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1946年2月16日・東京
朝日が、瓦礫の街を照らし始めていた。
冷たい風が吹き抜け、焼け跡の匂いがかすかに鼻をかすめる。
だが、誠司の心の中は、まるで別の世界にいるように静かだった。
――俺は、本当に”神様”になれるのか?
左手に刻まれた黒い紋様を見つめながら、誠司は息を飲んだ。
目の前の瓦礫は、確かに浮かんでいる。
意識を集中すると、それはゆっくりと動き、まるで手で操っているかのように滑らかに回転した。
「すごいね、お兄さん!」
叶が目を輝かせながら、ぱちぱちと拍手する。
「これで、お兄さんも立派な”神様”!」
「……まだ、信じられねぇな」
誠司は瓦礫をそっと地面に戻し、長く息を吐いた。
「でも、確かに”何か”が変わった気がする」
「うん!」
叶は嬉しそうに頷く。
「さあ、お兄さん! 何をする?」
「……何を、って」
「神様になったんだから、世界を変えなきゃ!」
世界を、変える――
その言葉が、誠司の心にずしりと響いた。
確かに、戦争は終わった。
だが、街はまだ廃墟のまま。
食べ物はない。
仕事もない。
死んだように生きるしかない人間が、溢れている。
「この力で……本当に、何かを変えられるのか?」
誠司はぼんやりと手を見つめた。
戦争中、銃を握っていたこの手。
何も守れなかったこの手。
だが、今は違う。
「お兄さんならできるよ」
叶の声が、耳元で優しく囁く。
「“奇跡”は、お兄さんの思うまま」
「……奇跡、ね」
誠司は、しばらく黙ったまま考えた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……なら、まずは食い物だな」
叶が目をぱちくりとさせる。
「え?」
「食い物がなきゃ、人間は生きられねぇ」
誠司は立ち上がり、周囲を見回した。
朝焼けの中、焼け跡の路地を、痩せた子どもたちが歩いている。
ボロボロの服。
疲れ果てた顔。
「まずは、あいつらに飯を食わせる」
誠司は、ぐっと左手を握った。
――俺は、本当に神様になれるのか?
それを試すのは、今しかない。
「……試してみるか」
誠司は近くの地面にしゃがみ込み、左手をかざした。
「お兄さん、何を?」
「“食べ物”を作る」
彼は、ゆっくりと目を閉じた。
――“神様”なら、何でもできるんだろう?
頭の中に、かつて食べた温かいご飯の記憶が蘇る。
炊き立ての白米。
味噌汁。
焼き魚。
――もう一度、この街に”食卓”を取り戻せたら?
誠司は強く願った。
次の瞬間――
彼の手のひらから、光がこぼれた。
そして、そこに現れたのは――
ふっくらと炊き上がった”米”だった。
叶が驚きのあまり、目を見開く。
「すごい! お兄さん、ほんとに神様だ!」
誠司自身も、息を呑んだ。
温かい湯気が立ち昇り、白い米粒が光っている。
間違いない――
本物の、“ご飯”だ。
「これが……俺の”奇跡”?」
誠司は、震える手でその米を握った。
湯気が、指の間からこぼれていく。
――俺は、本当に何かを変えられるのか?
その答えは、もう出ていた。
「行くぞ、叶」
「どこに?」
「この飯を配る」
誠司は、立ち上がった。
彼の中に、確かな決意が生まれていた。
これが、神の始まり。
――俺が、この街を変える。