5 エベック
ダムルが神殿と呼んだそれは、山の中腹の切り立った崖の上に忽然と現れた。
掘り返されて間がなさそうな鮮やかな茶色の土がこんもりと盛られたさまは、まるで巨大なモグラが地中から出てきた跡のようだった。
「あれか」
「ああ。反対側に、扉が付いてる」
ダムルは言った。
「この間来たときは、そこが開いてたんだ。それで、中が見えた。中の、あれが」
ダムルの声が震え、ドライオは乱暴にその肩を叩いた。
「それ以上話さなくていい」
それから、ダムルを押しのけて前に出る。
「もうここまででいいぞ、ダムル。あとは俺がやる」
「てめえ、ドライオ」
ダムルは全力疾走の直後のような荒い息を吐いた。
「俺を舐めるなって言っただろうが。お前ひとりで何ができるっていうんだ、え?」
「それなら、お前が先に行け」
ドライオは脇へ避けて顎をしゃくった。
「悪いが、今のお前にゃ俺の背中は預けられねえ」
「行くさ」
答えるダムルの目は据わっていた。
「俺はいつだって先陣を切ってきた。そうして、周りの連中がばたばたとゴミみてえに死ぬ中で生き残ってきたんだ。そうだろ」
「その辺りは、俺とは見解が異なるがな」
ドライオは戦斧を背から下ろすと握り直した。
「行くからにはしっかり働けよ、ダムル」
「誰にもの言ってやがる」
ダムルは唾を吐いた。
「いいか、扉は反対側にあるんだ」
「それはさっき聞いた」
「行くぞ、ついてこい」
ダムルを先に立てて、古代の墳墓のような形をしたその巨大な土塊に近付いたときだった。
「そこで止まれ」
低いが伸びのある、よく通る声が響き渡った。
ダムルがびくりと足を止める。ドライオは首を動かさずに目だけを素早く動かし、声の主を探した。だが、人の姿はない。
「ここへ何をしに来た」
声が言った。
「てめえ、その声はエベックだな」
ドライオの目の前でダムルが喚いた。
「出てきやがれ、何を企んでやがる」
「何を企んでいるか、だって?」
声は低く笑った。
ドライオは斧を握る手に力を込めた。どこから何が来るか分からない。一瞬たりとも気は抜けない。
「何も企んでなどいない。ただ、この土地をもとの主にお返ししようとしているだけのことだ」
「小鬼どもの暴発もお前の仕業だな」
ダムルが叫ぶ。
「そのせいで俺の女房と息子は死んだ」
「愚かな小鬼の動静にまで気が回らなかったことは認めよう」
男の声は答えた。
「だが、人の生など一瞬の幻。お前とてすぐに妻子に会える。なあ、ダムル」
名を呼ばれたダムルが肩を震わせた。
「この前、お前はこの神殿の中を見てしまったな。だから神はお前の名を口にされた。もう、お前の魂は逃れられない」
ダムルの息遣いがさらに荒くなった。苦しそうに全身で息をしている。首筋が汗でびっしょりになっていた。
「後ろの戦士は、ご友人かな」
「うるせえな」
ドライオは悠然と答えた。
「俺は姿も見せねえ臆病者に語る言葉を持ってねえよ」
「その物言い、その体格に斧。なるほど」
声は含み笑いを漏らす。
「お前がドライオだな。以前、私の計画を邪魔してくれたことを覚えているかね」
「おかしいな」
ドライオは不敵な笑みを浮かべて首をひねる。
「どうしてそんなことが伝わってるんだ。お前の無能な部下どもは全員ぶっ殺したはずだけどな」
「村に内通者を潜ませておくことくらいは常識だろう」
声が得意げに言った。
「だからお前がせっかく成功しかけた実験をだめにしてしまったことも全て知っている」
「なるほどな。どうりで逃げ足の速い野郎だと思ったぜ」
「ドライオ。私は君に興味があるよ」
声がそう言うと、土塊から、ぎい、と鈍い音がした。
土塊の反対側にあるという扉が開いた音のようだった。
土塊の影から剣で武装した男たちが出てきた。
全部で五人。その風体はドライオがかつて農場跡で戦った男たちと大差なかったが、異様なのは、彼らのいずれもが恍惚としたような表情を浮かべていることだった。
「私の目的が、強化兵士を開発して高く売ることだと思われていたようだが、大きな間違いだ。私が求めていたのは、神殿を守るための兵士だ」
声がやはり得意げな口調のまま言った。
「兵士はいつでも不足しているんだよ。拝謁を繰り返すうちに、区別が曖昧になるからね。彼らももう少しだ」
「何言ってんだ、お前」
ドライオは反駁した。
「お前の言っていることは何一つ分からねえな。何の区別が曖昧になって、何がもう少しだって?」
「自分の分からない点を端的に指摘できる人間は少ない」
声は笑った。
「ドライオ。賢い獣だな、お前は」
「質問に答えろ」
ドライオはあくまで冷静だった。
「それとも適当にそれっぽいことを喋ってただけだから、改めて訊かれると返答に困るか」
ふふ、と声は笑う。
「減らず口を」
「困るんだな、改まって訊かれると」
ドライオは皮肉気に口を歪めてみせる。
「恥ずかしい野郎だ」
「神と己との区別が曖昧になるのだ」
声は言った。
「そして、完全に神との境がなくなるまであと少し。そういう意味だ」
「神との境がなくなる? 自分も神になるってことか」
「神の一部に、だ」
声が訂正した。
「めんどくせえな」
ドライオは舌打ちした。
「俺はまどろっこしいことは嫌いだ。そろそろ出てきたらどうだ、エベック」
「余分な力が抜けるのは、武技にとって悪いことではない」
ドライオの呼びかけに答える代わりに、声はそう言った。
「お前の思っている以上に、その五人は強いぞ」
その声とともに、男たちが武器を構える。表情からはとても想像の付かない機敏な動きだった。
「やれやれ」
ドライオは嘆息した。
「何が武技だ。本物の戦士を前にてめえみたいな素人が言うことじゃねえ」
ドライオはそう言うやいなや、まだ肩を震わせているダムルの頬を熊のような手で張った。
ばん、という大きな音が響き、唇を切ったダムルは目が覚めたような顔をする。
「おら、ダムル。しっかりしろ、かみさんと子供の仇を討つんだろうが」
「ああ」
ダムルが思い出したように蛮刀を抜く。
「そうだ。俺はそのために来た」
その間にも、五人の男がするすると間合いを詰めてきていた。
狭い山道では、せいぜい並べても二人がやっとだ。この地形はドライオたちに有利に働くと思われた。
だが、そのとき。
先頭の男が音もなく跳躍した。
とっさにドライオが戦斧を振ったが、男の身体はその遥か上を越えていった。
人間では決してできない高さの跳躍だった。
そのまま男はドライオたちの背後に着地した。
その動きに、ドライオは農場跡の実験で強化された少年のことを思い出す。
「ここでもまた実験をしてたのか」
「実験ではない」
エベックは言った。
「確立された技術の行使を、実験とは呼ばんよ」
「気を付けろ、ダムル」
ドライオは叫んだ。
「こいつら、人間離れした動きをするぞ」
その言葉と同時に、さらにもう一人がドライオたちを跳び越えて背後に回る。
「バッタみてえに跳ねやがる。戦争でも戦ったことねえぞ、こんなやつら」
ダムルが叫ぶ。
「人間じゃねえ」
「そうだ、人間だと思うな」
ドライオは叫び返す。
「人間の動きはしねえ。そういう魔物だと思え」
男の一人がドライオに飛びかかってきた。速い。人ではなく、獣の敏捷さだった。
とっさに合わせた斧と男の剣がぶつかって大きな音を立てる。
ドライオが反撃の斧を振ったときには男はもう後方に飛びずさっていた。と、それを跳び越すように次の男が飛び出してきた。
息もつかせぬ連携攻撃。しかも恍惚としたままの表情は変わらないので、恐ろしく意図を読みづらい。
やはり人を相手にしていると思ったらだめだ。
必死に斧を打ち合わせながら、ドライオは頭を切り替える。
動きの速い魔物なら、いくらでも相手にしてきた。その全てに、俺は勝ってきた。生き残ってきた。だから、俺の身体はどうすりゃいいのか知っている。
ドライオは瞬時にその知識と経験を、自分の脳から引き出す。
こういう手合いに対する、最適な戦い方は。
動かないことだ。
相手の速さに対抗しようとして、こっちも速く動こうとしたって追いつけるわけがねえ。
だから、動かず待つ。
ドライオは両足を踏みしめて立つと、最低限の動きで相手の攻撃を防ぐことに集中した。
三人が入れ代わり立ち代わり激しい波状攻撃を浴びせてくる。防ぎきれず、ドライオの身体からは何度も血が舞った。それでもドライオは致命的な攻撃を許さなかった。
なかなか破れないドライオの防御に、男の一人がさらなる力を込めようと大きく踏み込んだ時だった。
今。
ドライオの斧が一閃し、男は腹から真っ二つになって吹っ飛んだ。
それに反応してもう一人の男の動きが一瞬止まったのを、ドライオは見逃さなかった。魔獣もかくやという形相のまま大きく踏み込む。斧が竜巻のように唸りを上げた。
近くの木に男が叩きつけられる、鈍く湿った音が響く。
二人を倒したところで、ドライオは背後の仲間を気にした。
「ダムル、大丈夫か」
だがドライオの後ろで、ちょうどダムルが血を噴き上げながら倒れるところだった。自慢の蛮刀は半ばからぽっきりと折れていた。
「ダムル!」
呻くダムルを踏み越えるようにして二人の男がドライオに迫る。
三対一か。
ドライオは威嚇するように斧を一振りした。
なかなか痺れる展開だな。
「すまねえ、ドライオ」
「そこで寝てろ」
ダムルにそう言うと、ドライオは戦斧を右手だけで構えた。
これくらいの修羅場なんて、どうということもねえ。今まで何度だって潜り抜けてきた。
ぼこり、とドライオの全身の筋肉が膨れ上がる。まるでドライオの身体が二倍近くまで大きくなったかのようだった。
左右から同時に襲い掛かってきた男の一人を、ドライオの右手に握る斧が切り裂く。
もう一人の男が剣を振り下ろすよりも早く、その顔面をドライオの伸ばした左手が掴んでいた。
みしり、と指が男の顔面に食い込む。そのまま、ドライオが自分の肩ごと腕を捻ると、男の首がごきりと嫌な音を立てた。
そのときにはもう三人目の男が飛びかかってきていたが、ドライオは枯れ木でも刈るかのように男の首を叩き落とした。
自らの血と敵の血で全身を赤く染めたドライオの姿に、ダムルが低い笑い声を漏らした。
「ああ、イルドファルの悪魔だ。すげえ。伝説はまだ生きてやがった」
「そこで待ってろ、ダムル」
ドライオは斧を一振りして刃に付いた血を飛ばすと、土塊に向かって歩き出した。
「さっさとけりを付けてくるからよ」