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就職氷河期世代   作者: 冷やし中華はじめました
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凍りついた時代の残響

第1章:希望の芽生え(2000年4月)


桜の花びらが舞う東京の街。経済学部を卒業したばかりの田中浩司たなかこうじは、両親から譲り受けたスーツに身を包み、希望に満ちた眼差しで未来を見つめていた。


「よし、これで新しい人生の始まりだ」浩司は自分に言い聞かせるように呟いた。


アパートの狭い部屋で、浩司は鏡に向かってネクタイを締め直す。壁には大学の卒業証書と、簿記の資格証、そしてTOEICの高得点を示す証明書が誇らしげに飾られていた。


「浩司、朝ごはんできたわよ」隣の部屋から母の声が聞こえる。


「はーい、今行きます」


リビングに向かう浩司を、両親が温かい笑顔で迎えた。


「今日が就職活動の始まりだね」父が言う。「がんばれよ」


「ありがとう、お父さん」浩司は微笑んだ。「僕なりに頑張ってくるよ」


「浩司、これあげる」母が小さな紙包みを差し出した。開くと、中には母の手作りのお守りが入っていた。


「お母さん...」浩司は思わず目頭が熱くなった。


「どんな時も、私たちはあなたの味方よ」母は優しく浩司の背中をさすった。


朝食を終えた浩司は、希望に胸を膨らませながら家を出た。まだ彼は知らなかった。自分が飛び込もうとしているのが、"就職氷河期"と呼ばれる凍てついた時代だということを。


その日、浩司は初めての就職説明会に参加した。会場は同じような希望に満ちた若者たちで溢れかえっていた。


「君たちは日本の未来を担う人材です」企業の採用担当者が熱く語る。「私たちと一緒に、新しい時代を切り開いていきましょう」


浩司は大きく頷いた。心の中で、自分の未来への期待が膨らんでいくのを感じた。


帰り道、浩司は大学時代の友人、佐藤ユウコに電話をかけた。


「もしもし、ユウコ?今日、初めての就職説明会に行ってきたんだ」


「へえ、どうだった?」ユウコの声には興味が混じっていた。


「すごく良かったよ。なんだか、これからの人生が楽しみになってきた」


「それは良かったね。私も来週から本格的に動き出すわ」


「お互い頑張ろうね。きっと良い会社に入れるさ」


「そうね。浩司くんなら大丈夫よ」


電話を切った後、浩司は空を見上げた。夕暮れ時の空には、まだ薄っすらと桜色が残っていた。


第2章:現実の壁(2000年7月〜12月)


夏の暑さが頂点に達する頃、浩司の希望は少しずつ薄れ始めていた。アパートの壁には、既に数社分の不採用通知が貼られていた。


「まだ、諦めるわけにはいかない」浩司は歯を食いしばり、次の応募書類を書き始めた。


8月のある日、浩司は久しぶりに実家に帰った。


「お帰り、浩司」母が出迎えてくれた。「就職の調子はどう?」


浩司は少し俯いた。「まだ...決まっていないんだ」


「そう...」母の声には心配が滲んでいた。「でも、あなたなら大丈夫よ。きっと良い会社が見つかるわ」


「ありがとう、お母さん」


夕食時、父が話しかけてきた。「浩司、兄貴の話は聞いたか?」


「いいえ、何かあったの?」


「公務員試験に受かったそうだ。来年の4月から市役所勤務だとよ」


「そうなんだ...」浩司の声は少し沈んだ。


「お前も頑張れよ。まだまだこれからだ」


「うん...わかってる」


その夜、浩司は幼い頃に使っていた自分の部屋で眠れずにいた。窓の外には満月が輝いていたが、その光は浩司の心に届かなかった。


9月に入り、浩司は臨時のアルバイトを始めた。コンビニの深夜勤務だ。


「お疲れ様です」アルバイト仲間の山田さんが声をかけてきた。「田中くん、大学出たんだよね?」


「はい」浩司は棚の商品を整理しながら答えた。


「じゃあ、なんでこんなバイトしてるの?」


浩司は一瞬言葉に詰まった。「就職...まだ決まってなくて」


「あー、そっか」山田さんは同情的な目で浩司を見た。「今、就職難らしいもんね」


その言葉は、浩司の心に刺さった。


10月のある日、浩司は久しぶりにユウコと会った。


「久しぶり、元気?」ユウコが笑顔で声をかけてきた。


「まあまあかな」浩司は無理に笑顔を作った。「ユウコは?」


「私はね、来月から商社に入ることになったの」


「へえ、おめでとう」浩司は心から祝福の言葉を述べたつもりだったが、どこか虚ろな響きがあった。


「浩司くんは?まだ決まってない?」


「うん...まだなんだ」


「そっか...」ユウコの声にも気まずさが混じった。「でも、浩司くんならきっと大丈夫よ」


別れ際、ユウコは浩司に軽く手を振った。「また連絡するね」


浩司はその背中を見送りながら、自分との距離が少しずつ開いていくのを感じていた。


12月、寒さが厳しくなる中、浩司のアパートには両親からの電話が鳴り響いた。


「もしもし、浩司?」父の声だった。


「どうしたの、お父さん?」


「いや、そろそろ決まったかと思ってね」


浩司は黙ってしまった。


「まだか?」父の声にはわずかな焦りが混じっていた。


「うん...まだなんだ」


「そうか...」父は深いため息をついた。「浩司、諦めるなよ。でも、いつまでも甘えてられないぞ」


「わかってる」浩司の声は小さくなった。


電話を切った後、浩司は窓の外を見た。街はクリスマスの装飾で華やいでいたが、その光は彼の心には届かなかった。


第3章:孤独の深まり(2001年1月〜2003年3月)


新年を迎えても、浩司の状況に変化はなかった。むしろ、周りの変化が彼を追い詰めていった。


1月のある日、浩司は珍しく外出した。新年会に誘われたのだ。


「浩司、久しぶり!」大学時代の同級生、田村が声をかけてきた。


「やあ、田村」浩司は微笑んだ。


「どうだ?仕事は順調か?」


浩司は言葉に詰まった。「まあ...なんとか」


「そっか」田村は気まずそうに笑った。「俺はさ、来月から転職するんだ。給料もちょっと上がるしさ」


「へえ、おめでとう」浩司は無理に明るく答えた。


その夜、帰り道で浩司は立ち止まった。街角の求人情報誌のスタンドの前だった。手を伸ばしかけたが、結局何も取らずにその場を去った。


2月、浩司は珍しく実家に電話をかけた。


「もしもし、お母さん?」


「あら、浩司。珍しいわね」母の声には喜びが混じっていた。


「うん...ちょっと近況報告しようと思って」


「そう、どう?仕事は見つかった?」


浩司は一瞬黙った。「まだ...なんだ」


「そう...」母の声にも落胆が混じった。「でも、浩司なら大丈夫よ。きっと素敵な会社が見つかるわ」


「ありがとう、お母さん」浩司の声は少し震えていた。


3月、桜の季節が近づいてきた。浩司は相変わらずアルバイトを続けていたが、正社員への道は遠く感じられた。


ある日、コンビニでの勤務中、浩司は驚きの声を上げた。


「ユウコ?」


「あら、浩司くん」ユウコは少し驚いた様子だった。「こんなところで会うなんて」


「うん...ここでバイトしてるんだ」浩司は少し恥ずかしそうに答えた。


「そうなの...」ユウコの目には同情の色が浮かんでいた。「私、来月から海外赴任なの」


「へえ、すごいじゃないか」浩司は無理に明るく答えた。


「うん、がんばってくるわ」ユウコは少し気まずそうに笑った。「浩司くんも、がんばってね」


ユウコが去った後、浩司は深いため息をついた。


2002年が過ぎ、2003年に入っても、浩司の状況は変わらなかった。春が近づくにつれ、新卒採用のニュースが流れるたびに、浩司の心は沈んでいった。


3月のある日、浩司は久しぶりに大学時代の友人たちとの飲み会に参加した。


「みんな、久しぶり」浩司は少し緊張気味に挨拶した。


「おお、浩司じゃないか」友人の一人が声をかけてきた。「最近どうしてる?」


浩司は言葉を選びながら答えた。「まあ...なんとかやってる」


「そっか」友人は少し気まずそうに笑った。「俺たち、みんな結構忙しくてさ。なかなか会う機会がなくてごめんな」


浩司は黙って頷いた。話題は仕事や結婚の話に移っていき、浩司はただ黙って聞いているだけだった。


帰り道、浩司は空を見上げた。春の星座が輝いていたが、その光は彼の心には届かなかった。


第4章:最後の希望(2003年4月〜5月)


2003年4月、桜が満開の季節。浩司の人生に、小さな光が差し込んだ。


「田中さん、面接のお知らせです」


電話の向こうの声に、浩司は思わず背筋を伸ばした。


「はい、わかりました。必ず伺います」


電話を切った後、浩司は久しぶりに心の底から笑顔になった。


「やった...」浩司は小さく呟いた。「これが最後のチャンスかもしれない」


その夜、浩司は久しぶりに両親に電話をかけた。


「お父さん、お母さん、聞いて」浩司の声には久しぶりの活気があった。「面接の話が来たんだ」


「まあ、それは良かったわね」母の声には喜びが溢れていた。


「そうか、良かったな」父も嬉しそうだった。「きっとうまくいくさ」


「うん、頑張るよ」


電話を切った後、浩司は久しぶりにスーツを手入れした。鏡の前で立ち姿を確認する。少しやせたようだが、目には久しぶりの輝きがあった。


面接当日、浩司は早めに会社に到着した。


「よし、やるぞ」浩司は深呼吸をして、面接室に入った。


面接官は3人。浩司は緊張しながらも、自分の経験や能力を精一杯アピールした。


「田中さん、なぜ3年間就職できなかったのですか?」


その質問に、浩司は一瞬言葉につまった。しかし、すぐに気持ちを立て直した。


「はい、確かに厳しい時期もありました。しかし、その間も自己研鑽を怠らず、様々な経験を積んできました。それらの経験は、必ず御社でも活かせると確信しています」


面接官たちはじっと浩司を見つめていた。


面接を終え、浩司は少し安堵の表情を浮かべながら会社を後にした。東京の街を歩きながら、彼は久しぶりに希望を感じていた。

「きっと大丈夫だ」浩司は自分に言い聞かせるように呟いた。

その夜、浩司は久しぶりに友人の田村に電話をかけた。

「もしもし、田村?」

「おお、浩司か。珍しいな」田村の声には少し驚きが混じっていた。

「うん、実はさ」浩司は少し興奮気味に話し始めた。「今日、大手企業の面接を受けてきたんだ」

「へえ、それはすごいじゃないか」田村の声も明るくなった。「どうだった?」

「まあ、結果はまだわからないけど」浩司は少し照れくさそうに笑った。「でも、なんか手応えはあったんだ」

「そうか、良かったな」田村の声には本当の喜びが混じっていた。「浩司なら大丈夫だよ。きっと受かるさ」

「ありがとう」浩司は心からの感謝を込めて答えた。

電話を切った後、浩司は窓の外を見た。夜空には星が輝いていて、久しぶりにその美しさに気づいた。

数日後、浩司のアパートに一通の封筒が届いた。差出人は面接を受けた会社だった。浩司は少し震える手で封筒を開けた。

「拝啓...」

浩司は息を止めて文面を読み進めた。しかし、その表情はみるみる曇っていった。

「申し訳ありませんが、他により適した候補者がおりまして...」

その瞬間、浩司の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

「そっか...」浩司は小さく呟いた。「やっぱり...ダメだったか」

その夜、浩司は誰にも電話をかけなかった。窓の外を見ても、星は曇りに隠れて見えなかった。


第5章:絶望の淵(2003年6月〜12月)

面接の結果を受け、浩司は完全に打ちのめされた。アパートに戻った彼は、ベッドに倒れ込み、何日も動かなかった。

6月のある日、浩司の携帯電話が鳴った。母からだった。

「もしもし、浩司?」母の声には心配が滲んでいた。

「うん...」浩司の返事は小さかった。

「どうしたの?元気ないわね」

浩司は一瞬言葉に詰まった。「ごめん...面接、落ちたんだ」

「そう...」母の声も沈んだ。「でも、浩司。まだ諦めるのは早いわ」

「うん...」浩司は曖昧に答えた。

電話を切った後、浩司はまたベッドに倒れ込んだ。

7月に入り、浩司の生活はさらに荒れていった。食事はインスタントラーメンだけ。外出はコンビニに行く時だけ。アパートの中は散らかり放題で、浩司自身も髭を剃ることすら面倒になっていた。

8月のある暑い日、浩司は珍しく外出した。行き先は、かつてアルバイトをしていたコンビニだった。

「あれ、田中くん?」元同僚の山田さんが驚いた様子で声をかけてきた。

「あ、山田さん...」浩司は小さく答えた。

「久しぶりだね。元気にしてた?」

浩司は曖昧に頷いた。「まあ...なんとか」

山田さんは浩司の様子を心配そうに見た。「大丈夫?何かあったの?」

浩司は言葉に詰まった。「いや...別に...」

「そう...」山田さんは少し間を置いて言った。「田中くん、もし良かったら、また

ここでバイトしない?人手不足で困ってるんだ」

浩司は一瞬、その提案に心が動いた。しかし、すぐに首を横に振った。

「ごめん...今は...」

「そっか」山田さんは残念そうに答えた。「でも、いつでも来てくれていいからね」

浩司は小さく頷いて、コンビニを後にした。

9月、10月と月日は流れていった。浩司の部屋には未開封の請求書が山積みになっていた。携帯電話の着信にも出なくなり、両親からの心配の声も聞こえなくなっていた。

11月のある日、浩司は久しぶりにテレビをつけた。ニュースでは、景気回復の兆しが見えてきたという報道がされていた。

「景気回復か...」浩司は冷ややかに笑った。「俺には関係ないな」

12月に入り、街はクリスマスムードに包まれていった。浩司のアパートの窓からは、イルミネーションで飾られた街並みが見えた。しかし、その光は浩司の心には届かなかった。

「もう...疲れた...」

浩司はそうつぶやいて、再びベッドに横たわった。外からは賑やかな声が聞こえてきたが、浩司の耳にはそれが遠い世界の出来事のように感じられた。


第6章:一瞬の光(2004年1月)

新年を迎えても、浩司の生活に変化はなかった。しかし、1月のある寒い日、突然の来訪者があった。

「浩司くん、元気?」

ドアを開けると、そこには大学時代の友人、佐藤ユウコの姿があった。

「ユウコ...」浩司は驚きのあまり言葉を失った。

「ごめんね、突然来ちゃって」ユウコは少し申し訳なさそうに笑った。「海外赴任から戻ってきたの。浩司くんの様子が気になって...」

浩司は言葉に詰まったまま、ユウコをアパートに招き入れた。散らかった部屋を見て、ユウコは少し驚いた様子だったが、何も言わなかった。

「浩司くん、大丈夫?」ユウコの声には心配が滲んでいた。

浩司は俯いたまま答えた。「うん...まあ...」

ユウコは浩司の隣に座り、ゆっくりと話し始めた。

「私ね、海外で色々経験したの。最初は全然うまくいかなくて、何度も挫折しそうになったわ」

浩司は黙って聞いていた。

「でも、諦めなかったの。そしたら、少しずつだけど、道が開けてきたの」

ユウコは浩司の顔をじっと見た。

「浩司くん、私も同じような経験をしたの。でも、諦めなかったから今がある。あなたにも必ず道は開けるわ」

浩司は初めてユウコの目を見た。そこには、真剣な眼差しと、かすかな希望の光が宿っていた。

「でも...もう遅いよ」浩司は小さく呟いた。「こんな俺じゃ...」

「違うわ」ユウコは強く言った。「まだ遅くないわ。浩司くんには才能があるのよ。それを思い出して」

ユウコは立ち上がり、浩司の肩に手を置いた。

「明日、一緒に出かけましょう。久しぶりに外の空気を吸うのよ」

浩司は迷った。しかし、ユウコの真剣な眼差しに、小さく頷いた。

「うん...わかった」

その夜、浩司は久しぶりに窓を開けた。冷たい冬の風が頬を撫でる。浩司は深呼吸をした。胸の中に、小さな、しかし確かな希望の灯が灯った気がした。


第7章:消えゆく炎(2004年2月〜5月)

ユウコとの再会後、浩司は一時的に活力を取り戻した。2月に入り、彼は久しぶりに就職活動を再開した。

「よし、もう一度やってみよう」浩司は自分に言い聞かせるように呟いた。

ある日、浩司はハローワークを訪れた。久しぶりの就職活動に、少し緊張した様子だった。

「田中さんですね」職員が浩司の履歴書を見ながら言った。「4年のブランクがありますが...」

浩司は言葉に詰まった。「はい...その...」

職員は少し考えてから言った。「正直、厳しい状況だと思います。でも、諦めないでください。まずは、スキルアップを目指してみてはどうでしょうか」

浩司は小さく頷いた。「わかりました。ありがとうございます」

その日の夜、浩司はユウコに電話をかけた。

「ユウコ、今日ハローワークに行ってきたんだ」

「そう、偉いわね」ユウコの声には嬉しさが混じっていた。「どうだった?」

「うーん、厳しいって言われたけど」浩司は少し沈んだ声で答えた。「でも、スキルアップを勧められたんだ」

「それ、いいアイデアじゃない」ユウコは明るく言った。「浩司くん、パソコンのスキルとか磨いてみたら?」

「そうだね...やってみるよ」

3月に入り、浩司は毎日パソコンの勉強を始めた。エクセルやワードの使い方を学び、簡単なプログラミングにも挑戦した。

しかし、4月になっても、浩司の就職状況に変化はなかった。

「もしもし、浩司?」ある日、母から電話があった。

「うん...」浩司の声は疲れていた。

「どう?仕事は見つかった?」

浩司は言葉に詰まった。「まだ...なんだ」

「そう...」母の声にも諦めが混じっていた。「浩司、そろそろ実家に戻ってきたら?お父さんの店を手伝ってくれると助かるんだけど...」

浩司は黙ってしまった。

5月のある日、浩司は久しぶりにユウコと会った。

「浩司くん、顔色悪いわよ」ユウコは心配そうに浩司を見た。

「うん...なんか、うまくいかなくて」浩司は俯いて答えた。

「そう...」ユウコは少し考えてから言った。「浩司くん、無理しないで。ゆっくり休んでもいいのよ」

浩司は黙ってうなずいた。

その夜、浩司はアパートに戻ると、再びベッドに倒れ込んだ。窓の外には、初夏の星空が広がっていたが、浩司の目にはそれが遠い世界のように感じられた。

徐々に、浩司の中の希望の炎は消えていった。ユウコとの連絡も途絶え、再び孤独な日々が始まった。


第8章:静かな終焉(2004年6月〜7月)

6月に入り、梅雨の季節が東京を包み込んだ。浩司のアパートの窓からは、どんよりとした空が見えた。

浩司の生活はますます荒れていった。食事は不規則になり、外出もほとんどしなくなった。アパートの中は散らかり放題で、浩司自身も身なりを気にしなくなっていた。

ある日、浩司は久しぶりに鏡を見た。そこに映っていたのは、やつれた顔と伸び放題の髭だった。

「これが...俺なのか」浩司は小さくつぶやいた。

その日の夜、浩司の携帯電話が鳴った。画面には「母」の文字が表示されていた。しかし、浩司は電話に出なかった。

7月に入り、梅雨が明けると、東京は猛暑に見舞われた。浩司のアパートにはエアコンがなく、部屋の中は蒸し暑かった。

浩司はベッドに横たわったまま、天井を見つめていた。部屋には請求書の山が積まれ、冷蔵庫は空っぽだった。

「もう...疲れた...」

浩司はそうつぶやいて、目を閉じた。外からは蝉の鳴き声が聞こえていたが、それも次第に遠ざかっていった。

浩司は二度と目を覚まさなかった。


エピローグ:残された痕跡(2004年8月)

8月中旬、東京は真夏の暑さに包まれていた。浩司のアパートの周りでは、セミの鳴き声が響いていた。

アパートの管理人、佐々木さんは、異臭に気づいていた。

「おかしいな...」佐々木さんは眉をひそめた。「田中くん、最近見てないし...」

30日が経ち、家賃の支払いが滞っていることに気づいた佐々木さんは、浩司のアパートのドアをノックした。

「田中くん、いますか?」

返事はなかった。

心配になった佐々木さんは、マスターキーを使ってドアを開けた。

「うっ...」

部屋に漂う異臭に、佐々木さんは思わず鼻を押さえた。そして、ベッドに横たわる浩司の姿を見つけた。

「田中くん...」

佐々木さんの声は震えていた。すぐに警察に通報された。

警察が到着し、浩司の死亡が確認された。推定死亡日時は約1ヶ月前。死因は栄養失調と脱水症状だった。

浩司の部屋の片隅に、一冊のノートが見つかった。それは浩司の日記だった。

最後のページには、こう書かれていた。

「もう疲れた。誰も僕を必要としていない。就職氷河期、そんな言葉で片付けられるほど簡単なものじゃなかった。僕の人生は、凍りついたままだった...」

浩司の死は、メディアで大きく取り上げられた。

「就職氷河期世代の悲劇」「社会からの孤立が招いた悲惨な結末」など、様々な見出しが踊った。

浩司の両親は、息子の訃報を聞いて呆然としていた。

「なぜ...なぜ気づかなかったんだ...」父は涙を流した。

「浩司...ごめんなさい...」母は浩司の遺影を抱きしめて泣いた。

ユウコも、浩司の死を知って深い悲しみに暮れた。

「私ももっと...もっと何かできたはず...」

浩司の葬儀には、大学時代の友人たちも参列した。皆、沈痛な面持ちで浩司との最後の別れを惜しんだ。

浩司の死は、社会に小さな波紋を広げた。就職氷河期世代の苦境が改めて注目され、支援の必要性が叫ばれた。政府も対策を検討し始めた。

しかし、それは浩司にとっては遅すぎた変化だった。

浩司のアパートは、しばらくの間空室のままだった。誰も、この悲劇の舞台となった部屋に住みたがらなかったのだ。

ある日、アパートの前に一輪の花が供えられているのが見つかった。添えられたメッセージカードには、こう書かれていた。

「浩司くん、安らかに眠ってください。あなたの人生は決して無駄ではありませんでした。あなたの物語が、同じ苦しみを抱える人たちの希望になりますように。」

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