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4 神殿

*****


 エベック。

 非道な実験集団の頭目だった男の名。

 そのエベックが、小鬼どもの暴発にかかわっている可能性があるのだという。

 ドライオもまさかこんな北の村の酒場で、その名前を聞くとは思わなかった。

 ドライオから実験の話を聞いたダムルは静かに酒を口にして、

「それで今度は神殿作りか」

 と呟いた。

「……神殿?」

 ドライオは、その言葉に眉をひそめた。

「エベックが神殿を作ってるってのか? あの山の中に?」

「お前の想像してるような神殿じゃねえ」

 ダムルは言った。

「だがあれは神殿だ。間違いねえ」

「話が飲み込めねえな」

 ドライオは熊のような手で皿と杯を脇にどけた。

「そこは肝心なところだ。しっかり教えろ、ダムル」

「だから、言葉通りの意味なんだよ」

 ダムルは青白い顔を微かにしかめた。

 酒を飲めば飲むほど、この男の顔色は白くなっていくようだった。

「エベックってやつが、部下を引き連れて村にやってきたんだ。領主から山の一部を買い取ったと言っていた。まあ、それは噓じゃねえらしいんだがな。商人らしい如才ない態度で挨拶をしていったよ。それから山の中の炭焼き小屋を改修して、何やらごそごそと始めた。ちょうどその頃からだ、小鬼どもが騒がしくなってきたのは」

 村人たちはエベックのことも気にはなったが、それよりも村には小鬼の群れというもっと明白な危険が迫っていた。

「とりあえずは小鬼の対処が先だった。と思った矢先に、例の大移動だ。大変な被害が出て、正直、エベックのことなんてほとんど忘れかけてた」

 ダムルは苦々しげに言う。

「だが先日、久しぶりに山に入ったら、炭焼き小屋のあったところに妙なものができていた。土を丸く盛り上げた古代の墳墓みたいな形の何かだ。あんな大量の土をどこから持ってきたのかは知らないが、それが神殿だということは分かった」

「どうして」

「神が祀られているからだよ」

 ダムルが目を大きく開いた。

「神を祀ってるから、神殿なんだ。そうだろ、違うか」

 ダムルは杯をテーブルに叩きつけた。

「俺の言ってることが分かるか。あれは神を祀ってる。だから誰が何と言おうと神殿なんだ」

「おい、ダムル」

 ダムルの声が大きくなっていた。ドライオは周囲の客に目を走らせる。

 ただでさえ、巨躯のよそ者の姿は目立ちすぎるほどに目立っていた。ましてやこれは店中に聞こえるような大声でする話ではない。

「声がでかい。他の村から逃げてきたやつらがいるんだったら、顔を知らない人間が村に大勢いるってことだろ? エベックの手下だって紛れ込んでるかもしれねえ」

 ドライオは警告した。

「あのエベックって野郎は、人が酒を飲んでるときに襲撃してくるのが大得意なんだ」

「あれは神殿だ」

 ドライオの言葉に構わず、ダムルは言った。

「中にいるのは人じゃねえってことだけは分かった。だからあれは神殿なんだ。間違いない」

 その目に、偏執的な光が宿っていた。

「見たのか、それを」

 ドライオは言った。

「ダムル。お前は見たのか」

「見た」

 ぼそりとダムルは言った。

「見たよ。ドライオ、俺は見た」

 不意にダムルが両手で顔を覆った。くぐもった泣き声が聞こえてきて、さすがのドライオも目を見張る。

 この北生まれの頑強な戦士が涙を流すところなど、ましてや泣き声を上げるところなどドライオは一度も見たことがなかった。

「何を見た、ダムル」

 ドライオは低い声で尋ねた。

「龍か。魔界の悪鬼か。それとも死人の王か」

 ダムルは顔を覆ったまま首を振った。

「どれも違う。お前と一緒に戦場の汚ねえものを山ほど見たが、それでもあんな恐ろしいものを俺は見たことがねえ」

「何だ、それは」

「口だった」

 ダムルは言った。

「人間の口だ。でかい、俺やお前をまとめて一飲みできそうな口だ」

「顔ってことか」

「顔じゃない。口だ。お前も見りゃ分かる。でかい口だけがあったんだ。それがずっと喋っていた」

「何を」

「俺の名前を呼んでいた」

 ダムルが手を下ろした。

 もう涙は流れていなかった。いや、本当にこの北の男は泣いていたのだろうか。ドライオがそう思うほどに、ダムルの表情は静かだった。

「ずっと、俺の知る誰かの声で俺の名前を呼んでいた」

 ダムルは言った。

「あれは邪悪なものだ。だからドライオ、あの神殿は壊さなきゃならねえ」



 ぎこちない手つきで、ドライオは手紙に封をした。

 宿の主人にそれを託すと、郵便の回収はどんなに早くても三日後ということだった。

「それでいい」

 ドライオは頷いた。

 宛先は、王都に所在する一軒の宿。老戦士グリムが定宿にしている店だった。

「もしも俺が生きて帰ってくりゃ、要らねえ手紙だ」

 老グリムがこの手紙を読むとき、自分がこの世にいなければ、それはおそらくこの国に相当大きな危機が迫っているということを意味する。

 一介の旅の戦士に背負いきれるものではないだろう。だから、自分が知る限りの伝手(つて)を書き記しておいた。

 グリムの伝手と合わせれば、一つの国を動かすくらいの流れは作れるはずだ。

 だが、今行くのは俺一人だ。

 これは自分の戦いだ。敵は自分の目で確かめなければならない。

「お一人で行かれるのですか」

 宿の主人の問いに、ドライオは頷く。

「ああ。一人だ」

 たかが一介の戦士に背負いきれるはずのないもの。それを、自分一人の背に負う。

 それが、ドライオの戦士としての矜持だ。

「行ってくる」

 ドライオは荷を担ぐと、宿を出た。



「……お前も行くつもりか」

 山へと続く道の途中に立ちふさがった男を見て、ドライオは微かに顔をしかめた。

「正直、今のお前じゃ俺の足手まといになるかもしれねえぞ」

「俺を舐めるな、ドライオ」

 ダムルは言った。その腰に提げられている太い蛮刀には、ドライオも見覚えがあった。かつて、戦士ダムルはこれを縦横無尽に振るって多くの敵を蹴散らしたものだ。

「あの神殿が、俺の女房と息子を死に追いやったことが分かったんだ。それなら俺が行かねえわけにはいかねえだろうが」

「そこまでの案内は助かる」

 ドライオは言った。

「だが、それ以上の無理はしなくていい。怖くなったら、遠慮なく俺を置いて山を下りろ」

 そう言った後で、ぶっきらぼうに付け加える。

「俺はそんなことでお前を臆病だなんて思やしねえ」

「戦士がなかなか戦場を離れたがらねえ理由がよく分かるぜ」

 ダムルは言った。

「おかしな気を遣われて、まるでよぼよぼのじじいにでもなったような気分だ」

 ダムルは、腰の蛮刀の柄を叩いた。使い込まれ、黒ずんだ柄だった。

「これを持った俺の強さは、お前も知ってるはずだぜ」

「知ってるさ」

 ドライオは肩をすくめる。

「だからお前は今でも生きてるんだろ。大半の戦士が死んじまったあの戦争が終わってもな」

「ああ。そうだ」

 頷いて、ダムルは先に立って歩き出した。

 その心に眠っていた戦士の誇りに再び火が付いたかのように、背筋を伸ばして大股に歩く。

「よく見ておけ、ドライオ。この戦士ダムルの力が、今は亡き妻と子のためにこそ振るわれるところをな」

「ああ。しっかり見届けてやるよ」

 ダムルの背中を見て、ドライオはもうこの男に生き残る気がないことを悟っていた。

「思いっきりやれ」

「よし」

 ダムルは背を向けたまま頷く。

「さあ遅れずについてこい。戦士ドライオ」




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>俺の知る誰かの声で俺の名前を呼んでいた これは……。 はっきりと明確には書かず、きっとそういうことなのだろうな、と読み手に想像させる手腕がすごすぎる。と思うのと同時に、残酷さと衝撃がいっそう際立つ…
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