第30話
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
漆黒の扉がそびえ立つ最奥部。私は、ラミシーに膝を治療してもらっていた。回復魔法の淡い光がじわりと広がり、ミシミシと軋んでいた関節が嘘みたいに軽くなる。
しかし、施術している本人はうっすら涙を浮かべ、肩を震わせている。
「私が……もっと早く治療していれば……ミレミさんのお尻の――貞操を失わずに済んだのにっ……!」
「貞操言うな!」
膝の痛みはやわらいだはずなのに、今度は羞恥の熱が全身を襲ってくる。
「――いい!? お尻に受けた傷は、回復魔法ですべて元通りになったんだから! ……だからもう、その話はやめてちょうだい!」
顔を真っ赤にして叫ぶ私を、ソラソラが「?」を浮かべたように見つめていた。
「ねえねえ、ミレちん! お尻の傷が治るなら、さっきの膝の痛みも自分の回復魔法で治せないの?」
ふいにそんな疑問を口にした彼女の声は、ただ純粋な好奇心そのものに聞こえた。
私はぴしゃりと人差し指を立てて説明を始める。
「回復魔法って、基本的には戦闘向きなのよ。パッとできたケガは得意だけど、古傷とかクセになった痛みは苦手なの。だから、私の老化でできた膝の痛みは、自分じゃ治せないのよ。――って、老化とか言わせんじゃないわよ!」
「へぇ~♪ そうなんだー! じゃあ、そんな膝の傷を、ラミちんが癒せるってことは……もしかしてラミちんって、スーパー状態異常回復魔法てんこ盛りガール……ってこと!?」
「……うん、まあ……合ってるんじゃない? 知らないけど」
私は深く考えるのはやめて、そういうことにしておいた。
そんな私をよそに、ソラソラがきらきらとした目でラミシーを見つめていた。その真っ直ぐすぎる視線に気圧されたのか、ラミシーはわずかに目をそらした。
――ラミシーは、戦闘中に使われる状態異常回復魔法をこなす一方で、通常のヒーラーが扱わない領域の状態異常までカバーしてる。それでいて、ヒーラーになったのはごく最近なのだから、とんでもないポテンシャルを秘めているだろう。
「……ふう、これで治療は完了です」
ラミシーが息をつきながら手を引く。魔力の残り香の中、私はそっと膝を曲げてみた。驚くほど軽い。さっきまでの鈍い痛みが、跡形もなく消えている。
「ありがとう、ラミシー。流石ね」
私は立ち上がり、周囲を見渡す。言葉は交わしていないが、皆の表情と動きが示していた。
――もう、準備は整ってる。
「じゃあ、パーティの人数も増えてきたことだし……アレ、やりましょうか」
私の言葉に、シドファが片眉を上げた。
「アレって、なんスか?」
「アレよ、アレ。――杖合わせ!」
ソラソラがぴくっと反応し、体を前のめりに傾けた。
「おー! いいねー☆ ソラソラちゃんも、杖合わせやりたーいっ!!」
彼女はパッと跳ねるように手を上げ、ノリノリで賛成を表明する。
「じゃあ、ソラソラには私の予備の杖を貸すわね」
……しかし、その横で、シドファが訝しげに首を傾げていた。
「杖合わせ……? 見習いプリーストがクエストの出発前にやる――あの杖合わせッスか?」
「そうよ。一度やってみたかったのよね」
「……えぇ、普通に嫌ッスけど! 昔はよくやってたらしいッスけど、今どき、そんなのやる人いないッスよ……? クソダサいッスし……」
まあ、シドファの言うことももっともだ。
杖合わせは昔、見習いプリーストたちがやってた気合い入れの儀式。今ではすっかり廃れて、誰もやらなくなった。
でも――。
「……いいじゃない。私が見習いだった頃、住んでた地域は魔王の侵攻が激しくてね。見習いですら前線に出されてたの。生きて帰ってこれない冒険者も少なくなかったわ。そんな状況で、杖合わせなんて――やる余裕なかったのよ」
私は、少しだけ笑ってごまかすように言った。
すると、シドファは言葉を探すように少し口ごもり、ようやく声を出した。
「ああ、もう――わかったッス、やりましょ!」
「……いいの?」
「それを言われちゃあ、ずるいッスよ」
彼女が立ち上がると、他のメンバーもつられるように動き出す。
「ありがとう、みんな……!」
抑えきれない嬉しさと、少しくすぐったいような気持ちが胸に広がる。
私はひと呼吸おいて、口を開いた。
「じゃあ……全員、構えて。杖を前に突き出して――」
私たちは静かに歩み寄り、円を囲むようにして立ち位置を整えた。
片足を前に出し、フェンシングの構えのように前膝を曲げて、背筋をぴんと伸ばす。そして、握っていた杖を中央に向かってそっと差し出す。
後ろに引いた足はまっすぐに伸ばし、空いた手はパーにして、ヒラヒラと後方で舞わせるように構える。
「シドファ! もっと手ぇヒラヒラさせなさいよ! ほら、蝶のようにヒラヒラ~っと!」
「うう……屈辱ッス……」
「――よし、いくわよ! ぷいち☆えんじぇるず――ファイッ!」
「「「おーっ!」」」
声が重なった瞬間、私たちの間に何かが生まれた気がした。
そして、私たちはダンジョンの最奥部に続く――漆黒の扉へと向き直る。私は一歩前に出て、その表面にそっと手を伸ばした。
ギィィィィ……
重々しい音を立てて、その扉がゆっくりと開いていく。同時に、ひんやりとした冷気が流れ込んできた。
中は大聖堂のような構造になっていて、壁面にはびっしりと苔と結晶が張り付いている。光源のない暗がりのなか、魔力の粒子がかすかに漂っていた。
その中心に――奴はいた。
ぼんやりとした光のなか、視界の奥に浮かぶ巨大な影。その体格は並の魔物の比ではない。毛並みの荒い、全身漆黒の巨大熊。その鋭い瞳が、扉の開放に反応するように、ぴくりと動いた。
次の瞬間――ブチッ!
不快な肉音が響いた。ぐにゃりと胴体がうねるように歪み、その両脇からさらに二本の腕が肉を裂いて生えてきた。
「あれは――"ダルクベア"! しかも……四本腕ってことは、上位種ッ!?」
疑う余地なく、ダンジョンのボスであると確信した。
ダルクベアは、こちらにゆっくりと向き直る。その動きすらも、静かで不気味だった。
「みんな、構えて! 手筈通りにいくわよ! 攻撃手段は各自、ぬかりないわね?」
私の声に、全員が頷く。
――そう、今回の目標は、脳筋戦法からの脱却。
クエスト出発前に、みんなに新しい攻撃手段を講じるよう指示していた。
「じゃあ、あたしからいくッスよ!」
シドファが前へ一歩進み、懐から棒状のアイテムを取り出した。
「ふっふーん、あたしはこれを用意したッス!」
彼女の魔力が棒に流れ込むと、光が瞬時に弓状に広がり、たわんだ形を成した。
「それって――もしかして、魔導弓?」
具現化された形のそれを見て、問いかけた。シドファは嬉しそうに頷いた。
「そうッス! 魔力で弓矢を生み出し、そして撃つ! 魔力さえあれば、ヒーラーでも扱える武器なんで、スキルがなくても問題ないッス!」
想像以上の発想と工夫に、私は感心してしまう。
「……成長したのね、シドファ!」
ついこの前まで、杖を振り回して突っ込んでいくことしか知らなかったこの子が、こんな風に立ち回れるなんて……。思わず、顔がほころびそうになった。
魔力を込め、シドファは魔導弓を引き絞る。照準の先には、ダルクベアの巨大な体。
光の矢が、きらめきを放ちながら――空気を裂いて放たれた!
「くらえッス!!」
スコーンッ!
――だが、矢は彼女の足元に突き刺さった。
「…………え?」
「おっかしいッスね!? もう一発!」
スコーンッ!
放たれた矢は――再び、真下に突き刺さった。
「――いや、なんでよッ!! なんで真横に撃ってるのに、真下に突き刺さるわけ!?」
「あれっ? あれれっ!? おかしいッスね~!?」
彼女は混乱しきった表情であたふたしていた。矢は全て横に向かって放たれているはずなのに、全て足元へ垂直に突き刺さっていく。
……返して! さっきまでの感心、今すぐ返してちょうだい!
「――わ、私が何とかします……!」
ラミシーがスッと前へ出た。手には紫色に濁った球体――水晶玉のような魔導具を持っている。
「これは……"魔力玉"です。この中に、私が一ヶ月かけて……毒攻撃魔法を込めました」
「魔力玉……なるほど! ラミシー、考えたわね!」
魔力球とは――魔力を時間をかけて蓄え、任意のタイミングで一度きり放出できる魔導具。時間さえかければ、未熟な魔法使いでも、熟練者並みの威力にすることができる、溜め撃ち式の攻撃アイテム。
「これを敵にぶつければ、強力な毒攻撃魔法のダメージが見込めるはずです……!」
「よくやったわ、ラミシー!」
シドファに続き、ラミシーの周到な準備にも舌を巻いた。
――が、次の瞬間。
「よーし、ラミシー! あとはあたしに任せるッスよ!」
そう叫ぶや否や、シドファが横からラミシーの魔力玉を掴み取った。
「は? あなたまさか、待ッ――」
私は止めようと声を出したが、シドファはもう構えていた。
「おりゃああああ!」
振りかぶって――ガッシャーン!!
シドファが投げた魔力玉は、真横に投げたはずなのに、そのまま――真下にストンと落ち、爆散。
「この馬鹿!! 何やってんの!?」
直後、爆発的な煙と毒気が、シドファの近くにいた私もろとも全身を包み――
「ぐ、ぐるじいっ……! おろろろろろ……ッ!」
毒の効果が直に来た。全身がしびれ、内臓がよじれるような苦しさが走る。
一方で――投げたシドファ本人にも、毒霧の余波が襲いかかった。
「ご、ごめんなさいッス……うぅ……。ラミシーの折角の一ヶ月間の努力を……無駄にして……」
彼女も顔面蒼白でその場にうずくまる。ラミシーとソラソラは運よく毒霧の範囲外にいたので、ダメージは一切受けていないようだった。
「……あのぉ……」
どこか陶酔したような声色で、ラミシーが呟いた。口元に手を当て、頬を紅潮させ、うっとりと恍惚の表情を浮かべていた。
「別に、構いませんよぉ……? ふふふ、むしろ……ええ、とっても……いいものを見せてもらってますので……!」
その視線の先には――痙攣しながら悶え苦しんでいる、私とシドファがいるのだった。




