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就職氷河期世代   作者: 冷やし中華はじめました
2/18

『夢の跡 - 限界ニュータウンの記憶』

第1章: 黄金の夢


私が初めてこの場所を訪れたのは、20年前の春だった。当時28歳だった私は、母と二人で千葉県の奥地にある新興住宅地の見学に来ていた。「シーサイドヒルズ」。その名前は、海も丘も見えない場所にありながら、何かしら希望に満ちた響きを持っていた。


不動産会社のパンフレットには、緑豊かな環境で理想的な生活が送れると謳われていた。50区画の広々とした敷地に建つ現代的な家々。共有の公園や集会所。そして何より、手の届く価格。バブル崩壊後の不動産価格の下落を背景に、夢のマイホームを手に入れるチャンスだと思った。


母は、父が他界してから都内のアパートで一人暮らしをしていた。私自身も、仕事のストレスから解放されたいと思っていた。この新しい街で、新しい人生を始められるのではないか。そんな淡い期待を胸に、私たちは契約を決意した。


入居から数年間は、確かに理想的だった。隣人たちとの挨拶、休日のバーベキュー、夏祭り。自治会も活発で、街路樹の手入れや清掃活動など、みんなで協力して街を美しく保っていた。


私は毎日2時間かけて都内へ通勤していたが、疲れて帰ってくる私を出迎えてくれる我が家があることが何よりの慰めだった。母も、近所の人々と交流を深め、趣味のガーデニングを楽しんでいた。


しかし、その幸せな日々は長くは続かなかった。


第2章: 崩壊の予兆


最初の異変に気づいたのは、入居から5年が経った頃だった。


隣家に住んでいた佐藤さん一家が引っ越していった。佐藤さんは、リストラを機に地方の実家に戻るのだと言っていた。空き家となった隣家を見るたびに、何か寂しさを感じたものだ。


その後、徐々にではあるが確実に、街から人が減っていった。


不動産バブルの後遺症か、ローンが払えなくなって家を手放す人もいた。子育てを終えた世帯は、より便利な場所へと移っていった。高齢化も進み、施設に入る人も増えていった。


自治会の活動も、だんだんと低調になっていった。夏祭りは3年前を最後に開催されなくなった。街路樹の手入れも行き届かなくなり、雑草が目立つようになった。


そして、決定的だったのは10年前に起きた大地震だった。幸い、人的被害はなかったものの、インフラへの被害は甚大だった。道路にはヒビが入り、排水溝は土砂で埋まった。


しかし、もはや修復する人手も資金もなかった。50世帯あった街は、いつの間にか10世帯を切っていた。


第3章: 限界の街


そして今、シーサイドヒルズに残されたのはわずか5世帯。私と母、そして他に4組の高齢者夫婦たちだけだ。


かつて夢見た理想の街は、今や「限界ニュータウン」と呼ばれている。


空き家となった家々は、手入れされないまま朽ち果てていく。庭には雑草が生い茂り、塀は崩れ、屋根には穴が開いているものもある。台風の度に、瓦が飛んでいく音を聞くのはもはや日常となった。


街路樹は伸び放題で、道路を覆いかぶさるようになっている。春になれば花粉が大量に飛散し、アレルギーに悩まされる。秋には大量の落ち葉が道を埋め尽くす。


道路の亀裂は年々広がり、大雨が降ると冠水する場所も出てきた。排水溝は完全に機能を失っている。


ゴミ収集も滞りがちだ。高齢者ばかりの街に、若い収集員が来るのを嫌がるのだろう。粗大ゴミの不法投棄も増えた。


街灯の多くは切れたまま。夜になると、まるで廃墟のような暗さに包まれる。


そんな中で、私は42歳になった今も、この街に住み続けている。


第4章: 孤立する日々


10年前、私は会社を辞めた。リストラではない。自ら望んで辞めたのだ。


長年のストレスと、通勤による疲労の蓄積。そして何より、この街の現状を目の当たりにして、何か行動を起こさなければという思いに駆られたのだ。


在宅でできる仕事を見つけ、収入は大幅に減ったが、時間的な余裕はできた。その時間を使って、街の管理に奔走した。


草刈り、ゴミ拾い、簡単な補修作業。できることは何でもやった。他の住民たちにも協力を呼びかけた。


しかし、結果は惨憺たるものだった。


高齢者ばかりの街で、私一人が奮闘しても焼け石に水だった。行政に支援を求めても、「個人の財産に公費は使えない」の一点張り。不在地主たちに連絡を取ろうとしても、音信不通になっているケースが多かった。


3年前、最後の希望だった道路の大規模修繕計画も、予算不足で頓挫した。


その頃から、私は徐々に外出しなくなっていった。


かつての友人たちとの付き合いも、自然と疎遠になっていた。SNSを見れば、同年代の知人たちが結婚し、子育てを楽しむ様子が投稿されている。その度に、自分だけが取り残されたような焦燥感に駆られた。


今では、食料の買い出し以外はほとんど家から出ない。在宅の仕事だけが、かろうじて社会とのつながりを保っている。


そして、82歳になった母。認知症の初期症状が見られるようになってきた。


第5章: 消えゆく記憶


「ねえ、今日は佐藤さん家のバーベキューだったわね。何時に行けばいいのかしら」


母がそう言い出したのは、つい先日のことだ。


佐藤さん一家が引っ越してから15年以上が経っている。バーベキューなど、もう20年近く行われていない。


「お母さん、佐藤さんはもういないよ。バーベキューもずっとやってないんだ」


私がそう説明すると、母は一瞬困惑した表情を浮かべた後、すぐに笑顔に戻る。


「そうだったわね。ごめんなさい、勘違いしていたみたい」


こんなやりとりが、最近増えてきた。


母の記憶の中では、まだこの街は活気に満ちている。隣人たちと笑顔で挨拶を交わし、花壇に水をやり、夏祭りの準備に励む。そんな幸せだった頃の記憶が、今の現実よりも鮮明なのだ。


ある意味、羨ましくもある。


私の記憶の中では、幸せだった頃の思い出は日に日に薄れていく。代わりに、朽ち果てていく家々の姿が、重くのしかかってくる。


夜、就寝前の母の様子を見に行くと、母はアルバムを眺めていた。


「ほら、これ覚えてる? 夏祭りの時の写真よ。みんなで盆踊りしたわね」


そう言って母が見せてくれた写真には、確かに笑顔で踊る人々の姿があった。色あせた写真の中で、人々は永遠に幸せそうに微笑んでいる。


「ああ、覚えてるよ」


私は嘘をついた。本当は、その時の記憶がほとんど残っていない。でも、母の嬉しそうな顔を見ると、その嘘も罪ではないような気がした。


母が眠りについた後、私は一人で外に出た。


満月の夜だった。街灯のない道を、月明かりだけを頼りに歩く。


かつて人々の笑い声が響いていた公園は、今や雑草の茂みと化していた。遊具はさびつき、ベンチは朽ち果てている。


ここで夏祭りが行われていたんだ。盆踊りの輪が出来て、やぐらを囲んで人々が踊っていた。


そう思い出そうとしても、具体的な情景が浮かんでこない。ただ、確かにそういうことがあったという事実だけが、頭の中に残っている。


私は月に向かって問いかけた。


「これからどうすればいいんだ?」


しかし、月は黙って輝き続けるだけだった。


第6章: 崩壊する日常


朝、目覚めると、いつもと違う音が聞こえた。


雨だ。久しぶりの大雨のようだ。


起き上がって窓の外を見ると、道路が川のようになっていた。排水溝が機能していないため、雨水が溢れ出している。


「また冠水か...」


ため息をつきながら、私は母の部屋に向かった。


「お母さん、起きた? 今日は...」


言葉が途切れた。母の姿が見当たらない。


「お母さん?」


パニックになりながら家中を探し回る。しかし、母の姿はどこにもない。


外は大雨。まさか、この雨の中を出て行ったのだろうか。


急いで雨合羽を着込み、外に飛び出した。


「お母さーん!」


叫びながら、ずぶぬれになって近所を走り回る。しかし、人気のない街に、私の声だけがむなしく響く。


1時間近く探し回っただろうか。疲れ果てて家に戻ると、そこに母がいた。


「あら、どうしたの? ずいぶん慌てた様子ね」


母は、何事もなかったかのように、台所で朝食の支度をしていた。


安堵のあまり、涙が込み上げてきた。


「お母さん、どこに行ってたの? 心配したんだよ」


「え? どこにも行ってないわよ。ずっとここにいたわ」


母の表情に混乱の色はない。本当に、自分が外出したことを覚えていないようだ。


認知症の症状が進んでいる。もはや、母を一人にしておくことはできない。


その日から、私は24時間体制で母の世話をすることになった。


仕事の合間を縫って、常に母の様子を気にかける。夜も、ちょっとした物音でも飛び起きる。


そんな生活が1ヶ月ほど続いたある日、突然の停電に見舞われた。


外を見ると、街全体が闇に包まれている。おそらく、老朽化した電線のどこかが切れたのだろう。


懐中電灯を手に取り、電話で電力会社に連絡を入れる。しかし、「現場に到着するまでに数日かかる可能性がある」との回答。人手不足で、こんな辺鄙な場所まで来るのに時間がかかるのだという。


食べ物はなんとかなる。ガスコンロがあるし、缶詰やレトルト食品のストックもある。


問題は水だ。


断水こそしていないものの、汲み上げポンプが電気で動いているため、水が出ない。


トイレを流すのにも一苦労だ。風呂に溜めていた水を少しずつ使っているが、それも底をつきかけている。


母は状況が理解できず、何度も「どうして水が出ないの?」と聞いてくる。その度に説明するのだが、すぐに忘れてしまう。


3日目。ようやく電気が復旧した。


しかし、この3日間で、私は痛感した。


もはやこの街で、人間らしい生活を送ることは不可能なのではないか。


第7章: 去るに去れず


電気が復旧してから1週間後、ケアマネージャーの田中さんが訪ねてきた。


田中さんは、母の認知症の進行を心配して定期的に訪問してくれていた。今回の訪問でも、母の状態を確認し、必要なサービスについて話し合った。


話が一段落したところで、田中さんは私に向かって言った。


「正直に申し上げて、このままここで暮らし続けるのは難しいと思います。施設への入所を考えてみてはいかがでしょうか」


その言葉は、私の心に重くのしかかった。頭では分かっている。このまま二人きりで暮らし続けるのは、限界がある。しかし...


「分かっています。でも、この家を手放すのは...」


言葉につまる私に、田中さんは優しく微笑んだ。


「気持ちはよく分かります。でも、あなたの人生もあるはずです。こんな場所に縛られて、このまま過ごしていいんでしょうか」


その言葉に、胸が締め付けられる思いがした。


確かに、私にも人生がある。しかし、今さら何をすればいいのか。長年引きこもりに近い生活を送ってきて、外の世界とのつながりを失ってしまった。


そして何より、この家への執着が強すぎる。


ローンこそ完済したものの、今や資産価値はほとんどない。売ろうにも買い手がつくはずもない。


しかし、ここには20年分の思い出がある。幸せだった日々の記憶が、朽ち果てていく家々と共に埋もれている。


この場所を離れることは、その記憶まで捨て去ることのように思えた。


田中さんが帰った後、私は母と二人で夕食を取りながら、ふと思い出した。


「お母さん、覚えてる? この家に越してきた日のこと」


母は少し考え込むような表情をしたが、すぐに笑顔になった。


「ええ、もちろんよ。みんなで荷物を運んで、夜遅くまでかかったわね。でも、嬉しくて疲れも感じなかったわ」


その言葉を聞いて、私も当時のことを思い出した。確かに、希望に満ちていた。新しい生活への期待で胸が躍っていた。


「あの頃に戻れたらいいのにね」


私がそうつぶやくと、母は不思議そうな顔をした。


「何言ってるの? 私たちはずっとここにいるじゃない。幸せよ」


その言葉に、私は返す言葉を失った。


第8章: 揺れる決意


その夜、眠れずにいた私は、家の中をゆっくりと歩き回っていた。


壁には、いくつもの写真が飾られている。入居したての頃の写真。隣人たちと笑顔で写る写真。夏祭りの写真。


どの写真も、今はもうない光景ばかりだ。


ふと足を止めると、窓の外に目をやった。月明かりに照らされた街並みが、幽霊のように佇んでいる。


かつてこの街で暮らしていた人々は、今どこで何をしているのだろう。彼らは、この街での日々を覚えているのだろうか。それとも、忘れてしまったのだろうか。


「私だけが、取り残されてしまったのかもしれない」


そう思うと、急に寂しさが込み上げてきた。


しかし、その寂しさと同時に、どこか安心感のようなものも感じた。


ここにいれば、少なくとも過去とのつながりを失わずに済む。外の世界に出ていけば、きっと様々な困難が待っているだろう。


そんな不安と、このままでは何も変わらないという焦りの間で、私の心は揺れ続けた。


朝日が昇り始める頃、ようやく眠りについた私の夢の中で、父の声が聞こえた。


「前を向いて歩け。過去に縛られるな」


目が覚めると、涙が頬を伝っていた。


第9章: 新たな一歩


それから1週間後、私は決断した。


この街を離れ、母を施設に入所させることにしたのだ。


決断を下すまでには、幾度となく迷いがあった。しかし、このまま朽ち果てていく街と共に、自分の人生も朽ち果てていくのを待つわけにはいかなかった。


母には、何度も説明を繰り返した。理解してくれたかどうかは分からない。ただ、「あなたと一緒なら、どこでもいいわ」と言ってくれたことが、せめてもの救いだった。


家の整理は、想像以上に大変だった。


20年分の思い出が、この家のあちこちに詰まっている。一つ一つの品物に、様々な記憶が結びついている。


捨てるもの、持っていくもの、寄付するもの。仕分けをしながら、私は自分の人生を振り返っているような気がした。


そして、ついに引っ越しの日がやってきた。


最後に家の中を見回すと、かつての賑わいが嘘のように、がらんとした空間が広がっていた。


玄関を出る直前、私は深く息を吸い込んだ。


「さようなら。ありがとう」


小さくつぶやいて、最後に家に別れを告げた。


車に乗り込み、ゆっくりと発進する。バックミラーに映る家が、だんだん小さくなっていく。


街を出るまでの道のりで、私は様々な光景を目にした。


朽ち果てた家々。雑草の生い茂った公園。ひび割れた道路。


しかし不思議なことに、それらの光景に悲しみは感じなかった。


むしろ、「よく頑張ったね」と、この街に語りかけたい気持ちになった。


街の出口に差し掛かったとき、母が口を開いた。


「ねえ、私たちこれからどこに行くの?」


「新しい家だよ、お母さん。きっといい場所だから」


「そう。楽しみね」


母の笑顔を見て、私も少し安心した。


確かに、未来は不安でいっぱいだ。しかし、ここで新たな一歩を踏み出せたことが、小さな自信となっていた。


街を後にする車の中で、私は静かに誓った。


もう後ろは振り返らない。これからは、前だけを見て生きていこう。


そして、いつかこの経験を、誰かの力になれるような形で活かせたらいいな。


車は、朝日に照らされた新しい道を走り続けた。


第10章: エピローグ


あれから5年が経った。


母は施設で穏やかな日々を送っている。認知症の進行は止められなかったが、専門的なケアのおかげで、穏やかに過ごせているようだ。


私は、都内のアパートで一人暮らしを始めた。


最初は、慣れない環境に戸惑うことも多かった。しかし、少しずつ外の世界とつながりを持つようになった。


今では、NPO法人で働いている。空き家問題や過疎地域の支援に取り組む団体だ。


自分の経験を活かして、同じような状況に置かれている人々の力になりたいと思ったのだ。


時々、シーサイドヒルズのことを思い出す。


あの街は今、どうなっているだろう。


誰も住んでいない廃墟と化してしまったのだろうか。それとも、誰かが新たな命を吹き込んでくれたのだろうか。


確かめに行く勇気は、まだない。


しかし、あの街での20年間は、決して無駄ではなかったと思う。


あの経験があったからこそ、今の自分がある。苦しかった日々も、幸せだった日々も、全てが今の自分を作り上げている。


窓の外を見ると、夕暮れ時の街並みが広がっている。


かつて住んでいた郊外の静けさとは違う、都会の喧騒が聞こえてくる。


その音を聞きながら、私は思う。


人生には、様々な「幸せ」がある。


離れがたい過去や、捨てきれない思い出。それらに縛られて、前に進めなくなることもある。


しかし、勇気を出してその「幸せ」を解き放てば、新たな道が開ける。


私の「幸せ」は、あの限界ニュータウンだった。


そこから抜け出すのに、20年もの歳月がかかった。


でも、遅すぎるということはない。人生に「手遅れ」はないのだ。


明日からまた、誰かの「幸せ」を解くお手伝いができればいい。


そう思いながら、私は静かに目を閉じた。


窓の外では、新しい朝を告げるように、鳥たちがさえずり始めていた。


(終)

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