表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤独の寵児  作者: 白菜
7/7

森の狩人

肌を刺すような朝の冷気と共に、俺はハッと目を覚ました。

焚き火はいつの間にか消えかけ、周囲には夜の闇の名残がまだ色濃く漂っている。だが、それ以上に俺の意識を急速に覚醒させたのは、昨夜とは比較にならないほど増大した、無数の「気配」だった。

探知魔法が、まるで警鐘を鳴らすかのように、俺の全神経を揺さぶる。すぐそこに、すぐ近くに、大量の何かがいる。それも、俺を取り囲むように。

(……なんだ、これは……!?)

眠気が一瞬で吹き飛んだ。飛び起きて周囲を見渡すが、薄暗い樹海の中には、揺れる木々の影と、自分の吐く白い息以外、何も見えない。だが、魔法的な感覚は、確かにそこに「いる」と告げているのだ。それも、一つや二つではない。数十……いや、もっと多いかもしれない。

その気配は、どことなく人間に近いものを感じさせる。だが、あの人型コガネムシのような、人の形をしただけの「化け物」である可能性も否定できない。もしそうなら、囲まれた時点で詰んでいる。

言いようのない恐怖と共に、俺は息を殺し、視覚で周囲の状況を把握しようと目を凝らした。木の幹、茂みの奥、頭上の枝葉。だが、どれだけ目を凝らしても、動くものは何も見えない。風の音と、自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。


(……いるはずなのに、見えない?……まさか、透明人間か……?)

地球のSFやファンタジーではお馴染みの概念だが、この異世界にそんなものが存在するのか?いや、魔法という、まだ全容すら掴めていない未知の力があるのだ。それを使えば、姿を消すことなど造作もないのかもしれない。

最初はパニックに陥りそうになるのを必死で抑え、周囲を警戒していた。だが、奇妙なことに、その見えざる敵は、一向に襲いかかってくる気配がない。こちらが彼らの存在に気づいていることは、おそらく彼らも理解しているはずだ。それなのに、なぜ動かない?様子を見ているのか?それとも、何か別の目的が……?

じりじりとした緊張感だけが辺りを支配する。ただ、こちらが少しでも身じろぎをすると、それに呼応するように、周囲の気配も微かに揺れ動くのを感じる。完全に包囲され、警戒されているのは間違いないようだ。

いつまでも続く膠着状態は、精神的にかなり堪える。しかも、この探知魔法から得られる無数の気配の感覚は、まるで顔の周りをブンブンと飛び回るハエの大群のようで、不快極まりない。

このままでは埒が明かない。意を決して、俺はできる限り穏やかな声で、彼らに呼びかけることにした。


「……あの、すみません!僕は、川崎淳と言います。地球の、日本というところから……その、何故かいきなりこの世界に飛ばされてしまいました。あなた方が誰なのか、ここがどこなのかも分かりません。ただ、僕に敵意はありません!どうか、信じてください!」

下手に刺激しないよう、両手を軽く上げ、できる限り低い姿勢で、ゆっくりと喋る。

俺が喋りだしたことで、周囲の気配がさらに張り詰めたのが分かった。ピリピリとした緊張感が、肌を刺すようだ。

「……言葉、通じてますか?もし、あなた方がこの森の住人なら、どうか話を聞いてほしいんです。俺は、ただ生き延びたいだけで……」

反応はない。やはり、日本語は通じないのだろうか。異世界なのだから、当然と言えば当然かもしれない。

「Hello? Can you understand me? I mean no harm!」

咄嗟に、知っている限りの外国語を試してみるが、結果は同じだった。気配は依然として俺を囲んだまま、動かない。

(どうすればいい……。このままじゃ、じり殺しだぞ……。何か、何か手は……)

彼らが何を考えているのか全く分からない。この見えない壁の向こう側で、どんな顔をして俺を見ているのか。その沈黙が、何よりも恐ろしかった。


このままでは埒が明かない。話が通じないのなら、あるいは姿を見せるつもりがないのなら、いっそ魔法で……例えば、広範囲に弱い風でも起こして、彼らの隠れている場所の木の葉でも揺らせば、少しは反応があるかもしれない。あるいは、もっと強引に、彼らの透明化を解除するような魔法を――そんなものが使えるかどうかも分からないが――イメージしてみるか?

そう考え、体内の魔力を練り上げようとした、その瞬間だった。


探知魔法が、それまでとは全く質の違う、一つの強大な「気配」を捉えた。

それは、今まで感じていた数十の気配とは比較にならないほど濃密で、そして圧倒的な力を持っていた。まるで、小さな星々の中に、突如として太陽が出現したかのようだ。その気配は、最初は収縮しているかのように小さく感じられたが、次の瞬間には爆発的に膨れ上がり、周囲の空間を歪ませるほどのプレッシャーを放ち始めた。気配も何もなかったはずの空間から、本当に「突然」としか言いようのない形で現れたのだ。

その存在もまた、視覚では捉えることができない。だが、他の気配とは違い、そこから発せられる魔力は、肌で感じ取れるほどに強大で、威圧的だった。まるで、巨大な獣に睨みつけられているような、本能的な恐怖。

そして、その存在が出現した途端、その膨大な魔力が、さらに一段と強く膨れ上がったのを感じた。


「<透明化・解除インヴィジビリティ・リジェクション>」


凛とした、それでいて有無を言わせぬ力強さを秘めた声が響いた。

その声と共に、俺を取り囲んでいた無数の気配が、まるで陽炎が晴れるように、次々と実体を現し始めた。彼らは皆、深い緑や茶色を基調とした、森に溶け込むような衣服を身にまとい、弓や槍、短い剣などで武装している。そして、その顔立ちは……尖った耳、細面の美しい輪郭。エルフだ。地球のファンタジー作品で描かれる、あのエルフそのものだった。彼らは一様に厳しい表情で、俺を包囲している。


「<次元封鎖ディメンジョナル・ロック>」


続けて、先ほどの声の主が、新たな呪文を唱える。俺には何も変化が感じられなかったが、周囲の空間が、何か目に見えない壁で閉ざされたような、圧迫感が増した気がした。


「<全種族捕縛ホールド・スピーシーズ>」


三つ目の呪文。

それを聞いた瞬間、俺の体から、まるで全ての力が抜け落ちたかのように、指一本動かせなくなった。

(なっ……!?体が……動かない……!?)

だが、声は出る。魔法を使おうとしても、体内の魔力がピクリとも反応しない。金縛り、という言葉では生易しい。まるで、全身が鋼鉄の枷で厳重に拘束されたかのような、絶対的な無力感。

何が起きたんだ!?こいつら、一体……!?

焦りと恐怖で、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。


そして、呪文を唱えた声の主――他のエルフたちよりも一段と強い魔力を放つ、あの強大な気配の主――が、ゆっくりと俺の前に姿を現した。

その姿は、息を呑むほどに美しかった。

腰まで届くのではないかと思われる、月光を編み込んだような滑らかな銀色の長髪。森の木漏れ日のように優しく、それでいて射抜くような鋭さも秘めた翠色の瞳。肌は透き通るように白く、尖った耳にはシンプルな銀の耳飾りが揺れている。

服装は、他のエルフたちと同様に森での活動に適した狩人のようなものだが、その素材や仕立ては明らかに上質で、体の線に沿った機能的なデザインでありながら、どこか高貴な雰囲気を漂わせている。上質な革と、森の色に溶け込むような深い緑色の布地を組み合わせた軽装鎧は、動きやすさと防御力を両立させているようだ。腰には、美しい紋様が刻まれた細身の剣を佩き、背には同じく精緻な作りの弓を背負っている。その立ち姿は、まるで古の森の守護者のようだった。

間違いなく、彼女がこのエルフたちのリーダーなのだろう。

俺は、その圧倒的な存在感と美しさに一瞬見惚れそうになったが、すぐに自分の置かれた絶望的な状況を思い出し、全身に冷や汗が噴き出すのを感じた。


(くそっ!完全に捕まった……!どうすれば……)

思考だけが空回りする。魔法も使えず、身動き一つ取れない。だが、声だけはかろうじて出せる。この状況で、一体何ができるというのだ。

「……頼む、話を聞いてくれ!俺は、敵じゃない……!何も危害は加えていないはずだ!」

必死で絞り出した声は、情けないほどに震えていた。


そのエルフの狩人は、俺の言葉には一切反応を示さず、ただ冷徹な翠色の瞳で俺を値踏みするように見つめている。そして、再び静かに呪文を紡いだ。


「<全種族魅了(チャーム・スピーシーズ>」


ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐったような気がした。同時に、頭の中に直接響くような、心地よい声が聞こえてくる。俺の警戒心を解き、彼女に全てを委ねたくなるような、抗いがたい誘惑。

だが、俺の意識の奥底で、何かがそれに強く抵抗した。あの「皮膚の下を虫が這い回るような」感覚が、一瞬だけ強くざわめき、その誘惑を振り払う。

エルフの狩人は、俺がその「魅了」に抵抗したことに対して、特に表情を変えることはなかった。ただ、わずかに翠色の瞳が細められたように見えたが、それもすぐに消え、再び淡々とした、感情の読めない表情に戻った。

「――お前。何者だ?どこの部族の者か。何の目的で、この森に足を踏み入れた?」

その声には、一切の抑揚がなく、ただ事実のみを求めるような響きだけがあった。


その銀髪のエルフの、一切の抑揚がない、事実のみを求めるような声。俺は、先ほど他のエルフたちに呼びかけた時と同じように、刺激しないよう素直に答えることにした。全身の自由は奪われたままだが、幸い声だけは出せる。


「私は川崎淳といいます。この世界とは違う、地球の日本というところから来ました。この森には、仲間のいる拠点の周囲を探検するために入りました」

素直にペラペラと話すが、彼女は表情一つ変えず、ただ静かに俺を見つめている。やがて、その翠色の瞳をわずかに細め、話し出した。


「異人か……。おい。今、お前の言葉はこちらに正確には伝わっていない。言葉に魔力……魔力が分からぬか。ならば、お前の体の中にあるそのエネルギーを意識し、それを言葉に乗せろ。それで意思疎通が可能になるはずだ」

だから言葉が通じていなかったのか。体の中のエネルギー……あの、皮膚の下を這い回るような、それでいて強大な力の源のような感覚のことか。それを、声に?

言われた通り、俺はその内なる力を意識し、それを喉から発する音に乗せるイメージを試みた。最初は上手くいかなかったが、何度か試すうちに、ふっと、声に何かが「乗る」ような、奇妙な感覚を掴んだ。


「……あ、あー……これで、伝わっていますか?」

おそるおそる尋ねると、彼女は微かに頷いた。

「ああ。それでいい」

「ありがとうございます……!」通じた、という事実に、思わず安堵の声が漏れる。「もう一度言います。私は川崎淳といいます。この世界とは違う、地球の日本というところから来ました。この森には、仲間のいる拠点の周囲を安全に探索するために、一人で入りました」


「ふむ。お前が我々の言葉を解さぬ時点で、異人であることはおおよそ察しがついていた。……しかし、その身に宿す魔力の質と量は、段違いだな。いまだその力の扱いも知らず、全く開花もしていないようだが」

異人や開花など、よく分からない言葉に疑問を投げかけたい気もするが、彼女の口ぶりはどこか独り言のようでもあり、俺は何も言わずただ次の言葉を待った。


「うーむ……」彼女は小さく唸り、傍らに控えていた別のエルフ――こちらは屈強な体つきで、重厚な剣を携えた男だ――に視線を向けた。「これは『長老』に報告し、判断を仰ぐべきだろう。そう思うか?」

「はっ。そのご判断が的確かと存じます」

剣を携えた男のエルフが、恭しく頭を下げた。やはり、この銀髪のエルフは彼らの中でリーダー的な立場なのだろう。


「よし、分かった」リーダーらしいエルフは俺に向き直り、有無を言わせぬ口調で告げた。「……異人よ。今からお前を縛る魔法を解く。だが、決して抵抗するな。魔力を少しでも練ろうとしたり、逃げようとする素振りを見せたりすれば、その瞬間に殺す。分かったな?」

その翠色の瞳は、一切の情を映さず、ただ冷たい光を宿している。逆らえば、本当に殺される。本能がそう告げていた。

「……はい。分かりました。抵抗はしません」

こちらの返事と共に、ふっと体が軽くなり、あの鋼鉄の枷のような拘束感が消え失せる。手足が、ようやく自由に動かせるようになった。

(……ここから、逃げることは……いや、無理だな)

周囲には数十人のエルフ。そして、目の前には底知れない力を持つリーダー格の彼女。下手に動けば、それこそ瞬殺されるのがオチだろう。


「良い判断だ」彼女は俺の心中を見透かしたかのように言った。「今から、我らの魔法でお前を『里』へと連れていく。お前はただ、こちらの魔法を抵抗の意思なく受け入れろ。良いな?」

「……はい。お願いします」

もはや、俺に選択肢はなかった。ぺこりと頭を下げる。先ほどまで頼りにしていた探知の魔法は、彼女の警告通り切っているため、周囲の気配は何も感じられない。それがまた、言いようのない不安を掻き立てる。

彼女が、音もなく俺の隣に歩み寄り、そっと俺の肩に手を置いた。

華奢な手だ。だが、その手が触れた瞬間、まるで奔流のような、圧倒的な魔力が俺の体へと流れ込んでくるのを感じた。それは優しく包み込むようでありながら、同時に、俺の存在そのものを根こそぎ支配してしまうような、抗いがたい力。

俺は、その巨大な力の前では、ただ木の葉のように無力だった。


「<帰還リターン>」


彼女の静かな声が響くと同時、俺の視界は再び白い光に包まれ、意識が急速に遠のいていくのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ