2 実験
「エベック?」
ドライオは顔をしかめた。
「どっかで聞いた名前だな」
焚火がくべられているというのに、壁の隙間から入ってくる冷気が身に堪える。
ダムルは北の人間らしい陰気さで、
「お前が知ってるんなら話は早いな」
と言うと、屈強な身体を一揺すりして、新しく注がれた酒を舐めるように飲んだ。
「もともとは南の方で、何かでかい商売をやっていたって話だ。そこでずいぶん財を築いたと」
「ああ、それでか。思い出した」
ドライオは杯ごと喰らうような勢いで酒を呷った。その飲みっぷりに、ダムルは鼻白んだ顔をする。
「南にいたときに、村外れの農場跡を勝手に乗っ取っておかしな実験をやっていた連中と事を構えたことがある」
ドライオは言った。
「そいつらの親玉の名前が確かエベックだった。面は拝んでねえけどな」
「向こうでもおかしなことをやってたってわけか」
北の男は暗い顔を微かに歪めて笑う。
「面倒な野郎は、どこに行っても面倒を起こすんだな」
*****
それはドライオが以前訪れたとある村でのことだ。
村長からの依頼は、村はずれの農場に出た魔物を退治することだったのだが、ふたを開けてみるとおかしなことになった。
農場跡は謎の集団によって占拠されていたのだ。
入ろうとするドライオとそれを拒む男たちの間でひと悶着があった後、村へ戻って宿で夕食を食っていたドライオは、その男たちの襲撃を受けた。
相棒の戦斧が手元になく、敵の槍を奪って立ち回りを演じて、十数人の男たちを倒す羽目になってしまった。
「……さて」
ドライオは荒れ果てた店内を見渡す。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
転がるいくつもの死体の中で、立っているのはドライオだけだった。
ドライオは、壁に叩きつけた男がまだ意識があるのを見付けて、口元を歪めた。
「エベックとかいう野郎にも、その目的にも何の興味もねえが」
そう言いながら、ゆっくりと男に歩み寄る。
「あの農場跡に入らねえと魔物退治ができねえからな」
ドライオは怯えた表情で自分を見上げる男に、にやりと笑ってみせた。
「いろいろと聞かせてみろ。死にたくなけりゃな」
怯え切った男は、ドライオに聞かれるがままに全てを話した。
もともと農場跡に棲みついていた魔物は、村長の予想通り、すでにエベックの配下によって排除済みだった。
だがそれでも農場跡近くに魔物のうわさが絶えないのは、そこでエベックが行っている実験と関係があった。
「実験?」
ドライオは顔をしかめる。
「何の」
「人体強化だ」
男は言った。
「強い戦士を作る」
「ふうん?」
ドライオは興味を引かれたが、詳しく聞いてみるとそれは実に胸糞の悪い話だった。
エベックの配下は街から孤児や浮浪児をさらってきて、農場跡に作らせた実験棟に連れ込み、そこで呪い師が彼らの身体に魔法紋を描いた。
魔法紋の効果は腕力や脚力といった直接的な力を強化するものや、反射神経や動体視力などの感覚を強化するものなど様々だ。
それで孤児を強い戦士にすることができたならば、その技術を高く売ることができる。
だが今のところ成功例は出ていない。
魔法紋がどれも人体に直接用いるには危険すぎる、ひどく不完全な代物だからだ。
実験体となった子供の多くは苦しんだ挙句に死んだ。
魔法紋の影響で魔物のような姿に変貌してしまった孤児が脱走したところを村人に見付かったこともあるらしい。
その孤児もその後すぐに、エベックの配下によって始末されたという。
「それはまた、聞き捨てならねえ話になってきたな」
ドライオはぼりぼりと腹を掻いた。
「ガキをさらってきて、実験しては殺してるって? てめえら、どいつもこいつもどうしようもねえクズじゃねえか」
戦士の腕が人とは思えないほどに膨れ上がったのを見て、男が悲鳴を上げる。
「待ってくれ。助けてくれ」
「殺しゃしねえよ」
ドライオは笑顔で言うと、男の首根っこを掴んだ。
「ひ」
そのまま、子猫でも抱き上げるように軽々と持ち上げる。
「ぐえ」
「とりあえず、村長のところまで来てもらうぜ」
そう言うとドライオは奧を振り返った。
「親父、すまねえな。終わったぜ」
その声に、宿の主人がおそるおそる顔を出す。
床に無造作に転がるいくつもの死体に絶句する主人に、ドライオは恐怖で半ば失神しかけている男を持ち上げてみせた。
「こいつらから仕掛けてきたのは、親父も見てたよな?」
「は、はい」
「俺は身を守ろうとしただけだ。ちょっと暴れちまったが、まあ全部こいつらが悪い」
ドライオは男の身体をぶらぶらと揺する。
「そんなことよりもこいつら、とんでもねえ悪事を白状しやがった。ほっとけねえ話だから今から村長のところに行ってくる。宿代を踏み倒したりはしねえから、安心しな」
そう言い残し、ドライオは男を小脇に抱えて宿を出ていった。
「なんと。まさかそのようなことが」
村長はドライオの連れてきた男の話を聞いて真っ青になった。
散々脅して話すだけ話させた後で、縄でぐるぐる巻きにした男を床に転がしたドライオは、村長に顔を近付けた。
「村長。こういうのは潰すなら早い方がいい」
「つ、潰すと言われましても」
村長はぶるぶると首を振る。
「エベックの配下の男どもだけでも我々の手に余りますのに、呪い師までいるというのでは、とても」
「そんな悠長なことを言っていて、もしこの実験が公になったらどうする。村もグルだったと言われるのが落ちだぞ」
「そんなまさか」
村長は首を振る。
「我々は何も知りません。本当です」
「何も知らねえっていうのと見て見ぬふりをしてたっていうのは、同じじゃねえんだぜ」
ドライオはぴしゃりと言った。
「連中は、この村の目と鼻の先で堂々とやってるんだ。それを何にも知りませんでした、気付きませんでした、じゃ通りゃしねえだろう」
ドライオの言葉に、村長の呼吸がどんどん荒くなってくる。
「わ、我々は一体どうすれば」
「だから、俺が行って潰してくるって言ってるんだ」
ドライオは言った。
「どうせ乗り掛かった舟だしな」
「ですが、この村にはそんな大仕事の報酬を出せる余裕は」
「ああ?」
ドライオがぎょろりと目を剥いたので、村長は縮み上がった。
「だ、出せるだけはなんとか出しますが、それでも限界というものが」
「村長。いいか、勘違いするな。俺は商人じゃねえ。損とか得で物事を語る人間じゃねえんだ。そんなことができるなら、とっくにもっとましな生き方を選んでる」
ドライオは言った。
「呪いで強い戦士を作るだと? はん、戦士を舐めたそういう人間が、俺はこの世で一番嫌いなんだ。これは俺の戦いだ。報酬なんて要るかよ」
報酬は要らない。そんなことを言う戦士に、村長は初めて出会った。
目を白黒させている村長に、ドライオは言った。
「宿に十何人か死体が転がってるから、その後始末だけ頼む。なに、それほど時間は取らせねえよ」