第11話
「……えっ? えっ――はぁ!?」
あまりに予想の斜め上をいく大胆な宣言に、私は思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと待って! そんな唐突に……何言ってるのッ!?」
「別荘はないッスけど、王都近郊にちょっとした家くらいなら余裕で借りられるッス。身長もそこそこ高いと思うッス。実力だって、さっき、あたしの補助魔法はすごいって認めてくれたじゃないッスか」
「――ま、待った待った! ……本気で言ってるの? だって、私は最近あなたのことを知ったばかりだし、年齢差も一回りくらいあるだろうし、私は大分年増だし……って言わせんな! 第一……同性同士だし……」
わけが分からず、言い訳めいた言葉を矢継ぎ早に並べる。思いもしなかった彼女の言葉に、何故だか心臓がバクバクする。
すると、シドファは私の両手を握り、そのままぐいっと抱き寄せてきた。距離が一気に縮まり、ふわりと体温と匂いを感じる。
「――ふぇ!?」
「……8年前。あのとき、あたしは『もう助からない』って誰もが言ってたッス。でも、ミレミさんだけは諦めずにいてくれた。……ミレミさんは命の恩人なんッスよ。……だから、やっと。やっと会えて……嬉しくて……」
一気に蘇る記憶。魔王討伐の道中で立ち寄ったカマル村は、確かに悲惨だった。魔王軍に襲われ、多くの人が血を流して苦しんでいた。あの時、私は自分がしんどいのもそっちのけで、とにかく目の前の人をひたすら回復していた。
シドファはそんな私の姿に何かを感じて、ここまで追ってきたのだろう。それはきっと、想像もつかないほどの苦労や葛藤があったに違いない。
――彼女の言葉の重みにようやく気づいた。
どうして、もっと早く、こんな簡単なことに気づいてあげられなかったんだろう。私はこの子の天才的な実力に驚いてばかりで、本質を分かってあげられてなかった。
それはただの才能じゃなくて……長年積み上げてきた努力の証そのものだったんだ。
「シドファ。あなた、ずっと……、ずっと頑張ってきたのね。えらいわ、ほんとに」
「え? ミレミさん? 今、あたしの名前……」
私は彼女の背中をそっと撫でる。
「魔王が討伐され平和な時代になっても、誰よりも努力し続けてきたのね。副団長補佐まで上り詰めるなんて、そう簡単にできることじゃないわ。――この全てが、あなたの頑張りだったのね」
シドファの指先がぎゅっと私の服を掴んだ。
握る力が増し、呼吸が乱れ、鼻をすする音がした。
「……ッス。……うぅ……。あたし……ミレミさんみたいな人になりたくて……!」
「うんうん、あなたは十分すぎるほど立派になった」
「……どんな時も諦めずに、誰かを救える人になりたいって……」
「そう、あなたは諦めなかったわ。たった一人でも立ち向かっていこうとしてたじゃない」
「……一緒に肩を並べても、胸張っていられるようにって……ずっと、ずっと……」
「大丈夫。あなたの頑張りは――今こうして、ちゃんと届いてるわ」
彼女はしゃくり上げるように震えていた。私は安心させるつもりで視線を送ったが、彼女はかすかに首を振り、私の胸に身を寄せた。
「今、ひどい顔してるから……見ないでほしいッス」
「わかったわ。じゃあ、もう少しだけこのまま――」
ゆっくりと頭を撫でてやる。しばらく無言の時間が流れた。遠くからかすかな風の音が聞こえ、月がうっすらと昇りはじめている。
どれくらいそうしていただろうか。あたりがすっかり薄暗くなった頃、シドファがそっと身を離す。少し赤くなった目元を誤魔化すように、さっと顔を背ける。
「――あたし、本気ッスからね」
一瞬、何のことか理解できなかったが、すぐに私を冒険者に戻そうとしていることなんだろうな、と解釈した。
「ええ、まったく……。仕方がないから、またクエストでも行ってあげるわ。今回だけって言ったけど、あなたの本気に免じてね。……でも次はせめて、騎士団の休暇中とかにしてちょうだいね」
「……あ、はい! それは、すごく嬉しいッスけど……。そういうことじゃなくって……」
シドファはどこかもどかしそうな顔をしていたが、暗くなってきて細かな表情までは読み取れなかった。
ほんの少し、噛み合ってない気がするが、夜風が涼しくなってきたこともあり、私はその話題をひとまず打ち切る。
「さ、いい加減、街に戻りましょ。夜遅くに女の子がふらふら歩いてちゃあダメなのよ」
「ッス。では、改めて……よろしくッスよ、ミレミさん」
乾いた落ち葉を踏みしめながら、私たちは並んで街のほうへ歩き出す。魔王が討伐されて、パーティが解散してから、面倒ごとはずっと避けてきたはずなのに。
――ちょっとだけ、心は軽くなっていた。
◇◇◇◇
翌日――。
「いでっ!! ……あいたたたたっ‼ もうダメ、ちょっと動くだけで全身が痛い……」
街のギルド併設の酒場に、私はどっかりと腰掛けていた。いや、正確に言うとへたり込んでいるに近い。
何故なら――全身が筋肉痛でズキズキ痛い! 昨日の討伐で無理をしたせい、そう、杖でモンスターを殴り倒すとかいう脳筋戦法のせいで!
「だったら家でじっとしてりゃいいのに。何でわざわざ飲みに来るんだよ……」
マスターが呆れた顔をしながらグラスを磨く。私は低い声で唸りながら首を振る。
「うるさいわね、酒が私を呼んでるのよ。……痛ッ……!」
そう言い捨てるも、ちょっと動作するだけで激痛が走る。どうしたものかと思っていたら、マスターが急にこちらを見やる。
「それより、お前さん。冒険者に戻るって話、本当なのか?」
「……渋々よ渋々。別に完全復帰ってわけでもないわ。ちょっと、久々にやってみるくらい。――まったく、誰かさんのせいでね」
すると、マスターはにやりと笑う。
「渋々ねえ。……その割には、嬉しそうに見えるが?」
「――はぁ!? そんなわけないじゃない!」
と、言いつつも、反射的に手の甲で口元を抑えた。
何か誤魔化すために違う話題がないかを考えていると――。
「――あぁーッ!! そうよ! マスター、あなたよくもやってくれたわね!? いつも帰りに渡されてたお土産、あれ、中身がただの水だったじゃな――あいだだだッ!!」
カウンターを思い切り叩こうとして、うっかり筋肉痛の腕に全力で衝撃が走る。
「ん? 何言ってるのか、よくわからないな」
「嘘をつけ――ぇいだだだ!」
痛みに身を縮こまらせながら、私はやり場のない怒りをまき散らす。まったく、どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのか。――などと思っていると、勢いよく酒場の扉が開いた。
「ミレミさーん! クエスト行きましょうッス!」
ぴょこんと現れたのは、シドファだった。相変わらず元気で、目をキラキラさせながら私の隣に駆け寄ってくる。筋肉痛に苛まれる私としては、その若さが少し羨ましい。
「おはよう、ってもう昼だけどね。……というか、あなた。まだこの街にいたの? 騎士団にはもう謝ったの? ちゃんと復帰できそう?」
私はカウンターに手をつきながら、腕を引っ張り上げて姿勢を正す。ゆっくり振り返った先の彼女は、いつもの笑顔。だが、その口から出てきたのはとんでもない台詞だった。
「――あたし、騎士団……やめたッス」
「…………は?」
一拍おいて、酒場の空気が凍りつく。マスターさえグラスを拭く手を止め、彼女を見ている。
「――ちょ、なによそれ! 勝手に任務抜けたから、どうにか復帰し……あ痛ァ!!」
「あ、ちゃんと謝罪はしたッスよ! でも、そのまま退団届を出しちゃったッス。『あたしはミレミさんと一緒にパーティ組むんで』って言って」
「ば、馬鹿じゃないの!? あなた、騎士団の副団長補佐までなったんでしょ? またそんな勝手に――いでででででッ!!」
「あぁ、もう。ほら、あんまりムチャしちゃダメッスよ」
シドファが慌てて私を支える。周囲の客がクスクスと笑うのが聞こえて、私は顔を赤くして座り直すしかない。
「申し訳ないッスけど、決めたことなんで。あたしはミレミさんといる方を選んだッス」
彼女は悪びれるふうもなく、それでいて揺るぎない意志を込めた瞳を向けてくる。
「はぁ……あなたって子は。一度決めたら絶対に言うこと聞かないんだから」
私は大げさにため息をつく。……これじゃあ、冒険者に完全復帰するしかないじゃないの。
「えへへ。じゃあクエスト受けに行きましょうッス!」
「無理よ! 見りゃわかんでしょ……ぁ、痛ッ! いでででででぇっ!!」
再び身体が悲鳴を上げ、私は思わず力を抜いてうずくまる。そんな私を軽々と受け止めて、若い行動力で突っ走るシドファ。今どきの若い子と呼ぶにはパワフルすぎて、先行きがどうなるか想像もつかない。
けれど、不思議と胸の奥には、少しだけわくわくする気持ちが湧いていた。