毒が洗い流されるように消えていき、呼吸が楽になるのを感じた。
「助かったわ、ありがとうラミシー!」
すぐにシドファと目配せし、左右に分かれて跳躍。直後、ダルクベアの振り下ろされた腕が地面を抉った。
硬い石床がまるで粘土のようにひしゃげ、飛び散った破片が周囲を舞う。
ダルクベアの上位種ともなると、やはり攻撃が速く、そして重い。それどころか、隙などほとんど見当たらない。
いつもの全員が杖で殴る戦法なんて論外ね。
――となれば、正面からぶつかるのではなく、こちらから意図的に隙を作らせるしかない。そのうえで、最大限の火力を叩き込む必要がある。
「シドファ! 私が隙を作るから、あなたは至近距離で魔導弓を打ち込んで! ……ゼロ距離なら、さすがに当たるでしょ?」
「了解ッス! でも、それ中々の脳筋戦法ッスね!」
「どの口が言ってんのよっ!」
軽口を叩きながらも、私の視線はダルクベアから一瞬たりとも外さない。……その構えに、かすかな変化が走った。僅かに重心が逸れた。次の一撃、狙いは私たちじゃない。
ダルクベアの標的が変わった――ラミシーだ。彼女に向けて、右腕が大きく振りかぶられた。
「――危ないッ!! ラミシー、伏せて!」
私は咄嗟に防御魔法を詠唱し、水色の防御障壁をラミシーの前に展開。さらに防御強化魔法で防御力を底上げする。
一本目の腕は防御障壁に弾かれて軌道が逸れた。しかし、もう一本の腕が――ラミシーの足を直撃した。
「――いっ!!」
悲鳴が耳を突く。彼女が片足を引きずるようにして崩れ落ちるのを見て、私は反射的に駆け出していた。近くに飛び込み、彼女を肩に担いで、そのまま素早く後退する。空いた片手で回復魔法を発動し、負傷した足を光で癒していく。
「ご、ごめんなさい……!」
「いいのよ。それより、態勢を整えて! ――みんな、私も甘く見てたけど、今回の敵はいつもと違って少し手ごわい。気を引き締めていくわよ!」
私の声がフィールド全体に響く。それが合図になったように、仲間たちの動きが一変する。
「魔導弓は物理攻撃よ! 攻撃強化を重ねて!」
「【攻撃強化魔法】!」
「よーしっ☆ 【火舞演】♪」
重ねがけされたバフにより、パーティ全員の身体が赤く煌めく。火の粉のようなオーラが全身を包み、力が充満していく。
その様子を見たダルクベアの目に、光が灯った。標的が――シドファとソラソラに変わったのを、私は見逃さなかった。
「シドファ、そのまま正面から接近して! 私が援護するから、距離を詰めて一気に撃ち込んで!」
「――わかったッス!」
二人に向かって突進するダルクベア。対するように、シドファも魔導弓を構えたまま、真正面から突っ込んでいく。
「【防御魔法】! ――【防御魔法】!」
私は両手を掲げ、防御魔法を二重に展開した。本来、これはタンクの領分。ヒーラーの私も使えなくはないけれど、精度も強度も比べものにならない。しかも、二重展開ともなれば精度も下がる。
それでも……今はそんなこと言っていられない。
ダルクベアの右側――二本の腕が同時に振り下ろされる。
先ほどは腕一本しか防げず、ラミシーが負傷した。だから今回は、最初から二本目に対応するために防御魔法を二つ張っている。
次の瞬間、展開された二重の障壁がそれぞれの腕を受け止め、狙い通りに攻撃の軌道を逸らした。逸れた腕は地を深く抉り、石床が裂ける音が響き渡る。
「よっしゃあッ! 今ッス――!」
シドファが魔導弓を引いた――その時だった。
ダルクベアの反対の腕が、まるで小枝でも摘むように、魔導弓をひょいと持ち上げる。
「あっ、ちょ……!」
シドファが慌てて距離を取ろうとしたが、ダルクベアは彼女を追撃しなかった。武器を奪ったことで興味を失ったのか、ダルクベアの目が別の標的――ソラソラへと移った。
「――ッ!! ソラソラ、逃げてっ!」
「えっ?」
だが、彼女はすでにダルクベアの攻撃範囲内に入っていた。
四本の腕が、全て振り下ろされる。まるで、大地そのものを押し潰すかのような、圧倒的な力と質量が迫る。
「――しまった! 四本同時は防ぎきれない……!」
絶望が私の喉を凍らせる。
ソラソラの小さな身体が、わずかに浮かぶように舞い上がり――。
ズブリ。
異音と共に、鮮血が宙を舞った。
――そして胸元には、腕が深々と突き刺さっていた。
「ソラソラーッ!!」
私たちは絶句する。
そう、何故なら――突き刺さっていたのはソラソラの腕の方だったから。ダルクベアの胸元を、細い腕が確かに貫いていたのだ。
「……え? ソラソラ……?」
その小さな手は、ダルクベアの心臓――まさにハートを、わしづかみにしていた。
……理解が追いつかない。いや、普通に考えておかしいでしょ!?
あのか弱い少女が、屈強なモンスターの胸を貫くなんて……。
――ふと、脳裏によみがえる。彼女の自己紹介。
そういえば……
『スイートステップ♡ メルティヒール♡ キミのハートをブレイク♪ 夢の踊り手、ソラソラちゃんでーすっ☆』
いやいやいや!
"ハートをブレイク"って、もしかして……物理的に心臓を潰すってこと!?
ソラソラはくるりとターンし、破れた獣の胸から、そっと心臓を引き抜く。私たちは、ただ呆然とその姿を見つめることしかできなかった。




