1 北の村にて
王都を騒然とさせた、北からの小鬼の群れの暴走。
小鬼の群れは旅の戦士を中心とした傭兵隊に粉砕されたが、ドライオは小鬼の動きに疑問を抱いた。
小鬼どもは、北に現れた何かに恐れをなして、それから逃れるために南へと奔ったのではないか。
老戦士グリムとの会話でそのことに思い至ったドライオは、戦友ギッパの遺体を葬ると小鬼の荒らした道を逆にたどるように北上した。
踏み潰された村をいくつも通り過ぎ、寒さが身を刺すようになった頃、小鬼の湧きだした山に突き当たった。
最初に小鬼の襲撃を受けたであろうその直近の村はすでに跡形もなかったが、山から少し下った隣村は幸い小鬼どもの経路から逸れていたおかげで無事だった。
そこに自分の古い知り合い、ダムルが住んでいることをドライオは覚えていた。
「何年ぶりになる」
突然顔を出した旧友に、ダムルは目を細めた。すでに戦士を引退し、木こりを生業として暮らしているはずだったが、その眼光の鋭さは往時と変わらなかった。
「あのくそ長い戦争の最後を飾ったイルドファル戦役が終わって以来だからな。十年くらいにはなるだろうな」
ドライオは答える。
「そうか、十年か。もうそんなに経ったか」
俺の家じゃ何にももてなしができねえ、と言ってダムルはドライオを村の酒場に連れ出した。
「何で俺に会いに来た」
熱い穀物酒で喉を湿らせたダムルは、その思いがけない強烈な甘さに目を白黒させているドライオを探るように見た。
「昔の顔馴染みを訪ね歩くような感傷的な人間じゃねえだろう、お前は」
「ひでえ言いようだな」
ドライオは苦笑する。
「俺にだって人間らしい気持ちはあるぜ。お前が元気でいてくれたことは素直に嬉しいと思ってる」
「よく言うぜ」
ダムルは肩をすくめて笑う。
「戦争が終わったとき、突然放り出された俺たち戦士の中で一番さばさばしていたのがお前だった。これからの世の中には剣も斧も要らねえと言われて、それしか知らねえ人間はどうすりゃいいんだと誰もが思ってるときに、お前は一人、さっさと斧を担いで旅に出かけちまった」
「俺の斧が要らねえ世の中なんて、来るわけがねえと分かってたからな」
ドライオは酒を呷ると、咳払いとともに胸を叩いた。
「次は甘くねえ酒をもらえるか」
「ねえよ」
ダムルは低く笑う。
「北の人間はみんな、長くて厳しい冬を越すために熱くて甘いこの酒を飲むんだ。口に合わねえなら白湯でも飲んでろ」
「それなら仕方ねえ」
ドライオは空になった杯を振った。
「同じやつをもう一杯だ」
新しく来た杯を飲み干して、さらにもう一杯頼んだところで、ドライオは切り出した。
「すぐ北の山から小鬼の大移動があったことは知ってるだろう。ここの近くの村も軒並みやられた」
「知らねえわけがあるか」
ダムルは暗い目で答える。
「この村にも、よそから逃げてきたやつが何人もいる」
「そうか」
ドライオはその言葉に納得する。確かに、村の規模に比べて人が多いとは思っていた。小鬼の被害に遭った村からの避難民が多く含まれていたということか。
「小鬼の群れは、俺も加わってた傭兵隊が王都の手前でぶっ潰したんだが、妙なことがあった」
ドライオは、小鬼どもが街に目もくれずに森へ駆け込もうとしたことと、それについてのグリムとの会話をダムルに伝えた。
「グリムか。あのじじい、まだ生きてやがったか。悪運の強え野郎だ」
ダムルは吐き捨てるように言った。
「同じ戦士のくせに高みから見下ろすようなあいつの口ぶりが、俺はいつも気に食わなかった」
だが、とダムルは呟くように言う。
「相変わらず、そういうところの嗅覚は衰えてねえな。だからあの年でまだ現役をやれてるんだろうな」
「心当たりがあるのか」
ふん、と鼻息だけでダムルは返事した。
テーブルにはしばらく沈黙が流れた。
「ダムル。お前、まだ剣を捨ててねえな」
唐突なドライオの言葉に、ダムルは杯を置く。
「どうして」
「目を見りゃわかる」
ドライオは酒を呷った。
「ああ。だんだんこの味にも慣れてきたぜ」
そう言って、にやりと笑う。
「木こりの目じゃねえ。お前、まだまるっきり戦士の目をしてるじゃねえか」
「もともと魔物が多いんだ。この辺の山には」
ダムルは言った。
「頼まれて、片手間に戦士稼業もしていたってだけのことだ。だから、小鬼どもの動きのおかしさにも気付いてた」
ダムルは暗い目でドライオを見た。酒を飲めば飲むほど、その目は闇を増すかのようだった。
「小鬼が増えてきている。山に食い物がなくならねえうちに対処しないといけねえ。そういう話は俺だけじゃなくほかの木こりや猟師からも上がっていた。だがこの辺の村長がいつ若い衆を集めるか話し合ってるうちに、小鬼の方が先に暴発した。そのとき、ちょうど隣村に親類を訪ねていた俺の女房と息子も巻き込まれた」
「ダムル。お前」
ドライオは目を見開く。
「所帯を持ってたのか」
「俺にはもったいねえ女だった。息子もよくなついてた」
ダムルはそれしか言わなかったが、ドライオはそれでこの男の目の暗さの理由を悟る。
「まさか小鬼があんなに早く動くとは思わなかった。山にはまだまだ連中の食い物は残ってたんだからな。だが、お前の話を聞いて腑に落ちた。小鬼の尻に火をつけたやつがいるんだな」
「ああ。多分な」
ドライオは身を前に乗り出した。
「心当たりはあるんだな」
「ある」
ダムルは杯に残っていた酒を一息に飲み干すと、その名を挙げた。
「エベックという男を知っているか」