3 超戦士
明け方のことだった。
農場跡に建てられた見張り小屋で眠っていた男たちは、昨日おかしな大男に壊されて応急処置を施したばかりの門が、再び激しく壊される音で目を覚ました。
飛び出してみると、昇りかけの太陽に照らされてのしのしと歩いてくるのは、見覚えのある巨漢だった。
「あいつ、昨日の野郎じゃねえか」
念には念を入れて、昨夜配下に殺しに行かせたはずなのに。リーダー格の男は目を疑う。
なぜここにいるんだ。
「ツヴァイ」
配下の男がリーダーの名を呼んだ。
「そういえば、昨日村に行った連中は誰も戻ってきてねえ」
「なに」
確かに戻って来てはいなかったが、それほど問題視はしていなかった。
元々、まともに働くことなどできない荒くれ者ばかりだ。男を殺した後で、村へ出たついでに酒でも飲んでいるのだと思っていた。
だが、目の前にいる巨漢はぴんぴんしていた。
あいつら、こいつと入れ違いになって見付けられずに、まだ村をうろうろしているのか。
ばかどもめ。
「囲め」
ツヴァイの号令一下、男たちがドライオを取り囲む。
数は減ったが、それでもまだ、たった一人を相手にするには十分すぎる人数が残っていた。
「おう、昨日は世話になったな」
ドライオは十人近い武装した男に囲まれても、まるで怯んだ様子を見せなかった。
「あの程度の人数で殺せると思われたとは、この戦士ドライオも舐められたもんだぜ」
「なに」
ツヴァイはその言葉を聞き咎める。あの程度の人数だと。
「お前、あいつらと会ったのか」
「お前らはもう会えねえけどな」
ドライオは答えた。
「全員、ぶっ殺しちまったからな」
全員ぶっ殺した? 十五人からの荒くれ者を、たった一人で?
ドライオを囲む男たちに動揺が広がりそうになるのを見て、ツヴァイは冷静に反駁した。
「全員殺しただと? その割には、ご自慢の斧はきれいなものだな」
確かにドライオの斧には刃こぼれもなかった。それを見て、男たちの顔に余裕の笑みが戻ってくる。
「なんだ、はったりか」
「くだらねえ。すぐばれる嘘をつきやがって」
男たちが呟く。
「人が飯食ってるときに来るからだろうが」
ドライオは鼻を鳴らした。
「おかげで久しぶりに槍なんて使うはめになったぜ」
「もういい。下手な嘘は」
ツヴァイは言った。
「おとなしく村から出て行けば命は助かったものを。ばかなやつだ、わざわざ殺されに来るとは」
「魔法紋の実験」
ドライオの言葉にツヴァイの表情が凍る。
「久しぶりに胸糞の悪い話を聞いたぜ。あの戦争以来だな、こんな気持ちになるのは」
剣や槍を突き付けられているにもかかわらず、ドライオはそのままずしずしと前に出た。
「おら、よく拝んどけ。お前らの見る最期の太陽だ」
昇る朝日を背に、逆光の中でドライオがにやりと笑った。
「殺せ!」
ツヴァイが叫ぶ。配下の男たちが一斉に槍を突き出した。だがそれよりも速く、ドライオの斧が一閃した。
突き出された槍はみな、枯れ枝のようにはじけ飛んだ。
ドライオが跳んだ。巨体からは想像もつかないおそるべき敏捷さだった。
たちまち、血煙が上がった。ドライオの鬼のような形相に、男たちから悲鳴が上がる。
手当たり次第、当たるを幸いにドライオは荒れ狂った。
唸りを上げて自由自在の軌道を描く戦斧に、折れた槍を手にした者も剣を手にした者も、誰一人抗すことはできなかった。
悲鳴はたちまち絶叫に変わり、そして全員が血の海に沈んだ。
「さあ、残るはてめえだけだ」
ドライオに見据えられ、ツヴァイはじりじりと後ずさった。
なんだ、こいつは。
いくら旅の戦士だからといっても、強さが桁違いすぎる。
これではまるで、我々が実験で作ろうとしている理想の戦士そのものではないか。
「何者だ、お前は」
「はあ?」
ドライオは顔を歪めて、悪鬼のように笑った。
「言ったろうが。俺は旅の戦士ドライオだ」
ドライオ。
どこかで聞いたことがある気がする。
戦士ドライオ。
だがその時、ツヴァイの背後の小屋の扉が開いた。
「どけ、ツヴァイ」
そこから顔を覗かせた痩せた男が叫んだ。
「ついに完成したぞ、そいつを相手に実践だ」
「え? あっ」
それは彼らの主人であるエベックに雇われた、孤児や浮浪児に魔法紋を施す呪い師だった。
「さあ行け。何をしている……がっ」
呪い師の頭が不意に、背後から伸びた細い腕にがしりと掴まれた。
呪い師は一瞬で小屋の中に引きずり込まれ、その直後に絶叫が聞こえた。
まさか。
ツヴァイの背中を冷たい汗が流れる。
完成したというのは。
呪い師の代わりに小屋から出てきたのは、虚ろな表情をした全裸の少年だった。
腕や足、胸、いたるところに魔法紋が描かれていた。
この数は。
大抵の子供は、魔法紋を一つ描かれただけでその負荷に耐えきれずに死んでしまうというのに。
「これは、なんと」
ツヴァイは絶句する。
この魔法紋全てが力を発揮しているとすれば。
我々は恐ろしいものを作り出してしまったのではないか。
この成果を、エベック様にお伝えしなければ。
呪い師は死んでしまったようだが、それでもそれぞれの魔法紋の位置を確認すれば、再現は可能なはずだ。
「止まれ」
ツヴァイは少年に声をかけた。
「俺の声が聞こえるか。こっちには来なくていい。そこで止まれ」
だが少年は止まらなかった。感情のない目でツヴァイを見た後で、逆に加速した。
激痛。視界が回る。
何が起こったのか分からぬまま、ツヴァイは絶命した。
「……素手か」
ドライオは呟く。
神速の跳躍と、まるで果実でももぐかのように無造作にツヴァイの首をねじ切った膂力。
これがエベックの求めていた、人体強化で生まれた超戦士ということか。
「かわいそうに。お前もそんなことのために生まれてきたわけじゃねえだろうにな」
ドライオは斧を地面に放り出した。
「だがお前は、生きていちゃいけねえものになっちまった。来い」
少年がドライオを無表情に見た。その直後、跳躍。ドライオはそれを捕まえようとしたが、少年の方が遥かに速かった。
ドライオの太い腕を軽やかにかいくぐると、少年はその懐に飛び込んだ。
両手でドライオの頬を挟むように掴み、ツヴァイや呪い師と同じようにねじ切ろうとする。
だが、ドライオの首の筋肉がぼこりと膨れた。
熊よりも遥かに強い少年の膂力に、ドライオの首は耐えた。
なぜねじ切れないのか。一瞬戸惑ったのが、超戦士と化した少年の敗因だった。
ドライオの太い両腕にがっしりと抱き締められた少年は、次の瞬間、自分の背骨の折れる音を聞いた。
エベックの逃げ足は速かった。
農場跡の実験場が壊滅したことを知った彼は、地位も名誉も全てを投げ出して街から行方をくらました。
ドライオが実験棟から連れ帰った四人の孤児は、村で育てられることになった。
「ありがとうございました」
ドライオが村を発つ日、見送りに現れた村長は銀貨の詰まった袋をドライオに差し出した。
「戦士様がいなかったら、この村はどうなっていたか分かりません。心ばかりのお礼ですが、どうぞお納めください」
「村長。俺は、報酬は要らねえって言ったはずだぜ」
ドライオは渋い顔をしたが、そそくさと掴んだ袋は手放さなかった。
「だがまあ、そこまで言うのであれば」
そう言ってドライオは大事そうに袋を懐にしまい込んだ。
「エベックはもうこの村には現れないでしょうが、どこかでまた何かおかしなことをするかもしれませんな」
村長の言葉にドライオは頷く。
「ああ。まだ本人に会ったことはねえが、俺が受けた依頼の中でも一番に胸糞の悪い話だった。どっかで会ったら、そのときは容赦しねえよ」
「どうか、よろしくお願いいたします」
村長は深々と頭を下げた。