第27話
私たちは、クエストの目的地へ向かうため、森沿いの細道を進んでいた。木々の隙間から差す陽がちらちらと足元を照らし、やがて見晴らしのいい丘陵地帯が姿を現す。
耳を澄ませば、風のそよぎ以外に音はなく、土を踏みしめる音だけが響いていた。
「……にしても最近、モンスターの数が減ってる気がするんスよねぇ」
先頭を歩くシドファが、肩越しにこちらを振り返る。陽光にきらめく短い黒髪がふわりと跳ねた。隣でソラソラが、相変わらず能天気に笑う。
「ねー! でも、こんなにスイスイ進めるなんて、ラッキーだねっ☆」
――この不自然な静けさ。嫌な既視感を覚える。
かつて、魔王が勢力を拡大しはじめた頃もそうだった。ある日、モンスターは忽然と姿を消し、強い個体ほど先にいなくなっていった。後になって分かったのは、それらがまとめてどこかに集められていた、ということだった。
……まあ、ただの偶然ならいいんだけど。
「ミレミさん? 難しい顔して、どうしたッスか?」
「ん、ちょっとね」
胸の奥のざわつきを無理やり押し込んで、私は歩調を緩めずに前へと進む。
「……それにしても、モンスターがいないと遠征って楽ね。まっ、雑魚モンスターくらいは、そろそろ出てくるんじゃないかしら?」
「雑魚モンスターといえば、ここら辺じゃ、ホーンウルフとか、ストーンビートルとかッスかね? あとは――スライムとか……」
何気なく口にしたシドファの発言に、ラミシーがピクリと反応した。
「…………スライム?」
冷気を孕んだ声。やばい、触れちゃいけない、あの名前――。
「ま、まあモンスター自体少ないし、そう簡単には出ないッスよねー!」
シドファが必死に取り繕う。
――そのとき。
ガサ……ガサガサガサッ!
草むらが波打つように揺れ動いた。
そして、そこから姿を現したのは――大小取り混ぜたスライムの群れ。ざっと三十体はいる。
「――ちょ、嘘でしょ!? シドファ! あなたが変なフラグ立てるからじゃないのっ!」
「えぇぇ!? あたしのせいッスか!?」
私は勢いよくシドファの胸ぐらをつかんで詰め寄った――その瞬間だった。
……ぞわり。背筋を撫でるような圧が走る。
私たちはゆっくりと後ろを振り返ると――そこには、鬼のような形相のラミシーが立っていた。
額には青筋、瞳孔は針のような点。まさに、般若も裸足で逃げ出すレベルの怒気を放っている。
「コノ……ウラミ……ハラサデ……オクベキカ……!」
ぎぎ、と軋む声で呟くと、ラミシーの口から灼熱の吐息――いや、怒号が迸った。
「カーーーーッッ!!!!」
「「ひいぃっ!!」」
気づけば、私とシドファは抱き合っていた。恐怖に駆られ、互いにすがる手が震えていた。
そんな中。たったひとり、ソラソラだけが一歩前へ――軽くステップを踏むように進み出た。
「ソラソラちゃんに任せて☆」
パチンッ、と指を鳴らすのと同時に、小さく跳ねて袖をひらりと払う。細い腕が円弧の軌跡に沿って、大気中の水分が集まり、淡い水滴となって宙に浮かび上がる。水の粒たちは彼女の周囲をふわりふわりと漂い、やがて踊るように旋回し始めた。
「【水舞演】!」
幻想的なその光景に、私たちは思わず息を呑む。
――次の瞬間、霧のような涼しさが頬を撫でた。私は反射的に肩をすくめるが、その冷たさはすぐに柔らかな安堵へと変わり、脈打つ心拍を穏やかにほぐしていく。
「おお、これは……!」
シドファが感嘆の息を漏らす。
私の胸の奥でも、さっきまでの恐怖がすっと溶けていくのを感じる。視界が澄み、まるで心が洗い流されるかのように、精神が安定していく。
「これは……頭がスーッとして、落ち着くわね……」
ソラソラはくるりとターンしながら、踵でリズムを刻む。
そして、ラミシーのもとにも漂っていた水の粒が流れていき、一際強く光った。
――すると、鬼の形相を浮かべていたラミシーの顔が、ふっと緩んだのだ。
「魔法と踊りを組み合わせるとね、こうやって属性ごとの支援効果を引き出せるんだー☆ 水の舞は、状態異常耐性アップと、クールダウン効果――つまり、心を落ち着かせる力があるの!」
……なるほど。踊り子はプリーストと違い、内側から支援効果を直接作用させることができる。だから、今のラミシーみたいに精神が乱れているときは、ソラソラの舞こそが特効薬というわけね。
――そう納得しかけた、そのとき。
「……ご、ごめんなさい。さっきは、ちょっと取り乱し……ガアァァッ!!」
彼女が謝罪の言葉を吐きかけたその直後、再び鬼の顔に逆戻りしてしまう。目は吊り上がり、牙を剥く勢いで暴走モードに突入した。
「――あれっ? あれれぇー!?」
ソラソラが目をぱちくりさせて固まる。
「うーん、おっかしいなぁ~? ソラソラの舞に心を奪われないなんて……ラミちんってば、とってもエネルギッシュ……☆」
「まさか……ラミシーの執念が強すぎて、舞の効果がすぐに切れちゃってる……?」
私の呟きに、ソラソラがポンと手を叩いた。そして、にっこりする。
「じゃあ、もっと元気で明るい舞で、塗り替えちゃえばいいんだねっ♪ 【光舞演】!」
今度は水ではなく、柔らかな光の粒子がソラソラの周囲にふわりと浮かびはじめた。彼女のステップも変わり、舞うたびに光の粒がきらきらと軌道を描く。
――そして。
「ぱあぁ……」
ラミシーの顔が一転、再び穏やかになる。天を仰ぐようにうっとりとした笑みを浮かべていた。
その表情はどこまでも穏やかで、世界のすべてを赦したような――そんな、解放の表情だった。
……しかし、それも束の間。
「――うがーッ!!」
またしても鬼の形相に逆戻り。ソラソラも負けじとステップを畳み掛け、光を濃くしていく。
「あはっ♪ なかなかやるね、ラミちん! でも、負けないよぉー☆ それそれーっ!!」
そして、またソラソラが、さらに元気に踊ると、ぱあぁ……と浄化。
しかし、またしても鬼化。
そして、また浄化。
また鬼化。
浄化。
鬼化。
「ぱあぁ……うがーッ!! ぱあぁ……うがーッ!! ぱあぁ……」
「――ストップ! ストーップ!! もうやめてソラソラ! それ以上やったら……ラミシーの情緒が荒れ狂いすぎて、メンタル崩壊しちゃうわ!!」
私は全力で手を振って制止する。
浄化と鬼化を高速で行き来するラミシー。その変化は、見ているだけでも神経が削れるほどで、当の本人の心身には、なおさら負荷がかかっているに違いない。
「……ハッ! ちょっと、やりすぎちゃったかも☆」
ダンスの旋律がふっと止む。
ラミシーの情緒の変化も、これでようやく落ち着いたかに見えた――が。
――次の瞬間、彼女は杖を前に突き出し、低い声で呟いた。
「……【毒攻撃魔法】、【麻痺攻撃魔法】……」
紫色の光と黄白の光が地を走り、スライムたちの群れへ染み込む。スライムたちは酔っぱらったようにふらふらと動き出したり、プルプルと震えながら気持ちよさそうにたゆたったりしはじめる。
「――それでは、皆さん。一匹たりとも逃がさないでくださいね……? ふふっ、ふふふふ……」
その声は氷のように冷たい。指をバキバキと鳴らしながら、不気味で冷酷な笑みを浮かべる。
あまりの迫力に、私は思わず口を挟もうとする。
「ラ、ラミシー! 落ち着い――」
「――殺れェ!!」
「「は、はいぃーっ!!」」
怒声一閃。私とシドファは条件反射で返事してしまった。
「シドファさん、補助魔法をください」
「イ、YES、ボス……ッ! 【攻撃強化魔法】!」
シドファはガタガタ震えながらも攻撃強化魔法を唱え、全員の身体を包み込む。攻撃力の大幅な上昇効果が発揮されると同時に、ソラソラも負けじと声を張り上げる。
「攻撃強化だね! じゃあ、ソラソラも――【火舞演】!」
空気中に散った無数の火花が、舞い踊るソラソラへと吸い寄せられていく。そして、弾けた火の粒が私たちの身体に纏わりつき、内側から情熱をかきたてる。熱く、たぎる力が溢れ出した。
「おお、これは……あたしの攻撃強化魔法とは別枠で、攻撃強化が上乗せされてるッスね!」
「ええ、そうよ。踊り子や吟遊詩人の強化ってのはね、支援魔法とは別枠で乗るの。シドファの魔法とソラソラの舞……ざっと見積もって、合わせて5倍くらい攻撃力が増しているわね」
「ご、5倍!? じゃ、じゃあ――これなら、あたしたちヒーラーの火力でも、すんごい物理ダメージが出るんじゃないッスか!?」
「――ッ! 確かにィ!!」
シドファは自分の杖を握りしめ、私と目を合わせる。
――うん、と互いに頷き合った。
「いくわよっ!」
「うおおおおおおっ!!」
私たちは勢いよく跳び出し、スライムに向かって杖を振り下ろす――!
ぽよんっ。
何の手応えもなく弾かれ、見事に尻もちをついた。
足元で、ぷるぷると無傷で弾むスライム。
……そう。元の攻撃力が低すぎる私たちの力では、いくら高い倍率をかけたところで――誤差でしかなかった。
虚しく空を見上げ、私は呟く。
「おほほ、か弱き乙女たちですこと……」




